月別アーカイブ: 2009年11月

会津学とナショナルジオグラフィック


購読9年目の「ナショ・ジオ」と昨日初めて手にした「会津学vol.1」

昨日は、地元山都町の方の企画で「会津学」の講座を聴くことが出来ました。
私は初めてこの「会津学」という名称を聞いた時、この地域色の濃い郷土愛に満ち満ちた風土ゆえ、会津の歴史と登場した人物のことなどを熱く語り、地域ナショナリズムを鼓舞する内容なのだろうと、浅薄な想像をしてしまったことを恥ずかしく記憶しています。

実際は全然違っていて、暮らしの中の何もかもが人の手から離れて行くこのハイテクの時代にあって、急速に失われて行くそうした暮らしの中の人の手の記憶、それにまつわる人が語り伝えて来た様々な伝承を、今のうちに記録しておこうというものでした。
それも、学者研究者の視点ではなく、自らが地域の生活者でもある立場で、細々とした人々の記憶を網羅することを旨としています。
それが何の役に立つのか・・・。

「会津学」を主宰している菅家博昭さんは、100年先に人々に貴重な情報となって残るように、ということをイメージされていると伺いました。

昨日のお話しは、我が山都町に関わるデータを準備してくださっての、大変興味深い内容でした。<参照>
その中には、私が借用しているこの家の家主さんのご先祖の話も出て来たりして、一つの地域の中でいろいろな物事が時を越えてつながっていることや、人の暮らしと文化の厚みや重さに触れる想いがしました。

そして実はその二日前、購読している「ナショナルジオグラフィック12月号」が届いていました。
その中で一際私が興味をそそられたのは、「タンザニアのハッザ族」という記事でした。
タンザニアの奥地で今なお、完全狩猟採集生活を営んでいる部族の取材記録です。

そこに書かれてあったことで、私の脳を直撃した一言は、「現世人類は、この世界に出現以来その歴史の99%を、狩猟採集民として暮らして来た。残りの僅か1%の時間の間に、農耕が始まり地球環境は大きく改変された・・・(後略)」というものでした。

このブログの中でも取り上げたことがありますが、野生の獣たちとの付き合い方、いい意味での緊張感を持って敵対と友好を使い分け、本来無防備で弱い「人」が生き残るためのノウハウは、実は長い長い狩猟採集民の暮らしの中で獲得されたものに違いないと思い当りました。<参照>

脅威とまた一方で恵みに満ち満ちたこの大自然の中で、農耕が始まり、その他ありとあらゆることが今実現しているのは、その厚い厚い礎があったからこそです。

どんなに文明が発達しても、人が生命であることの事実は動かせないし、それは自然との関わりによってのみ健全に維持されることは間違いありません。

だとしたら、この世界から狩猟採集民の記憶が消えることは、人類の終焉を意味するというのは、大げさでしょうか。
タンザニア政府は、この人たちを救済しなくてはならない未開発な人々だと認定しているのです。

加えて広く文明社会に暮らす私たちが、狩猟採集どころか農耕からさえ遠ざかって、草木の一本も生えないコンクリートの地面で固めた都市で、警戒を怠り何の感覚を働かせることもなく、油断しきって生活していることは、一体何を意味するでしょうか。
もはや人は、狩猟採集民でも農耕民でもない、何か別なものになりつつあると言えるのではないか。
それで本当に生き残っていけるのか。
そんなことを想ってしまう私です。

話は戻りますが昨日は、私にとって「会津学」の意義は、そんなところにまでつながっていると、確認することになったのでした。

待降節


毎年、定位置に飾られるクリスマスキルトと天使の楽隊。
今年もこの写真を撮ることが出来ました。ありがたいことです。


キリスト者の間では、今日から「待降節」と言って、キリストの降誕を待つ望む期間に入ります。
商業イベント化したクリスマスは、もうすでに騒がしく始まっていますが、キリスト者にとって待降節は、むしろ静かに敬虔な気持ちで過ごす期間です。
私が覚えている習慣と言えば、肉を食べない、その他贅沢をしない、何か一つでも自分自身に犠牲を課す、そんなようなことだったと思います。


世間の騒ぎとは全く違い、クリスマスイヴは中でも一番信仰心を厚くする時で、大人たちは教会の深夜ミサに出かけます。
子どもたちは、サンタクロースのプレゼントを楽しみに、寝床の中。
そして本当のお祝いは、25日になってからです。
その代わり、その日から何日間かお祝いが続きます。


