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困難な時代

今世紀初頭、あの9.11同時多発テロが起こった時、私には、これから21世紀前半は困難な時代になるかも知れないという予感がありました。

何の根拠があってというわけではありません。
ただそんな予感が閃いただけなのですが、その後報復と言う名のアフガニスタンでの戦争、それに続くイラクでの戦争・・・。
人の世の不穏に呼応するかの如く天変地異も度重なり、そしてこの度の東日本大震災。

有史以来稀に見る大災害は、地震だけには終わりませんでした。
福島第一原子力発電所の事故により、今後長い期間私たちは、放射能汚染の恐怖と向き合わなくてはならなくなりました。


これはもはや私の予感などではなく、厳然たる事実となりつつある、そんな感じが否めません。。


では一体この結末はどういうことになるのでしょうか。


厳しい試練は、これでもう最後でしょうか・・・。


そうであって欲しいと思いますが、これから深刻になるであろう一つの問題を、私たちは忘れてはいけないと思います。


それは、私たち自身の心のことです。


今は、とにかく何もかもが非常時で、「がんばろう!助け合おう!」と気持ちを奮い立たせていますが、その反動は必ずやって来る・・・。


直接被災した人の上にも、そうでなかった人の上にも、重くのしかかっているストレスと言う名の暗雲は、やがてじわじわと人の心を蝕むかも知れません。


そしてまた多くの人がその重荷に耐えている時に、義援金を盗んだり強奪する者がいる、避難者の留守宅に泥棒に入る者がいる、そんな人の心に冷や水を浴びせるような出来事が度重なることは、先々にどんな結果をもたらすのでしょうか。


一方に、感激のあまり涙せずにはいられない心温まる出来事も沢山あるのに、そんなことにも心が動かない人がいるということなのですね。


そのことが、なお一層重苦しさを増しているような気がします。


これから数十年、この混乱を経験した若者や幼子たちが次々と大人になる頃、彼らはどんな価値観で生きているでしょうか。
そしてどんな社会が出現しているでしょうか。


実は、大震災という自然の計らいがきっかけとなって、私たちは今、否応なくこれまで自分たちが積み重ねて来た負の遺産と向き合わねばならなくなったのではないでしょうか。


この世界と私たち自身を救うには何が必要なのか、そのことをじっくりと考えてみようと思っている私です。

錯綜する情報、翻弄される市民

気象庁が、早い段階から放射能の拡散予報を作成していながら、公開されなかった事実が明らかになりましたね。
これでまた日本という国が、いかに情報公開に関して意識が低いかということが分かりました。
出さない方も出さない方、もちろん責められるべきには違いありません。

でも私は思うのですね。
まずは正しい情報を伝える役目のメディアが、お話しにならないほど勉強不足であること。

政治家の方々も同様。

原子力安全保安院のお役人方も、感覚がどこかおかしい・・・。
(多くの人の命がかかっているというのに、何をヘラヘラしているんだ!)


そして私たち市民は、関心があっても分析に必要な情報が与えられない。
だから、断片的に散らばっているネット上の情報を手がかかりに、自分なりの予測をするしかありません。


これまでのいくつかの私の記事の中でリンクを貼って置いた情報源も、人によってはとんでもない!お話しにならない!と言う人もいるようですね。


私は、全部が全部信頼に足ると思っているわけではありません。


でも、確かにそうに違いないということも書かれていますから。


本当の所は自分で嗅ぎ分けるしかない・・・。


だからこそ、そんなことをしなくても良いように、責任ある部署が事実をそのまま伝えて欲しいと思います。
勉強不足のメディアの解説なんか聞かなくて構いませんから、生のデータをくださいと申し上げたい。
自分で勉強してでも分析しますから。


そして今一番欲しいものは、放射線の計測器です。


東電さんよ!各集落に一台くらい配りなさいヨ!


使い方なら、勉強しますよ!私たち。
何しろ命がかかっていますから!

代替エネルギーとは何ぞや?!

