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台風直撃!

災害の少ない会津には珍しく、直撃コースで台風が接近しているというニュースに、昨日から少し緊張していました。
でも、思いのほか大したことはなくて助かりました。
ここ高野の地は、本当に良い地の利に恵まれていて、風の害も雨の害も心配ありません。
それにしてもこういう時思い出すのは、山暮らしをしていた時のことです。
4kmの未舗装の林道は、雨が降ると大なり小なり必ず傷みます。
ましてや台風ともなると、あふれた沢の流れに道が押し切られて無くなってしまうことも、珍しくありませんでした。
台風接近のニュース(ラジオのニュース以外、情報はありませんでしたが・・・)を聞きつけると、先ず車を一台、林道の出口に置きに行きます。
こうしておけば、林道が不通になってもとりあえず外出できるわけです。
帰りはスコップを手に歩きで、途中の要所要所に水切りのための溝を掘ったりしながら戻って来ます。
台風が行ってしまった後は、車検の切れたオンボロの四駆の軽トラに、スコップ、ツルハシ、ナタ、チェーンソー、ワイヤーなどを積み込んで、林道の出口まで道を直しながら出て行きます。
木が倒れかかっていれば伐採して片付け、路肩が崩れていれば土嚢を作って補修し、水が流れて出来た溝があれば埋め戻し、一度に全部出来ない時は後々何日もかかることがありました。
あの頃はどういうわけか、毎年のように、それも多い時は二度三度、台風が襲って来ていましたね。
おかげで私も、我が家の四人の男の子たちも、すっかり鍛えられました。
今でも、この先、もしどうしてもと言うことになったら、どんな場所の悪い所でも、何とか生きて行けるだろうと思っています。

休みの風





                           気ままなそよ風 吹いてくる

                           ぼくのことなど 気にとめず

                           稲穂の海を 吹き抜けて

                           農夫と しばらく立ち話


                           風は 幸せと雨の 匂い乗せて

                           明日を 少しだけ のぞかせて過ぎてゆく



これは70年代、「夕焼け楽団」を率いてメジャーデビューした、久保田麻琴のファーストアルバム「まちぼうけ」の中の2曲目にリリースされている曲「休みの風」の一節です。

今朝、コーヒータイムの後、外に出るなりこの歌を思い出しました。
そして久しぶりに、時間を取り戻したという感じがしました。
いつものように川の方へ散歩に行ったのですが、川に下りて行く途中の田んぼは、もう稔りの季節を迎えていました。
今月半ば過ぎからは、あちこちの田んぼで稲刈りが始まることでしょう。
まわりの草地では、ススキも穂を出しました。
吹いてくる風の匂いも、真夏の頃とはもう違っています。
と、稲穂の海の只中に、緑のトロルの一団が・・・!
でも、ちっとも怖そうじゃないし害もなさそうなので、遠巻きに写真を撮らせてもらいました。




河原では、もう行く度にお目にかかることにしている「顔」たちに面会して、お目々がなくなったりお口がズレたりしているのを、直しながら一巡りして来ました。
よほどの洪水にならない限り、ほとんどはつくった時のままの形で、壊されもしないでそこに居てくれるのが、何ともありがたく思えて、手を合せています。





さて今日の夕食は、久しぶりにラーメンです。
トリガラでダシを取ってあります。
煮干と昆布のダシを合せて、塩、しょうゆ、ナンプラーで味をつけます。
きざみネギとおろしニンニクも、忘れずに加えます。
野菜炒めをたっぷり作って、汁気を先にスープに混ぜます。
湯で立ての麺の湯気を切って汁の中に入れ、野菜炒めを乗せれば出来上がりです。
ちなみに麺だけは、喜多方ならどこにでも売っている、生めんを買って使っています。

