高野通信」カテゴリーアーカイブ

不便は楽しい!?

そのとおりだと思っています。
とにかく人間、何かをするということは、必ずその中に楽しみを見つけられるものです。
便利ということは、自分では何もしない方向なのですから、当然そういう楽しみも味わえません。
ただ考えなくていい、やらなくていいだけで、便利であることの究極は、「退屈」ということなのです。
だから、その退屈を紛らわすためにつまらぬ娯楽が氾濫するのだと、私は思っています。
子どもの頃、カマドで飯炊きしたり、風呂を焚いたりしたこと、山暮らしの時、やっぱりマキで暮らしていたことは、今でも詳細に覚えていますが、ただ火を燃やすというだけのことが、やってみると分かりますがとても楽しいものです。
それで部屋が暖かくなったり、湯が沸いたり飯が炊けたりするのは、もう無条件にありがたく幸せなことに思えます。
それ以外のことでも、生活のいろいろな場面で、それらが自分の手の中に収まっているということは、何より心強く安心に思えるものです。
いろいろ事情があって、便利な場所で暮すようになり、便利なことのありがたさも沢山味わいましたが、やっぱりそれだけでは満足出来るものではないと思い知りました。
「自給自足」に憧れる人は沢山いますが、それを実現するには、生活を不便な方向へと目指して行けばいいのですね。
便利さも究極に辿り着いたかと思えるこの時代、飲み食いのことだけでなく、着るもの、住む所、生活資材、健康、娯楽にいたるまで、自分の手に取り戻すことは容易ではありませんが、これから先それを目指す価値はきっとあると、私は確信しています。
山の暮らしから離れてこの四年余、生活の建て直しに追われて来ましたが、また少しずついろいろなことを自分の手の中に取り戻して行きたいと思っています。


命を喰らう

先日、近くの知り合いから合鴨を一羽いただきました。
もちろん生きているのを。
それを自分でシメて、解体調理して、鴨汁をつくって食べました。
久々に貴重な体験をさせてもらいました。
鶏は、今までにも何度かやったことがありましたが、合鴨は初めてです。
何しろきれいな目をした、可愛い顔をしているので、手をかける覚悟を決めるまでに、少し時間がかかりました。
でも、肉を食べるということは、何にせよ相手の命を絶つことに他ならないのですから、その覚悟が出来ないなら肉を食うべきではないですね。
そう思って、家の裏にある屋敷稲荷に詣で、祈りを捧げて覚悟をいただいて来ました。
首を落として、死んで行く命に触れながら目を閉じ、「お前の痛みも、苦しみも、ひょっとして恨みも、すべて引き受けるから乗り移っておいで。」と呼びかけると、目の前が突然明るくなり、白く光る玉がいくつも自分に向かって飛んで来るのが見えました。
その日の夕食に鴨汁をいただきながら、肉はこうして年に何回か、覚悟に見合った分だけ食うべきものなのかも知れないと、思うことしきりでした。
まさに命の重みを食す、静かな喜びを味わいました。

さて、肉は食べてしまいましたが、ガラがまだ残っていて、これからおいしいスープをつくろうかと思っているところです。
脂身からとった油も残してあって、野菜炒めなどに少し使うと、ダシが出てとてもうまいです。

秋深まり、やがて雪

今日も朝からずっと雨でした。
台風の影響もあるのでしょうが、どちらかというと日本海側の気候のここ会津では、これからの季節、ぐずついた空模様が多くなります。
そして一雨ごとに冷え込みが強くなり、やがて雨はみぞれに、そして雪に変わります。
私は、五十過ぎまでずっと太平洋側の気候帯に暮らしましたので、秋から冬の間はいつも晴れている風景に馴染んでいます。
ですから、まだこちらの気候には、すっかり慣れたというわけには行きませんが、それでもこちらにはこちらの良さがあり、けっこう気分良く過ごせるという気がしています。
雪とのつきあいは、確かに大変なこともあるのですが、一方、雪が会津の豊かさを保証する大切な水資源であることは間違いありませんから、私は雪が降る度に、一人密かに手を合せて「ありがたい、ありがたい・・・。」と唱えています。
うす暗い空から雪が落ちてくる様子を眺めていると、正直、飽きることがありません。
ただ、そうぼんやりと雪を眺めているわけには行かないことがほとんどですから、いつも思いを断ち切るように止めなくてはならないのが、残念でなりません。
子どもじみていると言われればそれまでですが、私の場合、いくら歳をとってもこの気持は無くならないと思います。

