今の私たちにとって、最大の関心事の一つは「心身の健康」、そしてこれから先をどうやって健全に生きのびて行くかということじゃないかと思います。
一昨日、「見せかけの自由選択と自己責任」という記事を書きましたが、それに関連して今そしてこれから先の時代に、最も重みのある響きを持つキーワードは、「自分の命は自分で守る」ということになると思います。
この格差の時代にあって、個々人の命の守り方もいろいろ違ってくると思います。
例えば、病気という脅威に対して、ある人は望める限りの高度な医療に委ねようとするでしょう。
一方、その機会に恵まれない人もいて、その場合は命の覚悟を迫られることもあるかも知れません。
この国で、それもこれから老齢期を迎える私の世代の者は、必ずしも福祉に頼るわけに行かず、自分の命を自分で守るしかないところに投げ出されることになるだろうと思っています。
その時、十分な資産を蓄えている人には、いくつかの選択肢があるでしょう。
でも、私のように毎日を食いつなぐのが精一杯の人間には、多分選択の余地はありません。
私にとって、残される一つにして最高の希望の道は、この母なる大地の懐に身を委ね、寄り添い、己の命に覚悟を決めて生きることです。
だから、食と健康のこと、生活習慣と健康のこと、自然の営みと成り立ちについて、諸々勉強することに対して貪欲なことでは、誰にも負けないと思っています。
そうやって勉強したことが、ひょっとして多くの方のお役に立つことがあるかも知れない、発表しようかと思うこともあるのですが、そんなことをして明日にもぽっくり死んでしまったら説得力も何も無く、ただの恥さらしですから、やっぱりもう少し勉強が足りるまで、今はまだ黙っていようと思います。
そうですね、もし私がいい死に方をしたら誰かに拾い上げてもらえるよう、書き残しておこうかなと思っています。
その前に、先ずはその逆にならないよう、心がけなくてはなりませんね。
投稿者「mikio aoki」のアーカイブ
ご来店感謝の一日
三連休中日の今日、開店間もなくから閉店まで、入れ替わり立ち代りしながら、ずっとお店にお客さまがいらっしゃる状態でした。
こんなことは、食工房では本当に珍しいことで、おかげさまで、「みのりのパン」が特売期間の終了を待たずに売切れてしまいました。
この連休に、他にもお出かけになりたいところが沢山おありだったと思いますが、わざわざ食工房目指してご来店くださった方もあり、大変うれしく、改めてこの場でも感謝を申し上げます。
思い返せば、期待と不安の一年目、自信を失いそうになりつつひたすら耐え忍んだ二年目三年目、少し希望の光が見えたような気になれた四年目、そしてやっと五年目にして、少なからぬ方に支持されているという実感が湧くに至りました。
本当に頑張るとしたら、むしろこれからですね。
皆さまのご期待を裏切らぬよう、また自分にも納得の行く仕事をしていたいと思います。
明日も、皆さまのご来店、お待ちいたしております。
見せかけの自由選択と自己責任
「見せかけの自由選択と自己責任」。
今、そしてこれからの時代を、象徴的に言い表そうとするならこういうことになると、私は思っています。
本来なら、自由選択と自己責任、それは個人の生き方として、社会のあり方として、一つの理想かも知れません。
しかし今の社会で、否世界で、本当に自由な選択が可能なのか、あるいは許されているのか、それが確実に保証されなければ、あとに続く自己責任を問うことは出来ませんね。
今この国では、規制緩和の名の元に何もかもを競争に委ねようとしています。
「自由競争」と言う言葉が、如何にも説得力のある響きを持って語られますが、その自由とはどういう意味なのでしょう。
全ての人に平等なチャンスの下に競う、と言うのが本来の意味でしょうか。
それならそれでいいかも知れませんが、本当にチャンスは平等なのでしょうか。
そうじゃないことは、もうバレバレですね。
かなり嫌味な言い方ですけれど、自由競争の「自由」とは、勝つためにはどんな手段を使おうと「自由」、勝者がさらに勝ち続けるために、どのようにルールを変えるのも「自由」、そんな風にしか思えません。
今ますます、「金」の力で全てが動く社会になりつつある中、政治はもはや経済に対して干渉する力を失っているように見えます。
