高野通信」カテゴリーアーカイブ

アートな気分

今日はご承知の通り定休日です。
畑でサツマイモ掘りをしたかったのですが、雨模様で断念。

頭を切り替えて、連れ合いと共に喜多方市の美術館に出かけました。
折から、ユージン・スミス写真展が開催されており、期間中に見に行きたいと思っていましたので、ちょうど良い計らいだったかも知れません。
内容はなかなか重たいものでしたが、しっかりと心に刻んで、来月開催予定の後半展示も見に来ることを誓いました。



 夏はマーガレット、秋はコスモス。
空の背景が良く似合う花ですね。



 田んぼの前の道端に花を植える心意気がうれしい。


美術館にいる間に何だかアートな気分に誘われ、そう言えば・・・と、田園風景の中のコスモスの花の写真を撮りたくなって、覚えのある場所に車を飛ばしました。
本当は、お天気のいい日に来たかったところですが、そうも行きませんので、曇り空がまだしも明るいのを幸いにパチパチと。



田園の中の送電線は、不思議に違和感を感じません。 



この機器は何なんでしょうか?
もうハートにグッと来てしまう私です。


そしてそこにはもう一つ、以前から気になっている構造物があるのです。
送電線の施設なのですが、何かとてもファンタジーを感じるのです。
月夜の晩に来てみたら、ヒョコヒョコ踊り出しているのじゃないかな?



 もう水は止まっていました。
トロッコのようなものを作って、
この上を走らせたら楽しいだろうな。
もし子どもの頃ここにいたら、絶対に
やってたでしょうね。そして怒られたかも。


最後に少し移動して、これも以前から気になっていた田んぼの中の水路に寄ってみました。
どうして?と言われても困りますが、こういう風景が大好きです。
他にもまだまだ、会津の中の好きな風景が沢山あります。
またいつか、ご覧に入れたいと思います。

飯豊の空 百景 その1

今日はさすがに草臥れていたようです。
昨日の後片付けをしただけで、製造仕事は手につきませんでした。
先が思いやられるわけですが、いたし方ありません。
「休息は、ことさら大切に。」と、自分にも当てはまる時があるのは当然ですね。


 



 



 



 



 



 


今日は秋晴れの一日で、空の青さも雲の様子もまさしく秋でした。
外の日差しの暖かさが心地よく感じられ、ふと見上げた空に彩雲が出ているのを発見。
カメラを手にしていましたので、時を追って変化する彩雲と周りの雲の様子を、間を空けながら一時間くらい狙い続けていました。


 



 


その日差しの下の木陰では、イチョウの葉が黄葉とはまた違う美しい色に輝いていました。


 


夕方になってもう一度外に出た時、虫の声を耳にしました。
もう寒いと感じるほどに冷えて来た空気の中で、弱々しく寂しげに聴こえたのは邯鄲の声でした。


飯豊山初冠雪まであと何日でしょうか?
急速に秋の気配が深まっています。

スズメバチの巣


杉林に囲まれしかも夕方近く、薄暗いので鮮明な写真が撮れませんでした。
ノンストロボでどうしても上手く撮れないので、最後に一発ピカッとやったのがこれ。
コンデジの弱々しいストロボ光では、これが精一杯。

それより、ピカッと行った次の瞬間、巣のまわりの蜂たちが、ワラワラッと動きました。
即、退散。事なきを得ました。


巣の直径 約35cm 多分、2000匹以上の個体がいる筈。


家の裏の土蔵の棟下で、スズメバチの巣が大きくなっています。

実は、7月の下旬に気が付いたのですが、すでに働き蜂が増え始めていたのと、至近距離ではなかったので駆除に及びませんでした。

スズメバチがいると蝿がいなくなるということを、以前にも体験していましたので、そのままにしておいて観察しています。
今日は、巣の直下まで草刈り機で草を刈りましたが、草刈り機の音にも私の動きに対しても警戒や威嚇はありませんでした。
だいたい6mほど上です。


それで思い出すのですが、今年は畑でスズメバチが捕食行動をしているのを何度も見かけていました。
青虫なんかは格好の餌になりますし、蝿もバッタも何でも餌にしてしまいます。
スズメバチ1匹で、一日に100匹以上の蝿を捕まえて肉団子にし、巣に運んで行くと言われています。
それを幼虫に与え、成虫は代わりに幼虫が吐き出す液体をすすってエネルギーにしているのだそうです。


