月別アーカイブ: 2011年4月

困難な時代

今世紀初頭、あの9.11同時多発テロが起こった時、私には、これから21世紀前半は困難な時代になるかも知れないという予感がありました。

何の根拠があってというわけではありません。
ただそんな予感が閃いただけなのですが、その後報復と言う名のアフガニスタンでの戦争、それに続くイラクでの戦争・・・。
人の世の不穏に呼応するかの如く天変地異も度重なり、そしてこの度の東日本大震災。

有史以来稀に見る大災害は、地震だけには終わりませんでした。
福島第一原子力発電所の事故により、今後長い期間私たちは、放射能汚染の恐怖と向き合わなくてはならなくなりました。


これはもはや私の予感などではなく、厳然たる事実となりつつある、そんな感じが否めません。。


では一体この結末はどういうことになるのでしょうか。


厳しい試練は、これでもう最後でしょうか・・・。


そうであって欲しいと思いますが、これから深刻になるであろう一つの問題を、私たちは忘れてはいけないと思います。


それは、私たち自身の心のことです。


今は、とにかく何もかもが非常時で、「がんばろう!助け合おう!」と気持ちを奮い立たせていますが、その反動は必ずやって来る・・・。


直接被災した人の上にも、そうでなかった人の上にも、重くのしかかっているストレスと言う名の暗雲は、やがてじわじわと人の心を蝕むかも知れません。


そしてまた多くの人がその重荷に耐えている時に、義援金を盗んだり強奪する者がいる、避難者の留守宅に泥棒に入る者がいる、そんな人の心に冷や水を浴びせるような出来事が度重なることは、先々にどんな結果をもたらすのでしょうか。


一方に、感激のあまり涙せずにはいられない心温まる出来事も沢山あるのに、そんなことにも心が動かない人がいるということなのですね。


そのことが、なお一層重苦しさを増しているような気がします。


これから数十年、この混乱を経験した若者や幼子たちが次々と大人になる頃、彼らはどんな価値観で生きているでしょうか。
そしてどんな社会が出現しているでしょうか。


実は、大震災という自然の計らいがきっかけとなって、私たちは今、否応なくこれまで自分たちが積み重ねて来た負の遺産と向き合わねばならなくなったのではないでしょうか。


この世界と私たち自身を救うには何が必要なのか、そのことをじっくりと考えてみようと思っている私です。

暖かい一日

今日は、春らしいポワーッとした暖かい薄曇りの空模様。
風の冷たさもやわらいで、気持ちの良い外の空気でした。
その中に目には見えませんが、放射性物質のミストが浮遊しているのですね。


でも、我が家は古民家ですから、家の中とて外と大して変わりません。


会津の被曝量は、福島県の中ではずっと少ない方ですし、ここ喜多方エリアはその中でもまた少ない方です。


それでも、何事もない時の平常値の5倍程度の線量が続いています。


それで気になっていた土壌の調査結果が発表されました。 <参照>

一番の懸念は、セシウムが出るかどうかでしたが、残念ながら会津でも微量とは言えNDではありませんでした。


原発の状況がこのまま収束に向かうかどうか次第で、福島県の運命が決まるというか、日本の運命が決まるに違いないのですね。

このことだけは、しっかりと肝に銘じておかないと、今後の状況に対応出来なくなるかも知れません。


そろそろ麦の芽も伸び始めた頃でしょう。

収穫までに一度、放射能の検査を受けたいと思っています。
許容範囲と判断出来ればとりあえず収穫して、その後もう一度原穀の状態で検査を受けたいと考えています。
そこで危険判断が出たら、残念でも廃棄するしかありません。

その時は、農家さんに損をさせるわけには行きませんから、私が泣くしかないと思っています。


  話しは変わって・・・


本日は、酵母菌の調子が大変良く、とてもとてもおいしいパンが焼けました。
忙しく作業をしながら、いつまでこうしてパンを焼いていられるだろうか・・・と、やはり頭はそこへ行ってしまいます。
でもでも、3時の休憩にコーヒーとシナモンロールですっかり幸せな気分になった私です。

忙しい時間が戻って来た

明日はパン焼きです。
久しぶりのせいでしょうか、ちょっと多めの仕込みです。
ありがたいことです。
今日はもうこのへんにして、早いところ寝なくては・・・。


それにしても沢山の電気を使うパン屋稼業です。
一般家庭の2~3倍は使用していると思います。


だからこそ、いい加減な仕事はしたくありません。
貴重な電力を使っても後ろめたくない仕事をしたいです。


明日の午後には、いろいろ焼き揃っております。
ご来店お待ちしています。

錯綜する情報、翻弄される市民

気象庁が、早い段階から放射能の拡散予報を作成していながら、公開されなかった事実が明らかになりましたね。
これでまた日本という国が、いかに情報公開に関して意識が低いかということが分かりました。
出さない方も出さない方、もちろん責められるべきには違いありません。

でも私は思うのですね。
まずは正しい情報を伝える役目のメディアが、お話しにならないほど勉強不足であること。

政治家の方々も同様。

原子力安全保安院のお役人方も、感覚がどこかおかしい・・・。
(多くの人の命がかかっているというのに、何をヘラヘラしているんだ!)


そして私たち市民は、関心があっても分析に必要な情報が与えられない。
だから、断片的に散らばっているネット上の情報を手がかかりに、自分なりの予測をするしかありません。


これまでのいくつかの私の記事の中でリンクを貼って置いた情報源も、人によってはとんでもない!お話しにならない!と言う人もいるようですね。


私は、全部が全部信頼に足ると思っているわけではありません。


でも、確かにそうに違いないということも書かれていますから。


本当の所は自分で嗅ぎ分けるしかない・・・。


だからこそ、そんなことをしなくても良いように、責任ある部署が事実をそのまま伝えて欲しいと思います。
勉強不足のメディアの解説なんか聞かなくて構いませんから、生のデータをくださいと申し上げたい。
自分で勉強してでも分析しますから。


そして今一番欲しいものは、放射線の計測器です。


東電さんよ!各集落に一台くらい配りなさいヨ!


