高野通信」カテゴリーアーカイブ

11月の詩


雨に濡れて、飴細工か何かに見えます。


一昨日、柿の赤が目に留まったという話しをしました。
「Diospyros Kaki 神の炎・・・」の件が入っているその詩は、「11月の詩」という題名です。
この詩に曲を付けて歌った人がいて、内田ボブと言います。
今頃の季節になると、いつも何となく思い出していたのですが、本人からもらったカセットテープ音源は、再生するプレーヤーが壊れて以来何年も聴くことがありませんでした。

今年の夏、下の娘がカセットデッキの付いたミニコンポを買ったので、この機会にカセットテープで残っている音源を、PCに取り込んで保存しておこうと思っていました。
なかなかその時間もなかったのですが、一昨日、件の音源テープがあっさりと見つかったのがきっかけで、にわかにやる気になりました。
その昔、アンダーグラウンドで活躍していたミュージシャンたちは、発表の手段としてカセットテープを使っていたのですね。
録音も、自宅で粗末な機材で、その代わりとってもアットホームな雰囲気で、いい作品が沢山ありました。
「どろ足のままで」というタイトルのそのアルバムの中には、ナナオサカキの詩に曲をつけたものが3曲入っていて、その中の一つが「11月の詩」。 <こちら>
このテープを、内田ボブ本人からもらった経緯も、話せば長い思い出話になりますが、実はこのアルバムに参加しているミュージシャンの中の二人が、夫婦で現在会津に在住の友人というわけで、縁の深さ巡り合わせの妙を思わずにはいられません。


「どろ足」の次は、バードマンを・・・。


久しぶりに昔の虫が騒いだ、昨日今日の私です。

今週のクッキーとマフィン

ジンジャークッキーとバタービスケットを焼きました。
マフィンは、「ココリス」になります。

秋の終わり


 



 


今日は、穏やかな晴れの一日でした。
「小春日和」「Indian Summer」。
秋の終わりとやがて来る冬の訪れを予感させるような、妙に静かな空気。
そんな日の朝は決って、あたりは霧で真っ白です。


今朝は、すっかり気持ち良く目が覚めて起き出すことが出来ました。
パン生地をこねて、あたりが明るくなってシャッターを開けたら、店の前は一面霧の海でした。
何もかもがいつもと違って見えます。
瞬間、頭の中を、幼い頃からこれまでに眺めた霧の海の中の情景の数々が、駆け抜けて行きました。


そこへ柿の赤が、妙に目に留まりました。
何か、お祭り見たい・・・。


「Diospyros Kaki 神の炎・・・」こんな件が、今は亡きナナオサカキの詩の中にありましたっけ。


あと何回くらい、こんな穏やかな晴れの日があるでしょうか。
雪の季節が、すぐそこまで来ているらしいと、生き物たちが教えてくれているようです。


スズメバチの巣も、いつの間にか静かになりました。
裏の林に伏せてある原木に、ナメコが沢山出ていました。


こうして自然の気配を感じられることが、私には、何にもまして元気の薬です。

環境の良さが財産になる時代


この山々の間の谷間で、暮らしていました。


最近になってやっとと言うか、とうとうと言うか、環境の良さも一つの財産だという考え方が、理解されるようになって来たという気がしています。
一昔前なら、開発のメリットと環境を損なうデメリットを秤にかけながらも、結局は開発を取る事例がほとんどでした。
しかしここに来て、そうも言っていられない状況になったと言うことなのでしょう。
私が子どもの頃は、高度経済成長期の真っただ中で、何はともあれ開発は善、環境のことを心配する人などいませんでした。
(実際には、極少数いたのかも知れませんが・・・。)
誰もが、新しい道路ゃ橋やトンネルが開通することを喜び、私の村はダム景気に沸いていました。
でもそうやって皆の願いを実現し続けて辿り着いたのは、環境破壊に悩む今の社会です。
そこまで来なくては分からなかったというのが嘆かわしいけれど、今からでも環境の良さを財産と考えられる方向を辿って行くなら、未来に多少の希望は抱けるのかなと思っています。


