これなら戦争にはなりません


ピストーラ、12丁 今日はとてもいい具合に焼けました。


本日から開催中の「市民平和まつり」。

明日は、これを持って行きます。
その名もピストーラ(ピストル・鉄砲)。
でも誤解なさらないでくださいね。
これは、スペインの食事用パンに付けられた名前です。

曰く、これで空腹を殺す。(つまり、やっつける。)
スペインでは、あらゆる種類のパンの中でこのピストーラだけは、誰でも買えるように安い価格に統制されているそうです。
昔、日本にもあった、配給米と同じ考え方なんですね。
小麦粉と水と酵母だけのシンプルなパンなのです。


戦争の元を辿れば、つまり生存のための食糧の争奪なのですね。
早い話しが、餌のとり合いなんです。
十分なパンがあれば、戦争は起こらない。
だから場合によっては、食糧が一番の武器になったりするわけです。


スペインのこのパンに付けられた名は、本当はとても奥の深い意味があるのかも・・・?
否、考え過ぎかな!


何はともあれ、平和のまつりにピストーラ。
これが愉快な冗談で済むなら、世の中すなわち平和な証拠ですね。


明日、明後日の二日間、会場にて食工房のミニカフェを開店いたします。
ホットコーヒー、アイスコーヒー、アイスカフェ・ラ・テ、スコーン、プッラ(シナモンロール)、トーストなどのメニューを用意いたします。

皆さまのご来場、心よりお待ちしております。

★なお、今回の売り上げの20%を、平和まつり事務局にカンパすることにしています。皆さまのご利用、どうぞよろしくお願いいたします。

暑い、暑いと、百篇

今日は朝からグングン気温が上がって、会津ではこの夏一番の猛暑となりました。
まあでもその気温の下、200℃超のパン釜で次々とパンを焼いている作業場の暑さを、どうぞご想像ください。
今日はもう口をついて出るのは「暑い、暑い。」の一言。
喉が渇いて仕方がないので、水ばかり飲んでいました。


そう言えば今日は、広島デ―でしたね。
64年前、今日の会津みたいに朝から暑い日だったそうですが、史上初めて実戦兵器として核が使われたのでした。

それにしても、人が人に対して何と恐ろしいことが出来るのだろうと、ヒトという生き物の不可解さを思います。
原爆投下を決定したのは、かのポツダムの議場だったそうですが、広島から遠い外国の卓上で広島の運命を決めた人たちは、果たしてどの程度その結果の悲惨さを想像出来たでしょうか?

エノラゲイのパイロットは、高度10,000mの上空で投下スイッチのボタンを一押ししただけ。
別な飛行機に乗ったスタッフは、史上初の核爆弾の炸裂の様子を撮影していました。

10,000m下でどんな恐ろしいことが起こっていたか、想像することは不可能と言って良かった。
近代兵器の真の恐ろしさは、及ぼす被害へのリアリティーが希薄なことだと、私は思います。


オーブンの何百倍何千倍の熱に焼かれた人々の苦痛には遥かに遠く及びませんが、手袋をしていてもなお熱くて長い時間開けていられないオーブンの中に手を入れながら、これでも何千分の一のリアリティーかも知れないと想像していました。


 


さて、夜になってずい分気温も下がって、過ごしやすくなりました。
東の空に月が上って来たのが見えただけで、すっかりなごんでしまう私です。

どこかの山の中では、夏のフェスティバルに大勢の人が集まり、ひと騒ぎしているらしいと、風のうわさ。
その昔、私もそんなイベントに参加して大いに盛り上がったことがありますが、今は夏の夜は静かに過ごしたい気分です。

星を眺めながら、この世の行く末に想いを巡らせましょうか。
だって、世界がこのまま無事に過ぎて行くとは、とうてい考えられませんもの・・・。


明日から開催される「市民平和まつり」に、どうぞお出かけください。
二日目からは、食工房もミニカフェを出店します。


★只今、当ブログのホストサービスに障害が発生している模様です。アクセスし難い状況があると思います。

いい仕事の条件


昨日、今日の二日間の仕事。


私、コーヒーを商売にしている手前、日ごろからコーヒーに関する情報を仕入れるためには努力を惜しみません。
で、つい先日、ネット上で「コーヒーは、体にいい飲み物。」という記事がいくつか目に留まりました。
その内容は、すでに少し前から言われていたことですが、カフェインやクロロゲン酸などの化学名を引き合いに出して、それらの効能を謳っているのですね。
集中力アップとかリラックス効果とか、体脂肪燃焼を助ける、発がん抑制効果、その他いろいろ。
いいことずくめのコーヒーという論調です。


