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冬支度・第一弾



この夏、お世話になった畑、今残っているのは、大根と白菜だけです。


一昨日当たりから気温が下がり、冬の訪れを思わせます。
東北の秋は短く、あっという間に冬がやって来ます。
今はまだその一歩手前、このあともう一度か二度、小春日和と呼ばれる暖かい晴天があるはずです。
その間に、保存野菜の収穫や雪囲いの準備をしたり、じっとしている暇はありません。
定休日の今日は、久しぶりに畑に出て沢庵大根を抜きました。
私の好みで、もう少し太らせてもいいかなというくらいで収穫しました。
その方が早く良く乾燥しますので、自然な甘みと旨みのある沢庵が出来ます。
実は、三畝蒔いたつもりでいましたが、沢庵用は二畝だけであとは全部青首大根でした。
こんな記憶違いをするのは、やっぱり歳のせいでしょうかね。
青首大根でもおいしい沢庵を漬けられるので、もう少し追加しようかなと思っています。
残りはもう少し太らせてから、冬用に保存します。




 あと白菜ですが、追肥と手入れをする暇がなかったので、ちよっと生育が遅れています。
上手いこと巻いてくれればいいのですが・・・。
きっちりと結球していないと、寒さに耐えて長持ちしないのです。

それでも、しばらく畑に手を出せなかった間に、さつまいもは息子が掘ってくれましたし、じゃがいもはすでに収穫済みだし、本当はもっともっといろいろな種類の作物を作りたかったのですが、まあまあ今年はこれで良しとしましょうか。

このあとは、年末に向かって食工房の仕事が佳境に入ります。
体力勝負です。
健康が何より先ず一番の元手だと実感する季節、自分で作ったものを食べられる、本当にありがたく幸せなことだと思っています。

  イベントのおしらせ
昨日もちょっと触れましたが、11月3日(月)会津若松市内で開催される、「あぐりカフェ」というイベントに出店します。
食工房は、コーヒーとパンと焼き菓子などを販売します。
コーヒ豆の販売もします。
その場で、お好みに合わせたブレンドもいたします。
新しく入荷した銘柄の試飲もあります。
皆さまどうぞお誘い合わせの上、多数ご来場くださいますよう、よろしくお願いいたします。
詳しいご案内は、チラシの画像をクリックしてください。
拡大画像をご覧いただけます。


      

ハイテクの世の中とユーザーの無知

最近、新しい道具や機械を見たり、実際に使ったりする度に思うことがあります。
それは、科学技術の進歩によってより便利で安全になったはずの道具や機械が、案外使い勝手が悪いことです。

例えば、ガスコンロの立ち消え防止機能。
感熱センサーの働きが、ちょっとしたことで鈍くなり、何度点火してもすぐ消えてしまうことがあります。
初めのうちは汚れを掃除すると直っていましたが、そのうちに汚れに関係なくいつまでも着火しななりました。
あまりの使い勝手の悪さにとうとう頭に来てしまい、持ち前の好奇心も手伝って、分解して安全装置の仕組みを確かめて見ました。

メーカーや機種によって仕組みは違っているかも知れませんが、うちのはリンナイ製の一番低価格の機種。
仕掛けはいたって簡単で、部品はサーモカップルと呼ばれる二つの異なる金属で作られた電気回路とバネと磁石だけです。
完全に解除することも出来たのですが、この時はバネを切り詰めて反発力を弱くすることで、上手く行きました。

こんなことをして、事故が起こったらそれこそ自己責任ですが、どの程度のことをすればどの程度危険なのか、理解出来ない時はもちろん手を出しません。

オーブントースターでも、似たようなことがありました。
過熱防止のためにサーモスタットが入っていて、続けて何回か焼いていると、三回目くらいで早くも安全装置が働いて、いい具合に焦げ目が入り始めたところで、プツンとヒーターが切れてしまいます。
待っているうちに冷めて自動的に復帰しますが、その頃にはパンが硬くなってしまっています。
ピザトーストの時なんか、ひどいもんです。

いくら安全でも、役に立たない道具じゃしょうがないでしょ!と言うわけで、こちらは中を開けて電線をつなぎ変えてサーモスタットを解除して使っています。
ちゃんと最後まで、その場を離れず見張っていればいいのですから。
それが出来ない状況では使わないことです。

