還暦を迎へたら、明日食う米に不自由しても仕事から解放されて、好きなことをやろうと心に決めていた。
とは、今は亡き私の父が、自費出版した詩歌集「玉蜀黍」のあとがきに語った言葉です。
その願いの通りに過ごした父は、後にこう続けます。
停年になって一年余り毎日図書館へ行って、随筆、エッセー等、貪るように読んで老いの生き方を模索した。
昭和56年から短歌の手ほどきを「創幻」の野島先生に受け、59年からは墨線書道会へ入会した。
健康と生活を律する目的で高知新聞の夕刊配達と、200坪足らずの休講畑を借りて園芸を始めて今日に至っている。
幸い健康にも恵まれて57年から、6年ほど民生委員として福祉のお手伝いもさせてもらった。
今年10年余りに及んだ夕刊配達を辞めたのを機に、短歌と詩をまとめて、自分詩風な構成で、詩歌集「玉蜀黍」の一冊とした次第である。
平成5年 12月1日
この詩歌集、この一冊が、私の大切な心の拠り所になっているということは、もうすでに申し上げました。
父が亡くなって早や16年目の今年、今度は私が還暦を迎えます。
私の場合は、父の様には行きません。
この後もずっと現役です。
父とは逆に、若い頃に好き放題に過ごして、辛抱というものから一切逃げ回っていたのですから、父の思いにおよそ察しが付いた今頃になって、ツケが回ったと言うか、観念してこれから死ぬまで辛抱でもいいかという心境なのです。
その代り、ちょっとあり得ないほど視野を拡げてもらったこれまでの半生だったと思っていますから、細やかなりともそれをいかにして世のため人のために役に立てられるか、あと何年残っているか分かりませんがこれから先一生のテーマです。