その一方世の中には、コーヒーは体に悪いという説があって、私もよく知っているのは、コーヒー豆の焦げた成分の中に胃がんを引き起こす物質があるというものです。


だからと言ってどうなんでしょう。
諸説に動かされて、コーヒーの飲み方が変わるということがどの程度あるのかないのか分かりませんが、体にいいからと言って、いくらでも沢山飲めば飲むほど効果が上がるわけはないことぐらい、誰だって分かります。

逆に、コーヒー程度に発がん性のある食品は、探し出せばもうキリなく出て来るでしょう。
そんな理由でコーヒーだけを敬遠することは、全く意味がないと思えます。
そのせいかどうか、コーヒー業界誌はこうした話題を本気で取り上げることはありません。


今、コーヒー業界が血道を上げているのは、コーヒー豆の品質の差別化と新しい販売形態の構築です。
焙煎技術の革新も重要な課題と位置付けられています。
業界の話題の核心は、つまるところ売り上げです。
全体としてはコーヒーの需要が伸びている状況の中、焙煎業者はどんどん増えていて、もうすでに凌ぎを削る状況が生まれています。


さて、そんな状況のコーヒー業界に対してアウトサイダー的スタンスの私は、一杯のコーヒーがくれるもの、その満足感は、むしろ精神的なものの方にウェイトが大きいと思っています。
お客さまに満足していただくためにコーヒー屋がしなくてはならないこと、それは甚だ抽象的且つ月並な言い方になりますが、「心を込める。」ということに尽きると思うのです。
また仕事に対する意欲も、幾らになるから・・・と、本当はそんなところから出て来るものじゃないとも思います。
売り上げは単なる結果だと思うのですね。


目には見えない込めたものが、炒り上がったコーヒー豆という目に見え形あるものに凝縮され、お客さまの下で一杯のコーヒーとなって口に入れられた時、再び目に見えない何かに還元されて召し上がった方の心を満たす、そういう成り立ちだと思っています。

ですからそのためにコーヒー屋は、心が込められる自分自身のコンディションに対して、いつも心がけを持っていなくてはならないのじゃないか、それは人生の過ごし方にまで関わって来るはずだと。
いい仕事というのは、つまりそういうことなんじゃないか、そんなことを考えるようになったのも、そろそろ還暦が近づいて来た歳のせいかなと思う、今日の私です。



いつものコーヒーの風景です。これさえあれば・・・


先ほど、コーヒー焙煎が終わりました。
合計約16kg。
コーヒー専業なら、全然大したことのない量だと思いますが、食工房では滅多にない量です。
おいしいコーヒー、お届けいたします。

暑い一日、やることいっぱい

今日は、ひょっとして梅雨が明けるのかなと思わせる日差しと猛烈な暑さ。
でも、このところずっと雨が多かったので、あたりは蒸れて大変でした。

定休日返上でコーヒー焙煎の仕事をやる他に、ちょっとでも畑の手入れもしたい、庭の草刈りもしておきたいと、無理は承知でも頭の中は手順を考えていて、もうパニックです。

それでもやりました。

コーヒー焙煎は、だいたい全体の半分くらいを終わらせ、明日また継続。
畑は、トウモロコシを30本あまり収穫して、その後じゃがいもを全部掘り上げました。
さすがに、草刈りをする前に日が暮れて暗くなりタイムアウト。
夕食の後、本日ギリギリセーフで入荷が間に合った、カフェマヤの生豆の選別をやって一日が終わりました。

何だか仕事ばっかり・・・?、でもないのですよ。
朝は取り立てのトウモロコシを食べられましたし、コーヒー焙煎している間は、下の娘がお気に入りのCDに合わせて、バイオリンの練習をしているのが聴こえて来て、なかなか気分が良かったし、その後、連れ合いがうまいコーヒーを淹れてくれたし、夕方のじゃがいもゴロゴロはすごく得した気分でした。

