月別アーカイブ: 2012年10月

秋晴れ


中央に月が見えているのが分かるでしょうか。



コスモスも盛りを過ぎたかも知れません。


昨日、今日と二日間、気持ち良く晴れています。
秋晴れです。
昨日もほとんど快晴、今日も午前中雲が出ていましたが午後は快晴。

昨晩は、下は焚き火の炎、上は満点の星空、もうこの上もなく贅沢な目のご馳走でした。
今宵も同じ状況になっています。

一方気温がグンと下がりました。
日中汗ばむこともなく、もう半袖では肌寒いくらいです。
そして夕方ともなれば、しっかり上着も着込んでいないとゾクゾクして来ます。

その分空気が澄んで、星空は見事なまでに美しい・・・。
東の空には、早いうちからすばるが見られるようになりました。

秋なんですね・・・。

アンドロメダは中天へと上り一層くっきりと、私の老眼でさえ肉眼で星雲が確認出来るほどです。
双眼鏡を手にすれば、しばしこの世の時間の流れを忘れてしまいます。

そうそう、午前中秋晴れの写真を撮ろうと思って空を見たら、下弦の月が西の空に見えていました。
これもまた不思議な眺めでした。

人の世の喧騒をよそに、鳥や獣たちは近づいてくる冬に備えるべく余念がありません。

熊どもも必死です。
この時期エサが不足すると、冬眠中の出産が流れてしまうのだそうで、まさに命がけで餌を探しているのですね。

今日もまた歌を思い出してしまいました。

<これです。>


そして<こちら>の記事も。

人々は昔

今日は、明日が定休日という気楽さもあり、夕方からずっと焚き火をしています。
今も外では、いい具合に燃えて煙が出ています。
娘と交替で火の番をすることにして、このブログを書きに家の中に入って来たというわけです。

で、暗がりの中で赤い炎を見ていたら、ふと40年も前に私の心を捕えた一つの歌を思い出しました。

イギリスのスコットランド出身のミュージシャン、Donovan のアルバム”Open Road” の中の一つ “People use to” 「人々は昔」と言う曲です。

とてもいい詩だと思うのですが(正確に全て理解しているわけではありません。)当時のレコードに付いていた歌詞カードの訳詩が、悪くはないけど本当にこれでいいのかな・・・?という部分もあって、未だに未消化です。

でも、楽曲の方はシンプルで覚えやすく、誰でもすぐに歌えると思います。

ちなみにDonovan は、吟遊詩人と目される優れたソングライターでもありました。
この曲が入っているアルバム、今でも健在ですし、CD盤も手に入れて愛聴しています。

原詩と訳詩の両方を紹介しておきます。

     “People Used To”

People used to get together round a fire
Fishes were cooked, songs were sung
Moonlight used to guide our way home in the dark
Do you find it hard remembering?

And still you people tell me life is easy to get on with
But what I’ve got so far’s enough to get along with
People tell me that it’s so oh – oh
I don’t know anymore, I don’t know

People used to get together round a problem
Eyes were looked at tongues were true
People used to stop and say how do you do
Do you find it hard remembering?

And still you people tell me life is easy to get on with
But what I’ve got so far’s enough to get along with
People tell me that it’s so oh – oh
I don’t know anymore, I don’t know

People used to spend an hour making tea
Easy easy was the rule
People used to pause to think and contemplate
He who hurried was the fool

And still you people tell me life is easy to get on with
But what I’ve got so far’s enough to get along with
People tell me that it’s so oh – oh
I don’t know anymore, I don’t know

*******************************************

「人々は昔」

人々は昔、火のまわりに集まって
魚は焼かれ
歌が歌われていた
月の光は昔、暗闇の中、私たちを家路へと導いた
君は思い出すのが難しいと分かっている

コーラス

それでも人々は私に言うのだ
人生なんて楽なものだと
でも私が得たものは
上手く合わせて行くのに充分 さ
人々は私に、そのとおりと言うのだ
私はそれ以上知らない
知らない