代替という言葉の意味から理解出来ることは、「何かの代わり・・・」と言うことですね。
では一体何に代わるものかと言うことになりますが、温暖化に影響を与えている石炭・石油など化石エネルギーの代わりと言うなら、原子力も代替エネルギーに違いはない・・・。
ですが、環境破壊因子を含むと言う意味においては、化石エネルギーも原子力エネルギーも同じ位置付けですから、それに代わるものとして、風力や太陽光など自然エネルギーと呼ばれるものの利用が考えられ、普通それらのことを代替エネルギーと言っています。


それにしてもそれらの代替エネルギーは、まず電気として利用出来ることが前提です。
昔は、水車や風車で直接製粉したり精米したり、他にも沢山の仕事を、自然エネルギーを利用してやっていたわけです。


機械的物理的効率は、これが一番良いわけで、ただ人間にとって扱いが面倒くさかったのですね。
だから、電気の発見とモーターの発明以後、人々はもうそんなものを使う気にはならなかった・・・。


その発電も最初は水力中心で、一部には風力もありました。
電力利用黎明期には、小規模の水力や風力その他、様々な発電方法が民間ベースで利用されており、私の世代でさえその記憶を聞き及んでいます。


その後、効率を上げまた安定性を獲得するために大規模化が始まり、川をせき止めるダムと大きな発電所を作る事業が、どこの国でも国家事業として進められました。


水資源開発は、同時に電源開発と呼ばれていた時代が長くありました。
それが行き詰って、火力の利用になりました。
石炭火力は水力の代替であり、石油火力は石炭火力の代替だったのですね。
そして原子力へ・・・。


そしてまた、再び自然エネルギーに目を向けているわけですが、私には、どう考えても代替と言えるほどのものになるとは思えません。


今私たちが利用しているエネルギーは、あまりにも巨大過ぎる・・・。
それでもまだ、更なるエネルギーの確保や効率化を望んでいるのです。
それが叶うかどうか知りませんが、そんな欲求をまずキッパリと捨てないことには、私たちはこの地球と仲良く生きて行くことが出来ないように思います。
代替エネルギーを求める発想は、根本から出直さなくてはならないのではないでしょうか。


14年の山暮らしの間、エンジン発電機や太陽光発電の貴重な電気を使いながら感じたことは、どうしても電気でなくては用が足せない仕事以外は、電気を使わない暮らしをする方が理に適っているということでした。


尤も、多くの人々が今更そんな生活に堪えられるかどうか、甚だ疑問ではありますが・・・。


ま、それはそれとして・・・。
一方で代替エネルギーを考えるとしても、根本的なところから発想を転換しなくてはならないと思います。


何しろ件の原子力など、熱源を核反応に頼っている以外は、基本的に熱効率30%の蒸気機関ですからね。


もうこれ以上の原発の稼働は止めにして、どの道すでに大量に存在する使用済み燃料の放射線と付き合わなくてはならないのなら、放射線で発電する電池を発明して、使用済み核燃料と一緒にしておけば、たとえ微弱であれ管理しながら電気も得られる・・・なんてうまい具合に行かないものでしょうかね。


子どもみたいな空想かも知れませんけど、放射性物質も天然資源には違いないのですから。
何か理に適った正しい使い方と許される使用量があるのだと思う私です。

福寿草が咲いていました


 



 



 


どんな時でも季節は移り変わり、春はやって来るのですね。
早くから雪が消えていた地面に、福寿草が咲いていました。
少し離れたところには、アズマイチゲのつぼみも膨らんでいました。


恐ろしい津波を起こすのが自然の営みなら、こうして可愛らしい花を咲かせるのもまた自然の営みですね。
何かとてもとても複雑な想いに苛まれます。


そして目には見えないけど、微量の放射能も漂っているのですね。


花は、それを感じ取っているだろうか・・・。


それにしても可愛らしくまた美しく、人の心を洗う感動を与えてくれます。






  こんなことやっています。 <会津若松市エリアの被曝量計算シートです。>


 


