日別アーカイブ: 2010年12月8日

足元から学ぶ

 


「会津学」 Vol.6   2010 
概ね年1冊のペースで刊行されています。


先日お知らせしました通り、昨日は、会津学研究者の菅家博昭氏を迎えて、山都町一ノ木地区のフィールドワークと会津学読者会が開かれました。<参照>

日中行われたフィールドワークには、私は残念ながら参加出来ませんでしたが、夜に入ってからすぐ近くの相川会館にて行われた読者会には、食事賄い方も仰せつかっておりましたので、参加することが出来ました。
一口に言って、大変有意義な学ぶことの多い時間になりました。


思い起こせば私、四国は南国土佐に生まれ育ち、その後住所を転々としながらこの会津の地に辿り着いたのは、五十を過ぎてからのことでした。
そして還暦を前に、地域の暮らしの歴史の発掘再考をテーマに掲げる「会津学」に身近に触れることになるとは、全く以て想像もしていませんでした。


その会津学全般のことについてはここでは触れませんが、自分たちの暮らしている地域の歴史から学ぶことの意義は、これまで私たちが思っていた以上に大切なことであるということを申し上げたいのです。


明治に入って、西洋から産業革命の荒波が押し寄せて来た日本は、それまでの伝統文化を惜しげもなくかなぐり捨てて、西欧列強に肩を並べんと、革命だ!合理化だ!と突き進んで来ました。
そして第二次世界大戦に敗戦した後、さらにその勢いは加速し、やがて世界有数の経済大国と言われるまでになりました。


その歴史の中で私たちが得たものは大きかったに違いありませんが、逆に失ったものも少なくなかったことについて、私たちは今までほとんど全くと言って良いほど、考察することはなかったのではないでしょうか。


情報革命、交通革命、進歩し続ける科学と技術の恩恵によって、今や私たちは、世界中の出来事や宇宙の広さを知っており、遠い外国に出かけることも珍しいことではなくなりました。
私たちは、その広がった視野に飛び込んで来る視界につい目を奪われてしまいますが、世界には広さだけでなく深さもあるということを忘れてはいけないのですね。


地域からつまり足元から学ぶということは、その世界の深さに触れる一端だと思うのです。

例えば、一個人あるいは小さな集落の史実から、その時代のその国の歴史の真実が読み取れることがあります。
そしてこの日本を、ある時代ある方向に動かしたエネルギーの源がどこにあったか、そんなことまでもが鮮明に見えて来ることがあるのですね。


ところで、世界で最も成功した国の一つと目された我が日本ですが、今や膨らみ過ぎたとも思える見せかけの国力、それを埋め合わせるだけの中身は、もうすでに無いのですね。


何故でしょうか?


国力つまり一つの国の力、労働生産、科学技術、教育文化、あるいは軍事ということもあるでしょう。
世界平和の実現をリードする力、なんてのもあるかも知れません。(アメリカのような強引なやり方でなく。)
そしてそれらの力は、結局はそこに暮らす人々の暮らしの質、精神性、それまでの歴史に深く関わり由来するものだということです。
中身がないということは、つまり私たちの暮らしが中身の無い軽佻浮薄なものになってしまったことを物語っています。


では、その暮らしを中身のあるものにするためにどうしたら良いのか、「ていねいな暮らし」は一つのキーワードだと思っています。
ていねいな暮らしを実現するためには、広い視野よりも足元の世界の深さに触れていることの方が、むしろ重要じゃないかと私は思うのですね。


ちょっと論理が飛躍してしまいますが、案外こんなことが、私たち一人一人の幸福と世界平和を実現するための鍵なのではないかと、そんな気さえします。


昨晩、菅家さんのお話しを聞いて、そんなことが頭に浮かんで離れなくなった私です。


追伸
具体的なこと、一つも申し上げていませんが、日頃このブログの中でいろいろと申し上げていることの中から、読み取っていただければ幸いです。


菅家さんのブログ「記憶の森をあるく 2010」

関連ブログ 「ひぐらし農園のその日暮らし」  「のっぽのとし・FLOW」 


 「会津学・6号」が刊行されました。 1冊1500円

食工房でもお預かりして販売しています。
ご興味のある方、お問い合わせあるいは直接ご来店ください。