ところで先日の「勇断を支持」<参照>で取り上げた、福島県の川内村の話しをもう一度取り上げたいのです。


新聞記事にもあった通り、川内村には上水道施設がありません。
全世帯は、井戸水や天然の沢水などを利用して、自前で水を供給しているわけです。
今時、そんな方法で水の自給が可能だと言うことに、皆さま先ず驚かれると思います。
私が山暮らしをしている時も、裏山から流れ出る沢の水を直に引いて、ザル程度の網目でゴミを避けてそのまま使っていました。
それでも何の支障もありませんでした。


今日本中を探しても、上水道設備を持たないで生活出来ている自治体は3ヶ所ほどしかないそうで、その三ヶ町村が発起人になって、東京で「地下水サミット」を開催するそうです。<参照>


川内村が、風力発電プラントの建設に反対を決断した訳が、これでお分かりになると思います。
水の恵みを支える、バックヤードとしての山々を自然のままにしておくことは、電力より重要だと結論を出したわけです。


ここで今度は、わが会津はどうかと言う話しです。
水の恵みと言うなら、会津は全国でも有数の恵まれた地域だと言えます。
阿賀野川水系の水は、遠く東京の水道を賄っているのですから。
我が喜多方市は、万年雪をいただく飯豊山の伏流水が、至るところに湧き出しています。
私の家は、高台の上にありながら井戸水も利用出来ます。
どこに水脈があるのかと思いますが、もっと不思議なのは沼ノ平地区です。
山の尾根筋の鞍部に位置する集落でありながら、地区の一番高いところに大きな沼があって、いつでも水を湛えています。
灌漑用水の心配したことは、一度もないそうです。
まるで河童の頭の上の皿みたいだと、地元の方が言っておられました。
一説によると飯豊の伏流水は、何百年をかけて深い地の底を通って、周りより標高が高いところにも湧き上がって来るのだと聞いたことがあります。
そうなると、飯豊の山塊と山麓全体で巨大な水利システムが機能していることになりますね。
こういうものを、小賢しい人間の計らいで損なうようなことは、断じてあってはならないと思います。
こういうものは、未来永劫にわたってそこに暮らす人々の(野生生物も含めて)共有財産です。
会津の人々も、改めてこの水の恵みを自覚し感謝することでしょう。


これから先は、少しは流れが変わるのかな?変わらざるを得ないだろうな・・・、私は歓迎です。

忘れた頃に、ビールが美味くなっていたという話

今日は定休日。
一週間分の食糧を買い出しに、連れ合いと二人で出かけました。

寒々とした雨模様のお天気で、買い物をしているうちに自然と「今夜は鍋物にしよう。」と話しが決まりました。
それで、おいしそうな魚や貝やきのこなどの材料を見ているうちに、ただ見ているだけではつまらないと、料理も引き受けました。

どうせならビールでもあればと、特に何も目出度いことがあるわけではなかったのですが、ちょっと興に乗ってビールをと探しました。
そうしたら、二年前に仕込んだ自ビールが2本、冷蔵庫の中で冷えているのを思い出しました。


二年前、ビールを仕込んだ時の記事。 <その1>  <その2>


それで、いくら熟成が効いていると言って、2年は長すぎるかも知れない。
果たして飲めるだろうか?と疑いながらグラスに注いで見ると、泡の出具合からして何ともいい感じです。
匂いも悪くありません。
それではと乾杯の音頭を取って、一口すすった瞬間、思わず「おお!」と声が出ました。
何だかハートにグッと来るほど美味しいじゃありませんか。
ちなみに残っていたこのビールは、ブラックロック社製のモルト「マイナーズ スタウト」を、オールモルトで仕込んだもの。
アイリッシュビールの老舗「ギネス」と基本的に同じものです。


二年前と三年前、アイルランドから私たちの企画でコンサートに招いた、かのショーン・ライアンにも飲んでもらい、この時には「オールドギネス」の味に近いと褒めてもらいましたが、いやいや!今日のを飲んで欲しかった。


これでまた強烈にビールを仕込みたくなってしまいました。


ところで冷蔵庫の中にはあと1本、同じものが残っています。
さあ、これをいつ開けるか。
悩まなくてはならなくなりました。

勇断を支持

知人のブログその他からの情報で、私が以前暮らしていた、同じ福島県内双葉郡川内村と周辺市町村にまたがる広大な地域に、複数の巨大風力発電プラントが出来ることを知っていました。