ああ、私の元気の素って、他愛のないことばっかりです。
でも、案外それが一番大切なことかも知れません。

8/11から8/19まで、お盆休みをいただくことにしましたので、今週いっぱい走り続けです。

明日からコーヒー屋さん

正確に言うと、今日の午後からすでに、コーヒー焙煎の準備を始めています。
皆さま、もうご想像が付くことと思いますが、悪豆拾い(手選別作業)を延々とやっていました。
うちのコーヒー豆を使ってくださっている、「空色カフェ」さんと「びおとーぷ」さん、そして週末のイベントの分、それから個人のお客さまのまとまったご注文が2件、お盆休みの前なので待ったなしでやり上げなくてはなりません。
さすがに緊張感が走ります。
与えられた時間は、明日と明後日の二日間だけです。
何と言っても、「おいしいブレンド」へのご注文が圧倒的なので、あのホアキン豆を大量に焙煎しなくてはならないのです。
でもこれは、実のところ我が意を得ていることなのです。
「百姓の市」時代から通算すれば、もう20年近くも食工房の定番として、数えきれない方々に味わっていただき、且つ少なからぬ方にご好評を賜った実績は、本物だと受け取ってもいいのかなと思っているところです。
となると、今度は定番の味が損なわれないよう、守りの姿勢に入るということですね。
これはこれで大変そう・・・。
もうすでにその苦労を、幾分味わってはいるのですが。
おいしいコーヒーを飲みたい一心が、とうとうここまで来たかと、感慨も新たな今日の私です。


※本日、我がブログへのアクセスが不調で、編集途中のままアップします。

ナッツクッキー・新ラベル


ほど良い固さと歯応え、噛みしめるほどにナッツの香ばしさがお口の中ではじけます。


 


原画です。



        Machiko 


新しいナッツクッキーのラベルが出来ました。
今までのは、もうずっと以前PCもない頃に作ったもので、当時は、本当に一枚ずつ色鉛筆で色差ししていたのです。
だから、あまり凝ったイラストは使えなかったのでした。

食工房の専属イラストレーターの我が連れ合いに言わせると、せっかくきれいに画像を取り込めるようになったのに、これでは何だかつまらないというわけで、張り切って新作を描いてもらいました。
ナッツクッキーのイメージは「旅の口糧」なので、今回も物語に出て来る昔の旅人を登場させました。

食工房自家調製のミックスナッツ<参照>をたっぷり使った、香ばしさいっぱいのクッキーです。
コーヒーのお供にベストマッチ。
そして栄養豊富なので、山行きの時などにポケットに入れておけば、手軽にエネルギー補給が出来ます。


このところクッキー類の製造が間に合わない状況が続いていますが、今日はこのナッツクッキーとコーヒークッキーが出来ました。
ありがたいことに、以前は売れ残りが出て泣く泣く自分たちの口に入れることもあったクッキーも、今は一週間のうちに大方無くなってしまいます。
皆さまのご愛顧のおかげと、改めて感謝申し上げます。


 


  雨が多くて困ります。
今年は梅雨が長くて、8月になってもまだスッキリと夏空になりません。
毎日のように朝に夕ににわか雨が降るので、家の中が湿気っぽくてどうにもなりません。
洗濯物も乾かないし、布団も干せないし、いやはや困りました。

そうそう、畑もここに来て酷いことになっています。
ちよっと忙しくて見に行かないうちに、また雨が上がったらと後回しにしているうちに、草が茂ってジャングルの様相です。
でも、作物の方もそこそこ大きくなっていましたので、雑草に飲み込まれるほどのことにはならずに済んでいます。
やはり、途中まででも手を入れただけのことはありますね。
じゃがいもも収穫期を迎えましたし、キュウリは食べきれないほど出来ています。
トマトもナスも食べられるようになりましたし、トウモロコシはもうすぐです。
カボチャは、試しに二個ほど収穫しましたが上出来。
まだまだこれからです。
サツマイモは、ただいま旺盛にツルを延ばして生育中。
枝豆ももうじき食べられるようになるでしょう。
楽しみです。

こんな時だからこそ

不況と言われてもう一年・・・でしょうか、否もっと以前からでしょうか。
しかし、ここ一年以内の情勢は、やはり只事ではありません。
私事で恐縮ですが、うちの家族の中にも、いわゆる派遣切りで失業を経験した者が一人います。
他人事ではないのです。
幸いにも食工房は、皆さまのご愛顧に支えられて何とか持ち堪えておりますが、正直申せばここ数ヶ月間やはり売り上げは減って来ています。

