投稿者「mikio aoki」のアーカイブ

長崎デー

皆さまご存知のとおり、今日は、長崎に原子爆弾が投下された記念日です。
実は私は、小学校の修学旅行で、長崎を訪れています。
その時に、かの浦上天主堂や原爆資料館などを見学して回りました。
私の世代が子どもの頃は、学校でも何かに付け戦争の話を聞かされた覚えがあり、原爆の話はその中でも一際恐ろしく思えたものです。

ところで、長崎への原爆投下は、当初は小倉市(現在の北九州市小倉区)が目標だったそうですね。
それが、パイロットのミスが重なって予定通り投下出来ず、第二目標の長崎市に急遽変更になった経緯があったのですね。

☆出典 ウィキペディア・「長崎市への原爆投下」より <参照>

原爆投下は、目標の肉眼による視認が厳命されており、当時厚い雲に覆われていた長崎市に投下出来なければ、そのまま帰途に着き太平洋に投下せざるを得ないところだったのでした。
それが、束の間に雲が切れ長崎の市街地が見えたため、パイロットは大急ぎで投下のプロセスに入り、かくして二発目の原子爆弾が長崎に投下されたのでした。
偶然の重なりから、小倉に代わって長崎が過酷な運命を背負うことになると、誰が知っていたでしょう・・・。

真に以って、戦争とは不幸な出来事だと言わざるを得ません。

戦争は、一旦始まってしまえば、誰が撃った弾で誰が死ぬか、誰が落とした爆弾で誰が死ぬか、斯様に誰が下した判断で、何処で誰が死の運命を引き受けることになるか、全く制御など出来ないというのが真実でしょう。
原爆投下の事実は、それを私たちに教えていると思います。


一昨年の夏、アニメ映画「アンゼラスの鐘」を見たときの事を、今思い出しています。 <参照>
どんな特殊撮影でも多分再現出来ないであろう、原子爆弾炸裂の凄まじさが、アニメーション故にかえってリアリティーを増して再現されていました。
その光景を実際に見た者は、生きてはいられなかったはずです。
思わず息を止めている自分に気がつきました。

立秋・盛夏

昨日の立秋を過ぎて、さらに暑さが増したような一日の今日でした。
日中は、正に夏の盛りを思わせるこの頃ですが、夕方になるとコオロギが鳴いていたり、涼しい風が吹いて来たり、そして星空も少しずつ秋の星座へとシフトしています。
少し遅い時間になると、ペガスス・アンドロメダ、すばるが東の空に上って来ます。
今の時期、オーブンの余熱を冷ますために、結構遅くまで灯りを消した店の扉を開け放して外気を入れていますので、その間中ずっと交替で番をしながら、外に出てお空眺めをしているので
す。

話は昼間に戻って、畑に行くと、とうもろこしが実を付けていて食べ頃です。
そして、ザワザワと風に鳴る葉ずれの音に、夏の暑さのうちにも、もうこうして秋が兆しているのだなァと、自然の営みの厚みや深みを思います。
百姓は、それをつぶさに感じ取って、もう夏の暑さのうちから秋冬に向けて種蒔き、苗作りの段取りを考えているのです。

そういう風景をすぐ近くに眺められるこの場所で、地元の人が作った小麦でパンを焼く、そんな夢が実現出来ればいいなと、明日もまた試作にチャレンジです。
明日も、食パン一品目とドライフルーツと木の実入りの堅焼きパン(前回とは違ったレシピで)を試作します。
多くの方に試食していただいて、率直かつ辛辣なご意見、ご感想をいただきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。

おしらせ
連れ合いのブログ「ドコノモリ」に新着記事が入りました。
<こちら> からご覧いただけます。

マイブログ中間報告 vol.9

最近また一段とネットユーザーが増えたようですね。
私の周辺を見ていても、それを実感します。
そしてこれまた、ブログが大流行のようです。
少し前は「ブログ離れ」が話題になっていたような気がしますが、今度は「一億総ブロガー」だそうです。
それで思い出すのが、小泉さんが総理大臣をやっていた頃のことです。