そして今度は、すでに一部建設中の箇所もある中、同村の遠藤村長が、正式に建設反対の意向を表明したことが伝わって来ました。

     関連ニュース記事 <参照>


今、世を上げて自然エネルギーの開発を進める流れになっている中、何故この決断があるのか、そのことに関連して皆さまに色々とお伝えしたいことがあり、敢えてこの場に取り上げました。


ご存じのように大規模風力発電プラントは、たいていの場合海沿いや高い山の上など、風のとおりの良い地形を選んで計画されます。
そこは又たいていの場合、豊かな自然環境に恵まれた場所です。
川内村の場合も例外ではなく、現場は大切な水源の山だということです。


ところで、近頃何でもかんでもエコロジーを語るものごとが多くて、私など一体何が本筋なのか理解に苦しんでいます。
本来エコロジーとは、自然環境を保全し、むしろこれまで破壊されて来た分まで取り戻す方向を目指すものでなくてはならない、と私は思います。

自然エネルギーの開発のためなら開発も止むを得ないどころか、以て善しとする方向は、はっきり間違っていると申し上げたいのです。
産業革命以来たかだか200年余りの間に、いかに急速にしかも大規模に、この地球環境が損なわれて来たかを冷静に思い出すなら、もうここらでエネルギーと資源を浪費し続ける構造にきっぱりと決別して、もう一つ別な方向を模索しなくてはならないのではないでしょうか。


もう一度風力発電の話しに戻りますが、風力発電で得られる電力がどの程度の規模なのか、まずそれを取り上げてみましょう。
川内村に関わりのあるプラントは、約500ha(大きなゴルフ場1個半ほどの面積)の土地を使って、3万7,500kw の発電能力を持つ施設になるそうです。
大したものだと思われますか、それともその程度かと思われますか?
同じ福島県にある二つの原子力発電所は、400万kw×2の発電能力です。
危険を承知の原発も、もちろん大問題ですが、僅かばかりの電力のために広大な大地を損なうのも、賢明な選択とは言えませんね。


そして風車の寿命は、十二、三年程だということ。
その間に故障もあり得ますので、運転の停止や修理のための損失もあります。
強風で破壊されてしまった例もあります。
メンテ費用が捻出出来ないために、稼働を停止したままになっている施設もあるそうです。
また低周波公害という問題もあり、すでに健康被害が報告され始めています。


風力発電の問題点に関する検索結果 <こちら>


関連記事   <参照1>  <参照2>


十年後私たちは、ゴミの山となった廃棄風力発電施設を前に、なお一層難しくなった環境問題に頭を抱えているのじゃないか、そんなことを考えてしまう私です。


同じ500haに木を育て、薪を伐り出し炭を焼き、麓で米や野菜を作って自給自足する方が、はるかに効率がいいのじゃないかと思います。
それが本当のエコロジーだと。


 



   食工房からお知らせ


 今週のクッキー


どろんこクッキーとバタービスケットを焼きました。


マフィンは、そば粉マフィンの予定です。

満足の仕方

早速、昔の記事を引っ張り出して来ました。


   Sisters’ Small World / 娘たちの手仕事


   価値ある仕事


この二つの記事から、私は「満足の仕方」ということを思います。
一番手っ取り早くて、すぐに結果が得られるのは、お金で買うこと。
でも、その満足度はいかがでしょうか。


自分で何かを造ることは、時間と手間とそして忍耐を要します。
その分、やり遂げた時の満足は大きく、時に何物にも代え難いことがあります。


お金を稼ぐのは、それはそれで大変なことですが、どうもお金の満足には底がないような気がします。
だからでしょうか、せっかく稼いだお金をつまらない浪費に充ててしまうことは、案外あるものだと思います。
お金の使い方は難しい、と言った人がいます。本当だと、私も思います。


自分が本当に欲しいものは何か、それを分かっている人は幸せかも知れません。


ところで、手仕事でモノを作るのに比べて、もう一つ先が遠いのが農作業だと思います。
耕して種を蒔いて、手入れを怠らず世話をして、収穫して口に入るまでの手間のあれこれと時間の長さと、そしてそこにどんな満足があるのか、頭の中で想像しただけでは分かりようもないことです。


昔は何でも、自分のすることに直接満足があったと思いますが、今の時代はそれを全て一旦経済的価値に置き換えなくてはならないのですね。
満足の種類も減って、それが悲しい・・・。