興味深くまた害虫駆除にも一役買ってくれるスズメバチ、それはいいのですが、実は反対側の棟下にも別な巣があるのを少し後に発見。
こちらは、母屋に面していて距離も近いし、雪囲いを設置する頃に微妙に支障が出そうです。
それに、10月下旬ころになって繁殖期に入ると、雄蜂が他の巣に向かって飛びまわるようになり、巣全体が神経質になって来るので、こちらも気を付けていなくてはなりません。


そして寒さが増して来る頃、働き蜂たちは次々と死んで、新しい世代の女王蜂たちが越冬場所を探して、家の中にも迷い込んで来たりします。

ところで昔の人は、スズメバチが軒下に巣をかけるのを歓迎したという話しを聴きますが、本当かも知れないと自分の実感も交えてそう思える私です。


来年の春先、スズメバチの営巣行動には、特別注意を払わなくてはなりませんね。
歓迎するにしても、至近距離は困りますし、どこに巣があるのか把握していないと危険ですから。
今年は、ちょっと油断していたかも知れません。


ちなみに今年の6月3日の記事<参照>に、スズメバチが巣をかけ始めたのを発見して駆除したことを書いています。


  おしらせ


「食工房のパンだより46・仲秋号」が出来上がり、ホームページ上に公開しました。
<こちら> からご覧いただけます。


我が連れ合いの「ドコノモリ」に新しい作品をアップしました。
<こちら> からご覧ください。

コオロギ

二三日前からでしょうか、家の中のお風呂場の入口あたりで、コオロギが鳴いています。
鳴き声と姿からして、ツヅレサセコオロギという種類のようです。
小さい体なのに、ずい分大きな声です。

どこから迷い込んだのか分かりませんが、こんなところでいつまで鳴いていたってメスはやって来ませんよと思いながら、私は私の感情で聴き惚れています。
何故だか知りませんが、コオロギの否、秋の虫の声は皆、私は何か特別な感情がわき起こります。


ところで、虫の声などに人間的感情を働かせるのは、日本人に特有の性質だと聞いたことがあります。
世界の中で、日本人ともう一つどこかの国の人たちだけが、そんな感性を持ち合わせているらしい・・・。
そしてそれは、我々の話す言語の構造に深く関わりがあるらしいと、人間の右脳と左脳の働きを詳細に解説している「日本人の脳」という本の中に触れられていたのを、もう25年以上も前に読んだ覚えがあります。


その本の内容のことはともかく、私達日本人が持ち合わせているその感性は、これまたアニミズムと深く関わっているのですね。
とてもよく分かるような気がします。

コオロギの声も、コオロギにとってはメスを呼んでいるだけかも知れませんが、たまたまそれを耳に留めた私にとっては、何かまた別な意味のあるメッセージのような気がするのです。
そんな風に、この世界の中の自分以外のものは、全てが導きだと感じている私です。

今夜も、遠くにコオロギの声を聴きながら眠りに就くことになりそうです。

I’m a Farmer!

今日は一日、そんな気分で過ぎました。
しばらく放ったらかしになっていた我が菜園は、夏野菜が終焉を迎えていました。


葉が枯れ縮んで勢いを失った茎には、最後の力を振り絞るようにトマトの赤い実がいっぱい付いていました。
キュウリは、もはや生命を終えようとしているかの如く、ものの哀れと愛おしみを感じさせます。
その一方で、まだまだ成長を続けているサツマイモは、これから土の下でお芋が太ります。



赤い色がとても目立ちます。
よく見ると、まだ青いのもありますね。


 



最盛期には、真っ直ぐでトゲがいっぱいの勢いを感じるキュウリが
成っていましたが、もうこの時期になると形の歪なものばかりです。


 



カボチャは、無難に成功。
カボチャ好きにはうれしい結果となりました。




そうそう、枝豆を期待していましたが、土が合わないのかサヤは沢山ついているのに、中の実がちっとも充実していません。
たまに実が入っているものもありますが、本当にもう探し出さなくてはならないくらい少ないので、あきらめることにしました。
何か原因があるには違いないのですが、まわりの方々も皆口を揃えて「ここは、豆はダメだよ。」と仰るので、来年はどうしたものか思案中です。


