日別アーカイブ: 2012年1月4日

巨大利益誘導装置

震災によって明らかになった、この国の国民を欺く確信犯的構造があると思っています。

多分、原発がこれほどの事故を起こさずに動き続けていたら、私たちには分からないままだったかも知れません。

もちろん、事は何も原発に限るものではなく全てに渡りますが、何と言っても原子力政策に典型的に表れています。
政治と産業と資本が結託して作り上げたその構造は、一部の限られた者だけが恩恵に浴するための巨大な利益誘導装置です。


まず政治が原子力利用を政策として打ち出します。
次に学者を集めて案を練り、一方で国民を啓蒙教育します。(早い話し、洗脳です。)

原子力利用以外に未来のエネルギーはないという宣伝。
原子力は放射能汚染という大変な危険を伴う事業だが、優れた技術力を以てすれば安全に利用可能だと言う、一方で不安を一方で安心を植え付けて科学技術に依存せざるを得ない心境にさせるのですね。

一方、原子力発電所のような巨大なプラント、危険な放射性物質を大量に扱う設備を造れるのは、一部の限られたメーカーだけですから、そこには初めから大資本家の顔がちらついています。


平和憲法をいただく日本では、軍需産業を育成することは出来ませんから、同じ核の利用でも爆弾を作るのではなく原子力発電になっただけのことです。


「原子力、明るい未来のエネルギー」の標語に見るとおり、原子力への期待がいかに高かったか・・・。
国民への教育啓蒙は、見事に功を奏していたのですね。

期待が高ければ高いほど、それを安全に動かすためならどんな代償も払うという国民的合意が形成されていますから、いくらでも予算を注ぎ込むことが可能になります。

こういう見えない底辺のところで合意が形成されているのですから、反対運動を潰すことなどわけはなかったのですね。
いくら反対の声が上がっても、原発の数は増える一方でした。


しかしここまで申し上げて、私はふと思うのですね。


当初、原子力発電を導入しようと思い立った人たちは、ひょっとすると自分たちの善意を信じて疑わなかったのではないか?
ある意味、憑依されていたということではなかったのか。


でも現実が動き始めた時、それが国民を欺く行為だと気がついたはずですが、やはりこの巨大な利益誘導装置を手放すことは出来なかったのですね。
そこで止めなかったから、私は確信犯的と言っているのです。


全く上手い仕掛けです。


こうして事故を起こしてなお、何百年何万年先までその対応のために、国家が予算を注ぎ込まざるを得ない事業なのですから。


原発の電気が、本当に採算に合っているかどうかなど、今や問題になりません。
私たちは、目前の危機を回避するために、どんな代償でも払わざるを得ない状況に追い込まれているのですから。


東電は、最終的に責任を取れません。
一企業ですから、全責任を負わせたら潰れます。
潰れたら、国が引き受けるしかありません。
プラントを納入したメーカーも同様です。


何分今回の事故は、想定外(!?)の重大事故なのですから、責任の範囲を超えているということで免責される公算が大きいのです。


そんなことも何も、最初から計算済みなのです。


かの保安院もSPEEDIも、オフサイトセンターもモニタリングスポットも、すべて国民の生命と財産を守るためではなく、ただ関係者担当者が給料をもらうためにのみ役割を果たしていたということなのでしょう。


言わずもがな、この巨大利益誘導装置の向こう側にいる人たちの行く末は、まだまだこの先も安泰というわけです。


 


 


本当になっちゃったよォー!


去年の夏は 泳げなかった
今年の夏も 泳げねェ
こんなにきれいな海なのに
原子力発電所が事故ったから
セシウム ストロンチウム プルトニウム
1000年先まで サマータイムブルース