続、農業志願

山都町に農業研修に来ている若者がいることは、以前お話し申し上げましたが、彼らの滞在も早や五ヶ月を過ぎ、この頃はすっかり日焼けした顔を見せてくれています。<関連記事>
育てている作物もすでに収穫期を迎え、私も何度か味見させていただきました。
彼らは、それぞれに自分の担当の圃場をあてがわれていて、そこから収穫出来たものは、自分で売って収入にして良いことになっているそうです。
どうしたって張り切らないわけには行きませんね。
ところで、小川農園の主小川さんは、農業試験場上がりの言わばバリバリの研究者タイプの方で、品種改良や植物の生理に関して、評価に値する深い見識をお持ちです。
研修生たちも、この点ではとても勉強になると言っています。
しかし、その成果を農業経営に結びつけるためには、もう一つ別な能力が求められることを、彼らは自分たちの作物を売りながら実感しているようです。

今の日本の社会で、お金の回りという面で見ると、最も効率良く利益を集めているのは金融業で、その次が情報関連、それからサービス業ですね。
モノづくり(製造業)と農業は、比較すればずっと割に合わない仕事をしています。
特に農業は、人々の生存に必要不可欠なものを生産しているにもかかわらず、最も経済効率の悪い仕事になっています。
そんな現実にすっかり疲弊感を強くしている、地元の農業者が半ば諦めてしまった部分に、逆に農業に何の経験もない都会の若者たちの、新しい発想やアイディアとそして実行力が、何か良い刺激になるような結果を生み出して欲しいと、こちらとしても応援しないわけには行きません。
幸いにも、今年の研修生たちのほとんどが、研修後も山都町に居残り、定住と新規就農を視野に入れながら、来年も研修したいと言っています。
今後の日本が、彼らの意欲や希望を裏切ることのない、農業政策が実行される社会であることを、願わずにはいられません。

脱、運動不足

私は、猪苗代町のある有名ホテルの料理長を知っているのですが、ここの料理長以下スタッフの方々は、夕方忙しくなる前の時間帯、30分くらい外に出てランニングをしているのですね。
日の当らない調理場で、立ちずくめの仕事をしていると、どうしても息が詰まって来ます。
外の空気を吸うついでに、ランニングで足腰も弱らないようにという心がけに、見習いたい!と思ったのが三年位前だったでしょうか。
私も、毎日日課として何か運動をしようと思いましたが、それがなかなかままなりませんでした。
意志が弱いんだよ!と言われると返す言葉もありませんが、寝不足の時には仮眠が先、忙しい時は仕事優先と何かと理由が出来て、一歩も外に出ないまま一日が終わってしまうことが度々でした。
あっと言う間に三年が過ぎてみると、すっかり体力が落ちてしまった自分に気がついた次第。
こんなことでは、とても飯豊の山頂を踏むことは叶わなくなると、少々気落ちしていました。
この夏、危うく夏バテしそうになってやっと思い直し、とにかく体を動かすことにしました。
パン屋の仕事ではあまり使わない、足腰の筋肉と心臓と肺を鍛えて、基礎体力を取り戻そうと言うわけです。
体力が落ちると、仕事のテンポが遅くなってますます時間がなくなる悪循環に陥ってしまいますから、今がその最終リミットだと思っています。
今日も、先ずは最低でもと思って、部落の中を一周だいたい1kmの距離を早足で歩いてきました。
軽く走って回れるようになるまでは頑張ってみようかなと思っています。
あとは、家の中でヨーガもどきの体操をやって、体が硬くならないように・・・。
私は六十歳を過ぎたら、またマキとランプの生活に戻りたいと思っていますので、そのために必要なことをこなせる体力は、絶対に残しておきたいのです。
そして死ぬ時は、やっぱり生まれた所と同じような山の中にいて、出来れば大きな木の下で死にたいと思っています。