使い方なら、勉強しますよ!私たち。
何しろ命がかかっていますから!

今週から通常営業再開します

小麦粉も入荷しましたし、宅配便の集荷もいつも通りに動き始めました。
今週木曜日のパン焼きの日から、いつも通りに営業いたします。

ただ今福島県は、地震と津波とそして原発事故の三重のダメージで、県内は混乱を極めています。
会津地域だけが辛うじて被害軽微で、他地域からの避難者受け入れをしています。


もしも、食工房のパンやお菓子が役に立つ機会があるなら、惜しまず協力申し上げたいと思っています。


  今週のクッキーとマフィンのお知らせ


クッキー類は、在庫が減っております。
今週は、まだまだ回復には至りません。


  マフィンは、4種類すべてを焼きます。


スコーンはいつも通り、これから毎週焼くことになります。


  「会津のべこの乳」について

ただ今、福島県内産の原乳が出荷停止となっておりますので、会津中央乳業では、岩手県産原乳を使用して引き続き低温殺菌牛乳を製造出荷するようです。
食工房でも、当面この牛乳を使用いたしますのでご了解ください。
なお、ラベルの更新が間に合わず、旧来の「会津のべこの乳使用」表示のものが一時的に出回ることになりますので、これも合わせてご了解ください。


  高知に帰省しておりました。

実は先週水曜日から今日まで、実家のある高知に滞在しておりました。
震災のニュースを見聞きする度に心配が募っていた母を安心させるには、休業止む無しのこの時がかえって好機と判断して、顔を見せてやることが出来ました。
これから夜行バスで帰途に着きます。


今回は、土佐ネタ日記で盛り上がる気にはなれませんでした。
1000キロ離れた土佐の高知でも、震災のことはやはり人々の心に大きな衝撃を与えていました。


私の顔を見て安心した親戚、友人、知人たちに接するにつけ、思い切って出かけて良かったと思いました。

代替エネルギーとは何ぞや?!

代替という言葉の意味から理解出来ることは、「何かの代わり・・・」と言うことですね。
では一体何に代わるものかと言うことになりますが、温暖化に影響を与えている石炭・石油など化石エネルギーの代わりと言うなら、原子力も代替エネルギーに違いはない・・・。
ですが、環境破壊因子を含むと言う意味においては、化石エネルギーも原子力エネルギーも同じ位置付けですから、それに代わるものとして、風力や太陽光など自然エネルギーと呼ばれるものの利用が考えられ、普通それらのことを代替エネルギーと言っています。


それにしてもそれらの代替エネルギーは、まず電気として利用出来ることが前提です。
昔は、水車や風車で直接製粉したり精米したり、他にも沢山の仕事を、自然エネルギーを利用してやっていたわけです。


機械的物理的効率は、これが一番良いわけで、ただ人間にとって扱いが面倒くさかったのですね。
だから、電気の発見とモーターの発明以後、人々はもうそんなものを使う気にはならなかった・・・。


その発電も最初は水力中心で、一部には風力もありました。
電力利用黎明期には、小規模の水力や風力その他、様々な発電方法が民間ベースで利用されており、私の世代でさえその記憶を聞き及んでいます。


その後、効率を上げまた安定性を獲得するために大規模化が始まり、川をせき止めるダムと大きな発電所を作る事業が、どこの国でも国家事業として進められました。


水資源開発は、同時に電源開発と呼ばれていた時代が長くありました。
それが行き詰って、火力の利用になりました。
石炭火力は水力の代替であり、石油火力は石炭火力の代替だったのですね。
そして原子力へ・・・。


そしてまた、再び自然エネルギーに目を向けているわけですが、私には、どう考えても代替と言えるほどのものになるとは思えません。


今私たちが利用しているエネルギーは、あまりにも巨大過ぎる・・・。
それでもまだ、更なるエネルギーの確保や効率化を望んでいるのです。
それが叶うかどうか知りませんが、そんな欲求をまずキッパリと捨てないことには、私たちはこの地球と仲良く生きて行くことが出来ないように思います。
代替エネルギーを求める発想は、根本から出直さなくてはならないのではないでしょうか。


14年の山暮らしの間、エンジン発電機や太陽光発電の貴重な電気を使いながら感じたことは、どうしても電気でなくては用が足せない仕事以外は、電気を使わない暮らしをする方が理に適っているということでした。


尤も、多くの人々が今更そんな生活に堪えられるかどうか、甚だ疑問ではありますが・・・。


ま、それはそれとして・・・。
一方で代替エネルギーを考えるとしても、根本的なところから発想を転換しなくてはならないと思います。


何しろ件の原子力など、熱源を核反応に頼っている以外は、基本的に熱効率30%の蒸気機関ですからね。


もうこれ以上の原発の稼働は止めにして、どの道すでに大量に存在する使用済み燃料の放射線と付き合わなくてはならないのなら、放射線で発電する電池を発明して、使用済み核燃料と一緒にしておけば、たとえ微弱であれ管理しながら電気も得られる・・・なんてうまい具合に行かないものでしょうかね。


子どもみたいな空想かも知れませんけど、放射性物質も天然資源には違いないのですから。
何か理に適った正しい使い方と許される使用量があるのだと思う私です。