今日は、残っていたトウモロコシの茎を全部片付けて、間に生えていた草も取って、冬に向けて保存用の大根と白菜を植える準備をしました。


 



鍬一本の20倍は仕事しますね。
ただし、パワーにものを言わせて横着すると、いい結果は出ません。
「バカとハサミは使い様。」と言いますが、トラクターのバカ力こそ使い様です。


 


遅れに遅れて、手で耕していたのでは間に合いませんので、すぐ隣の畑をやっている兄ちゃんに、トラクターを貸してもらいました。
「えっ、トラクターなんか運転出来るの?」ですって。
出来ますとも!私、運転はもちろん、メンテも修理もドンと来いです。
元々、機械大好き道具大好き人間ですから。
久しぶりにトラクターを動かして、すっかりテンション上がってしまいました。

最後に暗くなるまで残った時間、お礼の気持ちに、草茫々の兄ちゃんの畑の草刈りをしました。
もうちょっと頑張って全部終わらせたかったのですが、暗くなって来たし刃も切れなくなって来たし、途中になってしまいました。(すみません・・・。)

今日の収穫は、カボチャが一輪車に二台分。
トマトが手篭に一杯。
ピーマン少々。
サツマイモの試し掘りで、可愛いお芋さんが少しばかり。
インゲンがいっぱいありましたが、時間切れで手が出せませんでした。

虫の声

忙しい一日が終わりました。
夕食の後、オーブンの余熱を冷ますために、店の戸を開け放して換気をしていました。
虫が飛び込んで来るので、明かりは消しています。

今夜は雲が出て来たようで、星があまり見えません。
戸口で番をしながら涼んでいると、虫の声が聴こえて来ました。
通る車もなく、うちの換気扇以外に物音はありませんから、遠くに近くに沢山の虫の声が聴こえます。

思い立って、畑の方まで歩いてみました。
鳴いている虫の種類が、場所によって少しずつ違うみたいです。
草取りが遅れて藪になってしまった一角で、邯鄲(カンタン)の鳴き声がしていました。
秋の虫の声で印象に残るのは、この邯鄲とウマオイです。
背景のようにずっと持続していてどこで鳴いているのか、あたりを満たしているのが邯鄲の声。
そこへ「スィーッチョン、スィーッチョン」と、強烈にアクセントを付けているのがウマオイです。
コオロギやその他いろいろ、とてもにぎやかです。

でも、私の子どもの頃の記憶とは、だいぶ感じが違います。
高知と東北では無理もありませんが、こちらではクツワムシとマツムシの声を聴いたことがありません。
スズムシの声も聴こえません。
もっとも、この家の周りしか確かめていませんけど。
昔に比べて、虫の種類や数も減っているのじゃないか・・・、今度地元の人にたずねてみようと思っています。


それはそれとして。
夜寝床に入って眠りに就こうとする時、床下からコオロギの声が聴こえて来ると、私は、子どもの頃同じように布団の中でコオロギの声を聴きながら眠りに就いたことを思い出します。
私にとって、どうやらそれは安心の記憶のようです。
布団の中で虫の声を聴いていると、本当に幸せな気分になってよく眠れるのです。

お空眺めのススメ・再び

今日は、午後あたりからとっても気持ち良く晴れて、空気も乾いてカラっとしていました。

この頃は、夕方暗くなるのがずい分早くなっていて、午後6時の閉店の後もオーブンの余熱を冷ますために、明かりを消して戸を開け放していると、やがて星が見え始めます。
涼しくなったと言っても寒いわけではなく、外にいるのが気持ちがいいくらいなので、夜のお空を眺めるのにはいい季節です。
今時、夜空に星が見える場所は街中には無いかも知れませんが、私が住んでいるこのあたりは、街灯の明かりがちょっと邪魔しますけど、空は広々していて沢山星が見えます。

正直に言わせてもらうなら、私は花火大会よりも双眼鏡を手に星空を眺めている方が、何倍かワクワクします。
同じところに同じ星があって、同じ眺めのことは分かっていても、何度でも楽しめるのは本当に不思議です。
空は広いけれど、倍率7倍集光率50倍の双眼鏡で見る空は、一挙に星の数が増えて、50倍広い世界を見ているような感じがします。