フィンランドの森

先日のこと、普段テレビを見ることのない私が、ほとんど奇跡的と言える計らいで、貴重な番組を見ることが出来ました。
その番組は、全編フィンランドの森のことを取り上げていました。
皆さんもご存知かも知れませんが、フィンランドは森と湖の国です。
フィンランド語では、自国の名称はSuomi(スオミ)と言います。
これは「沼」という意味です。
国土の70パーセントが豊かな森林に覆われているこの国は、世界一水質保全の良好な国としても知られています。
世界一きれいな水環境は、当然のことながら豊かな森林環境の賜物です。
ところが驚いたことに、この番組の中で私は、フィンランドの森が全て人が手を入れた森で、原生林ではないのだということを、初めて知りました。
全く・・・、それはうれしい驚きでもありました。
人間が関わりつつ、これだけ豊かな自然環境を維持出来る、そういう方法があり、そういう考え方があり、知恵の使い方がある、しかもそれが現実になっているのです。
しかも、それではフィンランドの人々は自動車に乗らず、石油も電気も使わないのかと言えばそうではありません。
一方でフィンランドはハイテク先進国であり、国際経済競争力は2000年以来ずっと世界のトップクラスです。
人口520万の国の小さな会社であったNOKIA製の携帯電話は、今や世界シェアの30パーセントを占めています。
人々の暮らしは前時代的どころか、とても先進的でおしゃれです。
そういう社会や暮らしと自然環境が、矛盾することなく両立可能なことを、この国の行き方は示唆してくれていると思います。
ただし、同程度の面積に20倍以上の人口を抱える日本が、すぐに真似が出来るかどうかは熟慮しなくてはならないと思いますが・・・。
例えば、人々の暮らしの自然環境への負荷を、20分の1に出来るかというあたりから、早くも難しい課題に直面することになりますね。

それにしても、番組の中で印象に残ったシーンの一つは、広大な農場の中を丹念に歩いて、野鳥の巣のあるところに目印を付けて行き、後でそこを避けながら大型トラクターが耕して行く場面でした。
以前はフィンランドでも農薬を使って害虫を駆除している時代がありましたが、その結果周りに野鳥がいなくなり、じきに別な害虫や鼠が大発生して、かえって収穫が減ってしまったことから、こうした取り組みが始まったのだそうです。
どこかの国なら、そこでさらに強力な農薬や毒餌を撒いたりして、根絶やしになるまで皆殺しにするのでしょうね。
結局は、自分たちは何を大切にするのか、という哲学論に行き着くのでしょうか。


         カラマツ林  獏の空の下から・・・

山が病気!?

近年、山の中の木が立ち枯れて行く現象を、よく見かけるようになりとても気にしています。
松枯れは、もうずっと昔からある有名な病害で、すでに日本中を一巡りしてしまったようですが、近ごろのは木の種類が多種に及び、病気の種類も一つではないようですね。
一見、何事もなく見える山の中や公園や庭先の樹木も、近寄って観察すると、異常が見られるものが沢山あります。
ブナ科のナラやクリが病害で次々と枯れて問題になっていますが、この夏、我が家の前の樹齢50年以上と思われる立派な栗の木が病気にやられたらしく、わずかの間に葉が茶色になって落ちてしまいました。
花の季節には、外見上異常はありませんでしたが、内部ではすでに病気が進行していたかも知れません。
多分このまま枯れてしまうのではないかと思っています。
その話を知り合いにしたところ、周辺の山の中でも大量の立ち枯れが出ているとのこと。
以前私が、いわき市の方で見かけた立ち枯れの様子を思い出しました。
林業関係者は、個々の病害についてある程度原因を突きとめているようですが、何故近年こうした現象が頻発するかという点については、未だ定説はありません。
とは言え、人間活動による環境の激変悪化が根本原因だろうということは、大方想像のつくところです。
山に木がなくなったら私たちも生きていられなくなる、その因果関係を、私たちはもっと深く理解しなくてはならないと思います。
と言うより、そういう皮膚感覚で生きていること、そちらの方がもっと大切なことかも知れませんね。
車が走ることよりも、コンピューターが動くことよりも、本当は、山に木が生えていることの方が、ずーっと大切なことに違いありません。


