月別アーカイブ: 2009年5月

突然のPCトラブル

今日は、「カフェクラブの集い」に4名様のご参加をいただき、オリジナルカリーソースやスパイシーマサラチャイ、そしてエスプレッソコーヒーなどを楽しんでいただきました。

今回、私は自分で思ったより疲れていたのかも知れません。
料理の出来が、今一つ満足ではありませんでした。
ご参加くださった方々には、ちよっと申し訳なかったと後悔しています。

それとは関係ないと思いますが、夕方PCに向かったところ、ディスプレーモニターが死んでいました。
もう全く電源も何も入らず、お手上げ状態で参りました。
買ってまだ二ヶ月にもならないのにと、一時パニックになりかけましたが、気を取り直してサポートサービスに電話を入れたところ、親切丁寧に対応していただき、結局代替え新品の手配をしていただくことになりました。
こういう時は、さすがに新品購入のメリットがありがたく思えます。

とりあえず、ノートPCがバックアップする体制をとっていますので、業務に支障はありません。
こんな時に限ってメールでご注文が入ったりするので・・・と開いてみたら、2件ご注文のメールが舞い込んでいました。
ありがとうございます。


「すべては善きことのために計らわれている。」と信じて歩いています。

食糧危機は、現実の問題

飯豊の空の下から・・・

昨日届いた「ナショナルジオグラフィック」2009年6月号の表紙です。
「特別リポート・止まらない、世界の食糧危機」という見出しに目を奪われました。
皆さんの食生活に直結するパン屋という仕事をしている以上、どうしたって重大な関心を払わないわけには行きません。
そう思って記事を読み進めるうちに、これはやがてやって来る問題などではなく、もうすでに現実となっている問題であることに理解が及びました。
皆さんも、機会があればこの「ナショナルジオグラフィック」2009年6月号を、ご覧いただきたいと思います。
世界の人口と食糧に関する問題は、実はもうずっと以前から指摘されていたことで、何を今さらと仰る方もいらっしゃるかも知れません。
しかし、今回のこのリポートは、それがこの時代の私たちの現実になってしまったことを教えています。

それらを読んで私は、地球温暖化など環境的要因、食料の取り引きにおける独占や格差など経済的要因、戦争など政治的要因が複雑に関わりあって、食糧が公平に行き渡らないことが、一番大きな問題なのではないかと思いました。

リポートに拠ると、この10年間、世界の食糧消費はほとんどの年で生産量を上回っており、備蓄を取り崩して間に合わせて来たという経緯だそうです。
つまり、すでに量的に足りていない事態なのですね。
とは言え、この日本の私たちの現状を見る限り、食べるものが間に合っていないという実感はありません。

一方世界には、一日を100円以下で生活しなくてはならない最貧層と呼ばれる人々が十億人いて、この人たちは収入の50~70%を食費に充てなければならず、到底満足に食べられるという現状ではありません。
すでに絶対量が不足しているのに、腹いっぱい食べる人たちがいれば、一方には必ず飢える人が出るのは間違いないことですね。

そうやって考えると、この日本ではまだまだ食料品は安いと言えます。
しかしいつまでもそれが保証されるかどうか、それはこの国の食糧政策にかかっていると言えます。
当然、自給自足の方向に向かわなくてはなりませんが、果たしてどうでしょうか・・・?
農業政策は、本当にこの日本の国土事情にあったプランになっているでしょうか。
また国産小麦の記事<参照>の中でも申し上げましたが、逆ザヤ取り引きや政府補てんの在り方は適正でしょうか。
早い話、大根一本幾らだったら、農家は自営して行けるでしょうか。
そしてまた食糧には、とりあえず空きっ腹を満たすという量的保証以上に、私たちの健康的生存に寄与する安全性と滋養という「質」も保証されなくてはならないのです。

リポートの中では、遺伝子技術に代表される最先端の農業技術が、「緑の革命」の名の下に世界各地で成果を上げたことと、一方で農薬による汚染や地力の急激な消耗によって土壌が崩壊するなど、負の遺産を残していることも指摘されています。

