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お盆

この数日間、自分からそうしようと思ったわけではありませんでしたが、お盆の云われの如く、私は私に縁あって先立って行った人たちの事を、思い出し思い返しながら過ごしていました。

父を始めとして、家族、親戚、知人、友人、沢山の死者たちの霊を身近に感じ、いずれは私自身もあちらの世界へ仲間入りする時が来るのだと、自分自身の死の風景についても想いを巡らせました。


一方数年ぶりに、離れて暮している子ども達が揃って帰省し、久々に家族全員が集いました。
二男は、嫁と九ヶ月になる初孫を連れて、また四男の彼女も顔を見せてくれましたので、一時我が家は総勢11名の大所帯となりました。
若い人たちに囲まれて圧倒されながら、私は親としてまだまだ頑張らなくてはならない時間が残っていると、肝に銘じる日々でありました。


さてそれはそれとして。
先の戦争、そうです、日本が当事者でもあった第二次世界大戦は、8月15日に日本の無条件降伏を最後に終結したのでした。
日本ではちょうどお盆に当る時に、あのようにして終戦を迎えたことは、何かとても意義深いものがあると、私は思います。
私たちが、いつまでも過去の過ちを忘れないようにとの、天の思召しかと・・・。

この数日間最後の二日間は、会津若松市内で開催された「’08市民平和まつり」の会場内で、カフェをやりました。
このイベントには、全部で13もの団体が関わっていながら、一つのテーマの下に集い、力を合わせられたという意味では、平和運動のイベントとしては理想的な成功を収めた、私は思っています。
主催者の方々からご要望をいただいてのことではありましたが、沢山の方々のボランティアによって準備された、全く収益を目的としないイベントの中で、私だけがカフェで商売させてもらえることに、大変ありがたくまた恐縮の思いがありましたので、売り上げの20%を寄付させていただくことにしました。




会場に入るとまず、多くの人に感銘を与え続ける「焼き場に立つ少年」の
等身大パネルが、真っ先に目に飛び込んで来ました。


盛り沢山の貴重な展示や講演、映画の上映やコンサートなどがありましたが、同行の娘たちに多くを見聞して欲しかったので、私は大方持ち場を離れられず、やっとのことでジョー・オダネルの写真展示とあと一つ新婦人の会の方々の展示を見ることが出来ました。

それで一つ驚いたことに、ジョー・オダネル氏(2007年8月9日他界)に最後に連れ添った女性(坂井貴美子さん)が会津若松のご出身で、ちょうど帰国中の彼女にお話を聞く会がイベントの中に企画されており、カフェスペースが会場になりましたので、ジョーのお人柄などについて知られざるエピソードをいろいろとうかがうことが出来ました。
それにしても、こんなこともただの偶然とは思えない、お盆の数日間でありました。

カフェには、スタッフの方々を始め多勢の方が、度々コーヒーを飲みにいらしてくださって、持って行ったパンやお菓子なども全て売り切れました。
おかげさまで二日間で、十万円近い売り上げがあり、
その中から二万円を寄付させていただくことを、ここに報告いたします。
皆さま、ありがとうございました。

ブログのお盆休みをいただきます。

今日からニ三日間、ブログの更新をお休みします。
今年は、お盆休みの間に、離れて暮している子ども達も皆帰省してくるので、何年ぶりかに全員集合です。
明日は、当地区の盆踊り大会だし、食工房は営業中だし、週末のイベント出店に向けて準備もあるし、忙しくなりそうです。

いただきもの







 


このおいしそうな麺、これも実は地元山都町産の小麦を乾麺に加工したものです。
このブログでも一度ご紹介したことのある、「ひぐらし農園」の浅見さんからいただきました。

