この時代のこの社会を、例えて言うならこうなる。
政治が、教育が、文化が、産業もまた、福祉もまた、何もかもが、不毛に見える。
そんなことはないと仰るだろうか。
そりゃあ、見かけは立派なものだ。
だが、中身がお粗末なのだ。何もかもが・・・。
当たり前だと思う。
私たちは、いつの頃からか、何の種も蒔かず、水やりもせず、ただそれまで生えていた木に成る実を、とれるだけとって何の後始末も丹精もして来なかったのだから。
では具体的に何が?と、言われるかも知れない。
この際、私など素人の分析よりも、先日ご紹介したばかりの、件のアレックス・カーがこんな提言をしているので、<参照1> あるいは < 参照2> をご覧いただきたい。
では、一体何がこれほどまでにこの国の行く末を危うくしているのか。
私は、一つは何事によらず一斉行動に走る日本人的国民性と、もう一つは日本人がもう長いこと怠惰とナルシズムに浸って来たこと、この二つに根本的な原因があると思っている。
この国は、アレックスも言ったように何もかもが破たんして、私たちのプライドも地の底まで落ちてみないことには、再生への道は見つからないかも知れない。
変わらなければならないのは私たち一人一人の中身、言い換えれば「幸福論」なのだ。
アレックスは、こんな風景が好きだろうか?
ふと、そんなことを思いました。