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これを見てください

3月11日の大地震とそれに続く福島第一原子力発電所の危機的状況。
結局、4つの原子炉で爆発や火災があり、大量の放射性物質が環境中に放出されました。

当時早くも3月12日には、複数のジャーナリストが決死の覚悟で取材行動を起こしていました。

綿井健陽氏・山本宗補氏・森住卓氏・豊田直巳氏・野田雅也氏・広河隆一氏などの面々が、危険を冒して双葉町に入りました。

その時のビデオ録画が公開されています。
すでにご覧になった方も多いと思いますが、part.3だけはつい先日公開されたものです。
さらにpart.4もあるそうで、公開を待っているところです。

未だご覧になっていない方はもちろん、すでにご覧になった方も、改めてもう一度ご覧になっていただきたいと思います。
きっと、今だからこそ新たに湧き起こる感想があると思います。


とにかくとんでもないことです。


 


 


 


今になって見ると、改めて当時の事情が読めて来るような気がします。 


 


 双葉町に入るところから始まります。とにかく緊張感が伝わって来ます。


 


原発以前にすでに地震と津波で壊滅的な被害が発生しており、
且つ強烈な放射線のため、原発にまで到達出来ずに撤退します。


 


この中で、カーラジオから流れてくるニュースや枝野官房長官のアナウンスを今改めて聴くと、どの方面も皆パニックに陥っているように思えます。
もしそうじゃないのだとするなら、逆に市民を危険の中に放置したと言う意味において、決定的に確信犯です。

それが、一つ一つよく分かります。

今頃分かっても・・・ではありません。

我々は、どんな仕打ちをされて来たのか、よーく噛み締めておきたいと思います。

見るにつけ、聞くにつけ

「以前からそうだったんだよ!」と言われるかも知れませんが、3月の大震災と原発事故という一大事以後、誰の目にも明らかになったことは、この日本という国は、ひよっとすると国家としての機能を喪失しているのではないかということです。

国務国政の取締役、総括責任者と言えば、総理大臣と言うことになるのだと思いますが、菅さんもあれだけ散々に言われて退陣し、まあ評価出来るほどの仕事をしたかどうか分かりませんが、今度の野田さんはと言えば、もう早々から諦めに近い評価と言うか、期待に適うほどの方でもないと、専らの評判です。

インターネットで国会中継の録画をたまに見ることがありますが、質問者の中には信念を感じる誠実と思える方もいるのに対し、政権を担当している方々は酷いですね。
何と言ったら良いのでしょうか、人格が見えないと言うか、幾重にもカムフラージュしている姿しか見えて来ません。
全く海のものとも山のものとも分からない・・・。


国政を動かしている現場がどんなものか、私の知るところではありませんが、多分いくつもの相矛盾する利権の手垢にまみれて、がんじがらめでどうにもならないのでしょうね。
そして腐敗し切っているのかも・・・。


誠実で信念ある方が政権担当に着いたら、すぐに心労で気が狂ってしまうのじゃないかと・・・。
だから、あのような面の皮の厚いとお見受けする方々が大臣をやっているのでしょう。


否実は、これが日本という国の、日本国民のレベルなんですよ!と言う声が聞こえて来るような気がします。


一方国際社会に目を転じても、決して平穏無事というわけではないのですね。
件のTPPは、ある意味戦争です。
武器はお金です。

アメリカのやっていることは、外交ではありません。
最初から、略奪が目的ですから。
どちらかと言えば、恐喝と詐欺の両刀使いです。
それは、日本がキッパリした態度を取った途端に明らかになるでしょう。
まあ、やれるもんならやって見ろ!と言われているのです。


国際社会とは、つまりそういう場なのだよ、と仰る方がいるかも知れません。
それなら、真の国際平和など絵に描いた餅に過ぎないことになります。
つまり平和とは、武力を含めた力の均衡だというわけです。


地震と原子力災害のダブルパンチで疲弊の極みにあるこの日本で、これから何が起こるのかを見ていれば、それが分かるでしょう。
もちろん、私もあなたもその当事者として何を受け取ることになるのか、それは分かりませんが。

