月別アーカイブ: 2007年9月

休みの風





                           気ままなそよ風 吹いてくる

                           ぼくのことなど 気にとめず

                           稲穂の海を 吹き抜けて

                           農夫と しばらく立ち話


                           風は 幸せと雨の 匂い乗せて

                           明日を 少しだけ のぞかせて過ぎてゆく



これは70年代、「夕焼け楽団」を率いてメジャーデビューした、久保田麻琴のファーストアルバム「まちぼうけ」の中の2曲目にリリースされている曲「休みの風」の一節です。

今朝、コーヒータイムの後、外に出るなりこの歌を思い出しました。
そして久しぶりに、時間を取り戻したという感じがしました。
いつものように川の方へ散歩に行ったのですが、川に下りて行く途中の田んぼは、もう稔りの季節を迎えていました。
今月半ば過ぎからは、あちこちの田んぼで稲刈りが始まることでしょう。
まわりの草地では、ススキも穂を出しました。
吹いてくる風の匂いも、真夏の頃とはもう違っています。
と、稲穂の海の只中に、緑のトロルの一団が・・・!
でも、ちっとも怖そうじゃないし害もなさそうなので、遠巻きに写真を撮らせてもらいました。




河原では、もう行く度にお目にかかることにしている「顔」たちに面会して、お目々がなくなったりお口がズレたりしているのを、直しながら一巡りして来ました。
よほどの洪水にならない限り、ほとんどはつくった時のままの形で、壊されもしないでそこに居てくれるのが、何ともありがたく思えて、手を合せています。





さて今日の夕食は、久しぶりにラーメンです。
トリガラでダシを取ってあります。
煮干と昆布のダシを合せて、塩、しょうゆ、ナンプラーで味をつけます。
きざみネギとおろしニンニクも、忘れずに加えます。
野菜炒めをたっぷり作って、汁気を先にスープに混ぜます。
湯で立ての麺の湯気を切って汁の中に入れ、野菜炒めを乗せれば出来上がりです。
ちなみに麺だけは、喜多方ならどこにでも売っている、生めんを買って使っています。

暑さが去って

暑い、暑い、と言っていた夏も束の間に過ぎ去り、早くも吹く風にどこか寂しさを感じるようになりました。
秋なんですね。
南国では、まだまだ暑い日が続いていることと思いますが、こちら東北は一足先に過ごしやすい季節を迎えています。
食工房でも、オーブンの余熱がずい分冷めるのが速くなり、店じまい後も延々と換気する必要がなくなりました。
マフィンやスコーンを焼く時の冷却対策も、トップレベルから一段下の対応で行けるようになり、本当、余計な手間が減って楽になりました。
毎年、終わってみるとあっけない夏のひと時です。
おかげさまで近頃は、ガラガラになっていた商品棚も、ずい分埋まって来ました。
ほんの少し涼しくなっただけで、こんなに能率が上がるのだなァと、ちょっと複雑な気分です。
来年の夏までには、改めて、暑さに耐えて仕事が出来る体を養っておこうと、その作戦を今から考えています。
おっと、その前に寒い冬がやって来るのでした。
湿っぽくて底冷えして来る、雪国の冬との付き合いも、今度で四回目です。
でも私としては、冬の寒さの方がどちらかと言うと耐えられますね。
とにかく体を動かしていれば寒くないですから。
阿武隈山中の山暮らし時代から数えると、東北での暮らしも通産十八年になりますが、その間に南国生まれの私も、すっかり夏の暑さの方が苦手になってしまったようです。
さて明日あたりは、熟成が進んだであろう自ビールを、そろそろ蔵出ししようかと思っています。

続、農業志願

山都町に農業研修に来ている若者がいることは、以前お話し申し上げましたが、彼らの滞在も早や五ヶ月を過ぎ、この頃はすっかり日焼けした顔を見せてくれています。<関連記事>
育てている作物もすでに収穫期を迎え、私も何度か味見させていただきました。
彼らは、それぞれに自分の担当の圃場をあてがわれていて、そこから収穫出来たものは、自分で売って収入にして良いことになっているそうです。
どうしたって張り切らないわけには行きませんね。
ところで、小川農園の主小川さんは、農業試験場上がりの言わばバリバリの研究者タイプの方で、品種改良や植物の生理に関して、評価に値する深い見識をお持ちです。
研修生たちも、この点ではとても勉強になると言っています。
しかし、その成果を農業経営に結びつけるためには、もう一つ別な能力が求められることを、彼らは自分たちの作物を売りながら実感しているようです。

今の日本の社会で、お金の回りという面で見ると、最も効率良く利益を集めているのは金融業で、その次が情報関連、それからサービス業ですね。
モノづくり(製造業)と農業は、比較すればずっと割に合わない仕事をしています。
特に農業は、人々の生存に必要不可欠なものを生産しているにもかかわらず、最も経済効率の悪い仕事になっています。
そんな現実にすっかり疲弊感を強くしている、地元の農業者が半ば諦めてしまった部分に、逆に農業に何の経験もない都会の若者たちの、新しい発想やアイディアとそして実行力が、何か良い刺激になるような結果を生み出して欲しいと、こちらとしても応援しないわけには行きません。
幸いにも、今年の研修生たちのほとんどが、研修後も山都町に居残り、定住と新規就農を視野に入れながら、来年も研修したいと言っています。
今後の日本が、彼らの意欲や希望を裏切ることのない、農業政策が実行される社会であることを、願わずにはいられません。

脱、運動不足

私は、猪苗代町のある有名ホテルの料理長を知っているのですが、ここの料理長以下スタッフの方々は、夕方忙しくなる前の時間帯、30分くらい外に出てランニングをしているのですね。
日の当らない調理場で、立ちずくめの仕事をしていると、どうしても息が詰まって来ます。
外の空気を吸うついでに、ランニングで足腰も弱らないようにという心がけに、見習いたい!と思ったのが三年位前だったでしょうか。
私も、毎日日課として何か運動をしようと思いましたが、それがなかなかままなりませんでした。
意志が弱いんだよ!と言われると返す言葉もありませんが、寝不足の時には仮眠が先、忙しい時は仕事優先と何かと理由が出来て、一歩も外に出ないまま一日が終わってしまうことが度々でした。
あっと言う間に三年が過ぎてみると、すっかり体力が落ちてしまった自分に気がついた次第。
こんなことでは、とても飯豊の山頂を踏むことは叶わなくなると、少々気落ちしていました。
この夏、危うく夏バテしそうになってやっと思い直し、とにかく体を動かすことにしました。
パン屋の仕事ではあまり使わない、足腰の筋肉と心臓と肺を鍛えて、基礎体力を取り戻そうと言うわけです。
体力が落ちると、仕事のテンポが遅くなってますます時間がなくなる悪循環に陥ってしまいますから、今がその最終リミットだと思っています。
今日も、先ずは最低でもと思って、部落の中を一周だいたい1kmの距離を早足で歩いてきました。
軽く走って回れるようになるまでは頑張ってみようかなと思っています。
あとは、家の中でヨーガもどきの体操をやって、体が硬くならないように・・・。
私は六十歳を過ぎたら、またマキとランプの生活に戻りたいと思っていますので、そのために必要なことをこなせる体力は、絶対に残しておきたいのです。
そして死ぬ時は、やっぱり生まれた所と同じような山の中にいて、出来れば大きな木の下で死にたいと思っています。