今日はまた週末だと言うのに、開店直後にお一人、閉店少し前にお一人お見えになっただけで、店先は全く静かな一日でした。
売り上げももちろん・・・。
でも中では一日中、パン焼きやお菓子づくりの支度で忙しくしていました。
造っているということは、売れてなくなったから、あるいは注文が入っている、のどちらかなのですから、実は大変結構なことなのです。
ところが商売初心者の頃は、その日にお客さまの出足が悪いと、何となく不安になって落ち着いて仕事に集中出来なかったりしたものです。
翌日は、仕事への意欲が湧かなかったり・・・。
店に来るお客さまの数なんてものは、本当に波があって、まるで何か申し合わせでもあるかのようにピッタリとお一人も見えないなんてことがあるかと思うと、今日は一体何の日?と思うくらい沢山いらっしゃることもあります。
ですから、最初からそういうものだと思って、一ヶ月とか一年間というような長い時間の中で見ていないと、お客さまの数は判断出来ないわけです。
大事なことは、毎日の細々した状況に左右されて、仕事への意欲に波が生じないようにすることです。
これがなかなか難しかったですね。
5年やってやっと、状況に一々一喜一憂しないで、コンスタントに仕事が出来るようになりました。
「商いは、『飽きない。』」と言われるそうですが、まさに自営業の極意ですね。
さて、明日はどんなことに・・・?
作業の方は、目一杯の予定です。
月別アーカイブ: 2008年9月
木に癒される
ウリハダカエデの紅葉
素敵な音楽と一緒にどうぞ・・・。<こちら>
私にとって、山に住んでいて何がいいかと言うその一番は、木に癒されることです。
今住んでいる場所も、ほどほどに山の中と言う感じで悪くありませんが、以前山暮らしをしていた場所は、どちらかと言うと「鳥と獣の領域」と呼ぶのがふさわしいようなところでした。
その分、まわりの自然のエネルギーが直に伝わって来て、なかなか得難い経験をしたと思っています。
それはもう、実に沢山の種類の木や草花と触れ合いましたが、中でも特に好きだった木の一つは「ウリハダカエデ」。
あちらでは、家のまわりのそこら中どこにでも生えていて、実生もいっぱい目にしていました。
木肌が瓜のように、緑色に黒い縞模様が入っていて、中は年輪のない白っぽい木質で、薪にして燃やすととんでもない汗臭い臭いが鼻を突くのですが、紅葉がとても優しく美しいことは他に比類がありません。
こちらに来てからは、ほとんど見かけることがなくて寂しい思いをしていましたが、二年ほど前、飯豊の登山口から少し山に入ったあたりで久しぶりに見かけた時は、旧友に会った時のように胸が熱くなり、思わず木肌を撫でていました。
このところずっと忙しくて疲れ気味ですけど、こんなことを思い出すだけでも、少し元気になれるような気がして来るのです。
木と気心を通わせた記憶は、どこにいてもどんな時でも、自分の心を癒してくれるのですね。
また山に行って来ようと思っています。
競争社会に物申す。
このところ世の中を騒がせているのが、汚染事故米の不正転売事件です。
かの三笠フーズのやり口は、心底悪質だと思いますが、こんな業者が出て来る体質というか背景は、この国全体にあると私は思います。
あれだけのことをしてバレないと思っていたとしたら、それはよほどの愚か者ですが、案外そこまで油断していられるほど、業界全体が汚い体質だということでしょうか?
そう、政界も巻き込んで・・・。
そして、中身のことも造り手のことも考えず、ただ安値ばかりを歓迎する消費者の側にも、責任の一端があると思います。
ものごとを競争原理に委ねることは、良い結果を生まないことの方がむしろ多いと、私は、ずっとそう思って来ましたが、こうした事件がいつまでもなくならないどころか、ますます多く、悪質になって行く状況に触れると、まさに、勝つために手段は選ばない!生き残るためには何でもするさ!という感覚が、この日本の社会全体に染み渡ってきた証拠じゃないかと思いますね。
悪だくみをしてボロ儲けする者がいれば、それをネタに脅して金を巻き上げたり、わざとバラして潰しにかかったり、そうやって醜い争いで潰し合って競争相手が減るのを、余裕で高みの見物をしている、更に長けた者がいたりするのでしょうね。
パン屋の業界がどんなだか知りませんが、食工房なんかとっくに土俵の外ですから、全く関係ありません。
食品の信頼が揺らぎ続ける今、正直な業者まで疑われて迷惑だという論調もありますが、私などはどうぞご勝手に!と思っています。
正直の上に「バカ」を付けてもらって結構!