浅見さんは、米や野菜の他に大豆そして小麦も作っているのですが、ご自分で栽培した小麦の利用の仕方の一つとして、毎年やっているのがこの乾麺作りなのです。
小麦は収穫した後の始末が難しいため、個人の力で小麦原穀を製粉して最終製品にするまでの仕事を完遂することは、ほとんど不可能です。
でも幸いなことに、福島県内には小麦原穀を粉に挽いて乾麺にまで加工してくれる業者があるのです。
浅見さんは、そこに頼んでご覧のような自家栽培小麦100%の麺を作ったというわけです。
一年間に使う分に十分足りて余るほど出来たので、欲しい方に販売もするそうです。
うらやましいですね。
こういうのを本当の意味で、「豊か」と言うんでしょうね。
昨日、食べてみてくださいとサンプルをいただいていましたので、今日のお昼に早速試食してみました。
うどんと言うには少し細めで、冷麦と言うにはちょっと太目、適度に腰がありそして何より風味が良いのがうれしかったですね。
麺の味は、茹でている時に立つ香りで分かるのです。
なるほど、パンにすることばかりに気を取られることはないのだと、視野が広がりました。
元から日本には、米と麦の両方の食文化があったのだということを思い出しました。
パンは、新しくその仲間に入れてもらっただけのことなのですね。
日本の小麦で日本のパン、あるいは麺、そして一方には世界に誇れる主食米飯があるのですし、もう一度自給自足の上に立つ食文化を考えてみる価値は十分あると、この麺を食べながらそんなことを思う私でした。

この乾麺を食べてみたい方、先ずは「ひぐらし農園」のブログサイトにアクセスして、それから直接連絡してみてください。
   ※「ひぐらし農園」のブログサイトへのリンクは <こちら>
から。

今、平和の意味を考えなくてはならない。

63年前の広島と長崎における原子爆弾の投下により、人類は初めて核兵器の破壊力の凄まじさと、被害の及ぶ範囲の途方のなさを目の当たりにしたのでした。

実はあの時以来、核兵器は兵器としての存在意義を失ったことに、世界の人々は気づいていませんでした。
その後も原子爆弾の改良(!)が飛躍的に進み、さらには原子爆弾とは比べものにならないほど強大な破壊力を有する水素爆弾が実用化され、1961年には旧ソビエト連邦で、人類史上最強の爆弾となった「ツァーリ・ボンバ」(TNT換算、50メガトンの水素爆弾)の実験を見ることになります。

しかし、核兵器はあまりにも強大に過ぎる破壊力と、後に残る放射能の害の途方のなさ故に、戦争において全面的にそれを使用することは、即ち人類滅亡の道筋に立つことですから、今後核兵器が使われることはほとんどあり得ないでしょうし、核兵器の保有が他国への脅威としておどしの効果を発揮していたことも、もはやウソがばれてしまっていると思います。

それよりも今この時代、核の存在は、別のとても皮肉な形で、限定的ではあるけれども戦争の抑止に貢献しているように思えます。

私たちは、22年前のチェルノブイリにおける原発事故を経験しましたが、その時の放射能汚染は地球規模であり、8000km離れた日本でも放射能が検出されたことを覚えている方もいらっしゃるでしょう。
このことが何を意味するかと言えば、何も核爆弾の炸裂によらずとも、核の被害を受けることは起こり得るということです。

もしも、原発はもちろん大量の核物質を扱う施設がある国、地域で、戦闘行為が行われ、故意であれ偶発事故であれ核施設が破壊された時は、その規模によっては被害を受ける場所は、この地球上のどこにも限定されないということです。
だからかどうか知りませんが、原発やその他核施設がある国や地域では、戦闘は行われないし起こったこともないのです。

しかしその一方、限定された場所では、より強力になった核兵器以外のありとあらゆる兵器が使用され、全くこの時代に信じられないような破壊の雨が降っているのです。
私はそうした状況に、ここにもまた格差が見えている、しかもそれはとても深刻な出来事であると思っています。

私たちの日本、この国の当面の平和が、広く世界を見渡して、どのような巡り合わせの上に実現しているのか、それを深く理解することは、地球人類の一員でもある私たちの務めであると思っています。


