皆さん、灯油ランプの明るさがどの程度のものかご存じでしょうか。
そうですね。お部屋の照明器具に付属している常夜灯くらい、と言えばお分かりいただけると思います。
私は4年ほど前まで、家族と共に、電気も電話も引けない阿武隈の山中で、14年余りの間山暮しをしていました。
後に太陽光発電を取り入れるなど、ハイテク化も果たしましたが、当初はもちろんその後もずっと、夜は大方ランプの灯りで過ごしました。
家の中に、せいぜい一つか二つしかない灯りの下に、家族がいつも集まって額を寄せ合って、本を読んだり絵を描いたりして過ごしていました。
それで面白かったのは、ランプの灯りは色が赤っぽくて物の色が正しく見えず、描いた絵の色が朝になって見ると、全然違う色だったりしたことです。
色鉛筆は、色の名前を確かめてから使わなくてはなりませんでした。
そんな家の中から一歩外に出ると、まさに真っ暗な夜でした。
頼りないランプの灯りが、カーテン越しに漏れて来るのさえ、明るく感じられます。
目が慣れて来ると分るのですが、晴れた夜は星明かりでさえ、わずかに地面を照らしているのです。
太陽とは違う、遠い宇宙の彼方の星に照らされている地上は、まるで別世界です。
そして月が上れば、外を歩き回るのに何の不自由もありません。
ましてや満月の夜は、すべてがモノトーンに青白く輝いて、これまたこの世のものとは思えない風景です。
草も木も、動物たちも虫たちも、眠れないでいるのがよく分かります。
それが月もなく曇った夜には、自分の指を鼻先で動かしても全く何も見えないほど、完璧な闇となります。
夜行性の動物たちでさえ、じっとしているようです。
そして、夜の闇には不思議な安心感があるのです。
母なる地球を、最も身近に感じられる瞬間です。
祈る気持ちは、どこからともなく自然にわき起こります。
街では、街路灯の灯りが安全を保障していることは、否定しようもない事実ですが、私には、人々が月光を愛で星に祈る心を失ってしまうことの方が、ずっと恐ろしいことに思えます。
ちなみに、今日は夏至です。
アースデイというイベントがあちこちで催され、電気を消してローソクを灯して過ごすそうですね。
そう言えば14年間、ローソクにもずいぶんお世話になりました。
最後にまた話が飛びますが、かのフィンランド、国民一人当たりのローソクの消費量が世界一だそうです。