月別アーカイブ: 2009年6月

不思議な光景


20年余り前、これから山暮らしに入る私たちに、
それまで山暮らしをしていた友人から手渡されたもの。


今日は念願叶って、6年ぶりに8分芯のランプにホヤ(ガラス製の燃焼筒)をセットしました。

ランプの芯は、巾が幾とおりかあって、5分(1.5cm)、7分(2cm)、そして8分(2.5cm)のものがあります。
8分芯は、巾が広い分明るさも一番です。
8分芯のランプなら、夜、本を読んだり手紙を書くのにも不自由はありません。
このランプに、14年間お世話になりました。


電灯を消してランプだけにすると、昔、夜、明かりがあれば、そこは特別な場所になったことが、容易に想像出来ます。
夜という時間の持つ、昼とは違う本当の意味の気配を、はっきりと味わうことが出来ます。


さて、ご覧に入れた写真です。
ランプのうしろでPCのディスプレーモニターが光っています。
デスクトップに使っているのは、比較的暗い目の画像です。
ランプの炎とディスプレーやLEDの光、そして周りにうすぼんやりと見える掛け時計やカレンダー。
光景としては面白いですが、この環境でPC作業は出来ません。
コントラストが強すぎて、画面を見続けていられないし、スロットにメモリーカードを挿入しようとしたら、今度はスロットの位置が見えなくて手さぐりになってしまいます。


夜をランプで過ごすことと、コンピューターシステムに付き合うことの間には、思っていた以上に深い溝がありそうな気がします。
これから時々、そうですね、一週間に一度くらいでも夜をランプの灯りだけにして、電気仕掛けのものと距離をおいて過ごしてみようか、そんなことを考え始めた私です。


「食工房のパンだより44・七夕号」編集中です。近日公開

おいしいパンの定義

世界一おいしいのは、スペインのパン。
こんな情報を耳にして、ずっと気になっていました。
そう言えば、「パン」の語源はスペイン語だそうですし、パン屋としてスペインのパンのことを知らないでは済まされません。

今時、ネットで調べればいくらでも詳しい情報が手に入るだろうけれど、いろいろ分かると今度は自分でも研究しないではいられなくなるだろうし・・・。
少し時間的に余裕がある時にしようと、これまでずっと先延ばししていたのです。

でも、もうどうしても気になってしょうがないので、今日ネットで検索してみました。
そうしたら <こちら> のブログに辿り着き、とても納得しました。
エントリーのタイトルも「本当においしいパンの定義」とあります。
ブログの中に、他の記事へのリンクが沢山あって、それぞれとても参考になりました。

余談になりますが、我が家の娘たちは、音楽がらみで今「スペイン」なのです。

さて、そのブログの中にも出て来ましたが、スペインで最も一般的に食べられているパンの話しがとても面白かったのです。
小麦粉だけで造られた全くプレーンな、棒状のそのパンの名前が「ピストラ(スペイン語で銃の意)」。
どうしてまたそんな物騒な名前が付いているのかと思ったら、「空腹を殺す・つまり、やっつける。」という、なかなかひねりの効いたユーモアだったのですね。
そしてそれがなかなかおいしいという話しです。

食工房でも造ってみたいと思い、もう少し詳しく調べるうちに、どうやら食工房の「余り生地のバタール」が、それに近いパンだということが分かりました。
なんだ、そうなんだ!

先にご紹介したブログの中に書かれていた「本当においしいパンの定義」は、結局、私がいつも思っていることと同じでした。
食べることの好きなスペイン人、食べるもの何でもおいしいと言われるスペイン、食工房のパンが近い線を行っていたと分かって、とてもうれしい・・・。

今度から、「余り生地のバタール」を別名「ピストラ」と呼んでやってください。

失敗は成功の母?

