自分のメンテナンス



今日は定休日だったので、赤目のこともありましたが、とにかく午前中を自分のメンテナンスに充てることにしました。
朝のコーヒータイムのあと、時間をかけて体をほぐす体操をし、それから少し心肺の負担になるくらいの運動をやりました。
朝食の後は、河原へカメラを持って写真を撮りながら散歩です。
今日は晴れ上がって、外は一気に真夏の陽気です。
空の色も山や草木の色も、コントラストが強くギラギラ。
突然、はっぴいえんどの歌の一節「ぎんぎんぎらぎらの夏なんです・・・」を思い出してしまいます。
午後からは、用足しと買い物に出かけましたが、どこを走っていても一歩市街地を出れば、あたり一面田んぼの緑が美しく、どこまでも目にやさしい風景です。
おかげさまでずい分調子が良くなりました。




さて、話しは戻って昨日の夕方のことです。
店を閉める時、ちょっと外に出て空を眺めました。
ちょうど次々と星が見え始めたところで、南天には上弦の月がかかり、少し距離をおいて木星も見えていました。
月明かりは、かなりのコントラストで目に飛び込んで来ましたが、不思議に全然目に負担を感じませんでした。
妙に納得が行くと同時に、山暮らしをしていた頃、夕方子ども達が仰向けに寝そべって、羽虫が飛んでいるのを見たり一番星を見つけたりしていたのを思い出しました。
そうそう、「お空眺め」と言っていました。
昨日は、このお空眺めで我に帰った私でした。

 高野茶屋雑貨コーナーからお知らせ
Blue Lace のファッション作品を、写真でご覧になれます。
<こちら>をクリックしてご覧ください。
この他にも作品があり、公開準備中です。
お問い合わせとご注文も受け付けています。

目、やられました。

パソコンは目に来るって分かっていましたので気をつけていたのですが、寝不足が重なったりして、ここニ、三日目が真っ赤です。
パソコンの画面でやられると、同じ充血でも様子が全然違うんですね。
何か気持ち悪い斑模様に、真っ赤になりますね。
パソコン止めていれば、どうってことなく自然に治るんですが、そうも行かなかったりして、まだ治っていません。
私のは、モニターがCRTなので、余計効くのでしょうね。
コントラストを限界まで落として、明るさも限界まで暗くして使っていますが、それでも時間が経過すると確実に目に負担がかかっていることが分かります。
テキストだけなら、白黒反転させて使うとずい分楽ですが、画像が混在しているとかえってストレスになりますので、それも出来ません。
そんなこともあって、パソコンに触る時間を短くしたいので、この何日間、ブログ書きも今一つ意欲をそがれています。

 本日の食工房
自動車教習所に通っている娘が、今日は休校日で食工房の仕事が出来るというので、せっかくの休みをちょっとかわいそうでしたが、クッキーを3種類焼きました。
それでも、明日は定休日ということもあり翌日の支度はありませんので、程々の時間には終わることが出来ました。
おかげさまで、娘も先週末に仮免許試験に合格し、毎日路上教習中です。
来月の初めには卒業になりそうです。

昨日の続きを

どちらかと言えば風変わりな人生を過ごして来て、何でも出来ると言えばかっこよく聞こえますが、何も身についてないじゃないかと言われると返す言葉がありません。
でも、一つ貴重なことだと自身を持って言えることは、いろいろな切り口で物事を視る力を養ったということでしょうか。
世界を広く見られる視点というのは、私にとっては、何ものにも代えがたい大切なものです。
何故かと言えば、それは真実に少しでも近づくことが出来るからでしょう。
「50も過ぎて青臭い。」と言われるかも知れませんけど、どうしても気楽に受け流してしまうことが出来ない性格なんですね
多分、死ぬまでそうだろうと思います。
そして、そのことで大きく貢献し続けているのが我が連れ合いです。
まるで宇宙のかなたから地球に迷い込んで来たような彼女のものの見方は、私なんかより遥かに広く高くぶっ飛んでいるので、私はいつも揺さぶられ混乱し、固まることが出来ないのです。
一つには、そんな私たちが見ている世界を、ちょっとご一緒していただきたいと思い、通信を出したり、ブログを書いたりしています