とまあ、こんな例はハイテクというほどのものではありませんが、家庭で使う道具や機械には、得てしてユーザーの無知を予め想定しているかのような、過剰な安全配慮で機能性が損なわれているものが少なくありません。
あくまでも事故防止が最優先だと言われればそれまでですが、私などは、それでは何か今一つ釈然としません。

昔は、茅葺き屋根の家の中で火を焚いて生活していたのですから。
何と言ったら良いのか分りませんが、今の私たちは、生きることに対する緊張感がなくなってしまったということを思います。

新しい技術の成果に出合う度、背後にある危険について何も学ばず、知ろうともせず、ただ使い方を覚え便利さだけを受け取ろうという私たちの態度が、状況を悪くして行くのだと思います。

それが繰り返されているうちに、いつか私たちはとんでもない目に合いそうな、そんな予感が頭を離れない私です。

大滝参り

今日は、三年ぶりに飯豊山の麓の、御沢の大滝に行って来ました。
行くか行くまいか、朝になるまで決まっていませんでしたが、いざ起き出したら出発の準備をしていました。
私にとって今日の山行きはレジャーではなく、山の水の恵みに感謝するための儀式なので、山が呼んでくれない限り足を向けることはしないつもりでした。
熊が出没するような場所でもあるし、お天気が悪い時は危険な場合もあるし、また他に人出があることも出来れば避けたかったので、その時の計らい次第と思っていました。
今朝の感じは、自分が動けば状況は協力してくれるというインスピレーションだったので、迷わず出かけることにしました。
おかげさまで無事に行って帰って来ることが出来ました。



先ずは、飯豊山登山口の大杉に詣でます。
行く先々で、老木には必ず手を合わせて挨拶をします。



途中にある、長滝を過ぎたあたり。
この沢の奥に大滝があります。




最後に沢の中を上って行くと、
山ひだの間に忽然と大滝が姿を現します。




急斜面を一気に登って、滝を見下ろす位置から
いよいよ大滝の上段直下へと接近して行きます。



ここは一の戸川の源流大白布沢の最奥。
私は、ここを竜の頭だと思っています。

今日は、竜の頭の上に乗らせていただき、
みのりのパンをお供えして、
そのあとその場で口に入れました。



静かに静かに時間が過ぎて、神々と交わることが出来ました。
また来年もここに立てるよう、一年間の精進を誓いました。
それにしても日頃の運動不足のせいか、三年前より上りがきつく感じられ、少し疲れました。
急ぐ必要はなかったとは言え、ペースも落ちていました。
これから冬に向かって、さらに運動が不足がちになる時節柄、うんと気にして体を動かしたいと思っています。


  おしらせ
今週は、木曜日・カネリプッラ、土曜日・クリングラです。
みのりのパンは、相変わらず土曜日です。

朝もやの季節



店の前の見慣れた風景も、朝もやの中では
どこか別の場所のように見えます。


夜間の冷え込みが強くなるこの季節、朝は一面の霧の海です。
会津は水量豊かな大きな水系があり、これらの川から発生する霧があたり一帯に立ち込めて、私は見たことはありませんが、上空から見ると霧の海の中に飯豊山や磐梯山やその他の山々が、まるで島のように頭をのぞかせていることでしょう。
朝霧が立つ日は、必ず晴天と相場が決まっていて、陽がさして気温が上がって来ると、白い炎のように空に向かって上りながら消えて行きます。
そのあと、青い空と暖かい日差しの下には、まだ少しひんやりとした空気が残っていて、そんな時私は、もうたまらなく興奮して、ピョンピョン飛び跳ねたくなってしまいます。
このところ何日間かずっと、そういうお天気が続いていて、どうやら明日も晴天らしいです。
定休日だし、休日返上する必要もなさそうだし、久しぶりにお山の精気に触れに行って来ようかと思っています。