そんな時代に私たちは、何の保護も規制もないところに投げ出されて、自由とは名ばかりの選択を次々と迫られ、自己責任だけが問われることになりそうな気がしています。
そんな時代の到来を感じる今、自分にとって「幸福」とは何か、実は一人一人の幸福論が、この世界の命運を分けているのだと気づいた私です。
みのりのパン・2
先日デビューしたばかりの「みのりのパン」ですが、早々から反応がありうれしい驚きです。
ネーミングも良かったと思いますね。
名付け親のY原さま、本当に感謝です。
これで皆さまに実際に召し上がっていただいて、あとが続くかどうかで評価が決まることになります。
皆さまをがっかりさせない内容だと自負してはいますが、それでもいろいろなご感想やご意見をいただきたいと思っています。
そうすることによって、細かいところになお一層磨きをかけることが出来るからです。
明日も、また9本だけですが焼くことにしています。
そのための下ごしらえを、少し前に終えたところです。
細々と手間のかかるパンではありますが、その分焼き上がりの楽しみが大きいパンでもあります。
そして、旅の口糧としてどのくらいの実力があるのか、いつか時間が取れた時に「みのりのパン」を一本持って、飯豊の麓の大滝まで山歩きして、腹持ち具合を確めて見なくてはと思っています。
9月15日までは、お試し期間キャンペーン特価、1本500円で販売しております。
その後は、1本900円、1/2カット480円となります。
9.11
2001年9月11日、この日を境に9月11日は、世界中の人々にとって忘れることのない歴史的な日付となりました。
あの日アメリカで起こった同時多発テロは、世界中の人々を震撼させました。
そしてその後に続く世界情勢を見れば、この出来事のもつ意味の大きさを思わずにはいられないでしょう。
以来世界は、何か良くない方向へと大きく傾いて行っているような気がします。
ところが、この事件の真相あるいは真実は、実際のところ分かっていないというか、私たちには知らされていないのですね。
一応の説明はされていますが、確たる証拠が示されたわけでもなく、むしろ新たな疑惑が生まれ続けています。
これは私の私見ですが、あの事件は言ってみれば、世界中の人々の心の中に落とされた核爆弾の炸裂であったと思います。
その熱と爆風の衝撃は、すでに世界を駆け巡り、アフガニスタンやイラクで戦争の火をつけました。
それだけでも凄まじい被害だと思いますが、今そしてこれから先、放射能のように長い時間をかけて人々の心を蝕む害が、蔓延し続けるのだろうと思います。
ある意味、そちらの害を受けることの方が、もっと恐ろしいことのように私は思います。
21世紀の前半、それは過酷な試練の時代となるであろうことは、もはや確実です。
そこで人々が心を蝕まれつつ生きることがどんな状況を生み出すのか、考えただけで背筋が凍り付きそうです。
この先、多分避けられない嵐の中で、自分はどう生きるのか覚悟を迫られる、そういう時代が来るに違いないと思っています。
定番の味を維持する大変さ
ずっと以前は、そんなことを考えもしないで気ままにやっていましたが、一定の評価をいただくようになって見ると、食工房のコーヒーの味を安定して維持することの大切さを自覚するようになりました。
そうしてもう何年もの間、大した問題も無くやって来られたのですが、今年はブレンドのベースに使っているブラジル産の豆・ジョアキン農園産が、天候が悪かったのかちよっと不出来で頭を抱えています。
最初は、選別を厳しくして欠点豆を徹底的に拾い出せば、あとはローストの腕でカバー出来るかも知れないと思って挑戦していましたが、舌の敏感なお得意さまから、やっぱりご指摘をいただいてしまいました。
多分他にも、すでにお気づきの方がいらしたのじゃないかと思います。
何しろ相手は農産物ですから、多少の出来不出来は仕方のないことではあります。
そしてこの豆の場合、単一農園産ですから、出来不出来はもろに出ます。
まあ、そういったリスクとも付き合ってこその第三世界支援の道ですから、来年の作柄の良いことを祈って、当分は辛抱するしかありません。
他に似たようなキャラクターの豆は無いかということで、別ルートでティジュコプレト(参照)やバージングランデ(参照)を見つけましたが、いずれもスポット商品だったようで、後の入荷が無く、間もなく食工房の在庫も終了してしまいます。
