東日本大震災から11年

飯豊の空の下から・・・

中島第2圃場
まだ70~80cmの積雪があります。


飯豊の空の下から・・・

中島第2圃場、中島第3圃場遠景
まだ中には立ち入ることが出来ません。

忘れもしません、11年前の3月11日は今日と同じ金曜日でした。

いつものように支度をして会津若松市内に配達に出ようとした、その瞬間でした。

何だか異様に大きな揺れが始まり、さすがに家の中にいるのが怖くなり、外に出ました。
6分余りもの間その揺れが続き、大きな母屋が揺れているのが目で見て分かる状況でした。

しかしながら、揺れがあまりにもゆっくりだったためか、ほとんど何の被害もありませんでした。
棚から物一つ落ちた形跡さえありませんでした。

その後テレビに映し出される各地の被害の様子、とくに津波の映像に息をのんだまま言葉を失っていました。
そしてそれに続く原子力災害。

福島は、直接地震の被害の無かったところでも、放射能汚染によって長い間、否、今も苦しめられています。

とは言え、11年の歳月を経て、地震や津波によって破壊された跡は、もはや限られた場所だけになりました。
放射能汚染についても、原発直近の一部の箇所を除けば、ほとんどの人は気にすることなく日々の生活を送っています。

それにしても思います。
まだ半ばとは言え、こうして復興を遂げることが出来たのも、この国が平和であったからこそです。

彼の国は、今まさに酷い破壊の最中にあります。
それが戦争によるものであるだけに、ある意味自然災害である地震よりも、ずっと厳しい現実だと言わざるを得ません。

トルコで行われたロシアとウクライナの外相会談の様子が伝わって来ています。
その報道に触れて、私は思います。

ロシアは、この戦争の後にいったいどのような世界を想い描いているのだろうかと。
プーチンが言うならさもありなんと思いますが、外務大臣のラブロフも同様に公然と噓を言い、交戦相手のウクライナのみならず世界に向かって敵対的な言辞を吐いて憚らない態度は、常軌を逸しています。

また、早くもウクライナに対し戦勝国の立場でものを言っています。
降伏するのかしないのかどちらなんだと。
拒否するなら、この後ウクライナ人が死ぬのはロシアのせいではない、お前たち自身のせいだと。

そして、核兵器の使用もちらつかせて世界戦争も辞さないと、世界を脅しているのです。
ロシアは、この戦争をどのように終わらせ、その後にどのような構想を持っているのか、全く窺い知ることが出来ませんが、虚勢半分としてもその胆力は大したものです。
我々自由主義諸国の覚悟のほどを試しているのですね。

あるいは、西側自由主義諸国の結束も意外なところで腰折れして、ウクライナだけが酷い目に遭ってロシアに下り、一息ついたところで世界は損得に走って取り繕いに腐心するなどという、何の正義も実現出来ない情けなくもがっかりするような結末になるのでしょうか。

その可能性も無いわけではないと思えてならない私です。
それこそがロシアの思うつぼでしょう。
報われないのは、血を流したウクライナの人々。
そして世界の平和はさらに遠い。
21世紀に、主権国家に対する侵略戦争が起こっていることを銘記しなくてはなりません。

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