   ’08 市民平和まつり のご案内です。

食工房は、16日と17日、会場にてカフェコーナーを担当します。
多くの皆さまのご来場をお待ちしています。




画像をクリックすると、拡大画像が見られます。

長崎デー

皆さまご存知のとおり、今日は、長崎に原子爆弾が投下された記念日です。
実は私は、小学校の修学旅行で、長崎を訪れています。
その時に、かの浦上天主堂や原爆資料館などを見学して回りました。
私の世代が子どもの頃は、学校でも何かに付け戦争の話を聞かされた覚えがあり、原爆の話はその中でも一際恐ろしく思えたものです。

ところで、長崎への原爆投下は、当初は小倉市(現在の北九州市小倉区)が目標だったそうですね。
それが、パイロットのミスが重なって予定通り投下出来ず、第二目標の長崎市に急遽変更になった経緯があったのですね。

☆出典 ウィキペディア・「長崎市への原爆投下」より <参照>

原爆投下は、目標の肉眼による視認が厳命されており、当時厚い雲に覆われていた長崎市に投下出来なければ、そのまま帰途に着き太平洋に投下せざるを得ないところだったのでした。
それが、束の間に雲が切れ長崎の市街地が見えたため、パイロットは大急ぎで投下のプロセスに入り、かくして二発目の原子爆弾が長崎に投下されたのでした。
偶然の重なりから、小倉に代わって長崎が過酷な運命を背負うことになると、誰が知っていたでしょう・・・。

真に以って、戦争とは不幸な出来事だと言わざるを得ません。

戦争は、一旦始まってしまえば、誰が撃った弾で誰が死ぬか、誰が落とした爆弾で誰が死ぬか、斯様に誰が下した判断で、何処で誰が死の運命を引き受けることになるか、全く制御など出来ないというのが真実でしょう。
原爆投下の事実は、それを私たちに教えていると思います。


一昨年の夏、アニメ映画「アンゼラスの鐘」を見たときの事を、今思い出しています。 <参照>
どんな特殊撮影でも多分再現出来ないであろう、原子爆弾炸裂の凄まじさが、アニメーション故にかえってリアリティーを増して再現されていました。
その光景を実際に見た者は、生きてはいられなかったはずです。
思わず息を止めている自分に気がつきました。

マイブログ中間報告 vol.9

最近また一段とネットユーザーが増えたようですね。
私の周辺を見ていても、それを実感します。
そしてこれまた、ブログが大流行のようです。
少し前は「ブログ離れ」が話題になっていたような気がしますが、今度は「一億総ブロガー」だそうです。
それで思い出すのが、小泉さんが総理大臣をやっていた頃のことです。

あの方は、とにかくメディアを使うのが上手い方で、テレビ、ラジオ、新聞雑誌、そしてインターネットと、ご本人の力量か強力なブレーンがいたのか知りませんが、日本政府のホームページなんてものに大衆の関心が向いたのは、恐らくあの時が初めてでしょう。
それで小泉さんという人、私生活の一端をチラ見せして視線を集め、まるで舞台の上の俳優のように人々の興味を浚い、中年のオバサンたちの心を虜にしたり・・・、そんな様子が「小泉劇場」と呼ばれて、満更でもなくウケが良かったのでした。
今だから言いますが、私個人としては、あの時の熱狂ぶりは正直言って、少々気持ち悪く感じられたものです。

で、話を元に戻しますが、一億総ブロガーと言われる時代に、ほとんどのブロガーたち(私も含めて)がしていることは、日記風に私生活を語ること・・・。
これって、どことなく小泉さんのスタンスに似てますね。
私生活を劇場化しているようなものだと、私は思います。
しかし、有名人でも何でもない一市民の我々が、否、著名な方でも全く同じかも知れませんが、ブログという「公開の場」で不用意に私生活を語り自分を説明する行為は、場合によってはちょっとヤバいんじゃないかと、私は思い始めているのです。
ある時、告白するような記事を書いて自分を説明したとすると、その次からはもう、一旦採用した説明との整合性を意識するようになると思うからです。
そうやって、自分を説明すること、つまり私生活の劇場化が進んで行くうちに、人はその脈絡の中にしか生きられなくなってしまうかも知れないと思うからです。
そして、ブログにも書けない本音があることに改めて気がつくだけなんじゃないか。
だったらブログなんて、大げさに考えないで軽く書いておけばいいのでしょうか・・・?