あの方は、とにかくメディアを使うのが上手い方で、テレビ、ラジオ、新聞雑誌、そしてインターネットと、ご本人の力量か強力なブレーンがいたのか知りませんが、日本政府のホームページなんてものに大衆の関心が向いたのは、恐らくあの時が初めてでしょう。
それで小泉さんという人、私生活の一端をチラ見せして視線を集め、まるで舞台の上の俳優のように人々の興味を浚い、中年のオバサンたちの心を虜にしたり・・・、そんな様子が「小泉劇場」と呼ばれて、満更でもなくウケが良かったのでした。
今だから言いますが、私個人としては、あの時の熱狂ぶりは正直言って、少々気持ち悪く感じられたものです。

で、話を元に戻しますが、一億総ブロガーと言われる時代に、ほとんどのブロガーたち(私も含めて)がしていることは、日記風に私生活を語ること・・・。
これって、どことなく小泉さんのスタンスに似てますね。
私生活を劇場化しているようなものだと、私は思います。
しかし、有名人でも何でもない一市民の我々が、否、著名な方でも全く同じかも知れませんが、ブログという「公開の場」で不用意に私生活を語り自分を説明する行為は、場合によってはちょっとヤバいんじゃないかと、私は思い始めているのです。
ある時、告白するような記事を書いて自分を説明したとすると、その次からはもう、一旦採用した説明との整合性を意識するようになると思うからです。
そうやって、自分を説明すること、つまり私生活の劇場化が進んで行くうちに、人はその脈絡の中にしか生きられなくなってしまうかも知れないと思うからです。
そして、ブログにも書けない本音があることに改めて気がつくだけなんじゃないか。
だったらブログなんて、大げさに考えないで軽く書いておけばいいのでしょうか・・・?

そんなことを考えている矢先、知人のブログからリンクを辿っているうちに、『「一億総ブロガー」時代の功罪』という記事に巡り会いました。<参照>
記事の中身は、ご自分でお読みいただきたいと思いますが、その中のリンクからまた別の「被害者の呪い」という記事<参照>を読んで、やはり、事はそう単純ではないと思ったのです。

人は人との関係の中で生きています。
誰もが、自分のことを自分以外の人に理解されたいと願っています。
そのために言葉があり、様々な表現手段があり、人はそれらを使って表現せずにはいられないのだと思います。
ブログは、自己表現手段として、今までになかった機能を沢山備えていると思います。
それだけに、その功罪も大きくあるはずです。
それをよく理解しておきたいと、改めて自分のブログスタンスをふりかえっている私です。


余談になりますが、では、テレビに出ることはどうなんでしょう?
私は、今までにもう何度も、テレビの取材の申し入れをいただいていますが、全部お断りしています。
テレビという超強力なメディアに、「私」を説明されるということは、私には何かとても恐ろしい気がするからです。
そう・・・、まず一番は恥ずかしいからなんですけど・・・。

「広島」デー(の日)

今から63年前の今日8月6日、広島に原子爆弾が投下されたのでした。
世界で初めて、実験ではなく実戦兵器として使用されたこの一発で、市民を含む十数万人が犠牲になったと言われています。
今朝テレビを点けたら、ちょうど記念式典の中継が始まったところでした。
一緒に黙祷しながら、その後少しの間テレビを見ていたら、小学生たちのメッセージの中で「・・・戦争は、遠い過去の出来事ではありません。・・・」という一言が、耳に残りました。
一年前の今頃、このブログの中で、戦争の記憶を語ってくれた人の話など、四編の戦争に関する記事を書いたのですが、過去の戦争の記憶を忘れないことはもちろん大切なこととして、もう一つ、戦争は今も現在進行形でこの地上に起こっている出来事であるということを、しっかりと胸に刻んで置きたいと思います。
イラクで、アフガニスタンで、中央アフリカ諸国で、イスラエル・パレスチナで、今も戦闘がくり返されています。
時々、そんなニュースが伝えられ、テレビの画面には爆発の瞬間などが映し出されていますが、遠い海を隔ててこちら側にいる私たちは、例えば夕食を口にしながらそれを眺め、次の瞬間には明日の予定が気にかかるといった具合です。
そんなリアリティーの無さが、とりあえず仕方ないことだとしても、渦中に置かれた人々が味わった戦争の苦しみの代償は、いずれこの世界の全員で清算しなくてはならない時が必ず来ると、私は思っています。
それがいつのことか・・・、それはとりあえず置いて、ここに、先んじて勇気ある行動を起こした人たちのことを、お伝えしておきたいと思います。

