この地球上に、人間だけが尊い生命だという考え方や感じ方は、いつ頃からあるのか知りませんが、今も根強く存在しているのではないかと思います。
動物実験をすることも、一方で絶滅危惧種の保護をすることも、その奥底には人間の独尊意識と言うか優越意識と言ってもいいかも知れませんが、何かそういうものがあってのことだと私は思います。
少し目先を変えましょう。
この地球上には、我々人類つまりホモサピエンス以前にも、人類がいたことが知られています。
例えばネアンデルタールとかクロマニヨンと呼ばれる人たちです。
最近、クロマニヨン人が死者を埋葬したり花を手向けたりした痕跡が発見されたという記事を読みましたが、その時思ったのですね。
それは、あって不思議はないことだと。
どうもこのあたりでも我々は、間違った認識と言うか、感じ方を受け継いで来たような気がします。
ネアンデルタール人やクロマニヨン人は、未文明、未文化の猿に近い生き物だと、そんな風に教えられたし、そう思って疑わなかったのですね。
でも、それは違うでしょう。
少し飛躍しますが、熊や猿だって、花を愛でたり、星明りや月明かりに見惚れることはあるに違いないと、いつの頃からか私の実感です。<参照>
だから、人間の奏でるバイオリンの音や笛の音に聴き惚れることもあるでしょう。
そこで思い出すのが、宮沢賢治の童話「セロ弾きのゴーシュ」です。
いいお話しです。
これは、子どもに聴かせる童話なんですけれど、それにはとどまらないとても深遠な世界のことを語っていると、誰もが頷けるのじゃないでしょうか。
人間だけが・・・、違いますね。
それを大前提にして、さて、熊や猿たちとどう向き合うか・・・。
答えは見えているような気がする私です。