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土とITを活用せよ

これから先の日本の社会の行く末を考えると、先ず今後この国の人口が増えることは、多分ないと思います。

と言うよりも、日本も世界も含めてこの地球環境は、もうこれ以上人口が増えることはもちろん、現在の状況にさえ耐えられないほどひっ迫しているのですから、今後の世界は、むしろ人口の減少を受け入れない限り、存続はあり得ないかも知れません。


いきなり話しが大上段になってしまいましたが、人口が減少するとどんなことになるのか、先んじてそれを経験しているのが、例えば私が住んでいる場所のような、地方の辺境に位置する地域です。


ものごとは、拡大傾向にある時は、何事も前向きに進みます。
将来に借りを作ることになるとしても、先に行けば行くほど楽に返せるのですから、何でも大きく計画する方向になります。
人々の欲望もいつの間にか肥大化して浪費はむしろ奨励される、それが今までの日本の社会の進んで来た道筋でした。


しかしどうやら、それももうお終いにしなくてはならなくなったようです。

資源やエネルギーの問題ももちろんありますが、少子化の問題は大方の人が想像しているよりもずっと根が深そうに思えるからです。
そのことについてはここでは触れませんが、どうしても人口減少が避けられないとしたら、私たちはどんな現実を受け入れなければならないのでしょうか。


私が住んでいる喜多方市山都町相川地区の、ここ数年の現状を思い出してみました。

私たちがこの地に移住してから早くも7年目になっていますが、その間に商店が2軒無くなり、水田耕作を止めた農家が数軒、重宝だった製材所が廃業(休業と言う話しもありますが。)、そして当地区にあった山都第二小学校が統合により閉校になりました。

こんな風に、人口減少がもたらすものは、それまであったものが無くなること、出来ていたことが出来なくなるという厳しい現実です。
そして、最終的に村落の維持が出来なくなる寸前まで追い詰められた地域を、「限界集落」と呼んでいます。

私の居るところなどは、その点ではまだまだ余裕があると言えますが、あと5年先10年先がどうだろうかと考えたら、決して楽観出来る状況ではありません。


さて前置きがすっかり長くなりましたが、それではこの先私が住んでいる地域のようなところは、何をどのようにすれば長らえることが可能でしょうか?
「土とITを活用せよ」とタイトルしたのは、ここにヒントがあると思ったからです。


この先ますます都会に人口が集中して、そこでの便利な生活だけは成り立つとしても、例えば食糧生産などは、相変わらず自然環境に依存しないわけには行かないでしょう。
ハイテク農業の開発で、土も日の光も要さずに工場で米や野菜が出来るようになるとしても、経済的にどうか知りませんが地球環境的に見れば、エネルギー収支はとんでもないマイナスで、全く非効率なやり方です。


逆に考えると、どうやらその一点にのみ地方の生き残りのチャンスがあるように思えます。

土は、全てを産み出しそして枯れることのない資源です。
もちろん、必要以上に収奪しないという、賢明なる選択が必須ですが・・・。

地方に、それも辺境と呼ばれる地に疎らに暮らしていても、ある意味豊かに幸せに生きていられる道はあると思うのですね。


そこで私がITを引き合いに出したのは、人の疎らな地域で孤立感を深めることなく過ごすために、ITはとても有効なツールだと思ったからです。

もちろんどんなものにも功罪があり、ITも犯罪の道具になったり、つまらない娯楽の手段に終始してしまう危険はありますが、それを言い始めたらキリがありません。最後は、やはり一人一人の問題ということになりますね。


いずれにせよ「土とIT」、とても重要なキーワードだという気がする私です。

そんな折も折、来年には喜多方市全域に光ファイバー通信網が整備されるとのニュースも伝わって来ています。

「腰パン」に、私も一言

ちょっと前になりましたが、ずい分物議を醸した「腰パン」騒動。
今日のネットニュースでは、こんな記事が目に留まりました。


 