☆アフガニスタン・イラク帰還兵による、勇気ある報告 <その1>  <その2>
 
☆08市民平和まつり<こちら> 

※元ベトナム戦争従軍兵士、アレン・ネルソン氏の講演があります。

私の昨年の記事へのリンク  <7/30>  <8/8>  <8/13>  <8/15>

ちなみに、08市民平和まつりの3日間の日程のうち後半2日間、食工房も出店参加します。


※習刊 コーヒー通信は、お休みしました。

写真展へ

ちょうど1年ほど前、ある方のご紹介でお邪魔した写真展で、初めて顔見知りになった女性フォトグラファー(敢えて、プロとかアマチュアとかは言いません。)の二度目の個展が開催され、予めご案内も頂戴していましたので、今日またお邪魔して来ました。
写真をライフワークにしようと、ある時期憑かれたように撮り続けたものの、結局パン屋をやっている私にとって、こうした個展を開くことの出来るエネルギーの強さには、何か打たれるものを感じないではいられませんでした。
目に留まる何かに心が動いた時、それを写真に撮りたい気持ちになるのは、多分カメラを手にする者に共通の衝動だと思います。
そして作品を見た者の心が動いた時、それは両者にとって大きな収穫に違いありません。
そういう写真にたとえ1枚でも出会えたら、それはもうどれほどの収穫かということです。
撮った方の感性と自分の感性が、どこかで響きあったということですから。
もちろんありましたよ・・・。
そして、自分の中でまた虫が騒ぎ始めました。
というわけで、写真展の中身の方は、<こちら>ご本人のブログをご覧になってください。


 おしらせ
今週は、木曜日・クリングラ、土曜日・カネリプッラです。
「食工房のパンだより・35 出穂号」 公開しました。
<こちら>ご覧いただけます。

眠れぬ夜に・・・



ランプの灯りと暗い夜


たまに何の前ぶれもなく、真夜中にフッと目が覚めることがあります。
皆寝静まって、シーンと静まり返った夜の空気の中で、とりとめのないことを考えながら夢と現の境に意識を漂わせるのが、私の密かな喜びでもあるのです。
そう・・・、こうして夜を静かに過ごせることにも重要な意味があり、奇跡でもあるのだと思うからです。

敵を欺き、奇襲攻撃をかけるのも夜・・・・。
一方、恋人たちが愛を語り合うのもまた夜・・・。

夜が静かに過ぎて行くことは、とりもなおさず平和の証であると、そう思うからです。

今、世界のあちこちで、夜を静かに過ごすどころか、かえって白昼より不安と緊張が増す中、文字通り眠れぬ夜を息を殺して、朝が来るのを待たなくてはならない人々が少なからずいることを知れば、こうして布団の上に横たわり安心に身をゆだねていられる自分は、この幸せの代償に何を差し出せるだろうか・・・。
そんなことが頭に浮かんで来ると、あとはもう祈るのみです。
でも、神々の世界に言葉を送っているうちに、間もなく眠りに引き込まれ、いつもより少し眠気の抜けない朝を迎える私です。

暑い一日、ご来店ありがとうございました。



会津の夏、日本の夏


今日は多分、確めたわけではありませんが、この夏一番の暑さではなかったかと思える一日でした。
いかにも夏の盛りらしい強い日差しの中、ミンミンゼミの鳴き声がさらにその雰囲気を盛り上げていました。

さて日曜日の今日、あちこちから三々五々ご来店をいただきました。
つい先日も、ガソリン代がさらに値上りしたばかりのところ、こんなところまでお出かけいただき恐縮です。
地図をたよりにいらして、「いやー、こんなところにあるとは思いませんでした。」と驚かれる方も・・・。
しかしまあ、だからこそこの良い環境の下でおいしいパンづくりが出来るわけですから、そこはご勘弁いただくより他ありません。
皆さん、このブログもよくご覧くださっているとのこと、改めてこの場を借りて本日のご来店に感謝を申し上げます。

さてさて今日はこの他、ケーキを二種類焼いた後は食工房の作業は終わりにして、印刷版の「パンだより」の編集を進め、先ほどやっと終えてpdfファイルにしたものをホームページにUPしました。
ご覧いただければ幸いです。
<こちら>からご覧いただけます。

これからお盆を過ぎる頃まで、真夏の暑さと太陽のエネルギーを体いっぱい取り込んで、秋冬に備えたいと思います。
皆さまもどうぞ、暑さに負けずお元気にお過ごしください。

