今や国際的著名人となったこの方を、敬称も付けずに書くのにはちよっとワケがあります。
で、いきなり話しが逸れますが、インターネットの時代になって、時々突拍子もなく面白いことが起こります。
それは、何十年も前に別れたきり以後交流もなく、消息を知ることもなかった人のことを、ある日インターネット上で見つけて驚かされることです。
さて、1974年頃のことです。
郷里の高知から東京に向かって移動中の私は、土讃線の急行列車の車中にいました。
たまたま高知から乗り合わせた岡山の医大生と喋っていると、途中の駅(多分、池田駅だった・・・。)から青い目の外国人青年が乗り込んで来て、私たちのボックスに同席しました。
聞けば彼は、徳島県のあの有名な祖谷峡谷に古民家を手に入れ、住めるように復元中だとか。
今日も今し方山から下りて来て、これから京都の住まいに戻るところだと言う話し。
東京に出てみたものの、東京の生活自体には魅力を感じず、暮らすならやっぱり田舎だよなァ・・・と思い始めていた当時の私は、この青い目の青年が四国の中でも秘境中の秘境の祖谷に古民家を手に入れた話しに俄然興味が湧いて、いろいろなことを話し合ったのでした。
岡山駅で医大生と別れた後も、その青年とは新幹線で京都まで一緒でした。
日本に来た経緯や、今イギリスの大学の学生の身分だとか、京都で日本の伝統文化の研究をしているとか、ずい分いろいろなことを聞きました。
そしてその日本語の流暢なこと、加えて彼は徳島の方言も交えて喋るのを、私はとても気に入ってしまったのでした。
いよいよ京都に着いて、別れ際に彼は一枚の名刺をくれました。
Alex Kerr
アレックス・カーでいいの?
そう・・・、正確には「クァー」と発音するんだけどね。
そんなやり取りがあったのを思い出します。
京都でも祖谷でも、いつでも訪ねて来て!と言われていましたが、結局その後会うことはありませんでした。
でもその名刺は、何か片づけ物をしているとその度に出て来て、何か大切なものを忘れてはいけないような気にさせるのでした。
そして今朝のこと。
ネット上で、この喜多方市で彼が講演をしたというニュースを知りました。
アレックス・カー氏、喜多方市で講演・・・。
まさか?ひょっとして?
ネットで検索してみました。
もう間違いなく、あの時の青年です。
もちろん彼は、私のことなど覚えていないでしょう。
でも私の方は、改めて彼の活動の来歴に感動することになりました。
ひよっとすると、日本人以上に日本を理解しているかも知れない、三十数年前私も感じた以上に深く日本を理解し、貴重な提言を発し続けていることに感謝せずにはいられない私です。
※「アレックス・カー」の検索結果 <参照>