日別アーカイブ: 2011年5月22日

福島市


食工房店内です。



店の前、出発前に最後の測定。



同、アスファルト路面・何故か空間より低い・・・。
多分、バラつきの範囲内た゜と思います。


昨日はあの後、福島市の友人宅まで出かけて来ました。


出発前に、最後に店の中と外で線量測定をしました。
店内は、その他の屋内と同様、外よりは少し低めとなりました。
やはり室内にいる方が、いくらかでも安全なのですね。


外は0.17μSv/hでしたが、ちょっと意外だったのはアスファルト路面の表面線量が低かったことです。
昨日は午前中ずっと雨模様で、その雨が上がって乾いた直後だったので、地表面の線量が上がっているだろうと思っていたのです。
と言うことは、この雨には放射能を帯びたダストは含まれていなかったことになりますね。

確かに、原発から飛んで来る放射性ダストは格段に少なくなっており、風向きが良ければ雨で洗浄されることもあると考えて良いのかも知れません。


その代り、雨水が流れて行った先の汚染は濃くなるのかも知れませんが・・・。


さて、二時間余りの道中、車内で測定器のスイッチを入れっぱなしにして、走りながらモニタリングしました。
頻繁によそ見をしているわけには行きませんので、所々で停車して外に出ても見ました。


その結果、場所によって目まぐるしく数値が変化することが分かりました。
北塩原村・猪苗代町を通過する間、大体0.1μSv/h台後半から0.7μSv/hくらいの範囲でした。

全体的な傾向から言えば、福島市から遠い北塩原村の方が高い数値が出ており、逆に近くの猪苗代町の方が大分低めでした。
その差は、約2~3倍くらいです。


興味深かったのは土湯トンネルの中で、トンネルの中と言えども風は通り抜けていますし、車両が落として行くダストがあったりして線量は下がることはないだろうと思っていたら、予想に反してグンと低くなり、奥深く進むにつれて下がり続け最低値0.07μSv/hでした。


走行しながらですので、写真は撮れませんでした。



道の駅「ドライブインつちゆ」にて
関係あるかどうか、少し風が吹いていました。



駐車場脇の草地


そして土湯トンネルを出たらどうなるか、一番の関心事でしたが会津側と全く変化なしで拍子抜け。
ずっと走って標高が下がり、途中の道の駅で休憩を取りついでに測定してみました。
ここで0.44μSv/h。
やはり上がったか・・・という実感はありましたが、逆にこの程度?とも思いました。
地表面は、0.63μSv/h。


ここで初めて、私以外にも放射線測定をしている人を見かけました。
使用中の機器は、アメリカ製のInspecter というもの。
興味はあったのですが、声をかけそびれました。


さてそれから30分ほど走って、件の友人宅にたどり着きましたが、道中意外にも1μSv/hを超えることがありませんでした。
0.5μSv/hを超えたのも、大分市街地に近づいてからのことです。



常時この線量の下にいることが、安全と言えるのかどうか・・・。



草の生えている地表面です。


ところが、到着して車を降りて外に出て測定器をかざした途端、思わず息を呑みました。
何のことなく1.92μSv/hです。
地表面は3.4μSv/h。


会津なら、ホットスポットだと騒いでいるところです。

それでも室内は、0.2μSv/hを超えるくらいで、とりあえず安心できるレベル。
そうは言っても、一日の大半外で仕事をしている方なので、外の環境の方が影響が大きいのですね。


後で聞いたところでは、雨どいの下に15μSv/hのホットスポットがあったそうです。
さらに市内の保育所で、70μSv/hに達するホットスポットも発見されて、市民の手でホットスポットマップを作っているところだそうですが、測定器の数が全然足りずまだ端に着いたばかりだと伺いました。


今回の事故以来の福島市の環境放射線レベルは、かのチェルノブイリの原発事故の際に強制移住の対象になったレベルだそうです。
・・・!!!
日本という国では、そういう場所に30万人の市民を置き去りにしているのです。


この事態を、皆さまいかが思われますでしょうか。


「青木さん、正直あきらめてます。私たちはいいの・・・、この歳だし・・・。」「でも、子ども達はかわいそう・・・。何とかしてあげなくちゃ・・・。」
奥さまのこの言葉は、ズシリと重く私の胸の中に落ちました。


果樹園農家の友人は、とにかくできることは何でもやって見なくてはと奔走していますが、決して楽観出来る前途ではありません。


果たして彼がまた私が生きている間に、安心して食べられる梨や林檎が出来るようになるでしょうか。
全く胸が詰まる思いです。



結局夕食をいただいてしまうことになり、その後帰り道、土湯峠に上がって行く道々眼下に広がる福島市の街明かりに、何とも言葉にならない哀しみを感じた私です。


とにかくただ事ではありません!

とりあえず平和に安心の中に暮らしている方も、この日本の中にチェルノブイリと同様なリスクの下に置かれた人が数十万人いるという事実を、どうぞ一時も忘れないでください。




友人の奥様がブログを立ち上げて活動されています。

「福島・未来塾すばる」 福島からの情報発信