でもでも、我が食工房のお得意さま方には、本当に心から感謝していますよ。
うちのパンは、売れなくちゃ困るけどそれだけじゃないってことを、分かってくださっている方が沢山いらっしゃいますから。
造り手の我がままと満足にまでお金を払っていただけることは、ある意味とても貴重な幸せなことだと思っています。


ちなみに、娘たちはこの頃忙しくて、針を手にすることが少なくなり、ちよっと悲しそう・・・。
ああ、頑張らなくちゃ、私。

マイブログ中間報告 vol.16

このブログをスタートしてから二年半余りになります。
このところ少しマンネリかなと、自分でも思うことがあります。


過去の記事を読んでいると、言葉を換えて同じことを語っている記事に、時々出会います。
と言うことは、私の生活信条や仕事への関わり方、引いては人生観のようなものは、この何年間ずっと一貫して変わるところがなかったということになります。
まあ歳が歳ですから、若い頃のように次々考えることやることが移ろうということは、なくて当然かも知れません。


それでそんな過去の記事の中に、自分で言うのも何ですが、「いいこと書いてあるじゃない!」と思えるものが、時折見つかります。
あくまでも自分でそう思うと言うだけの話しですが、しばらく時間が経ってから改めて読むことは、ある意味自分の再発見のような感じがあり、なかなか面白いものです。
それでそのような記事を見つけた時、そこから先を展開して、もっと自分の思いの深層に触れるところまで語りたいと思うわけです。
しかし同時に、ブログでそれが出来るだろうか?とも思うのですね。


ブログの長所と短所、それぞれあると思います。
長所と言うなら、何と言っても速さでしょう。
アップした瞬間から、大勢の人に伝わって行く可能性があるメディアは、他にはないでしょう。
一方速い時間の流れの中で、過去の記事はどんどん埋もれて、再び読まれることは、書き手が後々リンクを使って誘導しない限り、無くなるのが通常と思います。
そしてまた、少しは目先も変えて行かないと、発信する側も受け取る側も、お互いに次第に飽きてしまうのもブログの宿命かも知れません。


そうは言いつつ、ただ埋もれさせてしまうには惜しい過去の記事を活かし、さらに新たな視点を開くような記事を発信出来れば、伝えることの意味も増して来るのだとは思います。


まだまだ使いこなしが足りてないのかも知れません。
時間も欲しいですが・・・。

お風呂焚きの思い出


火を扱うのは、真剣です。



勢い良く燃えてくれると、お顔もほころびます。


上の写真は、下の娘が9歳の頃お風呂焚きをしている時のものです。
山暮らしをしていた時、お風呂焚きは子どもたちの役目と決っていました。
皆、9歳になるとお風呂焚きの役目に加わりました。


どうして9歳なのかそんなに明確な理由はありませんが、そのくらいになると一人でやらせても大丈夫だろうという判断と、やってみたい本人の気持ちが合致して、上の兄弟たちに手ほどきしてもらいながら、何日かに一回の役目に責任を持つことになります。


風呂桶を洗って水を溜めるところから始まり、皆が入り終わるまで沸かし続ける分の薪を釜の前まで運んだり、焚きつけの用意をします。
時間になったら火を付けて、番をしながらお風呂が沸くまで薪をくべ続けます。
入れるようになったら皆に知らせて、やっとお仕事は終わりです。
そこから先は入る人が自分で火加減をして、出る時にもう一回様子を見て、必要なら薪をくべて置くということになっていました。
風が吹いて危なそうな時や、煙突が詰まって上手く燃えない時は、お兄ちゃんに手伝ってもらうこともありました。


それでも、親の私が手を出すことは一度もなく、全部子どもたちでやっていました。


お兄ちゃんたちは、父さんと一緒に伐採から薪割りまで全部やりましたし、女の子たちはほとんど毎日、枯れソダ集めをしてくれました。


お風呂沸かしも、煮炊きするのも、暖をとるのも、全部薪のお世話になっていましたので、薪は食べ物やお金と同じように大切だと分かっていました。


そして火を焚くことは、すっかり身に付いて体の一部になっていました。


今こちらでは、お風呂は最初から備え付けの自動式の石油ボイラーで、スイッチ一つで給湯するのです。
暖房は、ファンヒーター。
煮炊きは、ガスコンロ。
電子レンジも使います。