マリア・ソリーナ/Maria Solina

マリア・ソリーナ、これは歌の題名。
以前ご紹介した、カルロス・ヌネス(ヌーニェス)<参照>の、「オス・アモーレス・リーブレス」というアルバムの4曲目に入っています。
皆さん、ご存知かどうか分かりませんので少し触れますが、カルロスは、スペイン・ガリシア地方の出身で、やっている音楽もガリシアの伝統音楽(ルーツミュージック)です。
このガリシア地方というのは、イギリスの西隣のアイルランドと同じくケルト民族の末裔たちの国です。
私は、アイルランドのルーツミュージックや、またこのガリシアのルーツミュージック、つまりケルトの音楽の中でいくつかの曲を聴いた時、条件反射的に涙が流れます。
子どもの時からずっと、泣くこと、涙を見せることに極端なくらい抑制力を働かせて来た私にとって、これは大変なショックでした。
これらの音楽は、私の我慢をはるかに超えて強い力で、心を揺らすのです。
バッハやモーツアルトを聴いて、その美しさ素晴らしさに感動することはあっても、音楽を聴いてこんな風に感情が揺れたことは今までありませんでした。
そして、目を潤ませながら一緒に笛を吹き鳴らしていると、幸せってつまりこういう瞬間だよねって思うのです。
意地っ張りの私もこの歳になって、やっと泣けるようになりました。
では、そのマリア・ソリーナをどうぞ。
 


 



マリア・ソリーナ/ Maria Solina ~ひとりぼっちのマリア
海賊に、漁師の夫を殺されてしまったマリアの悲しみを歌った歌です。
歌っているのは、ポルトガルの女性歌手、テレサ・サルゲイロ。
バックはカルロス・ヌネスと彼のグループ。

そばの郷山都町の新そば祭り

来る 10月18日・19日 の両日、我が山都町では、毎年恒例の新そば祭りが開催されます。
今年は何と25回目を数えるそうで、関係者の方々は張り切って準備に余念がありません。
一口に25回目と言いますが、25年前にそばで地域おこしをしていた所は、珍しかったと思いますね。
そしてまた元々、山都はそばの郷だったという話を、地元の人から聞いています。
昔は、大晦日になると山都からそばを売りに来たものだと、会津若松に住む年輩の方から伺ったことがあります。
50年、100年を遡る歴史になります。
そういう背景もあるのでしょうが、我が山都町では男の人たちは、皆そば打ちが出来るというのが相場です。
中には人に教えられるほどの人もいます。
昨年の11月23日のブログ<参照>にも書きましたが、そうやってそば打ちが出来る人が、町内には沢山いるわけです。
その層の厚さが、山都のそばのおいしさを支えていると思います。
そば打ちの段位認定制度があるそうですが、山都には有段者はもちろん、名人位が3人もいます。
そして、そば屋さんが28軒もあるのですよ。
この時期、どこでも新そば祭りをやっていますが、今年は一つ、山都の新そば祭りへいらっしゃいませんか。

山都町観光協会のホームページ <こちら>

とっておきのレスポンス



いやー、うれしいですね。
ご注文でお届けした「みのりのパン」、召し上がる前にさっと絵に描いて、ご感想を添えてご返信くださったこの方は、萩原卓・久子さんご夫妻です。
かれこれもう25年以上、ずっとお付き合いいただいています。
これまでにも何度か、食工房のパンやお菓子を描いてくださっているのです。

せっかくの機会ですからご紹介申し上げますが、ご夫妻は毎年「絵手紙カレンダー」なるものを製作し、販売されています。
夫の卓さんが絵を、奥様の久子さんが書を、それぞれ味わい深い個性ながらうまくバランスして、一年間楽しく眺めていられます。
食工房でも、毎年暮れになる頃届けていただいて、皆さまにお目にかけて来ました。
今年は、原点回帰で取り組まれたそうで、いっそうお気持ちのこもったものが出来上がるのではないかと、楽しみにしているところです。

ついでですから、久子さんのプロフィールをご紹介しましょう。
前衛書道家で刺し子作家。
自由奔放で伸び伸びとした作風は、目にした瞬間から顔がほころびます。
以前、NHKの「おしゃれ工房」という番組に、何度か出られたこともありました。
一方、夫の卓さんは、サラリーマン時代からコツコツと絵を描き続けて、和みと癒しを感じる作風を培って来られました。


写真は、私と連れ合いにそれぞれ一着ずついただいた、久子さんお手製のブルゾンとチュニック。




藍染めの地に淡い同系色の太い糸で刺してあります。
後前どちらにも着られる、直線裁ちのシンプルなデザイン。




かすり地に太い糸で大胆に縫い目境を刺してあります。
後ろ側にも同じようにポケットがあり、前後どちらにも着られます。

マイブログ中間報告 vol.10

この「飯豊の空の下から・・・」を書き始めて、丸一年半が過ぎたところです。
その間に、世の中は新たなブログブームに入ったようで、本当に沢山のいろいろなブログがあるようですね。
と言っても、毎日自分のブログの更新を意識していると、正直なところ、他人のブログを見ている時間があまりないという状況です。