引き続き新しい豆を探していますが、なかなかこれというものが見つかりません。
明確な自分のコーヒーの味を持つのはいいのですが、維持するのは容易なことではないことを、改めて思い知らされています。
あっという間に過ぎて行く休日
ここ何週か続けて、休日の度に畑仕事に精出していましたので、いつの間にか用事が溜まって、今日は外出となりました。
いつもと違う休日のリズムに、頭がボーっとしてしまい、運転は娘に任せっ放しにして助手席でウトウト。
行く先行く先で何とか用を足して買い物をして、最後に寄った生協のお店のレジで、すぐ後に赤ん坊を抱いた若いパパとママが並びました。
あんまり可愛らしいので思わず覗き込んで、ママの方を見たらうれしそうにニッコリ、私もうれしくて「何ヶ月ですか?」。
「三ヶ月です。」とママ。
何かもっと気の利いたことを言って差し上げたかったのですが、「がんばってくださいね。うちも6人育てましたから。」と申し上げてその場を離れました。
この可愛い赤ちゃんのおかげで、やっと気が休まった私でした。
気が付けば、車の窓から見る夕空は雲もなく澄みわたっていました。
今夜は、さぞかし星空がきれいなことでしょう。
あとで寝る前に、外に出て見ようと思っています。
かくして、あっという間に過ぎて行く休日・・・。
そして一日の終わり、静かな秋の初めの夜には、北欧の音楽がお似合いです。
一曲だけご紹介します。<こちら>をクリックしてお聴きいただけます。(※ご注意:ファイルサイズ、3.7MB)
そうそう、音楽絡みで思い出しましたが、今日は、いつもお世話になっている、会津若松の楽器屋DONさんにも寄って、お茶をご馳走になりました。
お店のブログが始まったそうで、アドレスをいただきましたので、ご紹介しておきます。
楽器屋DON*ウェブログ
「もうひとつの9.11」
昨日は、ネット上である記事を見つけ、読み始めたら目が離せなくなって、自分のブログどころではありませんでした。
その記事は、今から35年前に南米のチリで勃発した軍事クーデターに関わりのある日記でした。
その内容は、後でゆっくりと訪問して読んでいただきたいと思いますが、何でまたそんな記事に行き当たったかと言えば、ヴィクトル・ハラというフォークシンガーのことを知りたかったことが発端でした。
ヴィクトル・ハラは、当時チリでは国民的人気を得ていた社会派のフォークシンガーであり、世界的にも知られていました。
そしてヴィクトル・ハラは、その軍事クーデターの時に、捕らえられ虐殺されたことでも有名です。
さて、私が昨日一日気持ちを捕らえられていたその日記は、そんな政情不安な当時のチリに、リュック一つで旅行に行った当時の青年の実話です。
何でそんな場所に出かけていったのか、日記の文面を借りると、 『ぼくがチリの国をめざした動機は、結構不純です。なにしろもっているお金が、ブラック・マーケットで両替すれば10倍以上の価値をもって使える。女の子は、抜群に、きれいで心が優しい。メイク・ラブが簡単に出来る。にわか成金で、優雅な生活、青春を満悦できるとの噂を入手していました。
しかし、政情不安で、軍事クーデターの危険がつきまとっていました。日本を出国してすでに2年以上過ぎ、足を踏み入れた国も50か国は超えていました。時には、けっこう危険な目にも遭いました。危険は、出来るだけ避ける。これが元祖バックパッカーとしての鉄則です。が、この国だけは、甘い蜜が盛んに呼んでいる、通過できない国でした。』、とのこと。
にわか成金になって遊興三昧を決め込んで入国したものの、最後にクーデターに巻き込まれてしまい、とんでもない目に合って命からがら脱出するまでのことが書かれています。
これを読んでいて私が思ったことは、先ず一つ、貧しい国にはお金持ちの外国人の旅行者の散財によって生活が成り立っている人が沢山いて、またそのブラックマーケットの仕組みは、ある意味でその国の富裕層から貧困層にお金が還流することに貢献しているという皮肉です。
杓子定規に考えれば、それは違法行為であり犯罪であるわけです。
しかしそれを言うなら、富の偏在こそが犯罪じゃないかと、私などは思います。
そして二つ目は、主義や思想や宗教ではお腹を満たすことは出来ないこと。