試作品・その3



「旅の口糧」として、かさばらず軽くつぶれず、
カロリー十分で繊維質、微量要素までも豊富に
含有するスーパーフーズをコンセプトに開発中。




もっともっと沢山、クルミとドライフルーツを入れた方が良さそうですね。


7月12日に試作したものの第2作を、原材料の割合を変えて、今日焼いてみました。        <参照>
今日の試作には、もちろん先日来話題に取り上げている、地元山都町内産の小麦の全粒粉を配合しました。
今回は、食工房で常時使用している2種類の国産小麦粉を合わせて60%、山都産小麦全粒粉30%、オートミール10%です。
それに、カレンツとレーズン、クルミを入れ、オリーブ油を加えて生地をつくりました。
表面には、山都産小麦全粒粉を振りかけましたので、焼き上がりはいかにも野性味を感じる外観となりました。
早速、何人かの方に試食していただくことが出来、ご感想もいただきました。
次回の試作のプランを、もう考え始めているところです。
なお、今回の試作品を試食用に小分けして用意しています。
ご来店の方に、無料で差し上げます。
山都産小麦を何とか使いこなしたいと、頭をひねっています。
率直なご感想、ご意見、ご提案などをいただければありがたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。

よそ者の会津考 vol.5



会津の象徴、会津磐梯山


先日のこと、生まれも育ちも会津の地元の方と話している時、こんな話題が出たのでした。
曰く、会津の人間は、なかなか前に出られなくて、いつも他所から来た人に活躍の場をさらわれてしまってばかりだと・・・。

本当にそうなのかなァ?
自分もよそ者だけど、ちっとも活躍なんかしていないけど・・・と思いながら聞いていて、一方で思い当たる節がありました。

それはちょっと想像していただくと、すぐにお分かりになることですが、その土地に縁もゆかりもない者が、そこで生活しなくてはならないということになった時、先ずどんな心境で何をするだろうかということです。
どんな事情でやって来るか、人それぞれに違うとは思いますが、見知らぬ土地で頼れる伝も限られていますから、とにかく何をやるにも必死になります。
生活を落ち着かせるために、仕事であれ暮らしのあれこれであれ、チャンスには貪欲にならざるを得ないのです。
そこへいくと地元の方は、代々暮して来た生活の基盤があり、それら有形無形の沢山の資産に裏付けられた、不動の安心感みたいなものがありますから、そんなに貪欲になることもないのだと思います。
それよりもよく見ていると、そういう基盤に裏打ちされて、家業や要職で素晴らしい活躍をされている人が、地元の方の中にもいくらでもいることが分かります。
そういう中で、何も無いところから叩き上げたよそ者の頑張りは、少しばかり目立つだけなんじゃないか、それも必要に迫られて必死になっているだけの姿かも知れないぞ、と今度は自分のことを思っていました。

それにしても、会津は豊かな土地だと、今日も急きょ配達に出かけた「駅カフェ」までの道々、磐梯山の見える田園を前にしながら、しみじみ感慨に浸る私でした。

ありがたいことです。


今日も忙しく仕事させていただきました。
本当にありがたいことです・・・、と何で今またそんなことを申し上げるかと言うと。

4年前、この地でパン屋を始めて最初の夏、予想通りパンの売れ行きが悪くなり、スコーンやマフィンも暑さのせいで出来が悪くなり、定休日明けの木曜日でさえ、予約のご注文など一つも無く、「今日は仕込みをうんと減らすしかないな・・・。」などとため息まじりに独り言をつぶやいていたものです。
それでも、毎週決まって注文をくれる友人、知人の引き立てのおかげもあって何とか続けて来られました。

今日は突然、朝一番にそんなことを思い出していたのです。
それが今日は、この暑さにもかかわらず、忙しくて息切れしそうなくらいの量の仕込みでした。
小麦粉とライ麦全粒粉を合わせて約24㎏で、13種類のパンを焼きました。
そして、明日のスコーンとマフィンの仕込みも、増量、倍量になりました。

そのくらいやって、やっとご飯が食べられるというのが、この商売の現状ではありますが、4年前のことを思うと何にしてもありがたいことです。
それもこれも皆、多くの方のご支援の賜物と、改めてこの場に感謝を申し上げる次第です。