この時代には、それが勲章みたいなものだと思っています。
イベント出店
食工房も出店いたします。
6/18の記事<参照>でもちよっと触れましたが、イベント会場でカフェをやることは、いろいろと普段得られない刺激があってなかなか面白いものです。
先月、「平和まつり」に出店した時のことはすでにご報告しましたが<参照>、来る10月5日にまた会津若松市内にて、国際交流フェスティバルに出店します。
世界の食べ物がいろいろあるといいということで、食工房からは、カネリプッラ(フィンランド)、クリングラ(スウェーデン)、スコーン(イギリス)、黒パン(ドイツ)、そしてコーヒー(ブラジル・ペルー・グァテマラ)を出品します。
もっとも、食工房のそれらは、それぞれの国のオリジナルに忠実なレシピというわけではありませんので、逆に、会津に在住の外国人の方々に召し上がっていただいて、率直なご感想を仰ぐチャンスだと思って楽しみにしています。
それにしても、食工房のような製造販売業は、造る仕事ばかり熱心にやっていても売り上げは上がりません。
そうかと言って、営業活動を熱心にやれば販路は開けるかも知れませんが、そうすると品物が間に合わなくなります。
両方がバランス良く進んで、売り上げが伸びて行くのが理想ですが、そう上手くは行かないのがいつも悩みのタネです。
おかげさまでと言ったら良いのでしょうか、食工房はこのところイベントに誘われる機会が増えています。
こんな時こそどんどん出店して、顔を広げたいところですが、それではもう確実に製造が間に合いません。
そろそろ先の事を考えなくてはならない時が来たのかなと思っています。
ちょうど、間もなく滑走路が切れる手前で離陸直前の飛行機みたいに・・・。
いやはや、これが10年前なら良かったのにと思っても、仕方ないですね。
とにかくも、当日のご来場を心よりお待ち申し上げます。
なお、会津若松市国際交流協会のホームページがありますので、詳細なことについては<こちら>をご覧ください。
お空眺めのススメ
イラスト・Machiko
日が短くなり、空気も澄んで、空には星の数が増える秋の夜。
たまにはお空眺めなどいかがですか。
つい先日は中秋の名月でしたから、夜空を見上げた方も多かったと思いますが、これから一晩毎に月が欠けて夜空が暗さを増すに連れ、星の数が増えて行きます。
街明かりで星も見えない大都会の方にはお気の毒ですが、それでもちょっと街の外に出れば、意外なくらい星が見えることでしょう。
以前山暮らしをしていた場所では、秋の夜の星空のドラマチックなことは、例えようもないほどでした。
懐中電灯の明かりを空に向けると、一本の光の筋になって空の向うの星まで届きます。
そうやってあっちの星、こっちの星を指して、子ども達に星座の見方を教えたものです。
今頃は早い時間には、ヴェガ、アルタイル、デネブが形作る夏の大三角形が中天にかかり、夏の星座が空を支配しています。
よく見ると西の空には、とっくに過ぎてしまった春の空に輝いていた星々が、山の端に沈もうとしています。
振り返ると東の空には、これから主役になる秋の星座達が控えています。
北の空にはカシオペヤが高度を増し、東中央にはペガスス・アンドロメダが連なって大四角形を形作っています。
その下には、プレアデス星団(すばる)の星の固まりも・・・。
山暮らしの頃は、もう当たり前のようにアンドロメダ星雲も肉眼で見えていましたが、ここではちょっと微妙です。
それに私も、すっかり老眼になってしまいましたし。
でも、そんなお空眺めの楽しみを倍増してくれる小道具があります。双眼鏡です。
対物口径は大きく、倍率は低い方が星空観察用には向いています。
50mm/7~10倍の双眼鏡で眺める星空は、星の数が一挙に数百倍になって、まるで宇宙船に乗って宇宙空間に飛び出したように、心を奪われてしまいます。
