日別アーカイブ: 2007年8月18日

そして21世紀がやって来た・・・。

           「獏の空の下から・・・」7号 2001年1月発行より再編集

-前略-
言うまでもありませんが、20世紀は物質文明という、はっきりと目に見える形でものごとが飛躍的に進歩した百年間でした。
中でも、核エネルギーの利用とコンピューターの出現は、この世紀の最注目事項であったと思います。
そして、物もお金も、情報も人も、日増しに速く、しかも大量に動く世界、これが20世紀から21世紀にかけて、今私たちが迎えている現実です。
たしかに、私達の生活上の利便性が飛躍的に向上したことは否定出来ませんが、私としては一方で失ったものも少なくないということの方が気になります。
その中で、私が一番気にかかるのは、私達の感覚からいつの間にか、デリカシーが失われてしまったのではないかということです。
マスコミやインターネットが、次々と送り出して来る強力でスピード感ある情報、洪水のような物やお金の流れに気持ちを奪われている間に、私達は、小さい者、弱い者たちの静かな声、また目に見えなくても音に聞こえなくても、この世界の片隅にそっと差し出され、示されている貴重なメッセージあるいはシグナルを見落としてしまってはいないでしょうか?
たとえば、いつの間にか私達の前から姿を消して行った野生動物や虫たち、いつの間にか様子が変わってしまった森や林、田や畑、空や海の色さえ、どうでしょうか?
今の私達は、起こった事実をただ情報として知識として知ってはいても、それが意味するところを肌身に感じる感覚で感じ取っているかどうかという点では、甚だ心許ない状況なのではないでしょうか。
たとえば、分かりきっているのに自分たちの生存を危うくするような愚行を止められないというような問題を、私達はこれから21世紀百年間をかけて取り組み、解決して行かなければならないのだと思います。
でなければ、私たちに未来はないと言えるほど、実はこの地上は危機的状況が差し迫っているのですから・・・。

2001年初頭、豪雪の後、誰も入って来られなくなった(当然、私たちもどこにも出られない。)場所で、この世界に私達だけしかいないと錯覚してしまうような静寂を、一瞬の後に空を行くジェット機の轟音に破られ、私は落胆と安堵の入り混じった妙な気分を味わったのでした。
同じく、足跡一つついていない雪の上を、一番最初に歩く嬉しさと、ふり返ってつけた足跡を見て、少しがっかりする気分・・・。
私達は前に進む時、そこで何を得て何を失っているかということに、もっと敏感でなくてはならないと思います。
獏の空の下・・・、この世界の大きな流れの中で、取るに足りない私達の山暮らしですが、その中で日々私たちが感じ取っていることは、これからの時代、最も大切にされるべきものになると確信しています。



       ※「獏」は、私たちが14年間山暮らしをした場所の別名です。