失敗は成功の母という金言、どなたもよくご存じでしょう。
失敗から学ぶことは意外に多いもので、後に必ず成功への道が開けるということを言っているわけですね。
一方稀に、失敗そのものが実は成功だったということがあります。
こちらは、怪我の功名と言うのでしたっけ・・・。


今日は、クッキー焼きを3種類やりました。
バタービスケット、わらいごまと順調にこなして、最後にコーヒークッキーを焼きました。
コーヒークッキーは、絞り袋に星型の口金を付けて、天板の上に絞り出して成型します。
前回、計量ミスというわけではないのですが、調整範囲の一番少ない量の水分でやったら生地が固くて、絞り出すのにずい分力が入って腕が痛くなるほどでしたので、今日は多目の量にさらにプラスアルファして作業性を良くしようと試みたのです。


ところがこれが裏目に出てしまいました。
生地の切れが悪くてとんでもなく手間取り、ダレて形も良くないし、何より焼き上がった後の食感のことが一番心配でした。
既定の時間内で水分が抜け切らず、触ってみるとフニャフニャしています。
一時間余りの手間と材料代が無駄になったかと、暑さのせいばかりではない汗が滲みました。
ところがところが、冷えて包装する頃になって試食してみたところ、意外にもサクサクッといい感じです。
さあそこでまた、私は頭を抱えることになりました。


結果が悪くなかったからと言って、またあの作業性の悪さと付き合わなくてはならないのは、はっきり言ってご免こうむりたいのです。
何かもっとうまい方法が見つかるに違いないと、また課題が出来てしまいました。
いやー、一生勉強ですね。
今日のは、怪我の功名と失敗は成功の母と、両方に当てはまる状況だったと言えそうです。


 



ちなみに、食工房のコーヒークッキーは、自家焙煎のコーヒー豆を使っています。
香り自慢のコーヒークッキーです。

おばあちゃん


今でも、田舎に行けば、こんな姿で畑にいるおばあちゃんをみかけるでしょう。
働き者のおばあちゃんは、朝の5時過ぎには畑にやって来て、8時前までずっと細々畑の世話をしていました。
ある日は、もう朝から日の暮まで、昼休みに家に帰った他はずっと畑にいて、鍬を振るったり草を引いたりしていました。


 



シソの葉の手入れをしている時に声をかけて見ました。
「いやー、手間かかるんですねェ。」
「そうだよ。シソは手間かかんだよ。」
別な時、通りかかったお隣のおばあちゃんが首を振り振り、「いやいや、よくやらる!(よくやっているの意)」と。
本当、このシソの葉一枚一枚が千円札だっていいくらいですよ!
日本のあちこちにこんなおばあちゃんがいて、見えないところでコツコツ世話をしているから、健全な畑地が保全されているんですよ。
大規模収奪農法なんかすぐに破綻するのに、皆気がつかないんだから・・・。


 



我が家の農園も、いろいろな作物が育って、畑らしくなって来ました。
今日も合間に草取りしました。
この間の風で倒れたじゃがいもは、大方起き上がっていっそう勢いづいています。
沢山採れるかな・・・。


ごぼうは土が合わないらしく、育ちません。
やっぱり土質は重要ですね。
合わないものを蒔いたのでは、いくら努力してもダメだってことなんですね。
そうそう、ホウレンソウもダメで、いくら石灰を入れて中和しても、芽が出て少し経つと皆消えてしまいます。
ある意味、自然はとっても厳しいと心得ていなくてはなりませんね。


 


本日の食工房




今日は、パンも良く出来ました。
余り生地のバタールをいつもの形と丸いのと二種類造ってみました。
あっ、丸いのはバタールじゃなくてブールですかね。
十文字にクープを入れるのは、西洋では魔よけの大切なお呪いだそうです。
以前、アイリッシュコンサートに出演してくれた、ショーン・ライアンが教えてくれました。<ショーン・ライアンの関連記事>
フィンランドのシナモンロール・カネリプッラも、今日はとても機嫌良くいい形に焼き上がりました。


皆さまのご来店、お待ちしております。

少しだけ、緩やかな一日に

今日は、月一恒例の会津若松市方面への配達日でした。
先月の「パンだより」を出せずじまいでしたので、ご注文は少なめ・・・。
そして先週からスコーン焼きのスケジュールも変更したので、今日は最近になく作業量の少ない午前中でした。
昼過ぎには配達に出る準備が整い、夕方までかかってゆっくりと回って来ました。
でもまあ、行く先々で、ゆっくりとお話し出来ましたので、こういう時間もたまには大切だなぁと思った次第。
今度、藤島晃一さんのライヴでお世話になる風街亭にも、顔を出して来ました。
そうしたら、ご縁のある方が集まっていらして、イベントの宣伝をさせてもらうちょうど良い機会に・・・。
こういうのを、間がいいと言うのでしょうね。
ありがたい計らいです。