   「ずり下げズボン」流行の収束願い、NY繁華街に看板設置へ


ニューヨーク(CNN) 若い男性の間で流行している、腰辺りでズボンを履くいわゆる「ずり下げズボン」の習慣をやめさせようと、ニューヨーク州議会の上院議員がブルックリンなどの繁華街にキャンペーン看板を設置する計画を立てている。キャッチコピーは「Raise your pants, raise your image(ズボンを上げてイメージを上げろ)」。(CNN.co.jp)


不快だという意見があるかと思うと、表現の自由だという意見があり、アメリカのある州では「ずり下げズボン禁止条例」を決めたところ、憲法違反だという議論まで出て来たとか・・・。


 


さて当の私の感覚はと言うなら、世の中平和ですなァと言うしかありません。


もし彼が狩猟民だったとして、槍を片手に獲物を追う時にあの格好では、獲物に逃げられるのが落ち。
反対に危険な猛獣に出合ったら、簡単に餌食にされてしまうでしょう。
まあでも、今の私たちにそんな現場はありませんから、いい喩じゃないと言われるかも知れませんね。
だったら、あの格好で畑を耕してみたら具合がいいでしょうかね。
山に行って、チェーンソウで木を伐ってみたらどうでしょう。
多分、裾を引っかけついでに足を切り落とすのが落ちです。


何が言いたいかというと、ずっとあの格好でいられる生活ってどんなんだ?ということです。


14年間電気も電話もない山の中で、薪とランプで生活した時のことを思い出すと、あの生活ではたとえ腰パン大好きでも、あの格好では何も出来ませんから。

どうも何と言ったら良いか分かりませんが、世の大方の人々が不快だから止めろと言ったり、逆に個性に口出しするべきじゃないと言ったりしているのが、私には全然ピンと来ません。


とまあ、こんなとらえ方もあると知っていただきたくて、一言申し上げました

今日は選挙でした。そして・・・

今日は、我が喜多方市の市長選挙と市議会議員補欠選挙があり、投票に行って来ました。


最近の世相と言うか、私たちの暮らし向きというか、あまり良いことがないような気がしています。
そのせいもあってか、政治への関心は若干高まっていると思います。
喜多方市も4年前の合併で広域となり、それぞれの地域の問題が山積して、難しいかじ取りを迫られています。
誰を市長に選ぶかはもちろん重要ですが、この際市民一人一人も賢明にならなくては、この難局を切り抜けることは叶わないでしょう。


さて国政に目を転じれば、民主党幹事長の小沢一郎氏の疑惑のことばかりが騒がしく取り沙汰されており、メディアも国民も異常なまでに熱狂していると、私はいささか薄気味悪さを覚えます。


概ねメディアが語っていることは異口同音に聴こえますので、私は敢えて反対の論調を語る意見を検索してみました。


   <参照1> ※特に1月17日付けの記事    <参照2>    <参照3>    <参照4>


さて、これらの意見とメディアが伝える情報を横並びに置いて見比べる時、私はこの日本の社会とそれを構成している日本国民が、何かにつけすぐに思考停止して一斉行動に出ることへの危機感を強く感じます。
こんなことを繰り返していては、この世界の危機と言える状況の中で、この国の行く末を誤る恐れ大です。


実はこの国にも世界にも、政治的権力よりもさらに強い力が動いているのだと、私は思っています。
「金」でしょうか?そうかも知れません。
否、もっと別な、目に見えないものかも知れません。


昨年夏の衆議院選挙で政権交代が実現した時、私の脳裏に思い浮かんだのは、自民党であれ民主党であれ、どちらに政権を取らせてもどこからでも利益を吸い上げることの出来る人たちがいて、そういう立場の人たちが描いたストーリーが実現しているだけだということでした。

そして恐ろしいことにその立場の人たちは、国家などに束縛されず地球規模でそういうことに策を巡らせていて、一国家の存亡さえも利用価値で計っているということです。
例えば、アメリカを滅亡させることにも、まったく躊躇はないと言った具合に・・・。