かのアンドロメダ星雲も、息を呑むほどダイナミックに見えます。
外にいても、まだ寒さを感じるほどではない今頃、一晩星を眺めて過ごしたいと思っている私です。
追加更新
食工房よりおしらせ
今週は、木曜日・クリングラ、土曜日・カネリプッラです。
食工房ホームページより・・・
雑貨の部屋に、Blue Lace 秋物新作の写真入り記事をアップしました。
<こちら>からご覧いただけます。
自分の命は自分で守る
今の私たちにとって、最大の関心事の一つは「心身の健康」、そしてこれから先をどうやって健全に生きのびて行くかということじゃないかと思います。
一昨日、「見せかけの自由選択と自己責任」という記事を書きましたが、それに関連して今そしてこれから先の時代に、最も重みのある響きを持つキーワードは、「自分の命は自分で守る」ということになると思います。
この格差の時代にあって、個々人の命の守り方もいろいろ違ってくると思います。
例えば、病気という脅威に対して、ある人は望める限りの高度な医療に委ねようとするでしょう。
一方、その機会に恵まれない人もいて、その場合は命の覚悟を迫られることもあるかも知れません。
この国で、それもこれから老齢期を迎える私の世代の者は、必ずしも福祉に頼るわけに行かず、自分の命を自分で守るしかないところに投げ出されることになるだろうと思っています。
その時、十分な資産を蓄えている人には、いくつかの選択肢があるでしょう。
でも、私のように毎日を食いつなぐのが精一杯の人間には、多分選択の余地はありません。
私にとって、残される一つにして最高の希望の道は、この母なる大地の懐に身を委ね、寄り添い、己の命に覚悟を決めて生きることです。
だから、食と健康のこと、生活習慣と健康のこと、自然の営みと成り立ちについて、諸々勉強することに対して貪欲なことでは、誰にも負けないと思っています。
そうやって勉強したことが、ひょっとして多くの方のお役に立つことがあるかも知れない、発表しようかと思うこともあるのですが、そんなことをして明日にもぽっくり死んでしまったら説得力も何も無く、ただの恥さらしですから、やっぱりもう少し勉強が足りるまで、今はまだ黙っていようと思います。
そうですね、もし私がいい死に方をしたら誰かに拾い上げてもらえるよう、書き残しておこうかなと思っています。
その前に、先ずはその逆にならないよう、心がけなくてはなりませんね。
ご来店感謝の一日
三連休中日の今日、開店間もなくから閉店まで、入れ替わり立ち代りしながら、ずっとお店にお客さまがいらっしゃる状態でした。
こんなことは、食工房では本当に珍しいことで、おかげさまで、「みのりのパン」が特売期間の終了を待たずに売切れてしまいました。
この連休に、他にもお出かけになりたいところが沢山おありだったと思いますが、わざわざ食工房目指してご来店くださった方もあり、大変うれしく、改めてこの場でも感謝を申し上げます。
思い返せば、期待と不安の一年目、自信を失いそうになりつつひたすら耐え忍んだ二年目三年目、少し希望の光が見えたような気になれた四年目、そしてやっと五年目にして、少なからぬ方に支持されているという実感が湧くに至りました。
本当に頑張るとしたら、むしろこれからですね。
皆さまのご期待を裏切らぬよう、また自分にも納得の行く仕事をしていたいと思います。
明日も、皆さまのご来店、お待ちいたしております。
見せかけの自由選択と自己責任
「見せかけの自由選択と自己責任」。
今、そしてこれからの時代を、象徴的に言い表そうとするならこういうことになると、私は思っています。
本来なら、自由選択と自己責任、それは個人の生き方として、社会のあり方として、一つの理想かも知れません。
しかし今の社会で、否世界で、本当に自由な選択が可能なのか、あるいは許されているのか、それが確実に保証されなければ、あとに続く自己責任を問うことは出来ませんね。