さて、明日はまた張り切ってパン焼きです。
相変わらず今日も猛烈に暑かったので、パンの売れ行きが心配ですが、逆に新しいメニューの研究に意欲が湧きそうです。


  本日のサプライズ

Mojo Fuji / 藤島晃一 のアルバムより一曲
本人の許可を得ましたので、試聴サービスです!
※ 要 Quick Time Player




art by Fuji


 

パン屋泣かせの夏が来る

今日は、お昼頃からどんどん気温が上がって、蒸し暑い一日でした。
夕方になってもあまり気温が下がらず、吹く風も涼しく感じられません。
食工房の作業場は、オーブンの余熱で軽く30℃を超えています。

このオーブンの余熱が残ったまま店を閉め切ると、夜の間にサウナのような状態になってしまいます。
そこで、オーブンの扉をわざと開け、扇風機で風を当てて冷却しています。
換気扇はもちろん全開で回っていますが、それでも一時的に40℃くらいになります。
そうやってしばらくするうちに、やっと手で触っていられるくらいまで冷めたら、とりあえず終了します。
そして翌朝は、出来るだけ早く開け放して朝の風を入れます。
中で作業する私たち人間の方も、この時期は暑さに耐える我慢の季節です。

まあそこまでは、自分たちの忍耐力で何とでもなりますが、問題は夏場パンが売れ難くなることです。
パン屋泣かせの夏の真意は、実はここにあります。
いっそのこと、夏の間一カ月くらい休業したいところですが、そこまで極端なことをすると、その間に食工房はつぶれてしまいます。

やっぱり頑張るしかないということで、今年も「夏こそパンだ!」キャンペーンをやります。
詳しくは、今度発行する「パンだより」でお知らせいたします。

まあまあ、どんな時でも「愚痴はよそうぜ、青木さん!」と自分に言い聞かせつつ、サプライズする楽しみを見つけたいと思っています。

今日も、おいしいパン焼けてます。
みのりのパンも、土曜日を待たず今日焼きました。
ご来店お待ちいたしております。


  そうそう、忘れるところでした!


今日いらしたお客さまの一人が、先日の「ランプの灯り」の記事に触れて灯油ランプに興味を示されましたので、今でも入手可能だと教えて差し上げました。
これをご覧の皆さまの中で灯油ランプに興味のわいた方は、どうぞ <こちら> をご覧になってください。
さらにエコロジー全般に関心のある方、併せて <こちら> もご覧ください。

ブラウニー、新食感


新食感、食工房のブラウニーです。


おいしいコーヒーというのは、砂糖もクリームも必要なく、ただブラックで飲んでも十分満足出来るものですが、そこに良質の甘みと香りの備わったお菓子が少しあれば、もうこれ以上の満足はありませんね。


ところでカカオと言えば、コーヒーと並んで嗜好品の代表格。
互いに似たもの同士でありながら違った個性を持ち、そして取り合わせればこれまたとてもいい相性という、コーヒーとカカオの不思議な関係です。
そのカカオから造られるのが、ご存知のとおりチョコレートとココアです。
そしてチョコレートもココアも、お菓子の材料としてなくてはならぬものです。

前置きが長くなってしまいましたが、チョコレート菓子の傑作の一つ、それがブラウニーというわけです。
このブラウニー、造り方は至って簡単そうに思えますが、やって見るとアレンジの巾が広く、案外奥の深いお菓子であることが分かります。


食工房のブラウニーは、高カカオ系と言われるカカオを沢山使うタイプです。
でも、カカオ特有の渋みやクセのある香りは、全然と言って良くらい気になりません。
文旦ピールの柑橘系の香りとバニラと、そして秘密のスパイスワークが合わさって、カカオの風味のいいところだけを上手く引き立てているからです。

おかげさまで、発売以来ご好評いただいて来ました食工房のブラウニーですが、最近、食感が少しかわったのにお気づきでしょうか?
実は、また一工夫しました。

材料のミキシングの順序を一部変更し、焼成温度と時間も再検討し、若干調整しました。
その結果、以前のしっかりとした歯応えのある食感に比べて、モッチリとした柔らかい食感になりました。
それぞれお好みがあるかと思いますが、ナイフで切った時に崩れにくくなっている点は、好ましいと思っています。

新食感のブラウニー、ご賞味いただければ幸いです。

観察、観察、また観察


 風で倒れたじゃがいも。折れたわけではないので大丈夫そうです。



風に吹き流されるトウモロコシの葉。
かえって良い風かも?
 