これが私の考え過ぎかどうかは、私がこの世にいなくなるくらい後になれば、どの道明らかになることでしょうから、その時に「昔、頭のおかしな親父がいてこんなことを吹聴していたよ!」と笑い話になっていて欲しいと、孫の写真を見ながら真顔になっている私です。

民主主義を自覚せよ

鳩山新総理が国連で、温室効果ガス排出25%削減を国際公約しましたね。
はっきり言って、これは大変なことですよ!
日本はこれまでのところ、削減を目標にしながら逆に増えている現状ですからね。


ところで記者会見の際、それに対して日本人記者が、国民や産業界をどう説得するのかと質問していました。
それって、ちょっとおかしいと言うか、筋が違うと思います。


民主国家である日本は、我々国民が国家の主人であって、その運営を選挙で選んだ代表に付託しているわけですね。
「自分たちが選んだ・・・。」ということに自覚があるなら、代表がどこでどんなことを言っても、それは我々国民一人一人が言ったのと同じだと解釈すべきですね。
民主主義とは、本来そういうものですから・・・。


今回の国際公約も明言された以上、私たち国民一人一人が責任を負ったと自覚しなくてはならないのだと思います。
もしこれが虚言に過ぎない結果となったら、日本は先進国からも新興国からも、信用のおけない国としてすっかり面目を失ってしまうでしょう。


CО2削減のために、多少の不便に耐えなくてはならない局面が生じることがあっても、それは甘受するしかありません。
あなたがそして私が国家の主と言うなら、それは当然のことです。


もちろん、反対意見を自由に表明出来ることは保証されなくてはならないし、一旦決ったことでも、またいつでも再検討修正される道が開かれていなくてはなりません。
その上で、とりあえず決定には従う。
それが健全な多数決の在り方です。


でも、先の記者の質問からも感じられ、また確かに私たち自身にもある「指導者と命令に服従する民衆」的な発想は、民主主義を理解している者の態度ではないと思います。
民主主義をより良く実現するためには、実は国民の監査能力こそが一番重要なのですから。

この際「無関心は無責任」と自覚して、自分たちの国の行く末に責任を持ちたいと思います。
日本の民主主義は、まだまだ成熟していないと思う私です。

日本人が壊れる

衆議院が解散になるという話しで、それも長年続いた自民党主導の政治に終止符が打たれるかも知れないと、政界はもう蜂の巣を突いたような大騒ぎの様相です。
自民党そのものも、崩壊しそうな状況だとか。

申し上げておきますが、私は政治にはとうの昔に失望し切っているし、今の政治家と呼ばれる方々には、申し訳ないけど信頼なんてものは置くわけには行きません。
今回の選挙で、何がどのように変わるのか分かりませんが、建設的方向が見えていると言うならそれもいいでしょう。
でも私には、そんな希望は見て取ることが出来ません。


それよりも自民党という政党、私は決してひいきじゃありませんが、良くも悪くも日本人の国民性が、象徴的に現われた組織だと思っています。
理屈よりも感情に動かされる傾向、大勢の動きの中に埋没するのを良しとする傾向、前例重視で変化を好まぬ傾向、この政党が提示することは、いつも概ねこの国の人々の心象に符合していたのですね。
そのせいでしょうか、時折多少の反感を持つことがあっても、結局私たちは、新しい道を歩く勇気を持たずに過ごして来たのでした。
その間に私たちに身についてしまった習性があるとしたら・・・、それは思考停止ということでしょうね。


そんな中で民主党が政権を取ったとして、果たしてどのようになって行くのでしょうね。
政治はいつも、国民が歓迎する方向へと迎合する傾向がありますから、気がついて見たら民主党がそっくり自民党の代わりをしていただけなんてことになるかも知れません。


