駅カフェにて
コーヒータイムと言うと、くつろぎのひと時を思い浮かべますね。
休息は時に、何かを成し遂げることよりもずっと大切なことがあります。
皆さんは、休息の「質」を考えたことがありますか。
お休みの時、何もせずにボンヤリと過ごすこともあれば、何か好きなことに熱中して、みっちりと充実した時間を過ごすこともあるでしょう。
それぞれ人により、場合により、いろいろだと思います。
それにしても、現代社会の忙しさ、慌しさは、尋常ではありませんね。
私も、最近は何だかとても忙しくて、充実していると言えば聞こえは良いのですが、一日が終わる頃になると、何か悲しい気持ちになって来るのです。
サッと払いのければ、どこかに消えてしまいそうな程度のかすかなその悲しみに、少し浸って見ることがあります。
そうすると、マキとランプで山暮らしをしていた頃の感覚が蘇えって来るのです。
そして昨日の夜、突然、前に読んだことのあるミヒャエル・エンデの「モモ」のお話しを思い出しました。
それで分かりました。
私のその悲しみは、皆が時間銀行の誘惑に乗せられて行くのを悲しく思っているモモの気持ちと、どこか似ているなと・・・。
娘たちも言います。
「不便な時は時間がいっぱいあったのに、便利になったら何だか忙しいねえ。」と。
「人間は欲張り過ぎだ。いろいろやり過ぎだ。」と、今度は息子が言います。
そうすると、私が一番悪い人間だなァ・・・。
何でもかんでも、やりたがり屋で欲しがり屋で・・・。
何でもやり過ぎないことが、エコロジーの極意だったりして・・・。
そして休息とは、本当に何もしないで過ごすことを言うのでしょうね。
でも私は、せめて一杯のコーヒーだけは欲しい・・・。
獏の空の下から・・・