待降節の間、主日(日曜日)ごとにささやかにお祝いをして、シュトレンを切って食べる。
ドイツの習慣だとか。


日本はキリスト教の国ではないので、今言ったようなことはキリスト教信者でさえ、習慣になっていないことが多いのじゃないかと思います。


かく言う私は、信仰心も疑わしい信者とは言えない程度のクリスチャンですが、そのような敬虔な気持ちで過ごす期間というのは、誰にとってもあっていい時間なのじゃないかと思っています。
私にとっては、仕事が忙しくて我を忘れそうになるこの時期、ちょうどいい精神修養のような意味があるのですね。
厳密ではありませんが、自分流の待降節を静かに過ごしています。


さて昨日も申し上げましたように、今年もクリスマスの飾りつけをしました。
去年も同じことを申し上げたと思いますが、同じ風景をまた今年もお見せして、この一年間が無事だったことを喜びたいと思います。
よろしかったら、去年、一昨年の記事を併せてご覧ください。
<こちら>からどうぞ。


 



上の娘が作った天使の楽隊 もうかれこれ8、9年目



20数年前、愛知県の小原村の陶芸作家さんからいただいたもの
フェルト製のキツネちゃんは、南会津町のお友だちの作品です。
<こちら>をご覧ください。 



昨年、通販で買ったドイツ製の切り紙細工



神奈川のKさんからいただいた、ステンドグラスのミニチュア(アクリルシート製)
フランス・シャルトルの大聖堂、南向き・バラ窓(13世紀)  



連れ合いのお友だちからいただいたステンドグラス
上の娘が作った、折り紙細工



こちらも、上の娘が作った切り紙細工



くつしたのオーナメントもいつものように・・・。



九州のKさんからいただいた、手づくりのオーナメント
うさぎの切り紙細工は上の娘の作
 



オリジナルクリスマスカードもあります。 



おなじみのトントたちも勢揃いしてお出迎えいたします。



皆さまのご来店をお待ちいたしております。

クリスマスを待つ季節

私は、自分の生家がクリスチャンだったせいか、クリスマスには特別な感慨と親しみを持っています。
思い出すのは、製材所に勤めていた父が、大きなモミの木を運んで来て、家の中にきれいなツリーをこしらえてくれたことです。
今みたいに電気仕掛けでピカピカ光るものは一つもありませんでしたが、記憶の中のガラス玉や父がチョコレートの銀紙を集めて作ってくれたお星さまは、不思議に光を放っているのです。
ツリーのまわりに掛け渡した色とりどりのモールもとてもきれいでした。
そして雪に見立てた綿を枝々に配置して、ローソクの火を灯して、待降節の静かな夜を楽しんだものです。
田舎のこととて、おいしいケーキの味もシュトレンも知りませんでしたが、記憶の中のクリスマスを待つ風景は、今になってなおさら愛おしく思い出されます。


そして今は、おいしいシュトレンを沢山沢山造って、大勢の人に喜んでいただけて、私にとって一段と感慨深いクリスマスを待つ季節になりました。



お店にも、連れ合いがクリスマスの飾りつけをしてくれました。
どれもこれも、手づくりのものがほとんどです。
連れ合いと娘たちが作ったもの、他所の方からいただいたもの、買ったものも合わせて、年々にぎやかになっています。

ギフトに使っていただけるありがたさ

世の中、もうどうしようもなく景気が悪いみたいですね。
食工房の売り上げにも、微妙に影響が出ているような気がします。
それでも、ギフトシーズンの今、去年も喜ばれたからと仰って、今年もまた食工房の品物を選んでくださる方のご注文は、ありがたいことに去年より少し増えています。


商売初心者の頃、こうした特別需要に頼っていたのではしようがないと思ったものですが、今は認識が全く変わりました。


そうなのです!


ギフトは、贈る方と受け取る方の両方の期待を裏切らないようにしなくてはならないのですから、ある意味欲しい方に直接買っていただくことより難しいと言えます。
ギフトに選ばれるということは、どれほど素晴らしい評価をいただいているか、そこをよく理解し感謝の念を忘れてはいけないのですね。


明日も、シュトレンづくりを予定しています。
いっそう心してかかりたいと思います。
皆さまのご期待に、「どうぞお楽しみに!」と自信を持って言えるように。


引き続き、皆さまからのご用命をお待ちいたしております。

中身の濃い一日

今日は、毎度のことながら忙しい木曜日の例に倣って、中身の濃い一日でした。

もう6年近くもこの商売を続けていて、そこそこ要領も良くなっているはずなのですが、ちっとも仕事は楽にはなりません。
何故なのだろうと、つらつら考えてみました。

私も娘たちも、一つ一つの作業に関わるスキルは確実にアップしていて、何をやってももう以前の比ではないくらい手早く片付きます。
では、一体何に手間と時間を食われているのでしょう・・・。

