この山々の間の谷間で、暮らしていました。
最近になってやっとと言うか、とうとうと言うか、環境の良さも一つの財産だという考え方が、理解されるようになって来たという気がしています。
一昔前なら、開発のメリットと環境を損なうデメリットを秤にかけながらも、結局は開発を取る事例がほとんどでした。
しかしここに来て、そうも言っていられない状況になったと言うことなのでしょう。
私が子どもの頃は、高度経済成長期の真っただ中で、何はともあれ開発は善、環境のことを心配する人などいませんでした。
(実際には、極少数いたのかも知れませんが・・・。)
誰もが、新しい道路ゃ橋やトンネルが開通することを喜び、私の村はダム景気に沸いていました。
でもそうやって皆の願いを実現し続けて辿り着いたのは、環境破壊に悩む今の社会です。
そこまで来なくては分からなかったというのが嘆かわしいけれど、今からでも環境の良さを財産と考えられる方向を辿って行くなら、未来に多少の希望は抱けるのかなと思っています。
ところで先日の「勇断を支持」<参照>で取り上げた、福島県の川内村の話しをもう一度取り上げたいのです。
新聞記事にもあった通り、川内村には上水道施設がありません。
全世帯は、井戸水や天然の沢水などを利用して、自前で水を供給しているわけです。
今時、そんな方法で水の自給が可能だと言うことに、皆さま先ず驚かれると思います。
私が山暮らしをしている時も、裏山から流れ出る沢の水を直に引いて、ザル程度の網目でゴミを避けてそのまま使っていました。
それでも何の支障もありませんでした。
今日本中を探しても、上水道設備を持たないで生活出来ている自治体は3ヶ所ほどしかないそうで、その三ヶ町村が発起人になって、東京で「地下水サミット」を開催するそうです。<参照>
川内村が、風力発電プラントの建設に反対を決断した訳が、これでお分かりになると思います。
水の恵みを支える、バックヤードとしての山々を自然のままにしておくことは、電力より重要だと結論を出したわけです。
ここで今度は、わが会津はどうかと言う話しです。
水の恵みと言うなら、会津は全国でも有数の恵まれた地域だと言えます。
阿賀野川水系の水は、遠く東京の水道を賄っているのですから。
我が喜多方市は、万年雪をいただく飯豊山の伏流水が、至るところに湧き出しています。
私の家は、高台の上にありながら井戸水も利用出来ます。
どこに水脈があるのかと思いますが、もっと不思議なのは沼ノ平地区です。
山の尾根筋の鞍部に位置する集落でありながら、地区の一番高いところに大きな沼があって、いつでも水を湛えています。
灌漑用水の心配したことは、一度もないそうです。
まるで河童の頭の上の皿みたいだと、地元の方が言っておられました。
一説によると飯豊の伏流水は、何百年をかけて深い地の底を通って、周りより標高が高いところにも湧き上がって来るのだと聞いたことがあります。
そうなると、飯豊の山塊と山麓全体で巨大な水利システムが機能していることになりますね。
こういうものを、小賢しい人間の計らいで損なうようなことは、断じてあってはならないと思います。
こういうものは、未来永劫にわたってそこに暮らす人々の(野生生物も含めて)共有財産です。
会津の人々も、改めてこの水の恵みを自覚し感謝することでしょう。
これから先は、少しは流れが変わるのかな?変わらざるを得ないだろうな・・・、私は歓迎です。