不思議な感じも、50倍強いかも知れません。
空も星も生きているような気がしてきます。
と言うより、そうに違いないのですが・・・。
そして、私たちのいるこの大地は、まさに大宇宙に面している。
当たり前のことなんですけど、とっても感激してしまいます。
どこか遠い星にいる誰かが、こちらに向かって手を振っているかも知れないと、急に手を振りたくなったりします。


星空の写真を撮る装備も技もないので、その片鱗もお見せすることが出来ないのが、正直とても残念です。


皆さまも、お空眺めいかがですか。 2008.9.16 の記事も、よかったらご覧ください。  <こちら>

パソコン不健康説

パソコン(以下PCと略します。)の前に座っていること、どうやらこれが一番健康に悪いらしいと、このところの私の実感です。
目は画面を見つめて首が固定したまま、動かすのは指先だけで運動量は極少、呼吸も浅くなります。
クリックする度に次々と決定と判断を迫られるので、神経だけは結構緊張しています。
一日のうちのほんの一瞬だけならまだしも、一時間とか二時間あるいは数時間にも及ぶと、明らかに体だけでなく精神的にもストレスがかかって来るのが分かります。
真剣に対策を講じていないと、健康維持は難しいと感じます。


ところが、仕事上の必要でPCに接する時間は、導入以来増える一方です。
それで、製品ラベルのプリントなどPCがない時にはどうやっていたんだろうと思い出して見ると、コンビニでカラーコピーして来たものを、カッターナイフで切り離して一枚ずつ糊を付けて貼っていたのですね。
製造数も少なかったのでこんなことが出来ていたのですが、これはこれで大変な時間を取られていました。
PCとカラープリンターと糊付きシール用紙になって、ものすごく小回りが利くし時間の節約にもなっているのです。

ではそうやって浮いた時間を、例えば健康維持のために使えばいいところですが、それなら経理もPCで、納品書もPCでということになって来るのですね。
それはそれで合理的なので、PCの守備範囲が広がることになりました。
ちょっと考えると、一層時間の節約になって余裕が出そうなものですが、そうはならないのですね。
何と言ったら良いのか、PCは次々と仕事を増やしてくれるのです。
もちろんそこには、関わる私の意欲と言うか必要に迫られてそうなる部分もあるわけですが、ホームページの開設、ブログの投稿、Eメールでのご注文やお問い合わせへの対応などなど、もはやPC無くして仕事が成り立たない状況です。


全くここまで来て不健康説を言っても始まりませんが、これはこれで深刻に受け止めなくてはなりません。
心身の健康あってこその仕事であり人生なのですから、危機感を感じながら放置するのは賢明ではありませんね。
稼業の性質上、私の性格上、またいろいろな経緯上、沢山の要素が絡んで出て来た結果ですから、たちどころに妙案を得て解決とは行かないでしょうが、それでも少しずつ工夫して行きたいと思っています。


ところで話しが飛躍しますが、今のこの社会に蔓延しているストレスと閉塞感。
PCと無関係ではないと感じる私ですが、こんな推測を皆さまはどう思われるでしょうか。
いつかそのあたりのことについても、もっと深く触れてみたいと思っています。


 



巨大な都市にも例えられるPC内部CPU周辺部分。
流れているのは、血ではなく電気です。
もちろん、人間の脳にも電気は流れているのですが。

草木塔


草木塔 


熱塩小学校南東側角にあります。


 



喜多方市に合併になる前に設置されたものですね。


草木の霊を慰めるために立てられたという草木塔。
牛馬の供養塔なら、全国の至るところにそう珍しくもないと思いますが、草木塔は全国でも山形県の米沢市周辺に多数見られる他は、福島県では喜多方市熱塩地区に一基のみとされている、大変珍しいものです。
このことを喜多方市の職員の方から教えていただき、いつか訪ねたいと思っていたのですが、今日やっと念願かなって連れ合いと二人で出かけて来ました。