結局、私たち人間は「そこから得られる資源の枠の中で暮らさなければならないことは、ふつうに考えればわかる。」(一部引用)はずですが、どこか大きな勘違いをしているのではないかと思います。
「メリットは必ず等価のデメリットと引き換えになっている。」という普遍的法則を、忘れないようにしたいものです。

麦

沼ノ平の小麦畑 2008年7月


食工房

飯豊山食パン 沼ノ平産小麦全粒粉10%入り

最後に一つだけ宣伝させていただきますが、食工房では、近所の農家にお願いして自前の小麦を確保し、パンを焼くという取り組みをしています。
今年は、ライ麦も作付けしていただきましたので、8月頃から一部のメニューが完全自給原料で製造されることになります。
皆さまの並々ならぬご関心をいただければありがたいと思っています。

うれしいご要望

仙台のカフェ gratitude さんから、うれしいご要望をいただきました。
6月から月2回くらいずつ、食工房のパンを販売していただけることになりました。


仙台と言えば大都会です。
天然酵母のパン屋さんだって沢山ありそうですが、わざわざこの食工房のパンを使っていただけるご縁に、商売は人の縁あってこそ成り立つものと、あらためて感謝の気持ちが湧いてきます。


今日も、会津若松市内へ配達に回って来ましたが、行く先々それぞれの方々とのお付き合いの時間を思いだし、いつも以上に頭が下がりました。


自分の焼いたパンやお菓子が、少なからぬ人に喜んでいただけることは、それ以上に他ならぬ自分の喜びだと気づきました。
デンマークの金言では、「受け取りたければ、まず与えなさい。」と言うそうです。
日本なら、「情けはひとのためならず。」でしょうか。
そうしていたら、今日訪ねたお客さまのブログに、こんな一言が掲げられていました。
「今日 あることを 喜び  今日 できることあるを 喜ぶ」と。
何だかシンクロしてますね。


すごいテンションで突っ走った今日一日でしたが、終わり良ければすべて良しの気持ちで、眠りに就けそうです。

一週間の始まり

食工房は、火曜日と水曜日が定休日ですので、木曜日の今日が一週間の始まりです。

今日は、早朝からパンこねに始まり、お昼過ぎには予定通り全部焼き上げ、配達に回って来ました。
毎週、木曜日が一日終わると、これで一週間持つだろうかと思うのですが、何だかんだと言いつつもう5年余りもそうやって過ごして来たのですね。

人の気力や体力そして意欲は、どこから湧いてくるのでしょうか。
一杯のコーヒーから、ということもあるでしょう。
他には・・・。

そんなことを思いながら、また一週間がんばります。

そう・・・、「よろこび」と「たのしみ」は違うという話しを、いつかしてみたいと思っています。

今日は、時間切れです。



とうもろこしが育っています。

やっぱり、Joaquim

Joaquim Cafe




 


上から順に、生豆、1.Roast   2.Roast


もうずーっと長い間、私を悩ませ泣かせ続けているのが、ブラジルからやって来るJoaquim 農園のコーヒー豆です。
この豆の何が私を困らせているのかと言うなら、それはグレーディングの悪さに尽きると申し上げなくてはなりません。


「農産物としてのコーヒー」というエントリー<参照>の中でも申し上げましたが、収穫されたままのコーヒー豆には、風味に悪影響を与える要因を含んだ粒が、必ず幾分かは混ざっています。
「欠点豆」という名で総称されるそれらの粒を取り除き、一定以上の品質にするのがグレーディングという作業です。
グレーディングには、機械化出来る部分もあるのですが、最後に一番重要なのは、人が目で見て手で拾い出す作業、いわゆる「ハンドピッキング」です。


ハンドピッキングがどんなに大変な作業かということを、今までに何度も申し上げて来ましたが、Joaquim 農園ではいくつか理由があるのだと思いますが、グレーディングが大変大らかと言うか、「本当にやってるの?」と言いたくなる状態なのです。
欠点豆混入率が30%にも達するため、約1/3がロスになるばかりか、選別のために要する労力と時間を考えたら、とても引き合いません。



