日別アーカイブ: 2008年9月13日

見せかけの自由選択と自己責任

「見せかけの自由選択と自己責任」。
今、そしてこれからの時代を、象徴的に言い表そうとするならこういうことになると、私は思っています。
本来なら、自由選択と自己責任、それは個人の生き方として、社会のあり方として、一つの理想かも知れません。
しかし今の社会で、否世界で、本当に自由な選択が可能なのか、あるいは許されているのか、それが確実に保証されなければ、あとに続く自己責任を問うことは出来ませんね。

今この国では、規制緩和の名の元に何もかもを競争に委ねようとしています。
「自由競争」と言う言葉が、如何にも説得力のある響きを持って語られますが、その自由とはどういう意味なのでしょう。
全ての人に平等なチャンスの下に競う、と言うのが本来の意味でしょうか。
それならそれでいいかも知れませんが、本当にチャンスは平等なのでしょうか。
そうじゃないことは、もうバレバレですね。
かなり嫌味な言い方ですけれど、自由競争の「自由」とは、勝つためにはどんな手段を使おうと「自由」、勝者がさらに勝ち続けるために、どのようにルールを変えるのも「自由」、そんな風にしか思えません。

今ますます、「金」の力で全てが動く社会になりつつある中、政治はもはや経済に対して干渉する力を失っているように見えます。
そんな時代に私たちは、何の保護も規制もないところに投げ出されて、自由とは名ばかりの選択を次々と迫られ、自己責任だけが問われることになりそうな気がしています。
そんな時代の到来を感じる今、自分にとって「幸福」とは何か、実は一人一人の幸福論が、この世界の命運を分けているのだと気づいた私です。