高野通信」カテゴリーアーカイブ

ブログを休みたい一日

風邪をひいています。
もうすでに四日目になりますが、息子が山形からもらって来た風邪が回ったようです。
用心してはいたのですが、木曜日にパンを焼いている途中から体に負担を感じ始めたので、少し調整しながら昨日まで仕事をこなしましたが、今日は観念して造り仕事は休んで奥に引っ込んでいました。
この歳になると、今までに数限りなく風邪をひいていますから、無理が効くのはどのへんまでか分かっているわけです。
そして、分かっていても止むを得ず無理をして、その後がどうなるかということも分かっているので、とても悩むわけです。
人が病気になるのは、その心ゆえだと言いますが、その通りかも知れません。
少し前に、電池切れ感覚のことを書きましたが、風を引いている時というのは、休んでいてもなかなか充電しない感じですね。
何かに妨害されているって感じがします。
そんなウィルス感染の電池切れの頭でも、「こんなブログ書いて、そこそこ元気な証拠じゃないの。」と言われると大変困るのですが、体が動かないからこそ頭の中ばかり空回りしています。
それもどうでもいいような、とり止めのないことを、エンドレステープのように・・・。
そう、これが病気ってものなんですね。
さてさて、今日の選挙の結果は如何に?

選挙に行きますか?


はっきり申し上げて、私は政治には失望しています。
もはや政治は茶番劇だと思っています。
ですが、問題はそんな政治の場で決まったことに、我々は従わなくてはならないということです。
しかもそれは、国民である我々が選んだ人たちだと言うことになっている。
ここで、投票を棄権することがいかに無意味で何の力にもならないということが、どなたにもお分かりになると思います。
棄権は、単に選挙結果に対する無条件の信任と見なされるだけです。
具体的に誰を、どこの党をということは全く別にして、とにかく投票はしていただきたいと、私は思います。
民主主義は、国民である我々一人一人が、国の将来に対する責任者なんだということを忘れたくありません。

マイブログ中間報告 vol.3

ブログを始めて丸四ヶ月が過ぎました。
パソコンに触り始めてからだと二年半少々になりますが、この一、二年の間にもパソコンユーザー、ネットユーザーは確実に増えたんじゃないかという気がしています。
私もその一人ですが、私の友人知人の間でも、新たにパソコンを導入する人、ブログを始める人、ホームページを開設する人が、次々と出て来ています。
コンピューターとインターネットは、いまやすっかり庶民のものとなり、裾野を広げた感があります。
さて、ブログを書いている方ならどなたもそうだと思いますが、毎日何人くらいの人が見てくれているかということが気になりますね。
何はともあれ、アクセス数が増えるのは嬉しいものです。
私のブログの場合、最近でこそ毎日100を超えるようになりましたが、最初の一ヶ月くらいは7、8から始まってやっと20を超すくらいのものでした。
ところでこのカウンターの数字は何かというと、そのサイトへの訪問者の数なのですね。
ですから、同じ方が一日のうちに二度、三度アクセスすると、その度に二人、三人とカウントされますので、あくまで延べ人数ということになります。
一方、初めのうち全く分からなかったのが、アクセス数というものです。
これは、皆さんには見ることの出来ない管理者用のページにあるアクセス解析で見ることの出来る数字です。
こちらの方は、いつも平均してカウンターの数の3倍くらいの数字が出ています。
あとで分かりましたが、こちらはページアクセスの数なんだそうです。
ブログはたいてい複数のページで構成されていますので、一回の訪問でも沢山のページを閲覧する方があれば、アクセス数は増えるわけです。
それからこのページアクセスで、重要なアクセス元になっているのが、検索サイト(例えば、Googleなど)の検索ロボットです。
Googleのクローラーと呼ばれるロボットのアクセスは、私のブログの場合、全アクセスの50%以上にもなっています。
この検索ロボットの動きを知るにつれ、いろいろなキーワードで検索に引っかかってもらうために何が出来るかということが解り始めて、今とても面白いところです。
一つ言えることは、今のところ検索はテキストを頼りに行われるということです。
だから、文章量が多くてその中にいろいろな語彙がある方が有利になります。
もう一つは頻繁に更新することです。
新しい情報は、必ず一度は検索ロボットが見に来ますから。
そして多数の他のサイトとリンクしていることです。
こんなふうに、アクセスを増やすテクニックがいろいろあるんだということが分かっては来たのですが、その数を維持出来るかどうかは、やっぱりブログの中身が問題だということになりますよね。
というわけで、これからもがんばりますので、どうぞよろしく。

