日別アーカイブ: 2008年9月29日

過労と失業

過労と失業が同居するおかしな社会。
今この国では、働き過ぎで体の健康を損ない、過労死する人、強いストレスに追い詰められて過労自殺する人が後を絶たないというのに、一方では健康で働く意欲もあるのに就職出来ない人、学校を卒業しても就職口を見つけられない若者も沢山います。

21世紀を迎える直前の日本で、失業率が4%を超えた時、ワーキングシェアと言う言葉を聴いた覚えがあります。
減った仕事を分け合って就労するというその考え方は、例えば、一つの会社に半日ずつ出社して仕事を分け合い、失業する人が出ないようにするというものでした。
それを耳にした時、私はちょうど山暮らしをしていましたが、これはいい考え方だ思ったものです。
半日会社で仕事をして、あとの半日は家庭菜園なんていいじゃないか。
それとも、視野を広げるために、あるいは資格を取るために、勉強するというのもいいのじゃないか。
収入は減るかも知れないが、生活に創意工夫を凝らす意欲を喚起したり、公的支援もあってもいいじゃないかと考えたものです。

しかしその後の日本は、ちっともそんなことにはならず、全く逆の方向に進んで来たように見えます。
少ない就労のチャンスを奪い合い、その結果労働力は買い手市場となり、労働環境は厳しくなる一方。
残業、休日出勤は当たり前、いろいろな手当てのカット、給料の切り下げなども珍しくない現状を見ることになりました。
今、少なからぬ人が置かれている現状とは、いくら働いても貧困から抜け出せない、つまり自分の労働の代価で生存が難しいという状況です。
過労死や過労自殺は、そうした社会が出した結論の一つだと思います。

ワーキングシェアは、どうして実現しなかったのでしょうか。
「21世紀は心の時代」という言葉も同じ頃耳にした覚えがあります。
仕事を分け合うという考え方も、それに連動していたように思います。
でも現実は、全部逆さまになってしまいました。
その理由の一つには、私たち一人一人が何か誘惑に負けて、欲を離れられなかったということがあると思います。
何と言ったら良いのでしょうか、そこには何かとてつもなく邪悪な意思が働いているような気がします。
誰の目にも明らかなように、もうここまで格差が出来てしまったら、一旦獲得した利権を自ら進んで手放す者はいないでしょうから、これからいつまで続くか分かりませんが、ますます競争の熾烈な社会になるでしょう。
はっきり言って、見たくない現実かも知れません。

どんな未来が待っているのか、少なくとも私は、絶望しているわけではありませんが、決して楽観してはいません。
真っ当に努力していても、この商売が続けて行かれなくなることだってあるかも知れません。
そんな時、どうやって生き延びて行こうか。
先ずはその前に、自分の欲求をどこまで減らせるか、それに挑戦したいと思っています。