便利になったのですが、何か悲しい・・・。

エコという名のエゴ

今、先進国と言われる国々は、省エネルギー、省資源、再生・再利用など、地球資源の食い潰しに歯止めをかけようと必死になっています。
いわゆる、エコロジー志向です。

それに対し新興国は、これからが自分たちの時代だとばかり、物欲志向で突き進んでいます。
先進国は、それに対してもブレーキをかけようとしていますが、新興国にしてみれば先進国に対し、「インフラの整備も整い、欲しいものは全て手に入れた後で、何を言うか!」と言いたいところでしょう。
このままでは、エコロジーに向かうための国際的なルールを作ることなど、とうてい無理だと思ってしまいます。


それから思うことですが、科学と技術の進歩に期待しても、それはエコロジーの実現とは必ずしも関係がないということを、私たち人類はもっと承知しているべきです。


一昔前に比べれば、自動車も家電品もその他あらゆる機器が進歩して、個々のレベルで省エネルギー省資源を実現しているにも関わらず、全体としてはエネルギーも資源も消費が拡大して、環境負荷は高まる一方です。


問題は、我々の物欲のレベルと根本的なところでの志向にあると、私は思っています。


 


私たちが山暮らしをしていた時、感じていたいくつもの矛盾。
薪を燃やして煮炊きし暖を取っていると言いつつ、その薪をチェーンソウで伐り倒しトラックで運んで来るという矛盾。
夜はランプの明かりで過ごしていると言いつつ、その油は石油だという矛盾。
一番重宝な衣類が、化繊で出来ているという矛盾。


どの道、この文明システムが動いていなければ、とうてい成り立たない山暮らしなど所詮独り善がりさと、自己嫌悪しそうになりつついつも思い直していたことは、どのくらいまでのバランスならこの地球は耐えてくれるだろうかということです。
そのために私たちは、どの程度のことは我慢しなければならないのか。
そのラインが見えていたという気がします。
また、私たちが天然自然の恵みを受け取る時、それに対して自分たちは何を差し出せるだろうか、いつもそれを念頭に置いて行動すること。
それも教わりました。


今、私たち一人一人が自ら、物欲の拡大に歯止めをかけなくては、エコもただのエゴにしかならないと思っている私です。


過去の記事もご覧いただければ幸いです。


「ショッキングなデータ」2007.10.16
「エコかエゴか」2009.03.16

マイブログ中間報告vol.15

昨日は、会津若松市内へ戸別配達に出かけて、ちょっと忙しかったことも効いたかも知れません。
夜になって頭が回らず、ブログを書こうとしてもフレーズが出て来ません。
あるテーマで途中まで書きましたが、頭の中でちゃんとイメージが出来上がっていないことは、スラスラとは書けないのですね。
すっかり詰まってしまってそれを家族に漏らしたら、「書けばいいってものでもないでしょ。」と、また下の娘にあっさり言われてしまって、唸るのを止めにしました。


ところでこのところまた閲覧が増えて来ています。
訪問者数も、久しぶりに200超が多くなっています。
管理者ページで見ることの出来るアクセス解析では、検索サイトの機械アクセスも含めたトータルアクセスの数も分かるのですが、こちらは毎日700から1000くらいの間を行ったり来たりしています。
またリクエストページ別集計というのもあって、これらで分かることは、一回の訪問でブログ内の複数のページを閲覧してくださっている場合が、結構あるということです。
リンク先まで開いて、丁寧にご覧いただいているのかと思うと、やはりあまりお粗末なことは書けないなと、私としては少し意識しないわけには行きません。


まあそれはそれとして、業務上のお知らせを告知するのには、すごく重宝しています。
その機能がいつも有効に働くためにも、私は毎日更新、皆さま方は毎日閲覧という関係が定着することが望ましいわけですね。
昨日みたいなこともたまにはあると思いますが、今後ともよろしくお付き合いのほどを・・・。


     食工房からお知らせ


沼ノ平の小麦麺 入荷しました。
500g1束 500円にて販売しています。


イベント紹介
「山都みちくさ通り」 10月4日(日)
午前10時~夜8時30分まで


毎年この時期に開催される、地元のイベントです。
食工房も参加のお誘いをいただきますが、ここ何年間かどうしても都合が付かず不参加です。
でも、中身ギッチリ盛り沢山の面白いイベントですから、皆さま是非お出かけください。
詳しいことは、実行委員会へお問い合わせください。
TEL 0241-38-2254  FAX 0241-38-2293   Email:info@y-sk.net