避難か共存か

放射能汚染に対する身の処し方を言うなら、避難か共存かのどちらかであり、除染は出来そうで出来ない永遠の課題みたいなものだと、私は思います。


今、除染という巨大な事業の利権に、ありとあらゆる業者が群がっています。
しかし、実際に試験的に除染をして見て分かっていることは、高い汚染度をある程度まで下げることは容易だが、そこから先を平常値に近いところまで下げるのは、気が遠くなるほど大変だということです。
数μSv/h以上あるところを1μSv/h以下にすることは出来ても、例えば0.8μSv/hを0.1μSv/h以下にすることは、とても難しいのです。
さらに除染の際に発生する、放射性物質を含む大量の残土や瓦礫の行く先については、まだ何の見通しもないのですから。


それに、今現在も微量でもフォールアウトは続いており、風向きや天候によっては、汚染の積み増しもあり得るのです。 
ちょっと<こちら> ※数値の単位によく注意して を見てください。


だとしたら、小さい子ども達や妊婦を含む家族は避難した方が良いわけで、いつまでも自主避難に任せておくのではなく、そのための施策が検討されるべきだと思います。


一方、成人や年配の人たちの中で今さら移住はご免だという方々には、放射能との共存という選択もあって良いと思います。


その場合、どの程度までなら共存出来るかが問題となりますが、これは本人が良くても、様々な社会的サービスをサポートするために出入りして被曝する人がいることになりますから、やはり線引きはしなくてはならないでしょう。


その時初めて、除染をどうするかということになるのだと思います。


つまり、覚悟の上で共存可能なラインまでなら、どの場所でも割合簡単に達成出来るレベルだと思えるからです。


ところでこの前、「コストに見合わない人々」、つまり私たち福島県民のことだと申し上げましたが、それが今、ある方々とっては、大変コストに見合っているまさに「旬」の人々なのですね。 <こちら>を見てください。
恐れ入りました。
人を疑うのは悲しいことですが、いつまでもバカではいられません。

「あひるのジマイマ」のお話し、知ってますか?

全部やらせだったらどうする・・・

3月の当初、福島に乗り込んで来たY下先生が、「ニコニコしてる人には、放射能は来ません!」なんてぶち上げて、福島県民を大いに安心させてくれました。
でも一部には、そんなのウソだと確信している人もいたので、たちまち反論が巻き起こりました。
そんな折、T田先生のブログは、大いに力になったのではないでしょうか。


にも関わらず今では、件のY下先生は福島医大の副学長に就任して、全県民対象の健康調査などに、支配的な力を行使し始めています。


いつの頃でしたでしょうか、政府が放射能に関する情報発信を監視する事業を開始しましたね。
どんなことをするのかなぁと、半ば怖々半ば楽しみにもしていたのですが、件のT田先生のブログも閉鎖されることもないみたいだし、一見して何も起こりませんね。
否それどころか、H川先生の汚染マップもK出先生のサイトも、ちゃんと健在です。

あと、文科省も経産省も福島県も、今ではほとんど完璧と言えるくらい詳細にモニタリング情報を公開しています。
彼のSPEEDIだって、毎日毎時のデータが即時公開になっています。


3月当初に、実はこんなにも詳しくデータが得られていたという、そのデータも公開されています。<参照>

何故、あの時に知らせなかったんだと憤りに堪えませんが、今となっては重要な意味がありつつまた同時に無意味なデータですけどね。


さて一方で、こんな話もあるんです。<参照> その後 <参照>


著名な評論家を抱き込んで、世論の誘導を図るというところでしょうか。

また頻繁に放射能の話題に触れていて、しかもアクセス数の多いブログなどに、コメントの形で情報工作を試みるなんてのもあるのだとか。


何だか矛盾するような状況が同時に進行しているように見えます。


でも、これが全部やらせだったらどうします?