人々は昔、困難に立ち向かった
目は見つめ合い、言葉は真実だった
人々は昔、立ち止まって言ったのさ「はじめまして」
君は思い出すのが難しいと分かっている

 コーラス
人々は昔、お茶をいれるのに時間を割いた
のんびり自由にがルールだった
人々は昔、一息入れては考えたり予想したりした
急いでいる奴はバカだった

それでも人々は私に言うのだ
人生なんて楽なものだと
でも私が得たものは
上手く合わせて行くのに充分 さ
人々は私に、かくかくしかじかと言うのだ
でも私はそれ以上知らない
知らない

とまあこういう歌でした。

考えて見たら、これって私の価値観のルーツです。
当時の私は、二十歳そこそこの青(阿呆)二才でありました。
歌っていたDonovan も、ほぼ同年でしたが・・・。

聴いてみたい方は<こちら>からどうぞ

熊に対応する日々

熊が出没しています。

私は、まだ出会ったことはないし目撃もしていませんが、つい先日近くの蕎麦畑が熊に荒らされるという被害があり、近所でも話題になっています。

昨晩あたりから、その畑の持ち主さんは、熊の侵入口で籾殻を燃やして煙を立てる作戦に出ています。
多分これは効き目があると思います。

我が家でも、この前熊出没の記事を書いた翌日から、毎日のように火を焚いています。
特に大きな焚き火にする必要はなく、煙が漂うこと火の気があることが野生動物を警戒させて近寄らせないのですから、上手に細く長く燃やして、煤けた臭いがあたり一面に染みつくようにしなければなりません。
そのあたりは、14年間の山暮らしで鍛えたノウハウが大いに役に立ってくれます。

おもしろいのは、焚き火をしているうちに衣服や髪の毛にも煙が浸み込んでくると、蚊など虫が全く寄り付かなくなることです。
きっと獣に対しても、何かしらの警戒を喚起する効果があるでしょうね。
多分、昔の人は誰もが煙の臭いが染み着いた体だったと思いますから、それだけでも野生の脅威を防御出来ていたのだと思います。

そして下の娘は、最近遠ざかっていたクゥーラ(牛追い唱法と呼ばれる特殊な声の出し方で歌われる歌唱)を再開しています。

私は、夕方の犬の散歩で、微妙に熊の出没コースに近いところに行って、犬の臭いを付けて来るようにしています。

そうです。
熊を恐れて立ち入らなくなったら、そこは結局熊に明け渡したということになりますから、ボーダーを常に押し返す努力をしていなくては、野生の脅威と対峙することは出来ません。

でも何と言ったら良いのでしょう、こうした緊張感はいいですね。
生きる力が何倍にも強まるような気がします。

狩猟の心得、身に付けたいですね。
必要な時には、断固とした殺意を持つことも、野生と対峙する上で不可欠です。

そして出来ることなら、彼の野生動物の敬愛を集めるという境地に、辿り着かないまでも近寄りたいと思う私です。

あぐり・カフェ、ご来場御礼


私、コーヒーを淹れております。


本日は、会津若松市内にて開催されましたイベント、「あぐり・カフェ」に参加して来ました。
朝、現場に到着して見ると、もう11回目ということもあり、関係者も手慣れた様子でスムースに設営が進んでいました。

前回は猛暑、前々回は冷たい雨、とそれぞれ最悪のコンディションでしたが、今日は曇り空の下暑くもなく寒くもなく、食品に直射日光が当たるのも免れて、最良のコンディションと言えなくもありませんでした。

しかし事前にリサーチしてみたところでは、今日は同日開催のイベントが、この会津管内でも複数あり、集客には限界があるだろうと思っていました。

実際、人数的にはそんなに多いと感じませんでしたが、このあぐり・カフェの一つの特長として、お客さまの滞在時間は結構長いのです。
このことは、このイベントのねらいがある意味達成されていると見ることが出来るのですね。

今日は、コーヒーを淹れるのもほぼ途切れなく続きましたし、パンはおかげさまで完売いたしました。
ご来場くださいました沢山の方々に、この場を借りて御礼申し上げます。

多分また来年になると思いますが、開催されるようでしたら参加したいと思っています。


さて明日は・・・、昨日の今日、今日の明日、そのまままた出店です。
言わずと知れた、百姓市ですね。

山都町へお越しください。

今月あと4回の開催で終了です。
最終28日には、百姓市の収穫祭が催されます。

そして、ただ今企画調整中ですが、東京から第三世界ショップの全国キャラバンが回って来ます。
そして、28日の収穫祭に合流する予定です。
詳細は、追ってご案内申し上げます。






「パンだより 79・すばる号」公開しました。 <こちら>

尻に火が付いてます!