それで先日河原に行った時、雪の季節になったら「顔たち」にも会えなくなるし、第一、春までそのまま残っているわけもないと思い、写真を撮りました。
「顔たち」は、今年の春から今まで壊されもせずに、ずっとそこに居ます。
その一つに誰かが、砂を固めて作った見事な玉をお供えしてくれたのを見つけた時は、しみじみ嬉しかったですね。
両頬にお化粧もしてくれてました。
それでは、面々の姿をご覧ください。





飯豊山、初冠雪

このところ、朝から日没までずっと仕事に追われていて、ちょっとの合間に一回り散歩をと思っても、それが果せません。
それでも今日は、明るいうちに一区切りついたので、娘の運転のトレーニングを兼ねて買い物に出かけました。
家を出てすぐのカーブを曲がった途端、目に飛び込んで来た景色に思わず「おお!」と声が出ました。
飯豊山は昨日一日の間に、かなり下の方まで白くなっていました。
さて、この冬の雪はどんなでしょう。
雪も、降る時にはそこそこ降らなくては、自然の恵になりません。
もし会津で、周りの山に雪がなかったら、砂漠になっていたかも知れません。
飯豊山は、何と言ってもその名の如く、椀いっぱいに盛った飯のように真っ白な姿が似合います。
残念ながら私は、今年も飯豊山行は叶いませんでした。
せめて麓を歩きたいと思いますが、それさえどうでしょう・・・。
でもこれから来年の春まで、雪化粧した美しい山容を眺められるのは、私のさやかな楽しみの一つです。
あと一ヶ月もするうちには、下界にも初雪が降っていることでしょう。
大変ではありますが、私は、雪のある冬の会津が好きです。

マイブログ考

この半年余の間、こうして毎日ブログを書き続けてきましたが、それにエネルギーをとられる形で、印刷物として出して来た通信がずっとお休み状態になっています。
ブログを始める時、インターネットを使いこなせるようになるまで、しばらくはそれも仕方ないなと思っていました。
「画面と紙面」というタイトルで、画面で見るのと紙に印刷したものを見ることの違いについて考察した記事も書きましたが、今思っていることは、結局
どちらがどちらの代わりにもならないということです。
そして、これはブログの欠点じゃないかと思うことにも、一つ気がついています。
ブログは、毎日でなくてもけっこう頻繁に、新しい記事をアップして行かないと、すぐに読者は離れてしまいます。
毎日更新はそれなりに意義のあることですが、膨大な数になった記事を、新しい読者が全部掘り返して読んでくれるかと言えば、ほとんどその可能性はないでしょう。
自分として、後々まで伝え続けたいメッセージも、多くの記事の中に埋もれてしまいやすいと思います。
ここらで印刷物としての通信を出したいと、虫が騒ぎ始めています。
限られた時間とエネルギーの使い方の、バランスを考えなくてはらない時が来たと思っています。
毎日更新にこだわらない、ブログへの関わり方の新しいアイディアはないものか、そんなことも今考えています。

ヴァルティナ、ヴァルティナ、ヴァルティナ!