7か月余り経って気が付いていることがあります。

市民は、いくつにも分断されて、もう決して一枚岩にはなれないだろうということです。
その実感をお持ちの方は、沢山沢山いらっしゃるはずです。


まあ成るべくして成ったと言えばそうですし、誰かが画策したんだと言えばそうかも知れない・・・。
いずれにしても、政府や東電さんには好都合ですね。


実はそれが狙いだったのかも・・・。


そしてこのブログも、とっくの昔にマークされているのかも・・・ですね。

やはり現地に居る人の実感、その言葉に触れて欲しい・・・

私が、以前川内村というところに住んでいたことは、すでに申し上げたと思います。
原発事故以来、にわかに報道にも取り上げられることの多くなった川内村です。

昨晩の9時台のニュース番組では、ある農家が、国や県の指示に反して稲の作付けを敢行し収穫したものの、県の立会いの下、耕作者自らが、涙を呑んでその米を全量廃棄したことが報道されました。

原発事故の被災地として、如何にも象徴的な事件であったと思います。
国や県の立場とこの一人の農家のしたことと、どちらが筋が通っているか、私ならずとも思うことは皆同じなのではないでしょうか。


この件もそうですが、それ以外のことでも、やはり現場に居てそこで毎日を過ごしている人の実感に触れないことには分からないことが、本当に沢山沢山あるのだと思います。


私はたまたま川内村に縁がありましたから、ニュースに登場する方々のお顔もほとんど知っている方ばかりだし、映される風景も皆見覚えのあるところです。


そして現地からブログなどで発信してくださる何人かの知り合いの言葉の数々から、さらに深く実感を伝えていただいています。


ここにいくつかのブログをご紹介しておきます。
皆さまにもアクセスしていただければありがたいと存じます。

私にとっては、たまたま川内村ですが、その他の市町村の方々も沢山発信しているはずですので、一つでも二つでもご関心をいただければと思います。


「復活の米の末路」 ~ニシマキのかわうち通信

「ニシマキの川内通信」

「気になる情報」 ~本気!根気!元気!

「本気!根気!元気!」


別に偉そうなことを言うつもりではありませんが、この福島の状況の次第は、今後日本全体の行く末を左右するかも知れないと、本気で思っています。

コストに見合わない人々


会津の田園風景は、本当に宝だと思います。


コストに見合わない人々・・・、言うまでもなく今の我々福島県民のことです。


これまで一般公衆の放射線被ばく許容限度は、1mSv/年と規定されていたわけですが、原発事故のあと、暫定的に20mSv/年となっていました。
事故から7ヶ月が経ち、どう考えても1mSv/年を達成することは困難と判断したのでしょう。
国は、20mSv/年を許容限度として正式採用する考えのようです。
そして1~20mSv/年の間で、場所毎に基準値を決めるとしています。


仮に1mSv/年を厳格に適用すると、福島県のほぼ東半分が人の住めない場所になりますから、ここに居る約200万人の人々を移住させるために、極大雑把に一人1000万円かかるとすると、計20兆円のお金が必要になります。


それほどのコストはかけられないというわけですね。


それより何とかして留めておいて、貴重なデータ収集のためのモルモットにしたいのじゃないでしょうか!?
余計な金もかからないし・・・。


除染をするんだと言っていますが、そんな思うようには進まないと思います。
困難を極めるはずです。
荒っぽく建物をみんな壊して、山の木を全部伐って、地形が変わるくらい土を削ってしまえばどうだか知りませんが、そんなことをして自然環境を根本から損なってしまったら、もっと別な理由で人が住めなくなってしまいますから。


とか何とか言うより、一つの方法で皆が満足するということはあり得ませんから、移住の権利も保証しつつ、覚悟の上で居残る人には支援もしつつ、可能な所は除染もして、その拠り所をきっぱりと1mSv/年にすれば良いだけの話しなんじゃないでしょうか。


しかし、そこはコストなんですね。
我々は、コストに見合わない人々として、見捨てられているとしか思えません。


そして一方では、自助努力も報われなかったりしているわけです。


この福島の中から見ていると、日本という国はもう終わったんだとしか思えません。


あとは・・・、そうです、人と人の直接的つながりの中でのみ生きて行ける、もうそれしか無いような気がしています。

なるほど、それで分かった!

この度の原子力災害に関しては、国の無策!東電の無責任!と憤りつつも、一体どうしてそこまで徹底しているのか、よく分かりませんでした。
犯罪的だとさえ思える状況がまかり通るのは何故か?


