玉蜀黍
さわさわと黍の葉が鳴る
こいつはロッキーバンタムだが
風に鳴る葉ずれの音は
間違いなく日本の秋の音だ
若い時大陸で希望に燃えた日
やはりこの音をきいた
あれから戦争があった
聖戦とゆう全く腹の減る戦だった
空腹に耐えかねて
内地へゆく貨車から黍の実を盗んで
飯盒で煮てみたが
あれだけは喉を通らなかった
敗戦とは言はず終戦ですべてが終わり
引き揚げたふるさとで
アメリカからもらった黍の粉の
ホコリ臭い苦みのある味に
やっぱり敗戦だったと自覚した
つかの間に四十幾年がすぎ
手の平ほどの山の畑で
私は黍の葉ずれの音をきく
さわさわと鳴るその音は
今が一番に平和なときかもと
思うほど切ない
昭和61年10月
これは、今は亡き私の父が自費出版して残した詩歌集「玉蜀黍」の冒頭にある詩です。
今、この詩を読みながら聞かされた沢山の戦争の話を思い出していると、私は、いつの間にかそれが自分の実体験であったかのような錯覚に陥ります。
私の想像力が逞しいのでしょうか。
あるいは私のまわりに、戦争の記憶の生々しい人が、何人かいたからでしょうか。
すでに亡くなりましたが、私の伯父は輸送部隊で任務中
に地雷を踏み、トラックごと吹き飛ばされて、片足の脛から下がなく、義足を付けていました。
また中学校の教師の一人は、太ももに銃弾が入ったままで、片足を引きずるようにして歩いていました。
その傷口を見せてもらったこともありますし、授業中には、南方の島でアメリカ軍の戦車に追われて、ジャングルの中を逃げ回ったことや、爆撃で人も馬も吹き飛ばされ、骨肉が散らばる凄まじい光景だったことも、つぶさに聞かされたものです。
ある時は、機銃掃射のコツを解説に及んだこともありました。
私に戦争を語った何人かの人が一様に口を揃えたことは、新兵の時、最初は皆敵兵を前にしてもなかなか引き金を引けないものだと。
それが、仲間が敵弾に倒れるのを目の当たりにしたとたん、何かが弾けるような気がしたと言います。
そこから先は、いくらでも鬼になれたと・・・。
もう60年以上も前のことなのに、戦争体験者でもない私がこんなにも鮮烈にイメージ出来るのは、今この時代にも、世界のあちこちで戦争が続いているからだろうと思います。
パレスチナで、アフガニスタンで、そしてイラクで。
表向き、戦争を肯定する人はいないはずなのに、相変わらず世界中に紛争の火種が途絶えることがありません。
何故なんでしょう。
どこかに嘘があるに違いないのです。
それをどこまでも突き詰めて行かなくてはならないし、そのためにも戦争の記憶は絶やしてはならないと思っています。
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