そんなことを考えている矢先、知人のブログからリンクを辿っているうちに、『「一億総ブロガー」時代の功罪』という記事に巡り会いました。<参照>
記事の中身は、ご自分でお読みいただきたいと思いますが、その中のリンクからまた別の「被害者の呪い」という記事<参照>を読んで、やはり、事はそう単純ではないと思ったのです。

人は人との関係の中で生きています。
誰もが、自分のことを自分以外の人に理解されたいと願っています。
そのために言葉があり、様々な表現手段があり、人はそれらを使って表現せずにはいられないのだと思います。
ブログは、自己表現手段として、今までになかった機能を沢山備えていると思います。
それだけに、その功罪も大きくあるはずです。
それをよく理解しておきたいと、改めて自分のブログスタンスをふりかえっている私です。


余談になりますが、では、テレビに出ることはどうなんでしょう?
私は、今までにもう何度も、テレビの取材の申し入れをいただいていますが、全部お断りしています。
テレビという超強力なメディアに、「私」を説明されるということは、私には何かとても恐ろしい気がするからです。
そう・・・、まず一番は恥ずかしいからなんですけど・・・。

「広島」デー(の日)

今から63年前の今日8月6日、広島に原子爆弾が投下されたのでした。
世界で初めて、実験ではなく実戦兵器として使用されたこの一発で、市民を含む十数万人が犠牲になったと言われています。
今朝テレビを点けたら、ちょうど記念式典の中継が始まったところでした。
一緒に黙祷しながら、その後少しの間テレビを見ていたら、小学生たちのメッセージの中で「・・・戦争は、遠い過去の出来事ではありません。・・・」という一言が、耳に残りました。
一年前の今頃、このブログの中で、戦争の記憶を語ってくれた人の話など、四編の戦争に関する記事を書いたのですが、過去の戦争の記憶を忘れないことはもちろん大切なこととして、もう一つ、戦争は今も現在進行形でこの地上に起こっている出来事であるということを、しっかりと胸に刻んで置きたいと思います。
イラクで、アフガニスタンで、中央アフリカ諸国で、イスラエル・パレスチナで、今も戦闘がくり返されています。
時々、そんなニュースが伝えられ、テレビの画面には爆発の瞬間などが映し出されていますが、遠い海を隔ててこちら側にいる私たちは、例えば夕食を口にしながらそれを眺め、次の瞬間には明日の予定が気にかかるといった具合です。
そんなリアリティーの無さが、とりあえず仕方ないことだとしても、渦中に置かれた人々が味わった戦争の苦しみの代償は、いずれこの世界の全員で清算しなくてはならない時が必ず来ると、私は思っています。
それがいつのことか・・・、それはとりあえず置いて、ここに、先んじて勇気ある行動を起こした人たちのことを、お伝えしておきたいと思います。