フィンランドで人気のバンドと言えば、ヴァルティナです。
そして、ヴァルティナを知っているとしたら、あなたは相当なフィンランドびいきです。

ここ20年くらいの間、世界中で伝統音楽、民俗音楽などいわゆるルーツミュージックの再興が、大きな流れになっています。
そして北欧こそはルーツミュージックの宝庫であり、今では魅力ある、また実力あるミュージシャンが沢山現れて、音楽界をにぎわしています。
以前一時、北欧のミュージシャンたちは、国際的に認められようとしてわざわざ英語の歌詞で歌うことが多かったのですが、今は逆に、母国語の響きや韻を大切に考え、それぞれの国のそれぞれの地域や民族の言葉で歌っています。
そんな中でヴァルティナは、今から24年前にフィンランドのカレリア地方の小さな村で、9歳から16歳くらいまでの女の子のグループとしてスタートしました。
その後すぐに男の子たちも加わり、当初は男の子6人を含む総勢21人の子ども達の、元気のいいバンドでした。
そしてやっていたのが、カレリア地方のルーツミュージック。
1987年にはファーストアルバム「ヴァルティナ」を発表していますが、まさに子ども達が元気な声を張り上げて、カレリア地方の伝承歌を歌っているのが、何とも愉快です。
その後いろいろと変転があり、それを語ればキリがありませんが、現在は当初からのメンバー3人を含む、女性3人男性6人で活動しています。
女性3人は専らヴォーカル、男性6人が楽器の演奏やコーラスでサポートしています。
ところで、フィンランド語の韻は、いわゆる西洋音楽の定型のリズムに乗りにくいらしく、彼らの曲には変拍子がところどころに現れます。
それが、聴いていてとても新鮮ですが、一方どこか日本の民謡の間の取り方に通じているようにも聴こえて、不思議と違和感がありません。
それで今、うちの娘たちがヴァルティナにフリークしていて、つい先日20周年記念アルバム「iki・イキ」(最高の、の意)を手に入れました。
まさにタイトル通り、背筋に震えが来るような興奮と感激を味わいました。
さすがに人気バンドだけあって、インターネット検索でもいっぱい出て来ます。
皆さんにも知って欲しい、フィンランドの一面が見えるかも・・・。
先ずはオフィシャルサイトは<こちら>
You Tubeでライブビデオクリップも沢山見られます。
リンクは<こちら>

さてさてこの週末は、ヴァルティナでお楽しみください。

ショッキングなデータ

先日、ある資料を読んでいたら、環境庁(今は環境省でしたっけ?)の役人が、ある団体の質問に答える形でこんなことを言っているのですね。
曰く「この日本の国土の自然環境が支えられる人口は、資源とエネルギーの消費レベルを江戸時代並みに戻したとして、3000万人くらいです。そもそも、それ以上の人間が暮らそうとした時点から、すでに自然環境の食いつぶしが始まっているのです。」とのこと・・・。
正直言って驚きました。
江戸時代なんて、飛行機はおろか鉄道も自動車も走っていなかったし、電気も電話も石油もガスもラジオもテレビもなかったし、もちろん輸入食糧もありませんでした。
今の日本の人口は1億2000万人、資源とエネルギーの消費レベルは、江戸時代とは比較しようもないほど高いのです。
一体どのようにして収支が合っているのか、不安を感じない方がおかしいと言える状況です。
ここで視野を広げて、この地球環境が支えられる人口にも、おのずと限界があるだろうということは、容易に想像出来ますね。
もうすでに人類は、地球規模で食いつぶしている状況なのではないかと思います。
これまで開発途上と言われていた国々で、消費レベルが急上昇していますから、これからは世界的に資源もエネルギーも逼迫して来ることは間違いありません。
今、日本では、少子化と将来の人口減少を問題にしていますが、この状況を考えれば人口は減らざるを得ないと言えます。
問題は、今後日本がいかにして、ほど良い人口とそれに見合う消費レベルの状況に軟着陸するかだと思います。
科学技術の進歩に期待する向きもありますが、今までの経過を見る限り、それはむしろ私達の欲望を肥大化させるだけのような気がします。
金さえ出せば、欲しいものは世界のどこからでも手に入る時代は、もうすぐ終わるのだと私は思っています。

料理好き

他ならぬ私のことです。
子どもの頃、極端なまでに偏食児童だった私は、いつの頃からか、自分の食うものは自分でつくらなければ食べるものがないと悟り、料理に手を出していました。
思い出す限り、小学3年の頃には、七輪に炭火を起こして卵焼きを焼くのが日課のようになっていました。
4年の頃には、かつお節でダシをとって麺つゆをつくり、うどんをつくって食べたり、カレーライスをつくったり、カマドでの飯炊きも私の日課でした。
中学を卒業するまで、けっこういろいろやりましたが、その後はしばらく料理から遠ざかりました。
そして、郷里を離れて一人暮らしを始めた時、当然のように自炊していました。
外食は、まずほとんどしませんでした。
アルバイトに行く時も、自分で弁当をつくって持って行きました。
やがて私にも連れ合いが出来、彼女の努力もあって、私の偏食はずい分なくなりましたが、いろいろ食べられるようになると、かえって料理好きの虫が騒ぐのですね。
結婚して子どもが生まれてからもいろいろやりましたが、今度は、素材自体から手造りすることにも手を出しました。
豆腐造り、味噌造り、しょうゆ造り、ベーコン、スモークサーモン、練り製品、梅干し、沢庵、等々、一時我が家の食卓は、全て手づくりしたものだけでまかなわれていました。
そうやって食べることにこだわり、興味の限りを尽くしたことが、「食工房」という名称を思いつくきっかけになりました。
今から23年前の1984年のことです。
話は少し戻りますが、一人暮らしで自炊をしていた頃、間もなくして、私は玄米食を始めました。
そして、それからしばらくはマクロビオティックの方向へ突き進みました。
結婚してからもしばらくはその方向でしたが、子育てする中でいろいろ問題点も発見し、その後は少しずつ巾を広げ、部分的に方向転換もして、自分流の食事観を持つに至っています。
そのテーマは、「自然であること、健康に寄与すること」です。