それとも・・・、自民党が崩壊するということは、この日本人の精神性のどこかが壊れてしまったということでしょうか。
それもありそうな話しだと思う私です。


いずれにしてもこの先、油断はしていられません。
私のような零細な自営業で喰っている者は、為政者のちょっとした気まぐれの決断のせいで、足元を掬われて生きて行けなくなるなんてことが、この先いくらでも起こりそうですから。
本当に一歩一歩、どこに足をおいて進んで行けば良いか、自分だけが頼りだと肝に銘じています。

ミツバチの大量失踪のニュースが示唆すること

今日のインターネット上のニュースの中で、特別私の関心を捕らえたのがこのニュースでした。 
<参照>  ※時間が経つとリンク切れになる可能性があります。

この現象の概要は、ミツバチの巣から女王蜂と数匹の働き蜂を残して、残りの蜂が突然いなくなってしまうというものです。
しかも、いなくなった蜂がどこに行ったのか、付近に大量の死骸も見つからないので、原因の究明に困窮しているとのこと。
いろいろな仮説が立てられているようです。
詳しい記事は検索すれば沢山出て来ますから、興味のある方はご自分でご覧になっていただきたいと思います。

このニュースを見て、私は過去にすでにいくつか報告されている、野生生物の不可解な大量死のことを思い出しました。
一つは、鳥です。
2000年に北海道で海鳥が大量死しているのが見つかった事例をはじめ、その後も複数の事例がありました。

それからもっと危機的だと思ったのは、ナショナルジオグラフィックという雑誌で知った、世界の両生類全体に広まっているツボカビ病という感染症のことです。
それのおかげで、カエルなどの両生類がこの地球上から激減してしまうかも知れないというのです。
事態はすでに相当に危機的だと言われます。

これらの事例に触れて思うことは、いよいよ地球環境も危機的状況に入って来たのか・・・ということと、その原因として私たち人間の活動が一番大きく影響しているということです。
もう何十年も前に、化学物質による汚染が取り沙汰されて「公害」という言葉が一般的になりましたが、その後「環境汚染」「環境破壊」といった言葉も使われるようになりました。

環境の名が示すとおり、全ての人が影響を受ける可能性のある汚染や破壊が、問題が指摘されながらも一向に解決しないどころか、さらに新たなリスクを生じ続けている人間活動。
そんなものを「文明」と呼んで、謳歌し続けている人類の未来に何が待っているのか?
こうした野生生物の動向が、今とても気になる私です。

エコか、エゴか?

人類は、どうも次々と問題を抱え込む生き物のようです。
石油、石炭の枯渇が現実味を帯びた問題として騒がれ、一方原子力は未来永劫に核廃棄物の問題を残し、その板挟みの間に風力や太陽光、バイオマスなどの自然エネルギーの開発が、それこそなりふり構わず進んでいます。
そして今、最も現実的に開発が進んでいるのが風力発電。
ところがこの風力発電に使われる風車が、低周波公害を発生しているらしいことが明らかになって、社会問題になりつつあるそうですね。


それはそれとして、以前私が電気の引けない場所で山暮らしをしていた時、自家発電の手段として風力発電を考えたことがあり、風の様子を調べるためにただクルクル回るだけの風車を作って立ててみたことがあります。
羽の直径が3メートルくらいの、小さいながらもそこそこの大きさの風車でした。
モグラ避けの風車をご存知の方いらっしゃるでしょうか?
あれに比べればずっと大きくて、回り方もゆっくりでした。
高さ4メートルくらいの支柱に取り付けた風車が、グルグル回りだすと何だか頼もしくてワクワクしたものです。
ところがすぐに意外なことに気がつきました。
それは、鳥たちが半径約50メートル以内には絶対に近寄らなくなったことです。
特に頭の良いカラスは、ものすごく訝っている様子で、風車が回っていなくても用心しているのが見ていて分かりました。
なるほど、確かに鳥たちにしてみれば、高いところで動くものがあれば疑うのは当然か、と思った次第。
逆に、畑の作物を野鳥から守るのには、絶好の仕掛けだと言えます。
それから間もない頃、海外の風力発電施設で、風車が渡り鳥たちのコースに影響を与えているという情報に触れた時、「それは当然のことだろう。」とすぐに納得が行きました。




