月別アーカイブ: 2012年3月

一年前

もうすぐ3・11ですね。
今年のその日は明後日の日曜日ですが、昨年のその日は曜日で言えば金曜日で、つまり今日というタイミングでした。
あの日、いつもの金曜日と同様にマフィンとスコーンを焼いて、午後、娘二人に配達を頼みました。

今まさに出かけようという時に、グラグラとあの長い揺れが始まりました。
車を店の前に止めさせて、様子を見ていました。

初めのうち家の中にいた私と連れ合いは、店の出入り口に近い所で外を見ていたのですが、あまりにいつまでも揺れ続けるので、中にいるのが不安になり外に出ました。


ゆっくりとした長い揺れだったので、どこか離れたところで巨大な地震が起こったのかも知れないと、その時はとっさに東海とか南海とかそのあたりが思い浮かびましたが、そうではなく東北だと分かった時は、真っ先に原発のことが気にかかりました。


しかしそれも、あの津波の映像が流れる中各被災地の状況が想像されて、とりあえず何事も無く済んだ我が家で、先ずは気を落ち着けることだと肝に銘じました。


そして今でも不可解なのですが、娘たちを配達に出しているのですね。
結局無事に行って帰って来ましたが、途中道路が凸凹していたり信号機が消えていたり、配達先のお店では棚の商品が落下して大騒ぎになっていたり、そんなところへ納品に行ったわけですから、よくまあ・・・とは思いますが、事の大変さが認識出来ないくらい、ここは何事も無かったわけです。


でもその後の大変さは、このブログでもお伝えした通り・・・・。


あれから一年、ここ会津の地では、見た目は全く何事も無かったような風景と生活です。
でも何かが違う・・・。
本当は、日本全体がなんでしょうね。
3・11以後、確かに何かが変わったと言うか、壊れたと言うか、もう元には戻れない状況が進行し始めたのだと思っています。


それが何なのか、どういうことなのか、追々語らせていただきます。


先ずは3月11日を前に、この一年間をじっくりと思い返してみようと思っています。

テンション上がっております。

今週末、10日・11日の二日間、横浜市にあるトレッサ横浜でのイベントに、出店いたします。
スタッフの方に出張をお願いしています。
私本人が行くわけではないのですが、かえって緊張感が増しています。
自分の指令で、自分以外の人を派遣するのは、何と言っても今回が初めてのことなのです。
自分が行くのなら、忘れ物をしても何か不備があっても全て自己責任で済んでしまいますが、人を頼むからには、自分の手抜かりでその人を戸惑わせたり、恥をかかせたりするわけには行きませんから、自分のこと以上に気を使います。


正直、ドキドキです。


明日は、不備の無いようよく確認して、荷物を送り出さなくてはなりません。


そういうわけで、今日はこれにて。


店は、ずっと営業しております。
ご来店、お待ちしております。

3・11  by みーVo.


今回のは、CD-Rではなく、本式にプレスされたCDでした。
販売もするのかな?と思った次第。


今日、九州宮崎から一枚のCDが届きました。
3・11以前、大熊町に住んでいた、友人のみーVo.さんからです。
新作のアルバムが出来たので聴いてくださいと、お便りが添えられていました。


実は昨年の9月15日、みーVo.さんの消息に触れた記事を書いています。<参照>
この時にご紹介したYou Tube ビデオは、一昨日のNHKの番組の中で一部流れていましたね。
気が付かれた方、いらしたのでは・・・。


自宅が大熊町では、いつ戻れるかどうか、簡単に答えは出せない現実だと思います。
そんな毎日の中から紡ぎ出された、その名も3・11というアルバム名と同名の一曲は、当事者だけが語れる言葉じゃないかと受け留めました。


また、以前よく聞かせてもらった覚えのある、川内村のご当地ソング “Kawauchimura Lovesong” も一緒にリリースされています。


このアルバムを聴いていると、私も今回の原子力災害の当事者の一角にいるのだなと、改めて自覚させられます。


  3・11
機械化された人達 自殺者を増殖させ 金と名誉を担いで
登り続けた砂の階段 あのままでよかったのかい? before 3・11
海の深さを知らずに 月の裏側まで覗いて 科学と数値を操り
神の心を切り刻む あのままでよかったのかい? before 3・11
・・・・・・・・・


このアルバムについてのお問い合わせは
mellow-yellow@h9.dion.ne.jp
※アドレスは、アットマークを小文字に変えて入力してください。

東北村、行って来ました。

  


「漉乃あん丸」の名付け親さんが送ってくださいました。


ええっ?
と言っても、私が、ではありません。
食工房のお得意さまがお訪ねくださったという話しです。
お一人は、「漉乃あん丸」の名付け親の方、もうお一人は、毎月お世話になっている東京の方です。
ご報告のメールとブログへのコメントをちょうだいいたしました。
現場からの情報でも、週末の昨日今日の二日間、結構な賑わいだったようです。


実は、この「東北村」のコンセプトがなかなかいいと思っています。
一連のイベントに参加を決意したのも、そのあたりのお話しを関係当事者から直接聞くことが出来たからなのです。