話しは前後しますが、この草木塔に辿りつく道中、山都町から熱塩に向かう山道を通って行きました。
その途中、人家もなく一層山深いあたりで、とてもショッキングな光景が目に飛び込んで来ました。
それは、ここ数年来あちらこちらの山々でも見かけるようになった樹木の立ち枯れ現象なのですが、今日のは、広葉樹林と見られる一角の30%以上と思える木々が、赤茶色に立ち枯れた姿を晒していました。
つい先日も、別な場所で立ち枯れが目立つのが気になったばかり。
山に樹木が育たなくなったら、その時は人の世も滅びる時だと、以前にも申し上げた覚えがありますが<参照>、今日は草木塔を見る前にこの風景に遭遇して、その意味を考えないわけには行かなくなりました。


その昔、斧と手鋸で木を伐っていた頃、まだしも人は樹木と気心を通わせることが出来たかも知れません。
それでもこうして供養塔を立てるという文化は、よほど珍しいものだったのでしょうか。
何故、この名の塔が全国でも米沢市周辺のみに多くあるのか、そしてまた何故福島県内唯一の草木塔がここにあるのか・・・。


それにしても草木塔を立てるその心は、今の時代に最も欠けてしまっている精神ではないでしょうか。

蛇口をひねれば水が出るのは、即ち山に木が育っているからだというその繋がりを、水が流れる度に思い出せるほどに実感出来るなら、私たちの文明社会の在り方はもっとずっと違ったものになっていたはずだと思います。
山暮らしをしていた時、裏山から流れ出す沢水に頼って暮らしていた私たちは、それをいつも感じていました。


自然に対し、感謝する心と果たすべき役割、今さらながらにそれが大切だと思い出した、今日の草木塔参りでした。


 


そして終戦の日の今日。
先日の忠魂碑にも回り、そっと野の花をお供えして来ました。
今日は明るい日差しの下木陰の中は、すべてが静かに安らぎを得ているように見えました。
この方々の死を無駄にしない・・・とは、即ちどういうことなのか、それは今の私たちの生き方、在り方に向けられた問いかけだと思っている私です。


久しぶりの青空


ザワザワと風に揺れる葉が立てる音に、いつも秋を思い浮かべる私です。


 



トマトも雨に打たれながら、案外大丈夫なもの。ずっと毎日食べています。



キュウリの棚にカボチャが成っています。


 


今日は朝から気持ち良く晴れました。
ところが吹いてくる風は、もう秋のにおいです。
サラッとして心地よい、乾いた空気はもはや夏の終わりを告げているようです。
昨日、一昨日は、雨が降ったり蒸し暑かったりだったのに、自然の動きは時々とてもドラマチックです。

ここしばらくご報告もしないままの我が菜園は、ジャガイモは掘り終わったものの乾燥が不十分なまま、仮保存の状態。
トウモロコシも、つい先日採り終えて茎と葉だけが残っています。
そろそろ秋野菜の準備をしなくてはなりません。
まあそれにしても、このところの雨続きで作業が出来ず、作物も草も共に伸びるだけ伸びて、そこらじゅうがジャングルの様相です。
カボチャのツルが大暴れに伸び、トマトやキュウリの支柱に這い上がって、大きな実を成らせています。
作物は、ある程度育ってしまえば後は少々放ったらかしでも、案外大丈夫なものだと分かったのが、今回のもう一つの収穫だったかも知れません。


一方で、キヌサヤはウドンコ病にやられて、少ししか収穫しないうちに枯れてしまいました。
ナスも何が悪かったか大きく育たず、結果ほとんど実が成りませんでした。


概ねうまく行ったものの、思いがけず失敗してしまったものもあった今年の我が家の畑です。
これから秋冬に向かってそして来年へと、より良いやり方を見つけて行く楽しみは尽きません。


こんなことを言っていられるのも、生業ではない気楽さでやっているからですね。
それでも本人は、至って真剣なんですよ。


 


さてお盆期間中・・・。
我が家は、帰省して来た子どもたちとその家族で、昨日がピークの超満員状態。
そして今朝にはもう、別なところへ出かける者あり、帰宅する者ありで、若い人たちのエネルギッシュな動きに感心するばかりです。
そう言いつつ、昔は私も、小さい子どもたちを引き連れて、遥々当時暮らしていた千葉から高知まで帰省したこともあつたのです・・・。
これから、残る次男夫婦たちと孫を交えて夕食の後は、当集落の盆踊り大会に顔を出して来ようと思っています。


気が向いたら、盆踊りの様子ご報告に及ぶかも知れません。