ましてや軍隊は、銃で脅して略奪することくらいしか出来ないということです。
いつだって、畑で作物を育て、鶏や豚や牛の世話をする農夫、海に魚を採りに行く漁師、パンを焼く職人、料理をする家人がいてこそ、毎日の食べ物にありつけるのです。
爆弾が炸裂し銃弾が飛び交う場所で、食糧を生産することなど出来ません。
あるのは破壊のみ。
それにしても、どんな時でも人は飲み喰らい、歌い踊り、そして恋をする。
これだけは止めることは出来ないということに、何とも切ない気持ちにさせられました。
その後チリがどんな国になったのだろうかと、いろいろ調べてみたら、今はとても安定したいい国になっているみたいで、胸が熱くなって来る私でした。
チリで軍事クーデターが起こり、時のアジェンデ大統領が亡くなったのが35年前の9月11日、チリの人々はもちろん、世界でも、「もう一つの9.11」として歴史に残る出来事です。
近々、ヴィクトル・ハラのCDが届きます。
楽しみです。
「チリ旅日記」
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/7374/
チリに関する資料 : ウィキペディアのページは<こちら>
おしらせ
今週は、木曜日・カネリプッラ、土曜日・クリングラです。
みのりのパン
小麦全粒粉は、地元山都産アオバ小麦を、20%使用
新製品の名前が決まりました。
「みのりのパン」です。
食工房のお得意さまの一人の方から、ヒントをいただきました。
一つのパンの中に、小麦、燕麦(オートミール)、カレンツ、レーズン、松の実、クルミ、オリーブ油と、沢山のみのり(実りあるいは稔り)が詰まっているという意味では、まさにぴったりの名前ですね。
最初は、旅の口糧というコンセプトにこだわっていましたが、これでもうすっかり納得してしまいました。
「パンだより・9月号 」の中ですでに公開しましたが、お値段の方はちょっと高くなってしまいました。
1本 900円 1/2カット 480円 となっております。
ただし9月15日までは、お試し期間として1本500円で販売しております。
おかげさまで食工房も、いつの間にかパンの品目が多くなり、常時すべての品目を揃えることが出来なくなっています。
当面、「みのりのパン」は、毎週土曜日の製造とさせていただきます。
明日も、皆さまのご来店をお待ちしております。
数字で見る格差、世界の状況
以前「世界がもし100人の村だったら」という本を、出版されたばかりの頃読んだことがありました。
以来ずっと、この世界の状況のことが頭を離れたことはありません。
だからと言って、直接何が出来るというわけではありませんが、最近、やっぱりただ見過ごしているわけには行かない、世界のこの状況の果てに何があるのか、考えざるを得ない私です。
例えば、「世界の富」の60%をアメリカという国が保有していて、そのアメリカの中では、20%の富裕層の人たちが80%を保有しているなどという数字を見て分かることは、この20%の人たちだけで世界の富の約半分を独占しているということです。
世界の人口に照らすと、1%にも足りない数の人です。
世界を100人の村に例えたのでは出て来ないほどの数です。
別な統計では、世界を10人の集団に例えると、たった一人が99%の富を独り占めしており、1%を残りの9人で分け合っている状況だとか。
この富の偏在には多くの問題が関わっていることは確かですが、豊かな国と言われる国の中にも最貧困層の人々が存在し、また貧困国の中にも想像も出来ないようなお金持ちがいたりする状況が、何を物語っているのか、今一度よく考えてなくてはならないと思います。
そんなことを思っていろいろ検索していたら、
動画で見る「世界がもし100人の村だったら」というのを見つけました。
大変分かりやすくてインパクトのあるこの情報に、多くの方々に改めて触れていただきたいと思います。
http://www.oasisjapan.org/main/modules/pico/index.php?content_id=4
そして、こんな情報も。
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/12/post_47b5.html
私たちの未来に何が訪れるのか、それを占うためにも・・・。