高知県 長岡郡 大豊町 「ゆとりすとパーク」にある
風力発電用風車。2基のうちの一つ。
風景としては好きなのですが・・・。
 


さて話を戻しますが、その低周波公害というのは相当深刻なもののようです。
しかし私は思います。
人間は人間だけの都合で、このようなことを問題にしたりしなかったりしますが、今までにもどれほど多くの野生生物たちが、人間活動のせいで影響を受け苦痛を強いられ絶滅して行ったたことでしょう。
最近は何をする時も、環境影響評価というものが行われますが、本当なら野生生物の代表を招請して意見を聴くべきですね。
本来、野生生物に影響があるなら、遠からず人間にも影響がないはずはないのであって、それを無視するのは他に不純な目的があるからでしょう。
先ずは、人間活動の浪費の構造に対する反省から始めるのでなくては、エコもただのエゴに過ぎないと私は思います。


 


 


   雑貨コーナーより、おしらせ

Blue Lace の春の服が入荷しました。
麻100%のワンピース。
麻、綿混紡のジャンパースカート。
麻100%のシングルガーゼ、チェック柄のストール等です。
今回より、入荷した服で、ご自分のサイズに合わせてのオーダーが出来るようになりました。
色も各種ありますので、詳しくはお問い合わせください。

モノとお金

このところ、日本も世界も経済不況と言われ、かつての世界恐慌の再来かと危惧されていることは、先刻皆さまもご存知の通りです。
そんな折に私がふと思ったのは、今、モノとお金はフェアに交換されているだろうか?ということです。
また、お金は本当に誠実に、本来の目的に適って機能しているだろうかとも思います。

その昔お金は、物々交換では不可能なモノのやり取りを可能にするための、画期的な発明だったに違いありませんが、そのシステムは今や一人歩きして、お金そのものを売ったり買ったりして利益や損失を生じる、ある意味でとても不誠実な力を発揮するようになってしまったと、私はそう思います。

例えば、証券取引で相場の上下にうまく乗って得た100万円と、数ha(1ha=3000坪)の田畑で一年間汗水流して得た100万円は、果たして等価でしょうか?
絶対に違うと、私は声を大きくして申し上げたいです。

本来、人類全体のためにいくらでも善い働きをさせることの可能な経済のしくみも、悪用すればいくらでも利益を一人占めして、多くの人を不幸に落としてしまう困った道具にもなるのです。
しかし問題は、それがどちらに傾くかは、私たち一人一人の態度にかかっている部分がどうしてもあるということは、否定することの出来ない事実です。

今回の不況の果てはどうなるのでしょうか。
波の上下のように、時が過ぎれはまた好況になるのでしょうか?
そんな単純に行くかな?またそんなことで過ぎて行ってしまっていいのかな?と私はちょっと素直じゃないかも知れませんけど、あまり肯定的な近未来観を持ってはいません。

そんな時代に、この先どのようにして生きていようか?このパン屋という仕事を通してそれは実現出来るだろうか?このところいつもそんなことを考えている私です。

続・きびしい時代がやって来る

つい先日、会津ではよく知られた最先端ハイテク企業が、会社更生法適用を申請して倒産したと大騒ぎになっています。
聞くところによれば、昨年12月期は黒字だったとか。
それからわずか2ヶ月足らずの間に急激に経営が悪化して、資金が回らなくなったらしいですね。
このニュースに触れて思ったことですが、最近の産業と経済の構造というのは、砂上の楼閣と言うか、薄氷を踏んでいるような危なっかしさの上に成り立っているのですね。