今この国では、規制緩和の名の元に何もかもを競争に委ねようとしています。
「自由競争」と言う言葉が、如何にも説得力のある響きを持って語られますが、その自由とはどういう意味なのでしょう。
全ての人に平等なチャンスの下に競う、と言うのが本来の意味でしょうか。
それならそれでいいかも知れませんが、本当にチャンスは平等なのでしょうか。
そうじゃないことは、もうバレバレですね。
かなり嫌味な言い方ですけれど、自由競争の「自由」とは、勝つためにはどんな手段を使おうと「自由」、勝者がさらに勝ち続けるために、どのようにルールを変えるのも「自由」、そんな風にしか思えません。
今ますます、「金」の力で全てが動く社会になりつつある中、政治はもはや経済に対して干渉する力を失っているように見えます。
そんな時代に私たちは、何の保護も規制もないところに投げ出されて、自由とは名ばかりの選択を次々と迫られ、自己責任だけが問われることになりそうな気がしています。
そんな時代の到来を感じる今、自分にとって「幸福」とは何か、実は一人一人の幸福論が、この世界の命運を分けているのだと気づいた私です。
みのりのパン・2
先日デビューしたばかりの「みのりのパン」ですが、早々から反応がありうれしい驚きです。
ネーミングも良かったと思いますね。
名付け親のY原さま、本当に感謝です。
これで皆さまに実際に召し上がっていただいて、あとが続くかどうかで評価が決まることになります。
皆さまをがっかりさせない内容だと自負してはいますが、それでもいろいろなご感想やご意見をいただきたいと思っています。
そうすることによって、細かいところになお一層磨きをかけることが出来るからです。
明日も、また9本だけですが焼くことにしています。
そのための下ごしらえを、少し前に終えたところです。
細々と手間のかかるパンではありますが、その分焼き上がりの楽しみが大きいパンでもあります。
そして、旅の口糧としてどのくらいの実力があるのか、いつか時間が取れた時に「みのりのパン」を一本持って、飯豊の麓の大滝まで山歩きして、腹持ち具合を確めて見なくてはと思っています。
9月15日までは、お試し期間キャンペーン特価、1本500円で販売しております。
その後は、1本900円、1/2カット480円となります。
9.11
2001年9月11日、この日を境に9月11日は、世界中の人々にとって忘れることのない歴史的な日付となりました。
あの日アメリカで起こった同時多発テロは、世界中の人々を震撼させました。
そしてその後に続く世界情勢を見れば、この出来事のもつ意味の大きさを思わずにはいられないでしょう。
以来世界は、何か良くない方向へと大きく傾いて行っているような気がします。
ところが、この事件の真相あるいは真実は、実際のところ分かっていないというか、私たちには知らされていないのですね。
一応の説明はされていますが、確たる証拠が示されたわけでもなく、むしろ新たな疑惑が生まれ続けています。
これは私の私見ですが、あの事件は言ってみれば、世界中の人々の心の中に落とされた核爆弾の炸裂であったと思います。
その熱と爆風の衝撃は、すでに世界を駆け巡り、アフガニスタンやイラクで戦争の火をつけました。
それだけでも凄まじい被害だと思いますが、今そしてこれから先、放射能のように長い時間をかけて人々の心を蝕む害が、蔓延し続けるのだろうと思います。
ある意味、そちらの害を受けることの方が、もっと恐ろしいことのように私は思います。
21世紀の前半、それは過酷な試練の時代となるであろうことは、もはや確実です。
そこで人々が心を蝕まれつつ生きることがどんな状況を生み出すのか、考えただけで背筋が凍り付きそうです。
この先、多分避けられない嵐の中で、自分はどう生きるのか覚悟を迫られる、そういう時代が来るに違いないと思っています。