 お知らせ
カウンターの数が、近いうちに10,000になりそうです。
そこでこの記念すべき節目に、プレゼントを企画しました。
アクセスした時に10,000カウントに当った方に、食工房から2000円分の商品をプレゼントします。
さらに前後賞として二名の方に、オリジナルフォトポストカード5枚セットを差し上げます。
その時になりましたら、該当する方はご氏名、ご住所、電話番号をお知らせください。
なお、いただいた個人情報は公開することはありません。
もし、どなたも応募がない場合は没とさせていただきます。

自分のメンテナンス



今日は定休日だったので、赤目のこともありましたが、とにかく午前中を自分のメンテナンスに充てることにしました。
朝のコーヒータイムのあと、時間をかけて体をほぐす体操をし、それから少し心肺の負担になるくらいの運動をやりました。
朝食の後は、河原へカメラを持って写真を撮りながら散歩です。
今日は晴れ上がって、外は一気に真夏の陽気です。
空の色も山や草木の色も、コントラストが強くギラギラ。
突然、はっぴいえんどの歌の一節「ぎんぎんぎらぎらの夏なんです・・・」を思い出してしまいます。
午後からは、用足しと買い物に出かけましたが、どこを走っていても一歩市街地を出れば、あたり一面田んぼの緑が美しく、どこまでも目にやさしい風景です。
おかげさまでずい分調子が良くなりました。




さて、話しは戻って昨日の夕方のことです。
店を閉める時、ちょっと外に出て空を眺めました。
ちょうど次々と星が見え始めたところで、南天には上弦の月がかかり、少し距離をおいて木星も見えていました。
月明かりは、かなりのコントラストで目に飛び込んで来ましたが、不思議に全然目に負担を感じませんでした。
妙に納得が行くと同時に、山暮らしをしていた頃、夕方子ども達が仰向けに寝そべって、羽虫が飛んでいるのを見たり一番星を見つけたりしていたのを思い出しました。
そうそう、「お空眺め」と言っていました。
昨日は、このお空眺めで我に帰った私でした。

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昨日の続きを

どちらかと言えば風変わりな人生を過ごして来て、何でも出来ると言えばかっこよく聞こえますが、何も身についてないじゃないかと言われると返す言葉がありません。
でも、一つ貴重なことだと自身を持って言えることは、いろいろな切り口で物事を視る力を養ったということでしょうか。
世界を広く見られる視点というのは、私にとっては、何ものにも代えがたい大切なものです。
何故かと言えば、それは真実に少しでも近づくことが出来るからでしょう。
「50も過ぎて青臭い。」と言われるかも知れませんけど、どうしても気楽に受け流してしまうことが出来ない性格なんですね
多分、死ぬまでそうだろうと思います。
そして、そのことで大きく貢献し続けているのが我が連れ合いです。
まるで宇宙のかなたから地球に迷い込んで来たような彼女のものの見方は、私なんかより遥かに広く高くぶっ飛んでいるので、私はいつも揺さぶられ混乱し、固まることが出来ないのです。
一つには、そんな私たちが見ている世界を、ちょっとご一緒していただきたいと思い、通信を出したり、ブログを書いたりしています