この画像の中から、欠点豆をいくつ発見出来るでしょう。
挑戦してみてください。正解は、次週に。


しかし、そうまでしてもこのJoaquim 豆を止めない理由は至って明快です。
コーヒーとして一番重要な風味が良いという項目で、食工房として最高点を付けているからです。
今までに、このJoaquim の代わりになる豆をずっと探し続けていますが、食工房テイストに寄与するという、私にとっては一番肝心なキャラクターを満足する豆にはまだ出会えません。
まだまだ当分、否ずっとかも知れません、悪豆拾いに泣かされ続けることになりそうです。


ちなみにこのJoaquim 農園、父親が病気に倒れた後を三人の娘たちのうちの二人が協力し合って、いいコーヒー豆を生産する意気込みに燃えています。<参考資料>
もし彼女たちが、遠い地球の反対側の日本で、似たような姉妹が親の手伝いをしてハンドピッキングをやっていると知ったら、どんな顔をするでしょうか。
いやいや、そういうことを知ってしまったからには、ブラジルの彼女たちばかりにリスクを負わせるのはフェアじゃないという考えもあって、敢えてハンドピッキングの苦行に耐えているのです。

もう一つちなみに、Joaquim / ジョアキンと発音していますが、これはホアキンと発音しなくてはなりません。
固有名詞ですから、ここはこだわって、今後はホアキンと呼称いたしますのでお間違え無きよう願います。


  一部、価格改定のおしらせ

ハンドピッキングによるロスの多少を考慮した結果、ロスの少ない銘柄の価格を引き下げます。



ブルボン・クラシコ 100g当たり 500円 → 400円
カフェ・ヴィーニョ 100g当たり 500円 →
450円



  「カフェクラブの集い」へのお誘い

来る5月31日(日)午後2時より、「カフェクラブの集い」を開催します。
定員8名のところ、まだ十分余裕があります。
どうぞ、ご参加ください。
詳しいご案内は、<こちら>をご覧ください。


  クリングラの製造をお休みします。

当分の間、クリングラの製造を休止いたします。
毎週木曜日に、カネリプッラ(シナモンロール)のみ継続いたしますので、ご注文の際はお間違えのないようご注意ください。

ファーブル農法

今日も畑に出てて、草取りをしたり、植え付けをしたりしていました。

そう、その草取りで思い出す金言があります。
曰く「上農は、草を見ずして草を取り。中農は、草を見て草を取り。下農は、草を見て草を取らず。」とか。
これはもう30年近くも前、千葉県のある農家のカモイの上に掲げられていたのを見て以来、いろいろな意味で忘れられない金言となりました。
当時、無農薬有機栽培や自然農法の話しを聞きかじっていた私はその金言を見て、「フン!何を浅はかな・・。」と密かにせせら笑ったものです。
「たわけ、不耕起無除草こそ上農の極致よ!」と不遜な言葉を口走りそうなのを、やっとこらえていました。
あれから30年近く、阿武隈山中での山暮らしも含めて、農作業や自然との付き合い方への体験が深まり、そしてごく最近この金言に全く違った意味を見出した私です。


物事を空の高みから眺めた時、つまり大局的視野に立つと、この世界には一つの無駄も不足も無いと、よく言われますね。
それはそれで間違いではありませんが、一つ一つの事象の詳細に立ち入ると、そこには様々な不均衡があり、無駄や不足が生じているのですね。
そう、先日も申し上げたように、ディテール<参照>に触れないことには、真実に迫ることは出来ません。


話しが大上段に行ってしまいましたが、草取りということで申し上げると。
自然農法の実践家の方もすでに認めているように、雑草を全くコントロールしないで作物を育てることは、全くとは言いませんがほとんど不可能です。
雑草がない方が、明らかに作物は旺盛に育ちます。
収量も上がります。


そこで私は思ったわけです。
耕運機も除草剤も無い遠い昔の金言ですから、それはどんな意味合いだったのか・・・。
草を見ずして草を取るとは、雑草が生い茂ってしまわない環境を時間をかけて、こつこつと整えて行くことを言っているのではないかと。