ただしこれは、環境からの外部被曝分だけです。
呼吸や飲食などによる内部被曝を考慮すると、
これの2~3倍を見積もらなくてはならないと思われます。





   食工房からお知らせです


今週は製造休業となります。

来週の木曜日(4月7日)から、製造再開出来そうです。
またいつもどおり、パンと焼き菓子、自家焙煎コーヒー豆、発送も承ります。


どうぞよろしくお願いいたします。


なお、都合により2~3日ブログをお休みします。

原発を理解するために

もうこのところ、私の気がかりは、原発のことに絞られて来ています。

もちろん、震災の被害全体のことも忘れたわけではありません。


ただ、原発事故の問題は現在も進行中であり、これから長年にわたって付き合わなくてはならないからです。


そしてそれは、私自身の生活や人生そのものを左右するかも知れないから・・・。


現状認識と言う意味で、私は今また改めて原子力発電について勉強し直しています。


工業高専の機械工学科出身の私は、原発のことについて基本的なことは理解しているつもりです。


でも、学校では習わないことが、現実にはあるのですね。


例えば <こちら>


長い文章なので、一度に読み切るのが大変かもしれませんが、ぜひとも読みこなしていただきたいと思います。


「理想と現実は違うのだから・・・」

とっくに使い古されたありふれた台詞ですが、原発に関しては今更のようにこの台詞が重みをもって響きます。


「人間のやることなんだから、たまには間違いもあるさ・・・。」


その間違いで、こういうことになってしまいました。


そして、原発を止められなかったのは、他の誰でもない私たち全員の責任だということを、自覚しなくてはならないと思っている私です。

少しずつ、少しずつ

直接被害の有る無しに関わらず、復旧はまさに少しずつ、少しずつ進むしかありません。


今日はまた一つ進展がありました。
宅急便の取り扱いが再開されたのです。
今のところ営業所持ち込みに限られますが、一応出荷は可能になりました。


小麦粉の入荷は、まだ目途がついていませんが、これもそう遠くないうちに入荷することを願いながら待っています。


食工房は、明日と明後日は定休日でそのまま休業継続しますが、木曜日には久しぶりにパンを焼きます。
残っている小麦粉で、二回くらいパン焼きが出来そうです。



一つ心配なこと


皆さますでにご存じのように、福島県内の牛乳から、基準を超える放射性ヨウ素が検出されたことを受けて、県内のすべての地域の牛乳の出荷が停止されました。
この広い福島県の中で、地域によって環境放射線レベルに大きな差があるのに、県内全域という線の引き方には異議を唱えざるを得ません。


大事を取ると言えば聞こえはいいかも知れませんが、それよりすぐにも県内すべての地域の乳牛からサンプルを採って検査し、異常の無いところは引き続き監視しつつ出荷継続を認める措置が、何としても必要だと思います。


こんな大雑把で無神経な計らいのおかげで、酪農家や乳業会社の中には、経営が破たんしてしまうところが出るかも知れません。



環境放射線量の測定にも注文を


今県内各所で測定された数値が、一時間毎に発表されています。
それで少々不満なのは、測定点が少ないことです。
広い会津管内にたった二か所、会津若松市と南会津町だけです。
喜多方市や猪苗代、そして西会津や只見町など標高の違うところも選んで、もうあと数か所は測定してもらいたいと思います。


測定器が幾らするものか詳しくは知りませんが、各市町村に一台くらい置くことは容易だと思います。



今日、村の人と話している中で、今後福島の農業は厳しいことになるという話題になりました。
その時、安全かどうか自分たちで測定器を買って検査して、安全を確認しながら理解してくれる人たちに産直で売るしかないという話しになりました。
「そんな機械、一体いくらくらいするんだ?」
私に質問を向けて来た方の言葉は真剣でした。


私たちは、どうしたってこの場所で生き残るより他選択の余地はない、その想いを市や県や国に、何としても汲み取ってもらいたいと思う私です。

正しい理解を


今朝の会津は雪でした。


次々と発表される放射線量の数値について、報道関係者は故意にかあるいは無知ゆえか分かりませんが、それが安全だとする根拠として、例えば胃のX線検査の1回当たりの被ばく量を引き合いに出します。
福島県が毎時発表している県内各所の環境放射線量の数値についても、それが胃のX線検査の1回当たりの被ばく量に比べて十分低いから安全の範囲だと説明しています。