最近、薄々気が付き始めていたことがあります。
やつぱり何かしら法律的に不備があるのじゃないか、それはそもそも原子力利用の基本的な考え方の中に在る大きな欠陥と言うか、そもそも最初からそういう企てだったのではないか・・・、ということです。


今朝、<こちら>のブログ記事を読んで、なるほど!と思いました。
そんなに長い文章ではありませんので、先ずはご一読ください。


確かに国や東電の態度は、この線に沿っていますね。
そもそも危険など存在しないという考え方です。


これはまいりました!


これでは、こちらがいくら力んでみたところで、ひとり相撲をしているようなものです。


なるほど、それで風評被害なのですね。
実害は存在しないので・・・。


補償のもらい方も、この際よく研究しておかなくてはなりません。
先月だったか、東電が配布を始めた補償に関する請求書類には、示談書が添付されていたそうですから、うっかり金を受け取ったらもう責任追及は出来ません。


国は、原子力利用を国策として進めて来たのは国民の総意だと考えていますし、東電は責任を取らなくてはならないようなことはしていないと思っているわけですから、如何ともし難いですね。


ああ!ここに来て脱力です。
仕切り直ししなくてはなりません。

武田邦彦氏の発言をめぐる考察


稲穂の海を眺めていると、
この稔りのどこに罪があると言うのか、
そんな気持ちにさせられます。


最近ネット上で、武田邦彦・中央大学教授の発言が、物議を醸しています。
もうすでに多くの方がご存じの事と思います。


実は私、問題のテレビでの発言の詳細については、まだ見ていませんので承知していません。
そこで、湧き起こった物議の方を見ているわけですが、いろいろ思うところがありますので、書き記しておくことにしました。


3月の原発事故勃発以来、私はこの武田先生のブログはずっと参考にしています。


例えば、一般公衆の年間被ばく限度量が1ミリシーベルトであることが、どのようにして決められたどの程度の拘束力を持つものかなどについての詳しい解説は、筋が通っていて分かりやすいものでした。


また当初、保安院の危機対応のまずさを指摘したり、東電の無責任を糾弾したり、国が暫定的に福島県での被ばく限度量を年間20mSvに引き上げたことへの批判なども、読んでいていちいち頷けるものでした。


ただこの先生の悪いところは、言葉の選び方が恐ろしく乱暴だということです。
また誤記も多く、たいていは間違いだと分かるのですが、誤解が生まれる要因満載です。


例えば私は、この先生が口ぐせのように「福島の牛乳や野菜は、買わない方が良いでしょう。」と書かれているのを読みながら、ずっと釈然としないものを感じていました。


年間被ばく線量が1mSvを超えて汚染されている福島の大地で生産されたものは、すべて危険だと言われると、何か違うんじゃないですか?と思うわけです。
土壌の汚染は、そのまま100%作物の汚染になるわけではありません。


そこは植物たちの偉いところであり、また土というものの偉大さなのです。


実際に栽培して見て分かったこととして、作物への汚染の移行は予想よりもずっと少ないもののようだということが、数多くの検査から判明しつつあります。


やはりものごとは、一つ一つ個別に見て欲しいと思いますし、学者先生にはお分かりにならない、また一般消費者の方々にもご理解いただいていない、農業という仕事特有の事情があり、農業者はそれぞれに現場で出来る限りの努力をしているのです。


元はと言えば、何の策も講じないまま許容限度だけを引き上げるという対応でお茶を濁した、県や国の方針が悪かった!それ以外の何ものでもないはずなのですが、いつの間にか問題がすり替わってしまっています。


「東北の農家」などという恐ろしく広範で曖昧な対象と、消費者というこれまた国民全員とも言える人たち、お互いに顔の見えない集団同士で争いを構えてどうなると言うのでしょう。


これでは、個別に努力している生産者の苦労が水の泡になってしまいますし、賢明な判断をしようと情報収集に努力を傾けておられる消費者の方々も、疑心暗鬼の気持ちになってしまいます。


やはり、武田先生、ちょっと調子に乗り過ぎなんじゃないでしょうか?