そのためには、まだ芽吹いたばかりの雑草を、丁寧に見落とさずに摘んでおくことがとても大切です。
そして一口に雑草と言いますが、実に多種多様です。
その中には、放っておけばすっかり作物を飲み込んで、一面に蔓延ってしかも強力に根を張って取り除くために莫大な労力を要し、次の年もその次の年も頼みもしないのに旺盛に萌え出て来る奴らがいます。
そんなものをそのままにしておいて作物を育てるのは、難しいと言うより端から不可能です。
耕運機と除草剤のお世話にならずに、せいぜい鍬一本でやろうと思ったら、それこそ頭と体を使わなくてはなりません。

そして、これが一番大切と思うことは、丁寧な観察です。
あの昆虫記で有名なファーブルさんのように、わけが解るまで飽きずに観察することだと、今日畑にいて思わず大きく頷いてしまった私です。

どろんこクッキー


このラベルは、実は二代目です。
以前のラベルを知っているあなたは、
食工房のオールドファンです。



これが名物?「どろんこクッキー」  焼き上がるとすぐに裏返しにします。
なぜかっ?って。少しでも食感を良くするためです。ハイ。


チョコレートやココアの原料と言えばカカオです。
このカカオほどお菓子の材料に多用されている物は、唯一砂糖を除けば他にはないのじゃないでしょうか。
食工房のメニューの中では、マフィンが一品目、ケーキが二品目、そしてクッキーが一品目、それぞれココアやチョコレートを使っています。
そしてそのクッキーメニューに、「どろんこクッキー」という名前が付けられているのですね。



話しが横道にそれますが、どろんこくらい子どもたちの遊びに重宝なものは他にありませんね。
土をそのまま茶碗に入れればご飯になります。
水でドロドロにすれば味噌汁。
その他適当な硬さに練って、いろいろな形をこしらえて、我が家の子ども達はいつも夢中で遊んでいました。
たまにお母さんの手伝いをして、クッキーやパンの生地に触らせてもらった時、どろんこ遊びの技がけっこう役に立つのですね。
いつもそれを見ていた私は、チョコレート入りのクッキーの名前を考えていた時、すんなりと「どろんこクッキー」という名前が浮かんだのでした。
我が連れ合いは、一度は「エエッ!」と訝りましたが、すぐに「いいかも知れない!」と気に入って、「どろんこクッキー」がデビューしたのでした。


 



 
バックに流れている音楽は、セファルディ(スペイン系ユダヤ人)の歌です。

こんなのを聴きながら、作業しています。


 これを見ていただければ、いかに手間のかかる非能率的な
ことをやっているか、お分かりいただけることと思います。


 


ところで、どろんこクッキーのレシピはとても凝っていて、ここで公開することは出来ませんが、概略を申し上げると、ナイフで削ったカカオマスフレーク、ミックスナッツ、洗双糖(やや粗めのグラニュー状組精糖)が食感の決め手になっています。
そして、甘さはすごく控えていますが、バニラと秘密のスパイスの効用でとてもおいしく召し上がっていただけるはずです。

材料が高価なことと手間がかかることが重なって、販売価格はずい分高くなってしまいますが、それでも根強く支持してくださるお客さまのおかげで、このところずっと造る端から売り切れています。


 


   おしらせ

今週からしばらくの間、クリングラの製造をお休みいたします。
カネリプッラのみ継続いたします。
ご注文の際は、ご留意願います。

頭を冷やす


Intel  C2Quad 9650


人間の脳は、高性能のPCと同じくらい熱を出しているとか!?
いや、こんなのよりもっとすごいのでは?何しろ水(血液)冷式ですらね。


このところずっとテンションがかかりっ放しという気がしています。
この間、「バランスも大切」という記事の中で、何もしない時間とのバランスということを申し上げましたけど、最近これが決定的に欠けているという気がします。
何もしないと言っても、考え事くらいするだろう?と言われそうですが、それもしないで頭を冷やすことが出来たら、と思うのです。
この今の世の中にいて、そういう時間を求めることは贅沢の中の贅沢と思われている節がありますが、人は誰でも、いよいよとなったら病気してでも怪我してでも強制終了思考停止になりますから、せめてそうなる前にバランスを取りたいのですね。