そんなわけで、これから時々、料理記事を書こうと思っています。
今日は、とりあえず前置きだけで申し訳ありませんが、どうぞ今後をお楽しみに。

音楽会

昨日は、「奥会津アイリッシュコンサート」に行って来ました。
妖精美術館という、本来は音楽用ではない、100人も入れば一杯になってしまうくらいの、小さな会場でのコンサートです。
至近距離で生音で聴くコンサートは、近頃エレクトロナイズされ切ってしまった感の強い、大会場での巨大ライブとは、聞こえて来る音の印象が全く違って、とても新鮮でした。
PA(音響)も入っていたのですが、あくまでも補助的で、会場の隅々まで一応聴こえている生音と全く違和感のない音作りがされていて、それがとても良かったです。
しかも音楽は、私の好きなアイリッシュルーツミュージック。
アイルランド随一のティンホイッスルの名人、ショーン・ライアンの演奏を、この環境で聴けるなんて、もう最高の贅沢というものです。
ショーンをサポートした、守安功、雅子夫妻の演奏も一層充実していて、今年は、昨年にも増して素晴らしいコンサートでした。
今回はまた、会津の地元でアイリッシュルーツミュージックを聴かせてくれる「フェアリーランド」のお二人とのジョイントも、思いがけず急遽実現し、それも嬉しいハプニングでした。
会場で二時間余りの演奏を堪能した後、打ち上げにも参加させていただきましたが、そこでまた二時間近く、今度はもうすぐ目の前で演奏を聴くことが出来ました。
もちろん打ち上げの時は、ずっと5人で、何曲も何曲も聴かせてくださいました。


ショーン・ライアン
ぶっとい指が、大した動きをしていないように見えるのに、
聴こえてくる音はまるで曲芸のよう!

ここで、食工房の宣伝を一つ!
食工房のスコーンに、ショーン・ライアンから、最高の褒め言葉を頂戴しました。
「いつもアイルランドで食べているスコーンと同じだよ。」と。
味ももちろんですが、上下にきれいに二つに割れるところが大事なんだそうです。
彼らは、そこにいろいろなものをはさんで食べるんです。
酒好きのショーンでしたが、合間にうちのスコーンをいくつも、パクパクと平らげていました。

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マイブログ中間報告 vol.4

3月下旬からこのブログを書き始めて、間もなく半年になります。
8月に5日間お休みした以外は、毎日更新してきました。

さて、どこで誰が見ているか分からないのがブログですね。
公開しているということは、インターネットの場合は世界中に、ということですからね。
これはちょっと考えても、歴史上今までに無かったコミュニケーションなわけです。
もちろん公開したからといって、すぐに世界中の人が知るというわけではありませんが、どこにいる人とでも、情報を共有したり、連絡を取り合ったり、新しい仲間を増やしたり出来るということは、いろいろな可能性を生みます。
当然、功罪両面あるわけですが、それは使う人の側に預けられた問題ですね。
インターネットそのものに善悪は無いはずです。
ところで、私のブログに対するスタンスは、公衆の面前で私見を述べるということです。
誰でも、他人に知らせたい情報を持つということはあると思います。
それが善良な目的に適うならなおさらですね。
自由闊達に意見が公開され交換されることは、人と人の相互理解につながると思いますし、私は、ブログにそれを期待しています。
ちょっと大上段になってしまいますが、世論の喚起とか、世界平和に貢献するとか、そういった事柄に自分なりの役割が果せたらいいなと思っています。
真面目すぎて面白くないかどうか、それはこの先、長くお付き合いいただければ分かります。

それでちょっと気が早いのですが、この調子で行くと30000ヒットもそれほど先の事ではなさそうです。
30000ヒットの記念品を、そろそろ考えておきます。
前後賞つきです。