世の中では今、食料品の値段は下降傾向にあるそうですね。
食工房も、このご時世に値下げしてサプライズ出来ればと思いますが、原材料価格は下がっていないどころか、逆に値上がり傾向です。
皆さまはご存じないと思いますが、国内産小麦の受給者払い下げ価格は、今年度収穫分から30%上がることが決定されています。
直ぐに小麦粉の値段が30%上がると言うことではないのですが、いずれ大きな影響が出ることは必至です。


ところで聞いた話ですが、失業者が多いことを反映してか、自営業に転じる人が少なくないそうで、カフェや居酒屋あるいはラーメン屋さんなど飲食業、そしてパン菓子屋など製造業の新規開業が結構沢山あるという話しです。
そのおかげで、設備関係の仕事はそこそこ需要があるらしいですね。

同業者が増えて供給過剰になれば、次は潰し合いになります。
その先どんなことになるか薄々分かっていても、それでも他に選択の余地なく人生を賭けて起業する人もいるわけです。
否応なくいろいろな意味で、競争に巻き込まれてしまう現実があります。

でもこんな時だからこそ、自分の仕事に対するポリシーをしっかり掲げて、誠実にやっているより他に道はないと思っています。
そしてプラス、ユーモアとサプライズでしょうね。
いろいろアイディアをひねり出して、確かな製品にさらにプラスアルファのサプライズが出来るよう、楽しみながら努力して行きたいと思っています。
食工房の今後をどうぞよろしく。そしてどうぞお楽しみに。


「食工房のパンだより45・盛夏号」を公開しました。  
  
<こちら> からご覧いただけます。

なお店頭でも配布しています。

マイブログ中間報告vol.14

ここ二日間ほど更新を休みましたが、毎日更新を原則に、2年と4カ月余りになります。
おかげさまで、ここしばらく毎日の閲覧者数は、100超え200以内で安定しています。

このブログのおかげで、新しいお得意さまに出会ったり、ご来店ご注文の際に事前にブログをご覧になって、新製品の情報をいち早く察知して来られる方もあり、目的は十分に果たせていると思っています。

それはそれとして、只今も編集中の「パンだより」のような紙に印刷したものが、一方ではとても重要だということを、先日特別親しいお客さまと電話でお話ししているうちに、改めて認識いたしました。

パソコンを持っていない方は、もちろんインターネットをご覧になれないわけですが、パソコンもありインターネット接続も可能な方でも、日頃はほとんどインターネットを利用されない方がいらっしゃるのですね。
私のように商売上の必要があって、メール着信や自分のサイトへのアクセス状況を確認したり、ブログの更新やコメントへのお返事を書くために、一日のうちに何度もインターネットを開く方は、それほど多くないのかも知れません。

やはり、人それぞれの好みというものがあり、画面上で見るより紙に印刷されたものの方が落ち着いて見られるし、しっかりと頭に入るという方は実際いらっしゃいます。
と言うことは、ブログだけ一生懸命書いて伝えたつもりになっていても、届いていないことが案外沢山あるかも知れないことを、この際頭に入れて置かねばなるまいと思っています。

いやー、そうなるとまた忙しくなりますね。
ブログの有能性を発揮するためには、出来れば毎日更新が望ましいのですし、一方で印刷物の編集にも力を注がなくてはなりませんから。
一か月に一号、まあこのペースを守ることが出来れば十分ではあるのですが、お知らせだけではないことまで書こうと思ったら、もうそれ専従でやるほどのエネルギーが必要になります。
まあこの手のことは、好きなことの内の一つですから、もちろんブログも止めるつもりはありません。
時々、予告なしに更新をお休みすることがあるかも知れませんが。
気長にお付き合いいただければ幸いです。


印刷バージョンの「パンだより45・盛夏号」が、あと一息で出来上がりそうです。
明日中には、先ずホームページ上にアップいたします。
郵送を楽しみにしていて下さる方もいらっしゃいますので、発送も出来るだけ早くお送りしたいと思っています。

「市民平和まつり」に出店します。



画像クリックで、拡大表示します。


昨年から始まった、会津若松市・市民平和まつりです。
昨年の第一回目<参照1><参照2>に引き続き、今年も食工房がカフェブースの出店をお引き受けすることになりました。
まつりの詳しい内容は、ご案内のチラシをご覧ください。
期間中8月9日は、長崎市に原子爆弾が投下された日でもあります。
ぜひとも多くの方に集っていただきたいと思っています。