 これがテントウムシダマシの卵。
一か所としては
少ない方ですが20粒。


 


昨夜は大風が吹いたようで、朝畑に行って見ると、じゃがいもが風で倒されて滅茶苦茶になっていました。(少なくとも最初、そのように見えた。)
いやいや、これは大変だ!土寄せして起こさなくてはならないかと思いました。
それで実際にちょっとやって見ましたが、そんな簡単には行きませんでした。
あんまりいじらない方がいいか?というより放っておいても大丈夫じゃないかなと思い直しました。
今までの経験からしても、風が止めば、しばらくするうちに自然に起き上がって来るのじゃないかと。
こういう大風も害になるばかりではないはず、きっと何か知らないところで役に立っていることがあると、ここは自分の都合のいいように考えましたが、観察だけは忘れてはいけないと、ちょうどまだ風が吹いていましたので、作業しながら様子を見ていました。

強い風に弄ばれるように、あるいはいたぶられるように、茎がグラグラ揺れ葉が裏返るのを見ていると、植物たちにとってはすごいストレスだろうなと思えました。
トウモロコシを見ると、まだ高さがそれほどではないので、倒されるところまでは行かずに耐えていました。
それを見て、これできっとトウモロコシたちは、いっそうしっかりと根を張って茎を太く強くして、この次また風が吹いた時に備えるだろうと思いました。
そしてその結果、しっかりと養分を吸い上げて良く育つのではないか?そんな仮説を思い付きました。

何事にもきっとわけがあるもの、どこでどのように手を出せば良いか分かるのが人間の知恵なんでしょうね。
裏返ったじゃがいもの葉に、テントウムシダマシの卵が付いているのが、良く見えて発見し易かったのもご利益でした。

このところ、雨と風と日の光が交互にやって来るので、作物たちはこの一週間で見違えるように育っています。
もちろん雑草たちは、その何倍かすごい勢いです。
人間の私は、それに負けないように草取りしています。

もうあと一週間かそこらすれば、きぬさやあたりから収穫が始まるでしょう。
採れ出すと、今度は収穫に追われるようになります。
楽しみです。

ランプの灯り

昨日は、夏至でしたね。
昨日の夜は、ブログをアップした後間もなく、PCを止めて蛍光灯の明かりも消して、灯油ランプとローソクで過ごしました。

もちろん明るさという点では、電気の明かりとは比べ物にならないほど暗いはずなのですが、それだけになったらなったで全く暗いという感じがしないのは不思議です。
目が慣れるのさと言われればそれまでですが、それだけではないような気もします。
さらにうまく言えませんけど、何か安心感があります。
本当は、炎が燃えているので危険と言えば危険なのです。
火事になることだってあり得ますからね。
それでも、ランプやローソクには、何か得難い魅力があります。
それを毎日の生活で使っていると、物事に対する感覚までもが変わって来るような気がします。

静かで暗い夜が当たり前の暮らしをして来た私たちが、電気の点くここに来て先ず驚いたのは、蛍光灯の明るさが暴力的にさえ思われたことです。
おまけに蛍光灯は何やら音も出しているのですね。
外に出れば、街灯が明る過ぎて星空も見え難くく、何もかもに違和感がありました。
さすがに6年近くも経って、慣れてしまったと言うか、慣れざるを得なかったと言うか、平気になってしまった自分に逆な意味で違和感を感じるこの頃です。


灯油ランプとローソクの明かり


器具のディテールをお見せしたかったので、昼間撮影したものです



部屋の真ん中あたり、テーブルの上などに吊るして使います。
真下でやっと本が読めるくらいの明るさ。
絵や写真は、色が変わってしまいます。



卓上用あるいは壁際の棚やボックス類の上に置いて使います。
残念ながら、ホヤの上部が破損しています。



コスト的には、一番贅沢な明かりです。でも、雰囲気は最高!
山暮らしをしている時は、月に一本くらい消費していました。



昨夜は、ランプの灯りに替えたら、以前の感覚がすぐに戻って来ました。
いやー、うれしかったですね。
もう一度人生を変えてもいいと思えるくらい、感激していました。

さて、暗くなれば眠くなるのが生理のようで、眠たくなったので寝る前に小便をしようと、また思い立って外に出ました。
そうしたら、晴れて澄んだ夜空に星が瞬いていました。
とたんに目が覚めてしまった私は、それからしばらく星空を眺めていました。