これは大変大きな誤解です。およそ正しい理解ではありません。


昨日私が、会津での線量が全く問題なしと言った根拠を、説明しておきます。


昨日も今日も、会津若松市では、0.5マイクロシーベルト/毎時以内の数値で推移していました。 <参照>

これは1時間当たりの放射線量ですから、1日24時間・365日ずっとこの線量を浴び続けたとすると、一年間で0.5×24×365=4380マイクロシーベルトの放射線被ばくということになります。
4380マイクロシーベルト=4.38ミリシーベルト
人が1年間に自然界から浴びる放射線量が2.4ミリシーベルトだそうですから、2倍近い数値にはなります。

ただし、私たちは一日中外にいるわけではありません。
屋内では、半分あるいは10分の1以下ということもありますから、単純計算で2倍近い数値だからと言って、すぐにパニックになるには当たらないということです。


胃のX線検査の1回当たりの被ばく量(600マイクロシーベルト)と単純に比較することが、全く無意味であることを理解していただけるでしょうか?


私はそのように計算評価しました。
もし間違っているぞ!という方がいらっしゃいましたら、どうぞご遠慮なくご指摘を。


それにその1年当たりを何年間続けて浴びることになるかによっても、危険度は変わって来ますから。


もう一つ注意したいのは、計測された環境放射線量は、自然界に元々ある放射線と原発の影響によるものが合わさって計測されている可能性があるということです。
合わせてこのぐらいならという見方も出来るのではないでしょうか。


ところで、よく言われる白血病が発症する線量というのは、400ミリシーベルト、急性致死量(過半数致死)は4シーベルト=4000ミリシーベルトです。


赤ちゃんや妊婦など特別配慮しなくてはならない場合を考慮しても、まだ余裕のある範囲だと思います。


それでも、わざわざ雨に濡れたり、無造作に屋内に出入りしたりすることは、避けた方が良いに決まっています。


さて、kankeさんのコメントにもありましたが、東風が吹いたらやはり危険なのではないか・・・。
それは、ごもっともなご指摘です。

それでも私が少しは安心材料と考えているのが、会津の地の利です。
中通りとの間に山脈が走っていること。
それも結構標高の高い山々が連なっています。


今、福島市の線量が高くて、危機感が増しているようですが、南側の郡山、さらに南の白河の線量が比較的高めであるのに比べ、会津に入った途端5分の1以下になっています。


やはり、風向きと地形による風の通り道には、留意している必要があると思っています。


今後も、破滅的な事態にならない限り、会津地区は避難可能な場所と認識して良いのではないかと思います。


最後に念のために付け加えておきまます。
私は専門家でも何でもありませんので、これはあくまでも私個人の見解です。
信用されるかどうかは、読者お一人お一人のご判断に委ねます。


いずれにせよ、事態の収拾に尽力されている方々のご健闘をお願いし、成功をお祈りするのみです。


何としても、この原発を管理下から逃してはなりません。
今はまだ辛うじて、手綱は切れてはいないようですから。
冷却は、何が何でも絶対に完遂しなくてはなりません。
その成功を、どうぞ皆さんも一緒に祈ってください。

静かな一日

今回の大震災でも、場所にもよりますが、全体的にはほとんど被害が無かった会津地区です。

今は、浜通り地区の被災者の方々を受け入れる側に回っています。
喜多方市でも、2000人を受け入れる体制で準備をしており、すでに一部受け入れが始まっています。

電気、水道、ガスなどライフラインも被害なく、生活に不自由は無いと言えば無いのですが、唯一ガソリンが決定的に不足しています。
私のところでも、先日買い出しに出かけた折、給油出来ずに帰って来たため、この次はもう確実に給油出来る当てがない限り、迂闊に出かけることが出来なくなりました。


物流がストップしているため仕入れも出荷も出来ず、食工房は製造休業しています。
店はシャッターを半分開けて、ご来店に備えてはいるものの、販売出来るのは在庫品の焼き菓子類と一部先週の残りのパンだけです。