ちよっとあきらめかけていたのですが、明日のあぐり・カフェにパンだよりが間に合いそうです。
これからイラストをはめ込んで仕上げます。
というわけで、明日の出店の支度と重なってさらに忙しくなりました。
尻に火が付くというのは、こういう状態か?と思えます。
ではでは。

日が暮れるのが早くて・・・

秋分の日を境に、毎日毎日刻々と日没が早くなって行くように感じます。
今、午後5時半を過ぎるともう薄暗く、6時にはすっかり暗くなります。

それで、うちの犬の散歩を夕方させているのですが、今日は配達から帰って来てからだったので暗がりの中を歩くことになりました。
ヘッドライトを装着したものの、先ずは点灯せずに歩きましたが、全く支障はありませんでした。
犬もにおいの方が頼りのようで、どんどん先へ進もうとします。
歩きなれた道でもあるし、ところどころ街灯もついているし、糞の始末をするとき以外は灯りの必要を感じませんでした。

人間の目って、暗さにも慣れてものが見えるようになるのですね。
これは、山暮らしの時から分かっていましたが、今日また久々に味わう感覚でした。

それでやはり怖いのは熊ですね。
いつものコースを変えて、山懐には近づかず、川の方にも下りませんでした。

それでも出る時には出るかも知れませんので、これからは何か武器になるものを持って行こうかなと思っています。

・・・と、物騒な話を申し上げましたが、夕暮れ時の山の様子がまたいいのですね。
暗さが、何だか分かりませんが、安心感をくれるような気がするのです。

そうだ!武器ではなく楽器を持って行きましょう。

こんな話し、書いていたんですね。<参照>

今日読み返して、我ながらなるほどと頷いていました。

あぐり・カフェ、今週末です。

   


あぐり・カフェ フライヤー画像

表・裏、それぞれ画像クリックで拡大します。


2008年から始まったあぐり・カフェも、もう早や11回目にもなるのですね。

初めの頃、回りを見渡してもこのような意欲的なイベントは少なくて、多くの方の関心を引いたものですが、最近はどこもかしこもイベントのオンパレード。
後発の新しい企画に目移りして、回を重ねたイベントはちょっと埋もれてしまいがちです。
だからこそ、とびきり意欲的にいろいろ工夫しなくてはなりません。

あぐり・カフェは、当初補助金事業で始まりましたが、その期間はとっくに過ぎて、自立的な継続を模索しています。
多分、今が一つの曲がり角かも知れません。

私としてみれば、もう少し出店者が自分たちで作り上げるイベントという企画だったらいいのに、と思うのですね。
まあそれはそれで、いろいろと困難が待ち受けていることは当然なのですが、このままではいつか萎んでしまうことは避けられないかも知れません。

継続は力なりと言いますが、継続するためにはその力が必要という意味もあると思っています。
同時開催のクラフトガーデンなど、相通ずる部分のあるイベントとの統合もあっていいと思います。

何にしても、いい流れが生まれることを期待して、食工房は今回も参加します。

どうぞ皆さま、お誘い合わせてご来場ください。

週末のお天気、台風の影響も免れそうです。

豊かな国・会津


会津平野 ・ 画像クリックで拡大します。
よろしかったら、デスクトップ背景にどうぞ。


今日は、久しぶりに完全オフの定休日となりましたので、連れ合いと一緒に1/4日ドライブに出かけてみました。

まあ何しろ我が家には、業務用の軽貨物バンきりありませんから、ドライブが楽しみと言うわけではありませんが、今日は普段見ない景色が見える場所に行きましたので、気分が変わって十分楽しめました。