私たちは生きている限り、心臓は動き続けているし、脳だって機能停止することはないのですが、行動をコントロールする緊張から解放され思考という作業も休止し、なお且つ眠っているのではなく覚醒している時、ちょっと特別な状態になるみたいです。
感覚だけが残って、普段感じ取れないいろいろなサインを受け取ることが出来るのですね。
そういう状態がいつも継続しているのが、修行僧とか呪術師とか、あるいは芸術家なのかも知れません。
凡人の私たちも、たまにその片鱗にくらい触れてみるのは、必要なことなんじゃないかと思うのです。
山に暮らしていた頃、そうかなと思える瞬間に何度か巡り合ったことがあって、今そういう感覚からすっかり遠ざかっている自分は、例えて言うと「目隠しされている」ような不安を時々感じます。
寝ている時に見る夢にも、いろいろな啓示が含まれていると言われますが、それとはまた違う感覚が懐かしく思い出されます。


ああ、こんなことを書き続けていると「Mikioさん、ホントにアタマをヒヤした方がいいんじゃない!」と言われてしまいそうです。
否、真面目に頭を冷やしたいと思っている私です。

マイブログ中間報告vol.13

この前の中間報告で、間もなく10万ヒット達成と申し上げました。
その後淡々と10万ヒットを通過し、現在は11万を越したところです。

それでもう丸2年と3ヶ月、この間私が一番心残りに思って来たことは、紙に印刷して発刊していた「高野通信」が、以来ずっと休刊になっていることです。
代わって「食工房のパンだより」は、ほぼ毎月出しているのですが・・・。
※途中、2回ほど抜けています。

まあ、それで飯を喰っている以上、業務優先のスタンスも止むを得ないとは思うものの、ブログでは書けないような、ゆっくりと時間をかけて熟成させた記事を書いて、皆さんに訴えたいこともないわけではないのです。
贅沢な話しかも知れませんけど、もう少し時間に余裕があればと思います。

かく言う私、文章を書くのは嫌いではありません。
ただし、詩や小説、あるいは俳句、和歌など文芸には、とんとセンスがありませんが。
その代わり具体的事柄の解説や報告なら、いくらでもスムースに筆が動きます。

正直、文筆で飯が喰えるなら、大げさな道具も必要なくていいんだけど・・・、と思ったりします。
まあでも、そうなっていないということは、私はやっぱり手触りのあるモノに触っている方が、さらに性に合っているということなのでしょうね。
いろいろやり尽くして見て、それでもまだ命が残っていたら、その時は本当に文筆で飯が喰えるかも知れない?などと、老いたその先のことをイメージしています。


とにかく今は、パン屋です。
そしてブログは、商売道具的な意味合いの中にも、最大限余計なもの(?)を取り込みつつ、続けて行きたいと思っています。
どうぞ、今後ともよろしくお付き合いください。



一度使った古い写真ですみません。 夏椿(沙羅)の新緑です。 


ああ、時間が・・・

今日は、いつもの製造業務が終わってから先ほどまで、お客さまのご依頼でギフトパッケージのデザインをやっていました。
焼き菓子の詰め合わせと一緒に、オリジナルのギフトカードを入れ、シールやリボンを使って可愛らしい感じにまとめました。

連れ合いが描いたイラストを、スキャナーで取り込みテキストをはめ込んでカードのデザインを作るのが私の役目でした。
それで毎度苦労するのは、色と風合いの再現です。
ほとんどいつも、連れ合いはプリンターから出てくる印刷の出来栄えに満足が行かないようで、画像の調整にはとても時間を要します。
まあそのおかげで、今回も無事に完成いたしました。
たった今、パッケージも終わったようです。
そのようなわけで、ブログを書こうにもPCも時間も占領されていたのでした。


そこでちょっと宣伝させていただきます。
オリジナルギフトパッケージのデザインも、お引き受けいたしております。
簡単なものでしたら、特にデザイン料はいただいておりません。
それどころか、パッケージ代もいただかないこともしばしばです。
結婚記念、出産お祝い、あるいはお香典返しなど、ご相談に応じております。
どうぞ、お気軽にご利用ください。
連れ合いは、可愛らしい子どものイラストが得意です。



例えばこんな感じです。  以前の作品です。