皆さまからのご注文が増えて、焼く数量が多くなったから・・・。
確かにそれもあります。

パンの種類が増えて、その分手間も増えたから・・・。
そうですね。大体増える一方でしたから。


でも、それだけではないようです。


それは、私たちの性格に由来する理由なのですが、要領が良くなって手が空いて来ると、それまで気が回らなかった部分に配慮や手間を尽くそうとする、これが一番の理由のような気がしています。
しかしまあ、そのおかげで少しずつでも製品の品質は上がっていると思いますので、お客さまに喜んでいただいて幾らの仕事をしている以上、それは宿命のようなものと思っています。


あまり病的なほどにならないよう気をつけながら・・・。


ここは、やればやるほど、いくらでも仕事が増える恐ろしい世界です。

大ちゃんの麦畑


 朝晩の温度差でたっぷりと露を含んだ地面から、朝もやが立ち上っています。


我が集落の農業志願青年、仲間に「大ちゃん」と呼ばれている彼の麦畑の様子です。
播きっ放しだった割には、しっかりと育っています。
来年の収穫も楽しみな、食糧生産の現場です。
一年一作、収穫は100~120kgというところでしょうか。
来春の畑の管理次第にかかっています。
この畑でとれた小麦を、私は、1キロ300円で買う約束をしています。
メチャクチャ高いじゃないかと、業者サイドの人間は眉をしかめます。
確かに・・・。
でも考えて見てください。
それだけのためではないとは言えいろいろと機械を揃えて、肥料や種にもお金をかけて、一年の上がりがいいところ4万円です。
写真に写っている面積の10倍作っても、たったの40万円です。
生活の足しにするには、あまりにも報われない労働です。
正規に補助金を申請して作ると、1キロ当たり100円の内麦振興奨励金が下ります。
しかし政府買い上げルートでも、私の買い上げ価格以上にはなりません。
小麦を作るのだったら、もう何百トンという規模で作らなかったら、とても引き合いません。
そうなったら、私だってとても付き合い切れませんし、第一そんな広い畑はこのあたりにはありません。


小麦は、安い外国から買えば良しとして来た国の政策によって、作る人がいなくなったのです。
食糧自給に国が責任を持つと言うなら、この辺のことを先ず考えてもらいたいですね。


農業は補助金漬けでけしからんと言う意見がありますが、それはそれとして、その前に解決しなくてはならない、認識を改めなくてはならない問題が沢山あるでしょう。


さてさてそんな話に終始するつもりではありません。
来年は、この大ちゃんの小麦とすでに実績が出来つつある沼ノ平の小麦とライ麦と、地元産の原材料で焼いたパンを、出来るだけ大勢の方に食べていただこうと、張り切っているのです。


とりあえず損得はおいておきます。


皆さまには、食糧生産の現実をよく知っていただきたいと思っています。
食糧の自給、地産地消は、どのようにして実現出来るのか、私たちと一緒に考えていただければ幸いです。

冬支度、とりあえず一安心

今日は、穏やかな晴天とは行きませんでしたが、雨が降らないだけ恵まれたと思い、心勇んで先日の雪囲いの続きをやりました。
私は、自分で出来ることは何でも自分でやりたい人なので、こうした生活上の所用が片付いていないと、生業にも影響が出てしまうのです。
今日はいいところまではかどってとりあえず一安心。
一昨日とはずい分違う心持ちです。


ところでその雪囲いにも、いろいろと工夫を凝らす自分に、ちよっと感心しつつ呆れつつ、今日の仕事にとりあえず満足する私です。
春になれば壊して片づけてしまうのに、きれいに出来てないと妙に落ち着かないのは、職人気質という名の病気かも知れません。


今日は、あともう一日あれば完成というところまでやりましたので、辺りが暗くなり始めたところで終わりにしました。



土木、建設の現場で働いたことのある方なら、きっと見覚えがおありでしょう。
インパクトドライバー、ハッカー、結束線、コーススレッド、メジャー、電工リール、
その他、うちにはほぼ何でも揃っています。
山暮らしをしていた時に、家一軒建てた人ですから。



ここは二つの屋根の合わせ目の真下になりますので、軒に届くほど雪が溜まります。
そこを建物沿いに通路を確保して、出入りが出来るようにします。
この部分がどのように完成するか、後日またお見せします。


 


さて、そうしている間にも、お手紙やファックスでご注文をいただきました。

ありがとうございます。

これから年末まで、しばらくは息が抜けません。
この時期がなかったら、正直申し上げて一年回らないのです。
がんばって、いい仕事をさせていただきます。

シュトレン、販売開始!