この前は、薪ストーブに例えてみましたけど<参照>、それより石油ファンヒーターに例えた方が当たっていますね。
スイッチオンですぐに猛烈な火力で部屋を暖めますが、燃料が切れて火が消えたらもうその瞬間から寒々として来ます。
この例えの方が、より近頃の世相を反映していると思います。
つまり何をするにも即効性が重要視される、直ぐ使える人材、直ぐ結果が出るプラン、待つことも溜めることもなく欲しい結果だけを急ぎます。

して見ると、強大に見える資本の力も実は、一足飛びに目的地に行き来するために張った細いワイヤーに吊るされたゴンドラに乗っているようなものだとも思えます。
調子がいい時には、地上を荷を背負って歩いていることがいかにも馬鹿馬鹿しいことに見えるでしょうが、もし途中で目的地が変わってしまったら、もう何の役にも立ちません。
まあ、例え話はそのくらいにしておきましょう。

このニュースを知った時、真っ先に思い浮かんだのは、昨年秋の「国際交流フェスティバル」の時、食工房のブースの後ろでカレー屋さんをやっていた若いインド人の男性の顔でした。
今回のニュースに直接関係あるかどうか知りませんが、彼もまた日本に出稼ぎに来た外国人の一人でした。
日本人よりも安い給料で働いて、会社にとって貢献度が高くても、厳しい状況になれば遠慮なく首を切られるのは、間違いなく彼らです。

グローバリズムに乗っかって企業が多国籍化し、労働者も国境を越えて行き来するようになりましたが、例えば失業などのトラブルの救済などのことになると、しっかりと国境の壁が立ちはだかります。
国家の対応は、儲けには柔軟でも、損失にはとても辛辣になります。
でも、そこに人の生活の如何がかかっているのですから。

こんな状況に、片田舎で小さなパン屋をやっている親父が何が出来ると言うわけではありませんが、それでも自分の暮らし方や物事への望み方を見直すことで、何か少しでも役に立つことがありはしないか?そんなことを思っている私です。

オバマを巡る様々な意見

皆さまご存知のとおり、アメリカに新大統領が就任してから早や二週間。
今後のアメリカがどうなるかに、世界の命運がかかっていると言ったら大げさでしょうか。

アメリカは変わるだろうか?
アメリカは変われるだろうか?

一国の大統領一人にこれほど注目が集まったことは、人類史上かつて無かったかも知れません。
それだけに様々な意見があるのは当然と言えば当然でしょう。

そしていくら強い権限が与えられていると言っても、オバマは国王ではなく民主国家アメリカの大統領なのですから、アメリカがこれからどのように進んでいくのか、それを占うには、オバマがどういう人物で、何故、どうやって、大統領になったか、なれたのか、その背景にあるアメリカという国そのものを深く理解する必要があるでしょう。

私などは、そんな大きな問題をとやかく言うほどの情報も何も持ち合わせませんが、何と言うか臭いのようなものを感じることは出来ると思っています。
以下に、オバマを巡る様々な意見、あるいはアメリカに対する見解を述べたブログを紹介しておきます。

もちろん、狭い範囲からの私の偏った選定であることは否定しません。
ただ一つ確実なことは、もはや世界は運命共同体であり、良くも悪くもアメリカという国が鍵を握っているということです。
そしてオバマを巡るこれらの意見は、それぞれ私の考えていることや想像していることを代弁してくれています。


「君と僕のためにつくられた国」  <参照>

「オバマの怒りと人事院」  <参照>

「オバマ効果」  <参照>

「オバマ大統領就任演説」  <参照>

「意外にブッシュと変わらないオバマ政権」  <参照>


私自身は、アメリカという国は不可解でとうてい理解が及びません。
でも、そんな国の動向が自分の行く末に深く関わって来るとしたら、やはり真実を知らずにはいられない気持ちになりますね。


「アメリカは変われるだろうか?」  <参照>  私の昨年11月9日の記事です。