どこのご家庭でも似たような事情なのでしょう、ご来店くださる方も無く、今日一日全く静かに過ぎました。


何もしないのももったいないので、文旦ピールを造ろうと準備をしたり、作業場をいつもより丁寧に掃除したり、あとはニュースをチェックしていました。


やはり気になるのは、原子力発電所の状況です。


早くも会津から逃げた方が良いと言う方があり、すでに出発した人たちもいるらしいです。
「まだいるんですか・・・。」と言われて、逆に驚いた私です。


昨日からやっと県内各所の放射線量測定値が公表されるようになりましたので、それを元に危険度を計算評価しています。


今のところ会津エリアは、平常値の10倍程度とは言え、全く問題なしです。
仮に、決定的な大事故になって、さらに現在の10倍になったとしたら、さずかに要注意ですが、放射能汚染に関しては、距離よりも風向きの方がより重要な要素ですから、お天気には細かく注意しています。


夏でなかったのが、不幸中の幸いと言えるかも知れません。
西風が吹くことが多いですからね。
あとは、一刻も早く状況が収束してくれることを望んでいます。


期間が短ければ短いほど、それだけ後々に積算される放射能が少なくなりますから。


ニュースでは、どうやら外部からの電源確保も目途がついたらしいので、冷却が進むことを祈ります。


今以上のことにならずに事が済んだら、もう廃炉は間違いありませんし新規建設もあり得ませんからね。


東電さん、がんばってください!

だからこそ・・・

「原発、憂慮」の続きです。


昨日も申し上げましたが、正しい工学的知識は何としても必要です。
それは、祈ることとはもう一つ別のことです。


そして、現場で作業している方々への敬意を忘れてはいけないことはもちろんです。
何故なら、私たちはとりあえずもこの方々に委ねる以外に方法がないからです。


今何が起こっているのか、報道が必ずしも実態を正確に伝えてはいなさそうなことは、この私にも分かりますが、それは報道関係者の中にも素人の域を出ない人たちが沢山いるということです。


それともう一つ、情報を受け取る私たちの側が、工学的知識を全く持ち合わせないずぶの素人だと認識されているために、噛み砕いたつまりある意味で正確さを欠く説明を受けることになるということです。


昨日から引き続き情報を検索していて、今日はこんな情報に行き当たりました。 <参照> この中の「原発緊急情報」1~8
皆さんにもよく読みこなしていただきたいと思います。


発表された情報がたとえ不正確であったとしても、しっかり勉強していればそこから真実を読み解くことが出来るということです。


決して油断は出来ない、予断を許さない状況に違いはありませんが、何もパニックになる理由はないと思います。


そしてやっぱり祈ること、これに尽きると私は思っています。

原発、憂慮

皆さまニュースなどでご存じの通り、福島の原子力発電所が危険な状態にあります。
私が以前山暮らしをしていた川内村は、全域が避難指示及び屋内待機のエリアに入ってしまいました。
この地域の人々の中には、いち早く脱出を決意して移動開始した方も少なくないようです。


それはそれとして、こんな時に私たちに何が出来るだろうか、それを先ず一番に思います。
しかし、直接的に出来ることはほとんどありません。


ただ祈るだけです。


報道ではいろいろなことが言われていますが、今この瞬間にも命がけで事態収拾のために作業している人たちがいるということを、忘れてはいけないと思います。


この方々に敬意をもって、作業が上手く行くことを祈る・・・、「そんな非科学的な・・・」と笑われるかも知れませんが、それが一番力になると確信している私です。


私も以前から原発反対の立場ですが、「だから言わないことじゃない。どうしてくれるんだ!」と怒りの気持ちをぶつけたところで、何の足しにもならないどころかかえって悪い結果を招くだけだと思っています。


また素人の不完全な知識を元に、悪戯に最悪の事態を想像することも、良い結果をもたらさないと思うのです。


原発の状況を詳しく知りたいと思いながらネット上を検索していて、こんなサイトを見つけました。 <参照>
先ずは正しい工学的知識が何より必要です。


その上で、どんな作業がなされているのか、それを思い描きながら祈ること、それは実際に作業している人に、必ずや何かしら良い影響と力を与えるはずだと思うのです。


そればかりか、原子炉そのものにさえ何かしらの力を及ぼすに違いないと思う私です。


どうぞ、非科学的な!と笑わないでください。
一緒に祈ってください。