  私のニュースソース その1
今日は、ちょっと興味深い記事がありましたので、ご紹介します。<参照>・クリックしてご覧ください。

土日が仕事

20代の時から振り返って見ると、私の場合、週末の土曜日、日曜日に仕事をしていたことの方が多いのですね。
そして、雇用されて働いていた期間も、ごくわずかの期間でした。
それでまず最初にやった商売は、路上のアクセサリー売りです。
70年代はずい分流行っていたので、覚えている方も多いでしょう。
仲間内では、仕事のことを売(バイ)と言ってましたね。
髪の毛を長くして、Gパンにアーミージャケットのいでたちで、街角に座り込んで真鍮線を曲げてネームブローチなどを作っていました。
まあまあ実入りが良かったので、土日だけ働けばあとは遊んでても大丈夫くらいの気楽な生活でしたが、1年少々で止めてしまいました。
それから、友人たちと共同で店(カフェ)を始めたのですが、それも1年くらいで抜け出して、その後自然食品の販売を10年近くやったでしょうか。
その後、山暮らしが14年間。
この時も、日曜日に街へ商売に出ていました。
手づくりのパンとお菓子とそれから自家焙煎のコーヒー豆を並べて、有機野菜の仲間たちと路上で「百姓の市」をやっていました。
そして、そこから先が今の商売です。
やっぱり土日が稼ぎ時になっています。
心底、天の邪鬼なんですね。
人が休んでいる時に仕事して、逆に皆さんが忙しい平日にのんびり過ごす生活が、もうすっかり当たり前の感覚になっています。

壊れたら自分で直す。

子どもの時から、すでにこの習慣が身に付いていたように思います。
いわゆる、貧乏性なんですね。
人を頼まず、何でも自分でやることの中で、一番機会が多いのは壊れたものの修理です。
大きいものは家や自動車、小さいものは鉄道模型のモーターや家電品のリレースイッチなどなど、まあ私が触らなかったものはほとんど少ないと思います。
修理不能と思われるものでも、可能な時は部品を自作してでも直します。
例えば今我が家で使っている洗濯機は、少なくとも二回は私の修理で買い替えを免れています。(もう10年以上、毎日酷使しています。)
かかった部品代は千数百円くらいのものです。
またおとといは、簡易水洗トイレの水が漏るというので、息子といっしょに修理しました。
便器などの汚れ物は、大方の人は触りたくないでしょうが、こちらはそうも言っていられない事情がありますから(分かりやすく言えば、お金がない。)、迷いはありません。
分解して外に運び出し、洗浄して各部品をチェックし、仮組みして水漏れテストをして原因を突き止めます。
今回の水漏れは、ホースの接続の緩みや排水パイプの劣化による損傷が原因だったので、応急処置で何とかなりました。
大方半日かかりましたが、ついでにトイレ周りがきれいになって、水漏れもなくなり気分は上々です。
どなたにでも出来るとは言いませんが、こういうことは機会があればやった方がいいと私は思います。
たまには失敗して痛い目に会うこともないわけではありませんが、それでもやった方がいいと思います。
それによって分かることが沢山あり、世界が広がるからです。
そして、どうしても人に頼むということになった時、代価を払うことの意味が自分の中で変わっていることにも気がつくはずです。
壊れたものを直す以外にも、自分でやったことはまだまだ他にもありますが、そのお話はまた追々聴いていただきましょう。

ナターシャ・グジーを聴きながら

昨日、今日と忙しく、さすがに参りました。
夕方配達に回っている途中、川っぷちに車を止めてふっと居眠りして気がついたら、小一時間過ぎていて驚きました。
まあそのおかげで、ずい分気を取り直すことが出来ましたが・・・。
帰って来てから、先日隣町で催されたナターシャ・グジーの歌を聴きました。
当日、音響を担当していた方が内部資料用として録音したライブ音源を、借りて来たのです。
コンサートの時の感動が蘇えって、しばし聴き入ってしまいました。
これでもう、今日一日は報われた気がします。

 ナターシャ・グジー
チェルノブイリ原発の事故で、6歳の時に被爆した。
その後音楽の道に進み、チェルノブイリ避難民の子ども達を中心に結成された民族音楽団「チェルボナカリーナ」に参加。
1996年、1998年には、「チェルノブイリ子ども基金」の招きで「チェルボナカリーナ」のメンバーとして来日し、全国で公演した。
2000年より来日して声楽を学び、本格的な音楽活動を開始。
美しく透明な水晶のような歌声と民族楽器バンドゥーラの哀愁を帯びた音色は、多くの人を魅了している。
彼女は、コンサートのチケットやCDの売り上げの中から、チェルノブイリ救援のために寄付している。
チェルノブイリ子ども基金ホームページ<こちら>
ナターシャのCDが聴きたい方は<こちら>
ナターシャ・グジーの公式ホームページは<こちら>

二度焼き

コーヒー通信、今週は焙煎現場のお話を一つ。
食工房のコーヒー焙煎は、もうご存知の方も多いので今さら隠すわけではありませんが、本式のコーヒー焙煎機を使っていません。
何故って、それは高額の投資をしなければ導入出来ないからに決まっています。
しかしそこはうまくしたもので、私は以前きっかけがあって、ポン菓子(バクダンあられとも言います。)の機械を手に入れていましたので、これが使えるのではないかとちょっと細工して、コーヒー焙煎機にしてしまいました。



生豆



一度目



二度目(仕上げ)