    
カラマツ林 獏の空の下から  

「あるがまま舎通信」が届いた。

九州の友人ヨシオカさんから、彼が中心になって発刊している隔月間のミニコミ「あるがまま舎通信 №59・2007年8、9月号」が届きました。
B5版20ページに及ぶこの通信、ヨシオカさんはじめ周辺で活躍している7、8人の方が原稿を寄せている力作です。
時事に関する記事あり、田舎暮らしを始めた人の手記あり、自分で家を建てている人の記事はずっと連載中で、完成するまであと何年か続くことになるかも・・・。
また、以前重度のアルコール依存症で、その後再起した方の連載記事は、重い内容ながらものすごく説得力があり、いつも興味深く引き込まれてしまいます。
ヨシオカさんの素直な独白記事も共感するものがあり、同世代の友人として楽しく読ませてもらっています。
他にもまだまだ盛り沢山の内容で、こんな通信を隔月間で出しているエネルギーの密度の高さに、ただただ驚かされています。
そうそう、ヨシオカさんはブログもやっているのですが、どちらかというとこの「あるがまま舎通信」の方が似合っていると、これは私の勝手な感想です。
そして今号の編集後記の一節に、大きくうなずく私でした。

曰く・・・

今号も文章が多くなった。
こんな字ばかりでは誰も読まないよ、まして知らない人ばっかりだろー、と言われたこともある。
まあそう言わずに拾い読みでいいから読めるとこを読んでよ、と答えておいた。
確かに、短い言葉と視覚的な絵でページを構成すれば、見やすいし読みやすいかも知れん、いろいろ考えた、けどあきらめた。
だらだら書いてしまっても疲れるが、文章でしか伝わらないことを、とにかく書いていこうということで行こうと思った。
懲りずに手にとってもらえるとうれしいのですが。

そうなんですよ!
文章でしか伝わらないこと、確かにあると思います。
この通信にはそれがあると思いますね。
読んで見たい方、食工房にご来店いただければご覧になれます。
あとは、ご自分で直接申し込んでくださっても良いと思います。
あるがまま舎のホームページもあります。

リンクは<こちら>

脱ネットの4日間

5日間ブログをお休みしましたが、内4日間は脱ネット状態でした。
PCは、電源を抜いたままにしていました。
こんなことを申し上げて、誤解しないでいただきたいのですが、PCのない4日間は正直心地良かったです。
山暮らしをしていた時の感覚が、ほんのちょっとだけですが、戻った感じを味わいました。
ネットコミュニケーションは、とっても便利で役に立つし、有意義だと思っていますが、無ければ無いで昔の方法に戻れば良いだけだと思っています。
もちろん、同じようには行きませんが・・・。
そんなことも考えながら、この4日の間に、日頃ご無沙汰している方に残暑見舞いのハガキを何通か書きました。
「パンだより9月号」の草稿も、大きな紙に4Bの鉛筆でサラサラと書いて見ましたが、いきなり画面に向かうよりもずっと能率的で疲労感がない感じがします。
結局のところ人間は、便利な手段を手に入れると、その分だけ多くのことをやってしまうことになって、決してヒマにはならないようですね。
私の場合だと、商売上、品質表示ラベルなどを細々と製品毎に作成しなくてはならないので、PCは手放すことが出来ないどころか完全に依存している状況です。
そしてカラーも使えるとなれば、彩りも工夫したくなりますし、いろいろな画像処理も可能となれば、益々やることが増える一方です。
選択肢が多いということは、つまり忙しくなるってことなのですね。
自分の必要を冷静に測って付き合わないと、秒単位で時間の奴隷になりそうです。
そうでなくても体は目いっぱい忙しいのですから・・・。

さて本日は、5日ぶりに食工房の製造仕事を再開しました。
作業場に漂うパン生地の匂いと、先に焼き上がったパンの香ばしい匂いが混ざって、店の中いっぱいに広がります。
そして、半端生地のかけらを焼いたものをちょっとつまみ食いする時、パン屋をやっていて一番幸せを感じる瞬間ですね。
皆さまのご来店、お待ちしております。