とても大切なものごとを幾つか思い出せて、確認出来て、昨日はうれしい気持ちで眠りに就くことが出来ました。

父の日によせて

今日は、父の日。
私も6人の子の父ですが、それは置いて、今は亡き私の父の話を聞いてください。

私の父は、もう14年余り前に亡くなり、すでにこの世の人ではありません。
その父が、亡くなる2年ほど前に、当時山暮らしをしていた私たちの所に、一度きり訪ねて来たことがありました。
「馬鹿な選択をする・・・。」と呆れられながら始めた山暮らし、本当によくやっていたものだと思える、まるで絵に描いたような貧乏暮らしでした。


たった一晩泊まりで直ぐに帰らなければならない父でしたが、いる間中ずっと6人の孫たちと遊んでいました。
4人の男の子たちと、下の川にも行きました。
渓流釣りの達者だった父は、孫たちが同じように達者に沢を飛び歩く様子を、目を細めて眺めていたに違いありません。
この時は一匹だけ、手ごろな大きさのヤマメが釣れて帰って来ました。


それをさっさと捌いて、夕食のごちそうに塩焼きにしてもらって、父はとても満足そうでした。
ランプの灯りの下で、私たち夫婦と6人の孫たちに囲まれて食事をしたのも、思えばこの時が最初でそして最後でした。


皿に乗ったヤマメの片側半分をきれいに平らげた後、孫たちがじっと見ているのに気がついた父は、そうか!この子たちにも食べさせてやらなくてはならなかったと、魚をクルリと裏返して「おっ、もう一匹おった!」と言って皆を笑わせました。
それから遠慮していた子どもたちも箸を延ばして、皆で一口ずつ味わったヤマメの味は、忘れることが出来ません。
いつもユーモアを忘れぬ父でした。


そんな父は、孫たちに惨めな思いをさせている(・・・)不届きな息子に、小言の一つも言いたかったはずですが、その時はそれまでの2年間、私たち家族全員が一度も医者にかからず、健康優良家庭として村から二度も表彰されたことを褒め、それ以外は何も言いませんでした。
実を言えば、国保税も満足に払えず、保険証の交付を留保されていたので、医者にかかりようもなかったのですが・・・。
多分それも、父は分かっていたと思います。


私と二人だけで話している時、ただ一言、「貧乏するのはかまわんが、貧乏がしみたらいかん。」と言い残しました。
その言葉の意味をすぐには理解出来なかった私ですが、後になって、「人は、貧しい暮らしを続けるうちにいつの間にか、初めから他人の厚意を当てにするような、浅ましい根性が身に付くことがあるものだ。そうなったら人間もおしまいだぞ。」、そう言いたかったのだと理解しました。


その父とも、あの時以来二度と会うこともないまま、二年後には天国に行ってしまいました。
親不孝の埋め合わせは結局出来ませんでしたけど、多分許してくれているだろうと、今はそう思えます。
許すしかない、親心の哀しさそしてありがたさ・・・。
否、案外喜びかも知れないと思う私です。


ちなみに晩年の父は、詩と短歌を学んでいました。
日々の思いを自分史風にまとめて、一冊の本を残してくれました。
世に出せば良かったのにと思う私ですが、巻末には非売品と銘記されています。
いかにも父らしいスタンスだと、代わって私が皆さまにご披露する次第です。


 


   山里にあこがれて住む子ら想う富みきし国の翳りなるやも


   便りなきは健やかなりと諾はん山ふかく住む子らのすぎゆき


   帰りこぬ五月の車みちのくに離れて育つ孫らの遠し


 



 


山暮らしの風景 1993 



 ヤマメを釣った川



このプレハブ小屋で暮らしていました。 



 真黒にすすけた小屋を、連れ合いが精いっぱい可愛らしく演出していました。