「重箱の隅をつつく。」と言うと、あまり良い印象を例えた言葉ではありませんね。
細かいことに煩いばかりで、全体的視野に欠けている人を揶揄する時に使います。
しかしこれも解釈のしようです。
例えば職人的な仕事は、重箱の隅をつつくことの繰り返しみたいなところがあります。
似たような例えで、枝葉末節という言い方がありますが、私の仕事なんか毎日枝葉末節に関わることで終わってしまいます。
大道というのは、たいてい見えない所にあるもので、私の場合なら、無添加、天然酵母、オーガニック原材料などなど、仕事に臨む姿勢のことを指していると思っています。
それはもう何を語る以前に承知の皆さまとのお約束ですから、日常の具体的な仕事の最中に関わるのは、極極具体的な細かい作業の一つ一つ、つまり枝葉末節であるわけです。
私は、どちらかと言うとものごとは枝葉末節の積み重なりで出来上がって行くものだと思っています。
毎日の繰り返しによって、やがてそこに道が生まれるということじゃないかと、そう思うのですね。
もちろんその前に、辿り着きたいところへの願望と言うか、イメージはあるわけですが・・・。
ところでちょっと話しがズレるかも知れませんが、部屋の掃除をする時、きれいに見えるためには、とにかく角をきれいに掃くことだと言われますね。
本当にそのとおりです。
窓枠に乗っているちょっとした埃を丁寧に拭いておくだけで、部屋全体の印象が変わって見えたりすることが、実際よくあるのですね。
ディテール / detail という英語がありますが、私の好きな言葉です。
物事の詳細という意味でよく使われます。
私は、まさに物事はディテールの集成だと思うのですね。
どんな小さな一角でも、丁寧に関わった物事というのは、絶対に見え方が違うし良い結果が出ているものだと確信しています。
そうは言いつつ、いつでも完璧を望むのは無理だということも、もちろん分かっていますが少なくとも、「重箱の隅をつつく。」あるいは「枝葉末節」という言葉を、手抜きの方便に使うことだけは絶対にしないと、肝に銘じている私です。
私、どちらかと言うと、重箱の隅をつつくのが好きです。
先日のチゴユリの detail
雄しべの先端のヤクはまだ開いていないこと。
雄しべの一つが、何らかの理由で未熟なまま死んでしまっていること。
雌しべも、まだ受粉の準備が出来ていないこと。
つまり、開花直後だということ。
一目見て初々しく、しかしどことなく弱々しく見えたのは、つまりこういうわけでした。