このような木箱の中で熟成中



包装したものが、このように収まっています。


先週末から、お待ちかねのシュトレンの販売を開始しています。
今年は、少し早めに製造をスタートしましたので、すでに熟成が達しておいしく召し上がっていただけるものがあります。
ご予約いただいた方以外に、その場でお求めになりたい方のためにも、数に余裕を持って製造しております。
今年は、昨年のようなバター不足の懸念もなく、ご要望さえいただければさらに数を増やすことも可能です。
試食品も用意しておりますので、ご来店時にはどうぞご遠慮なくお召し上がりください。

   食工房のシュトレン  1個 2700円  1/2カット 1500円


クリスマスプレゼント用にあるいはお歳暮用に、ご依頼先への直送も承っております。
通常簡易包装の他、ギフト用パッケージも用意しています。
プラス200円にて承ります。
なお発送の際に、化粧箱包装紙にて梱包をご希望の方は、さらにプラス150円かかります。
それぞれ用途に合わせてご利用ください。


   今週のクッキーとマフィン


今週は、ジンジャークッキーのみになりました。

マフィンは、「シマリス君の朝ごはん」です。


     おしらせ

今週金曜日(27日)は、会津若松市内個別配達日となっております。

ご利用の方、ご注文は水曜日午前中までにお願いいたします。

気ばかり焦る冬支度

今年は、雪囲いの設置が今日まで全く手が付けられませんでした。
先週も先々週も、定休日の火曜日に限って雨模様で、合羽を着てまでやる気にならず、焦る気持ちを抱えながら先延ばしにしていました。

今日は珍しく穏やかな晴天になり、午後から時間が出来ましたので、逸る気持ちを抑え抑え外に飛び出しました。
家の裏側北面には毎年大量の雪が溜まりますので、頑丈な造りの囲いを設置しています。
雪が降り出してからでは作業そのものが困難になりますから、今日は先ずそこを作業しました。

と言っても実は、昨年の雪囲いを全部撤去し切れていなくて、途中からまた再設置の状況。
かえって楽だったとは言うものの、一年経つのが何と速いことか、そしてまた何と忙しい一年だったろうか、夏の間も囲いを眺めながら過ごしたのかと思うといささかガッカリ。
そして今は、少し楽に囲いが出来て良かったと複雑な気分です。

明日一日置いて明後日、またお天気がいいようなので、今度は南側の出入り口の、ちよっと凝った造りの囲いに時間を費やさなくてはなりません。
あと一日で終わらせることはとても無理で、まだあと何日か時間を見つけなくてはなりません。
それまでは、ドカ雪は困ります。


でもこれまた変なことを言うようですが、本業外の雑用に時間を費やすのは楽しい。
私には、リクレーション的な一面があるのです。


こんなに追いかけられる前に、もっとバランス良く片付けられればいいのですが・・・。



壁との間に空間を取るために、
ちょっと工夫をしています。
この囲いを超えるほど雪が溜まります。

戦争のリアリティーが失われる時

しばらくニュースから遠ざかっていて知りませんでしたが、アフガニスタン・パキスタン国境地帯に、アメリカ軍の無人攻撃機が実戦配備されているのですね。
すでに何度も出動し、戦果を上げているとか・・・。

つい先日このことを知って、私は心の底から薄気味の悪い恐怖を感じました。

今は未だ技術的に未熟だというものの、その攻撃によって実際に人が死んでいるわけです。
このことは、そう遠くない将来、戦闘用ロボットを使って戦争をするようになることの前触れだということです。


無人戦闘攻撃機に限っても、事前のプログラムに沿って自律行動可能な無人機を、一人で3機程度まで操作出来るようにするというのです。
それがどんなに恐ろしい攻撃であれ、遠く何千kmも離れた安全な場所にいて、モニター画面を見ながら指示を出すだけ。
画面の向こうで、沢山の生きた人間が吹き飛び、血を流し苦しみながら死んでいても、おそらく戦争映画ほどのリアリティーも感じないでしょう。


そして元々は、生身の人間同士の喧嘩の延長に過ぎない戦争が、ここまで来るともう、何か次元の違う無味乾燥な殺人行為としか思えません。
リアリティーがないということは、誰が誰を殺すにしても、撃たれたから撃ち返すというほどの理由もきっかけも必要なく、心の痛みにも易々と目を閉じて、命令に従って淡々と作戦を実行出来るのです。


さらにそこには、厳然と格差が存在しています。
高度なハイテク装備で武装出来るのは、世界の中でも限られた国でしかありません。
先行している分、益々優位が高まるだけです。


戦争が理不尽なことは分かり切っていますが、無人機による攻撃や戦闘ロボットの手で殺されることは、さらにもうどうしようもなく理不尽で、とてもやり切れないでしょう。


そんなことが実現するくらいなら、いっそのこと人類なんか滅びてしまった方がいいと思う私です。