心を痛めずにはいられない・・・

昨日の話題に関連します。

今回の原子力災害を前に、人は本当に千差万別、様々な反応をしています。
そしてそのことが、次から次へと人と人の間に無用な亀裂を生み出しています。


今日は、二つのブログ記事をご紹介いたします。


「農家に婿入りした男のブログZ」
http://ameblo.jp/noukanomuko/entry-10926646707.html


「作付けをしないことは、『農家の良心』ではない」
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-d02d.html


もうすでにご存じの方もいらっしゃるかも知れません。
否、それなら話は速いです。


まだの方は、どちらも長文ですが、ぜひご一読いただきたい。


このブログのお二方の立場の違いとそこから来る主張の違い、そこにコメントを投稿する方々の、またそれぞれ主張の違い、そのやり取りに触れて、心を痛めずにはいられない私です。


昨日私が申し上げた通りのことが起こっていると思うからです。


そして昨日の私の記事に、一つ付け加えさせていただきます。
よく「分からない」のは、実は放射能だけではないのですね。
いわゆる「現地の事情」もです。
人と人の間に無用の亀裂を生んでいる原因としては、むしろこちらの方が大きいかも知れません。

どなたにも申し上げたいのは、福島について語るのであれば、ぜひとも福島に来て胸一杯空気を吸い込んで、私たちと同じ線量を浴び、そして生の声に触れてからにして欲しいということです。


私たちにとって、ここはもはや戦場ですから。






 残留放射能検査報告

先月、沼ノ平地区で収穫されてライ麦と小麦について、残留放射能の検査を依頼しました。
検査機関は、神奈川県横浜市にある「同位体研究所」というところです。
精度の高い検査をすることで定評があると聞いていましたので、高い検査料を厭わず迷わずそこに決定しました。
結果は、二検体ともに不検出(ND)でした。
詳細は、検査報告書のコピー画像をご覧ください。


 


画像クリックで拡大します。


ついでに請求書もご覧ください。



先ずは一安心です。

この検査でさらに予測出来ることは、沼ノ平地区の米もほぼ間違いなく不検出(ND)になるだろうということです。
農家にとっても、消費者の方々にとっても、大きな朗報です。


 ★コメント受付再開します。

「分からない」ということを、人はこれほどまでに恐れる

フクシマ事故以来、人と人の心が分断されて行く現場を、度々目の当たりにし、また耳にします。
福島県と他県、避難する人と残る人、真実を知ろうと懸命な人と無頓着な人、様々な人間関係において、全部が全部とは言いませんが、時に厳しくあるいは時に微妙な溝が出来てしまうのを、これまでにもう何度も見聞しています。


同じこの地球に生きる人類として、全員で力を合わせて立ち向かわなければならない敵を前に、このように仲間割れしているというのは、一体何が原因なのでしょうか。


私は、それは放射能というものが、目に見えず、耳に聞こえず、触ることも出来ず、何の実感も伴わない、全く得体の知れないものだからだろうと思っています。


人は誰も、それを容易に理解することが出来ないのです。
そして分からないということは、何にも増して人を不安に陥れ、恐怖させます。


科学的にさえ、未だ十分に確認されたわけではない領域があり、そういう意味では放射能の恐怖はまさに無限大です。


人はそれに対し、分かった振りをしたり、無頓着を決め込んだり、様々な反応を起こします。
皆、その恐怖から逃れたいのです。


一方、学者さんのように、毎日その分野で研究に勤しんでおられる方々は、お見かけする限り、ちっとも怖がっている様子がありません。
理解が及ぶということが、これほどまでに人の気持ちを楽にさせるのかと、改めて思い知らされます。


だから素人の私でも、少しでも勉強して、何とか理解を追いつかせようと必死です。
これからは、量子力学や放射線医学の概論程度は、社会常識になる必要があるかも知れません。
否、原子力発電をやるなら、市民の理解がその程度まで及んでからにすべきでした。


なってしまったことは仕方ありませんが、この現実をこのまま放置していると、いつか暴動や内戦が起こるかも知れないというのは、大げさに過ぎるでしょうか・・・。
「分からない」ということを、人はこれほどまでに恐れるのだと、私は思っています。




 速報です。

たった今、検査を依頼していた「同位体研究所」からFAXが送られて来ました。
件のライ麦と小麦は、いずれも放射能不検出でした。
詳細は、明日改めてご報告に及びます。