日別アーカイブ: 2009年8月15日

草木塔


草木塔 


熱塩小学校南東側角にあります。


 



喜多方市に合併になる前に設置されたものですね。


草木の霊を慰めるために立てられたという草木塔。
牛馬の供養塔なら、全国の至るところにそう珍しくもないと思いますが、草木塔は全国でも山形県の米沢市周辺に多数見られる他は、福島県では喜多方市熱塩地区に一基のみとされている、大変珍しいものです。
このことを喜多方市の職員の方から教えていただき、いつか訪ねたいと思っていたのですが、今日やっと念願かなって連れ合いと二人で出かけて来ました。


話しは前後しますが、この草木塔に辿りつく道中、山都町から熱塩に向かう山道を通って行きました。
その途中、人家もなく一層山深いあたりで、とてもショッキングな光景が目に飛び込んで来ました。
それは、ここ数年来あちらこちらの山々でも見かけるようになった樹木の立ち枯れ現象なのですが、今日のは、広葉樹林と見られる一角の30%以上と思える木々が、赤茶色に立ち枯れた姿を晒していました。
つい先日も、別な場所で立ち枯れが目立つのが気になったばかり。
山に樹木が育たなくなったら、その時は人の世も滅びる時だと、以前にも申し上げた覚えがありますが<参照>、今日は草木塔を見る前にこの風景に遭遇して、その意味を考えないわけには行かなくなりました。


その昔、斧と手鋸で木を伐っていた頃、まだしも人は樹木と気心を通わせることが出来たかも知れません。
それでもこうして供養塔を立てるという文化は、よほど珍しいものだったのでしょうか。
何故、この名の塔が全国でも米沢市周辺のみに多くあるのか、そしてまた何故福島県内唯一の草木塔がここにあるのか・・・。


それにしても草木塔を立てるその心は、今の時代に最も欠けてしまっている精神ではないでしょうか。

蛇口をひねれば水が出るのは、即ち山に木が育っているからだというその繋がりを、水が流れる度に思い出せるほどに実感出来るなら、私たちの文明社会の在り方はもっとずっと違ったものになっていたはずだと思います。
山暮らしをしていた時、裏山から流れ出す沢水に頼って暮らしていた私たちは、それをいつも感じていました。


自然に対し、感謝する心と果たすべき役割、今さらながらにそれが大切だと思い出した、今日の草木塔参りでした。


 


そして終戦の日の今日。
先日の忠魂碑にも回り、そっと野の花をお供えして来ました。
今日は明るい日差しの下木陰の中は、すべてが静かに安らぎを得ているように見えました。
この方々の死を無駄にしない・・・とは、即ちどういうことなのか、それは今の私たちの生き方、在り方に向けられた問いかけだと思っている私です。