それでまた思ったことは、つくづく会津は豊かな場所だということです。

会津平野一面に広がる水田は、目下穫り入れの真っ最中。
この米でどれだけの人口を養えるか、会津で消費する分などごく一部に過ぎません。

市街地と農地と里山と奥山そして万年雪をいただく飯豊連峰に至るまで、その配置のバランスがいいのですね。
人間の私たちが、この大自然の中で如何にして生かされているのか、それがよく見えるということです。

それでたまたま通りかかったのが、水力発電所。
見れば、東京電力〇〇水力発電所と刻まれているではありませんか。

そうなんです。
会津管内のいくつかの水系にある水力発電所は、ほとんどすべて東京電力のものなのです。
会津の河川は、水力発電と水道用水源の両方で、大東京の需要の幾分を賄っているのです。

皆さん、東京の豊かさを日本の豊かさと勘違いしては行けませんよ!

本当に豊かなのは、東京の需要を賄っている会津やその他の地域だということを忘れないでください。

今日は、短時間でしたが山の奥まで辿り着き、大自然の豊かさ神々しさに触れることも出来ました。
何だか、自分の心まで豊かになったような気がします。

さて、明日からまた仕事です。

国民には安酒を

日頃酒を飲まない私が酒の話題に触れても、現実味がないよ!と言われそうですが、まあお付き合いください。

ついでにもう一つ前置きがあります。

この頃の私は、すっかり本を読まなくなってしまいました。
いつも忙しくて時間がないというのが一番の理由ですが、それに加えて老眼が進んだ今では、字の書いてあるものを読むにはメガネが無いと始まりません。
それが煩わしくて、つい読書から遠ざかっているのです。

当然のことながら、否それ以前から、文学の話題にはとんと疎い私です。

さてつい先日のこと、日頃マークしているブログの中に、安酒と言う言葉が出て来ました。
有名なノーベル賞作家の村上春樹氏の、最近の発言を取り上げたものです。
この記事の内容は、今日の私の話とは必ずしも関係ないのですが、良い内容だと思いますので、よろしかったらご覧になっていただきたいと思います。<参照>

長い前置きになってしまいましたが、私の本題に入ります。

近頃世の中は不景気で物が売れないと言われますが、アルコール類だけは好調のようで、酒造会社で働いている知り合いも、酒が良く売れていると言っていました。

そしてまた、酒税法適用外の安いアルコール飲料が次々と新発売され、既存の酒類も含めて、今や酒は安上がりな楽しみになりました。

低所得の人も気軽に飲める安い酒、それもいかにも安酒なんて雰囲気じゃありません。
パッケージもキャッチコピーも、なかなかにお洒落と来ています。

一方、世の中は日々ストレスに満ち満ちています。
飲まなきゃいられないって時が、しばしばあるのです。
いや毎日かも知れません。
否が応でも酒が進む、世の中の仕組みですね。

国民には安酒を・・・と、この国の為政者たちが考えたかどうか知りませんが、事実はそのようになっているのじゃないでしょうか。

国にとっても、酒はいい商売にちがいありません。
酒税は、昔から厳しい掟で取りはぐりのない収入源でしたから。

そして酒税法適用外でも、今度は消費税という手があったのですね。
この先10%に引き上げが決まっているのです。

意地の悪い言い方ですが、国民の多くがアル中予備軍くらいでいてくれれば、結構結構!
飲まなきゃいられないって時に酒が無いってのは、腹が減った時に飯が無いことよりも耐えられない、どうやったって酒代くらいは出て来るだろう、そこから絞ればいいのだよ!と。

尤も、これは半分は私の想像を申し上げていますから、話半分にしておいていただきましょう。

さて件のブログの中で引用されていた、村上春樹氏言うところの安酒は一つの比喩ですが、現実の世界では、酔いが覚めた後の酒に対する思いはどんなものなのでしょう。

飲まない私には、正直分かりません。
そして今後も、一滴もとは言いませんが、酔うほど飲むことはないと思っています。
ましてや、乗せられるのだけはご免こうむりたい。