  私のニュースソース その1
今日は、ちょっと興味深い記事がありましたので、ご紹介します。<参照>・クリックしてご覧ください。

土日が仕事

20代の時から振り返って見ると、私の場合、週末の土曜日、日曜日に仕事をしていたことの方が多いのですね。
そして、雇用されて働いていた期間も、ごくわずかの期間でした。
それでまず最初にやった商売は、路上のアクセサリー売りです。
70年代はずい分流行っていたので、覚えている方も多いでしょう。
仲間内では、仕事のことを売(バイ)と言ってましたね。
髪の毛を長くして、Gパンにアーミージャケットのいでたちで、街角に座り込んで真鍮線を曲げてネームブローチなどを作っていました。
まあまあ実入りが良かったので、土日だけ働けばあとは遊んでても大丈夫くらいの気楽な生活でしたが、1年少々で止めてしまいました。
それから、友人たちと共同で店(カフェ)を始めたのですが、それも1年くらいで抜け出して、その後自然食品の販売を10年近くやったでしょうか。
その後、山暮らしが14年間。
この時も、日曜日に街へ商売に出ていました。
手づくりのパンとお菓子とそれから自家焙煎のコーヒー豆を並べて、有機野菜の仲間たちと路上で「百姓の市」をやっていました。
そして、そこから先が今の商売です。
やっぱり土日が稼ぎ時になっています。
心底、天の邪鬼なんですね。
人が休んでいる時に仕事して、逆に皆さんが忙しい平日にのんびり過ごす生活が、もうすっかり当たり前の感覚になっています。

壊れたら自分で直す。

子どもの時から、すでにこの習慣が身に付いていたように思います。
いわゆる、貧乏性なんですね。
人を頼まず、何でも自分でやることの中で、一番機会が多いのは壊れたものの修理です。
大きいものは家や自動車、小さいものは鉄道模型のモーターや家電品のリレースイッチなどなど、まあ私が触らなかったものはほとんど少ないと思います。
修理不能と思われるものでも、可能な時は部品を自作してでも直します。
例えば今我が家で使っている洗濯機は、少なくとも二回は私の修理で買い替えを免れています。(もう10年以上、毎日酷使しています。)
かかった部品代は千数百円くらいのものです。
またおとといは、簡易水洗トイレの水が漏るというので、息子といっしょに修理しました。
便器などの汚れ物は、大方の人は触りたくないでしょうが、こちらはそうも言っていられない事情がありますから(分かりやすく言えば、お金がない。)、迷いはありません。
分解して外に運び出し、洗浄して各部品をチェックし、仮組みして水漏れテストをして原因を突き止めます。
今回の水漏れは、ホースの接続の緩みや排水パイプの劣化による損傷が原因だったので、応急処置で何とかなりました。
大方半日かかりましたが、ついでにトイレ周りがきれいになって、水漏れもなくなり気分は上々です。
どなたにでも出来るとは言いませんが、こういうことは機会があればやった方がいいと私は思います。
たまには失敗して痛い目に会うこともないわけではありませんが、それでもやった方がいいと思います。
それによって分かることが沢山あり、世界が広がるからです。
そして、どうしても人に頼むということになった時、代価を払うことの意味が自分の中で変わっていることにも気がつくはずです。
壊れたものを直す以外にも、自分でやったことはまだまだ他にもありますが、そのお話はまた追々聴いていただきましょう。

続・写真

おととい写真のことを書いたら、友人のtakさんからコメントとトラックバックをいただきました。
彼も時を同じく、写真のことに触れてブログを書いていたのでした。
そのへんのやりとりは<こちら>をご覧いただくとして。
やっぱり、写真っていいですね。
その人の目が見ているものを理解出来るような気がします。
おとといご来店くださった方も、私の店の写真を沢山撮って、ご自分のブログに紹介してくださいました。<参照>