終戦記念日

             玉蜀黍

        さわさわと黍の葉が鳴る

        こいつはロッキーバンタムだが

        風に鳴る葉ずれの音は

        間違いなく日本の秋の音だ

        若い時大陸で希望に燃えた日

        やはりこの音をきいた



        あれから戦争があった

        聖戦とゆう全く腹の減る戦だった

        空腹に耐えかねて

        内地へゆく貨車から黍の実を盗んで

        飯盒で煮てみたが

        あれだけは喉を通らなかった



        敗戦とは言はず終戦ですべてが終わり

        引き揚げたふるさとで

        アメリカからもらった黍の粉の

        ホコリ臭い苦みのある味に

        やっぱり敗戦だったと自覚した



        つかの間に四十幾年がすぎ

        手の平ほどの山の畑で

        私は黍の葉ずれの音をきく

        さわさわと鳴るその音は

        今が一番に平和なときかもと

        思うほど切ない


              昭和61年10月


 


これは、今は亡き私の父が自費出版して残した詩歌集「玉蜀黍」の冒頭にある詩です。
今、この詩を読みながら聞かされた沢山の戦争の話を思い出していると、私は、いつの間にかそれが自分の実体験であったかのような錯覚に陥ります。
私の想像力が逞しいのでしょうか。
あるいは私のまわりに、戦争の記憶の生々しい人が、何人かいたからでしょうか。
すでに亡くなりましたが、私の伯父は輸送部隊で任務中
に地雷を踏み、トラックごと吹き飛ばされて、片足の脛から下がなく、義足を付けていました。
また中学校の教師の一人は、太ももに銃弾が入ったままで、片足を引きずるようにして歩いていました。
その傷口を見せてもらったこともありますし、授業中には、南方の島でアメリカ軍の戦車に追われて、ジャングルの中を逃げ回ったことや、爆撃で人も馬も吹き飛ばされ、骨肉が散らばる凄まじい光景だったことも、つぶさに聞かされたものです。
ある時は、機銃掃射のコツを解説に及んだこともありました。
私に戦争を語った何人かの人が一様に口を揃えたことは、新兵の時、最初は皆敵兵を前にしてもなかなか引き金を引けないものだと。
それが、仲間が敵弾に倒れるのを目の当たりにしたとたん、何かが弾けるような気がしたと言います。
そこから先は、いくらでも鬼になれたと・・・。
もう60年以上も前のことなのに、戦争体験者でもない私がこんなにも鮮烈にイメージ出来るのは、今この時代にも、世界のあちこちで戦争が続いているからだろうと思います。
パレスチナで、アフガニスタンで、そしてイラクで。
表向き、戦争を肯定する人はいないはずなのに、相変わらず世界中に紛争の火種が途絶えることがありません。
何故なんでしょう。
どこかに嘘があるに違いないのです。
それをどこまでも突き詰めて行かなくてはならないし、そのためにも戦争の記憶は絶やしてはならないと思っています。

              ※ 習慣 コーヒー通信 今週も休みます。

止めてください。

自動車を運転しながら携帯電話、止めていただきたいと思います。
しょっちゅう見かけます。
全く珍しくない光景です。
はっきり法律で禁止されているのに、誰も守る気などないように見受けられます。
そんな日本人のメンタリティーは、一体どうなっているのか、私には解せません。
確率論で言えば、事故が起きるのは少数かも知れません。
でももし、携帯電話しながら運転している車に、自分の家族や友人知人がぶつけられて、怪我したりひょっとして死んだりしたら、とてもじゃないけどやり切れません。
みんな自分のことしか考えてない・・・?いや、自分のことすら考えてないんじゃないですか。
ちょっと飛躍かも知れませんけど、今、日本の社会全体が思考停止に陥りつつある、そんな気がしてなりません。
もう一度お願いします。
運転者の皆さん、どうぞ運転中の携帯電話、止めてください。