コーヒー焙煎のやり方はいろいろあるのですが、この専用ではない機械の特性を考慮して、二度焼きする方法を採っています。
写真でお分かりのとおり、生豆の青みが消えてベージュ色くらいになったところで一旦釜から出し、風を当てながらチャフ(表面の薄皮)を飛ばし、同時に冷却します。
バットに広げて完全に冷ましてから、二度目の焼きにかかります。
時間にすると、一度目が20分弱、二度目は17~20分(焙煎度による)くらいです。
火力の配分や最高到達温度により、同じ焙煎度でも風味が違って来ますし、豆の種類によって個性が生きる固有の焙煎度もありますので、コーヒー焙煎はやっていてとても面白い仕事です。
自分の経験から培ったノウハウと磨いた勘がものを言う世界です。
大手のコーヒー会社が、いくら最新鋭の設備を誇っても、小さい街のコーヒー屋を完全につぶすことは出来ない理屈です。
何と言っても嗜好品ですから、何でもありですね。
支持してくださる方があれば、それなりにやって行ける、面白い商売だと思っています。

続・写真

おととい写真のことを書いたら、友人のtakさんからコメントとトラックバックをいただきました。
彼も時を同じく、写真のことに触れてブログを書いていたのでした。
そのへんのやりとりは<こちら>をご覧いただくとして。
やっぱり、写真っていいですね。
その人の目が見ているものを理解出来るような気がします。
おとといご来店くださった方も、私の店の写真を沢山撮って、ご自分のブログに紹介してくださいました。<参照>

中に、えっ、こんないいアングルがあったの!と思うような一枚があったりして、とても刺激されました。
今の私はあまり時間がなくて、昔撮っていたような写真は撮れませんが、代わりにデジカメでちょっとした記録としてフィルム代・現像代を気にすることなく、失敗も恐れずどんどん撮影出来ることで、また違った写真へのアプローチが出来ることに気がつきました。
まずは身近なものから、ですね。
私なら、パンの写真でしょうね。
忙しい合い間を縫ってでも、パン屋じゃなければ撮れないような写真を撮りたいですね。
こうやって、何にでも楽しみを見つけながらやって行くのが、私流人生の極意と自覚している、と言うのは少しばかり大げさかも・・・。
さて、全く脈絡なく今日の一枚はこれです。



食工房の客引き妖精・フィンランドからやって来た「トント」です。

おととい、昨日、今日

心配された台風4号も、東北への影響は大したこともなく過ぎました。
お休みを利用して、あちこち出かけられた方も多かったと思います。
食工房にも、初めてあるいは久しぶりというお客様が次々と見えました。
また、お友達を連れて多勢でご来店くださった方も・・・。
ところが私たちの方では、台風の影響を心配して仕込みを控えていたため、思わぬご来店で棚から品物が無くなってしまいました。
今日あたりは、お客様が入って来るなり、もうペコペコと頭を下げて「すみません。」の連発です。
きっとがっかりして帰られた方もいらしたことでしょう。
何と言っても、食工房のメニューには今日仕込んで今日出来るものはないのです。
最低でも二日がかりですから、どうしようありません。
こちらとしては、売れ残るよりは良いのですが、お客様にすればせっかく来たのに何だこれは!ということになりますね。
本当に情けない三日間でした。




さて、今日はまた新潟の地震で大変なことになりました。
今回の震源域には、私の友人知人が何人かいますので心配です。
電話をかけたいところですが、私の心配事なんかよりずっと優先すべき情報のやりとりが沢山あるはずですから、今は控えています。
そのうち無事の知らせがあることを信じて待っています。
当該地域の皆さんには心からお見舞い申し上げます。
また余震の心配もありますので、くれぐれもご用心ください。

写真

阿武隈の山中で暮らしていた最後の数年間、私は写真を撮り続けていました。
被写体は、山の中の植物たちと山の風景。
どうしてお金のかかる写真なんか始められたかと言うと、従兄弟から写真道具を一式もらったからです。
フィルム代と現像代は、事情の許す限りボチボチと。
環境は良かったし時間だけはありましたから、今思うと、プロの写真家でも滅多に巡り会えないようなシャッターチャンスに度々巡り会いました。
ただし腕が追いついていなかったので、必ずしも素晴らしい写真が残っているわけではありません。
私が写し撮りたかったのは、生命そのものです。
大それたことを言うようですが、その時は本気でそう思っていたのです。
美しい写真はプロに任せておけば良いけれど、毎日山の霊気に触れて暮らしている自分には、もっと違った写真が撮れるはずだと。
そんな数年間もあっという間に過ぎて、私は山を下りてパン屋になりました。
決して写真を撮ることを捨ててしまったわけではありませんが、今は生命たちに向き合う時間がなくなってしまいました。
そしてその間に写真もデジタル化が進んで、先日久々にカメラ屋さんに行ったら、フィルムはもう隅の方に少し置いてあるだけという状況でした。
デジタルが悪いとは思いませんが、何と言ったら良いか、心の準備が追いついていないのですね。
それに、デジタル一眼レフは今はまだ到底手が出せないし、もうしばらくカメラは脇に置いておこうと思っています。
では、昔取った写真の中から、好きな一枚を・・・。


                   獏の空の下から・・・「チゴユリ」