中に、えっ、こんないいアングルがあったの!と思うような一枚があったりして、とても刺激されました。
今の私はあまり時間がなくて、昔撮っていたような写真は撮れませんが、代わりにデジカメでちょっとした記録としてフィルム代・現像代を気にすることなく、失敗も恐れずどんどん撮影出来ることで、また違った写真へのアプローチが出来ることに気がつきました。
まずは身近なものから、ですね。
私なら、パンの写真でしょうね。
忙しい合い間を縫ってでも、パン屋じゃなければ撮れないような写真を撮りたいですね。
こうやって、何にでも楽しみを見つけながらやって行くのが、私流人生の極意と自覚している、と言うのは少しばかり大げさかも・・・。
さて、全く脈絡なく今日の一枚はこれです。



食工房の客引き妖精・フィンランドからやって来た「トント」です。

写真

阿武隈の山中で暮らしていた最後の数年間、私は写真を撮り続けていました。
被写体は、山の中の植物たちと山の風景。
どうしてお金のかかる写真なんか始められたかと言うと、従兄弟から写真道具を一式もらったからです。
フィルム代と現像代は、事情の許す限りボチボチと。
環境は良かったし時間だけはありましたから、今思うと、プロの写真家でも滅多に巡り会えないようなシャッターチャンスに度々巡り会いました。
ただし腕が追いついていなかったので、必ずしも素晴らしい写真が残っているわけではありません。
私が写し撮りたかったのは、生命そのものです。
大それたことを言うようですが、その時は本気でそう思っていたのです。
美しい写真はプロに任せておけば良いけれど、毎日山の霊気に触れて暮らしている自分には、もっと違った写真が撮れるはずだと。
そんな数年間もあっという間に過ぎて、私は山を下りてパン屋になりました。
決して写真を撮ることを捨ててしまったわけではありませんが、今は生命たちに向き合う時間がなくなってしまいました。
そしてその間に写真もデジタル化が進んで、先日久々にカメラ屋さんに行ったら、フィルムはもう隅の方に少し置いてあるだけという状況でした。
デジタルが悪いとは思いませんが、何と言ったら良いか、心の準備が追いついていないのですね。
それに、デジタル一眼レフは今はまだ到底手が出せないし、もうしばらくカメラは脇に置いておこうと思っています。
では、昔取った写真の中から、好きな一枚を・・・。


                   獏の空の下から・・・「チゴユリ」

よそ者の会津考 vol.2

会津の歴史と言っては、せいぜい観光パンフレットに書かれている程度のことしか知らない私ですが、先日、ある観光パンフレットを見ていたら、蒲生氏郷という人物のことが載っていました。
この人、会津若松の町を拓いた始祖なのですね。
戦国武将織田信長の家臣で、行く行くは信長の後継者と目されていたほどの人物だったそうですが、信長が暗殺されその後豊臣秀吉の時代には、その有能さゆえに妬まれ、あるいは警戒されて、都を遠く離れた東北会津の地に左遷されたというのが、この人が会津の地を踏んだ経緯であったようです。
氏郷は、会津に理想の国づくりをしようと、そこを出身地にちなんで「若松」と名づけ城を築き、創意に満ちた街づくりに着手します。
こういう話を聞くと、私は、何と言うか血が騒ぐんですね。
あるいは、遠い前世の記憶が呼び覚まされるような、まあ、ありもしないバカバカしいと言われればそれまでですが、そんな感覚にはまってしまうのです。
新しい領主がやって来て国を拓くという話しは、そう珍しくはないのですが、会津の地の利というのは、今想っても何とも魅力的です。
笑われるかも知れませんが、私は時々、独立国「会津」を夢想することがあります。
いや、決して悪くないと思いますよ・・・「会津国」。
政治的なことはともかく、資源、エネルギー、気候風土、どれをとっても、十分に独立国としてやって行けるだけの資質に恵まれていると思います。
そんな話を、時々、店の常連さんと交わして盛り上がる私です。
でも、一方でふと思うんですね。
言わばよそ者がやって来て拓いた「会津若松」を、元からこの地にいた人々はどんな風に感じていただろうかと・・・。
今となっては、会津生まれの人だって、そんなことは思いもかけないことでしょう。
そんなことを思うのは、私がよそ者だからかも知れませんね。