ちょうど開村という貴重な瞬間を共有させていただけることになって、なおさら気持ちは前向きです。
「東北村」、出来つつあるホームページもご覧いただけます。<こちら>
あと、今回の高島屋のイベントに参加している関係者の方々、またご来場くださった方のブログ記事などもご覧いただけます。


「田舎郡東北村オープンしました!」 山の手日誌

「よっちゃん農場のドタバタ日記」

「田舎郡東北村ご縁福袋」

「ジャパンアグリゲート」


さて来週末は、食工房も出番です。

3月10日(土)・11日(日)の二日間、出店です。

トレッサ横浜です。<こちら>

スタッフの宮下さんが参ります。
そして11日は、何と食工房の女将も参ります。急遽決定です。
私と娘たちは、後方支援です。
スコーン、カネリプッラ、たまねぎパン、クッキーなど取り揃えてお待ち申し上げます。
そして漉乃あん丸も単品試験販売いたします。
お近くの方、当日この方面にお出での方、ぜひぜひお出でください。






  今週のクッキーとマフィンのお知らせ

今週は、バタービスケットを焼きました。
あとはイベント対応のため、在庫僅少です。
店頭在庫少しずつですが、揃っています。


マフィンは、シマリス君の朝ごはんとスィートハートを予定しています。


あいにく明日は雪の予報が出ておりますが、ポイントは確実に二倍になりますね。
皆さまのご来店、お待ちしております。

新聞バッグ作っています


デスクの上の散らかしは、お見逃しのほどを・・・


この前の呼びかけに早速反応していただきました。
古新聞がボチボチ集まって来ております。
英字新聞を集めてくれるという貴重なお申し出もいただいております。
可愛らしいのや楽しいのや素敵なのを、いっぱい作ります。
3月24日をどうぞお楽しみに。


この新聞バッグ作り、忙しさの合間を縫って、主に上の娘がコツコツとやっています。
私も時々、取っ手の部分を作るのを手伝ったりしています。
スタッフの宮下さんも、家で作って来てくださいます。
こういうことは、本当に損得抜きです。
心がけ、心意気、そんなものが伝わればいいな!と思ってやっています。


今日の食工房は、怒涛のようなあんぱん造りが昨日で終わって、今日はいつものパン焼きに戻りました。
でも、あんぱんも少し焼きましたよ!
定番化してもいいかなと思ったからです。
これからしばらく、ご来店の方に試食していただきます。
コーヒーサービスも継続中。
新しい銘柄の試飲を、ご遠慮なくお楽しみください。
あんぱんを食べながら・・・。


皆さまのご来店、お待ちいたしております。


今日は、おひな様の日でした。
春がまた一歩近づきました。
空も明るくなっています。

去年の今ごろ

間もなく震災発生から一年になるのですね。
そう思って、去年の今ごろを思い出していました。

このブログの記事を読み返してみると、3月1日に光ケーブルが開通して通信環境が良くなり、いかに嬉しかったかそれを喜んでいる様子がまざまざと伝わって来ます。
そのおかげもあって、意欲も十分に仕事に取り組んでいたのですね。

そこへ11日の地震でした。

じきに電話も込み合って連絡が取り難くなることが予想されたため、ブログで無事の第一報をご報告いたしました。
この時はありがたいことに、インターネットは機能していたのですね。
しかし、その夜のうちに不通となり、以後二日余りの間ネットも電話も使えませんでした。
光ケーブルだけがダメだったようで、アナログ回線の方は通じていたようです。


食工房の方も、当時はいろいろなプロジェクトが進行中でした。
たまねぎパンの試作がうまく行って、製品化が決まったのもちょうど去年の今ごろでした。

また、フェアトレードチョコレートを使ったメニューでカカオの生産地を支援するプロジェクトでは、売り上げの一部を寄付しましたが、追加分の売り上げがあってそこからも寄付をと思っていた時に震災でした。
結局それどころではなくなってしまいました。


月末に会津若松市内で予定されていた「あぐり・カフェ」イベントも中止になりましたが、こちらは一年遅れで同じテーマで開催が決まっています。


いろいろなことが少しずつ、あるものは元のように、あるものは形を変えて、復帰再生しています。
何もかもが元通りになるわけもありませんし、また元通りなる必要もありません。
特に、原発に代表されるような、利権としがらみでがんじがらめの構造は、きっぱりと解体してしまった方がいいのです。


その間も、ずっと仕事を続けて来た食工房ですが、あの日を境に何かが変わったと思っています。
同じようなパンやお菓子が焼けていても、込める気持ちは以前とは少し違っています。
今まで以上に、パンやお菓子になってくれる原材料たちに、感謝の気持ちを厚くしています。


確かにこの一年間は、大きな山を越えて行くような道のりであったと思います。
どこを通ってどのように越えて行ったか、そしてどこに向かって下って行ったか、人の生き方も行く通りにも分かれたように思います。
辿り着いて見たら、失ったものがある一方で、新たに出会ったもの得たものもあるのですね。
あんなに沢山の方が亡くなられたのに、こうして私は生きている、その事の意味を考えずにはいられません。


不真面目な気持ちでなんか生きてはいられません。


今、出て来る言葉は、「がんばります。」の一言のみです。