私の場合一つには、自分の生業に何かしらでもプラスになればというはっきりした目的がありますので、パンやお菓子、コーヒーなどに関するブログやホームページは、可能な限り時間を割いて検索しています。
たまには脇道にそれて、好きな音楽関係のサイトを巡ったりして、時間の経つのを忘れてしまうこともありますが・・・。

で、他人のブログを見ていても分かることですが、毎日更新の意義はそれなりに、否、かなりな程度に大きいと思います。
自分のサイトを、忘れられない程度にでも継続的に注目してもらうためには、ブログの毎日更新はとても効果的だと言えます。
ただその注目の中から、目的に適ったコミュニケーションが発展して行くためには、やはり記事の中身が重要になると思います。

私の場合、食工房の広報という視点で見ると、けっこう余計なことを書いていることの方が多いと思いますが、実利主義一辺倒で収まらない頭の中なので、こればかりは仕方ありません。
それよりも、それならそれで、それに見合った方々との出会いが成立していくだけですから、そういう幅の広さも後々何かしらのプラスになるだろうくらいに考えています。

さて毎日100人を越す方が訪問してくださっている私のブログですが、この1年半で80,000人超の訪問者をカウントしました。
100,000アクセス時には、またキリ番プレゼントをやろうかなと思っています。
このブログの場合は、訪問者数の多さはそれなりに意義は大きいので、少しずつでも増えて行くよう、継続努力して行きたいと思っています。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

同じような話しで恐縮ですが・・・

昨日、知り合いが「忙しい!忙しい!」を連発していたという話で、どちらも忙しい人ばかりみたいだと申し上げましたが、今日は今日で、うちによく来る知り合いが、このところ一ヶ月間休みなしで出勤しているという話しでした。
聞いてみると、会社にしても雇われている人にしても、とにかく余裕を持って仕事が出来るという状況じゃないらしいですね。
こんなに休みなく働いて、上がった成果はどこに行ってるんだろうと、その知り合いは言うんですね。
それで、休みたいと言えば、来てもらわなくていいよと、あっさり首になってしまうわけです。
今は、身分に保障のある正社員雇用は本当に少なくて、どんな条件でも仕事があるだけましだと思わなくてはならない状況ですからね。
体を壊さないで欲しいと思わずにはいられませんでした。

うちは自営業で、やはり自分たちの身の上に何の保障もありませんが、それでもこうして自分の造ったものが売れて、寝起きの場所を確保出来て、毎日の食事に事欠かないだけでも、ありがたいことだと思っています。
健康だけが財産、それでいいと思っています。
でも出来れば、もう少しだけ時間が欲しいです。

緩・極まる一日

今日は定休日、お天気も気持ちの良い秋晴れ、片付けたい雑用、「パンだよりの」編集、したいことしなくてはならないことが沢山あったのですが、「そんな忙しいばかりでは人生は終われない!」という言葉が、朝から妙に頭を離れないので、強い気持ちで(!?)一日何もしないと決めました。
連れ合いと娘たちに、用足しと買い物に出かけてもらった後、庭に椅子を出して座り、ボンヤリと空を眺めていました。
空を行く雲の様子は、見ていて飽きることがありませんでしたし、耳にはいろいろな音が聴こえて来ました。
風の音に混じって、いろいろな羽虫の羽音やコオロギの鳴き声、そしてリスかネズミかはたまた野良猫か分かりませんが小動物がいるらしい物音が、遠くから田んぼで稲刈りしているコンバインのエンジン音も聴こえていました。
日が当っている間は至って快適でしたが、そのうち日陰になり始めた頃、やぶ蚊に追い出されてしまいました。
その後は、家の中で昼寝。
連れ合いたちが帰って来て、コーヒーを飲んだ後、また横になっていたらいつの間にか眠り込んでいました。
かくして全く非生産的、「緩・極まる一日」を過ごして、時間を無駄にしました。
でも、これが大切なんですよ。
自然界は、95%の無駄(ゆとり)と5%の実効で成り立っているそうですから。
もっともっとボーっとしていていいはずなんです。
おかげさまで、少し何かを取り戻したような気がしています。




しばし、この世の極楽