☆アフガニスタン・イラク帰還兵による、勇気ある報告 <その1>  <その2>
 
☆08市民平和まつり<こちら> 

※元ベトナム戦争従軍兵士、アレン・ネルソン氏の講演があります。

私の昨年の記事へのリンク  <7/30>  <8/8>  <8/13>  <8/15>

ちなみに、08市民平和まつりの3日間の日程のうち後半2日間、食工房も出店参加します。


※習刊 コーヒー通信は、お休みしました。

写真展へ

ちょうど1年ほど前、ある方のご紹介でお邪魔した写真展で、初めて顔見知りになった女性フォトグラファー(敢えて、プロとかアマチュアとかは言いません。)の二度目の個展が開催され、予めご案内も頂戴していましたので、今日またお邪魔して来ました。
写真をライフワークにしようと、ある時期憑かれたように撮り続けたものの、結局パン屋をやっている私にとって、こうした個展を開くことの出来るエネルギーの強さには、何か打たれるものを感じないではいられませんでした。
目に留まる何かに心が動いた時、それを写真に撮りたい気持ちになるのは、多分カメラを手にする者に共通の衝動だと思います。
そして作品を見た者の心が動いた時、それは両者にとって大きな収穫に違いありません。
そういう写真にたとえ1枚でも出会えたら、それはもうどれほどの収穫かということです。
撮った方の感性と自分の感性が、どこかで響きあったということですから。
もちろんありましたよ・・・。
そして、自分の中でまた虫が騒ぎ始めました。
というわけで、写真展の中身の方は、<こちら>ご本人のブログをご覧になってください。


 おしらせ
今週は、木曜日・クリングラ、土曜日・カネリプッラです。
「食工房のパンだより・35 出穂号」 公開しました。
<こちら>ご覧いただけます。

眠れぬ夜に・・・



ランプの灯りと暗い夜


たまに何の前ぶれもなく、真夜中にフッと目が覚めることがあります。
皆寝静まって、シーンと静まり返った夜の空気の中で、とりとめのないことを考えながら夢と現の境に意識を漂わせるのが、私の密かな喜びでもあるのです。
そう・・・、こうして夜を静かに過ごせることにも重要な意味があり、奇跡でもあるのだと思うからです。

敵を欺き、奇襲攻撃をかけるのも夜・・・・。
一方、恋人たちが愛を語り合うのもまた夜・・・。

夜が静かに過ぎて行くことは、とりもなおさず平和の証であると、そう思うからです。

今、世界のあちこちで、夜を静かに過ごすどころか、かえって白昼より不安と緊張が増す中、文字通り眠れぬ夜を息を殺して、朝が来るのを待たなくてはならない人々が少なからずいることを知れば、こうして布団の上に横たわり安心に身をゆだねていられる自分は、この幸せの代償に何を差し出せるだろうか・・・。
そんなことが頭に浮かんで来ると、あとはもう祈るのみです。
でも、神々の世界に言葉を送っているうちに、間もなく眠りに引き込まれ、いつもより少し眠気の抜けない朝を迎える私です。

よそ者の会津考 vol.5



会津の象徴、会津磐梯山


先日のこと、生まれも育ちも会津の地元の方と話している時、こんな話題が出たのでした。
曰く、会津の人間は、なかなか前に出られなくて、いつも他所から来た人に活躍の場をさらわれてしまってばかりだと・・・。

本当にそうなのかなァ?
自分もよそ者だけど、ちっとも活躍なんかしていないけど・・・と思いながら聞いていて、一方で思い当たる節がありました。

それはちょっと想像していただくと、すぐにお分かりになることですが、その土地に縁もゆかりもない者が、そこで生活しなくてはならないということになった時、先ずどんな心境で何をするだろうかということです。
どんな事情でやって来るか、人それぞれに違うとは思いますが、見知らぬ土地で頼れる伝も限られていますから、とにかく何をやるにも必死になります。
生活を落ち着かせるために、仕事であれ暮らしのあれこれであれ、チャンスには貪欲にならざるを得ないのです。
そこへいくと地元の方は、代々暮して来た生活の基盤があり、それら有形無形の沢山の資産に裏付けられた、不動の安心感みたいなものがありますから、そんなに貪欲になることもないのだと思います。
それよりもよく見ていると、そういう基盤に裏打ちされて、家業や要職で素晴らしい活躍をされている人が、地元の方の中にもいくらでもいることが分かります。
そういう中で、何も無いところから叩き上げたよそ者の頑張りは、少しばかり目立つだけなんじゃないか、それも必要に迫られて必死になっているだけの姿かも知れないぞ、と今度は自分のことを思っていました。

それにしても、会津は豊かな土地だと、今日も急きょ配達に出かけた「駅カフェ」までの道々、磐梯山の見える田園を前にしながら、しみじみ感慨に浸る私でした。