なお準備の都合上、カフェの出店は8/8と8/9の二日間を予定しております。
皆さまのご来場を、心よりお待ち申し上げます。


  ブログ、お休みします。


明日、明後日、「パンだより」の編集のために時間をつくりたいので、ブログの更新はお休みいたします。

ヒトがヒトでなくなる日

ヒトと野生の動物たちの決定的な違いは、ヒトだけが持っている知能と技能にあることは明白です。
そして恐らくヒトは、同じくらいの体格の他の動物たちと比較して、身体的能力のどの分野においても劣っていることは、これまた明白です。
走っても、跳んでも、持ち上げても、引っ張っても、あるいは噛み砕くアゴの力も、先ず何一つとして野生の動物には勝てません。


世界中のあちこちの先住民の教えにも語られているとおり、この世界で一番弱いヒトが、こうして地上で一番の繁栄を誇っていられるのは、一重に持っている知能と技能のおかげであると言えます。


しかし近年、その知能や技能に、またそれらを統括し裏付けるために必要不可欠な自然に対する感覚に、何やら異変が起こり始めたような気がしています。


ヒトよりずっと強くて、ヒトを容易く自分たちの餌食にしてしまえる肉食獣がいくらでもいる中で、多くの野生の動物たちがヒトを恐れるのは、長い時間をかけてヒトが築いて来た、ヒトと野生の動物たちとの間の良い意味での緊張関係がものを言っているからです。


その一番は、誰でもお分かりになると思いますが、火を焚くことです。
この地球上のヒト以外のあらゆる生き物たちは、まず例外なく火を恐れます。
夜中の野営地で火を焚いてトラの襲撃から身を守った話しは、私の父の体験談でもあります。


そして次は音です。
今私たちが専ら楽しみのために奏でる音楽は、元は神々の世界と交わるために、さらに遡れば、野生の動物たちを驚かせたり、警戒させたり、また逆に安心させたり、誘い寄せたりするために、音を使いこなしたことが始まりです。


例えば、北欧にクゥーラと呼ばれる唱法があります。
叫び声のようにも呼び声のようにも聴こえる歌声は、狼を追い払い、牛などの家畜を呼び寄せることが出来るのです。
世界中にあるそうした音を使いこなす技やそのための道具は、見るにつけ聴くにつけ、全く驚嘆に値します。
ディジュリドゥというオセアニアの先住民の楽器は、その低く唸るような持続音に、たいていの動物(犬や猫も)が警戒態勢をとります。
アフリカの太鼓も、音やリズムに様々な意味があり、特別な力を発揮することもあります。
否、それだけではありません。
ヒトが奏でる音楽に、動物たちが魅惑され酔いしれることさえあるようです。


このように、火を焚き音を発するだけでも相当な威力があると思いますが、ヒトはそれ以外にも沢山の手管を用いて、この地上での優位を確実にすることが出来たのですね。


ところが近年、火は外から全く見えないところで燃やされるようになり、四六時中垂れ流される雑多で無意味な音の洪水でしかない騒音は、もはや動物たちを警戒させることも無くなってしまいました。


加えて何より、未だにヒトの優位を信じて疑わない我々は、家の中で油断しきって過ごしています。
その間にも、野生の動物たちは、どんどんヒトの暮らすエリアに近づき侵入して来ています。
私の家の数100mの範囲には、もう当然のように熊が出没しています。
(姿を見たことはなくても、その証拠はいくらでもあります。)


その一方で、外で火を焚くな!ナイフは凶器になるので所持禁止!大きな音を立てれば近所迷惑!そしてやれ保護獣だ絶滅危惧種だと騒ぎます。


何かが違う!と、私はずっと思っています。
このままでは、やがてヒトがヒトでなくなる日がやって来ると、半ば本気で心配しているのです。
私の世代の者は、ちょうどその臨界点に立っているのじゃないでしょうか。
後の世代に何を伝えるべきか、今さらながらよく考えて行動すべきだと思う私です。

そしてヒトの知能や技能は、自分たちが優位に立つためだけにあるのではなく、他の生き物たちのために役割を果たすためにもあるのだということを、最後に付け加えたいと思います。