昨年末、おせち料理をこしらえていた時のことです。
毎年引っ張り出してくる料理本が一冊、「栄養と料理・1976年1月号」です。
私たちが結婚したばかりの頃に、連れ合いが買ったものです。
以来毎年、年末になると台所で開かれたこの本は、今では年期が入って紙の色がすっかり焼けて変わってしまっています。
我が家のおせち料理は、この本を参考にしながら我が家流の手加減を加えて造っています。
さて前置きが長くなってしまいましたが、実はこの本には、「気にかかる食糧危機・私たちの食生活はこれからどうなるか」という特別記事が掲載されているのです。
今までに何度も目に入っているはずなのですが、昨年末はその見出しが妙に気になり、久しぶりに読み返して見ました。
今から32年も前に取り上げられた食糧危機の話題がどんなものだったか、ここ2、3年注目されるようになって来た、世界的な食料不足とわが国の食料自給率の低さの問題に通じる指摘があったかどうか興味津々でした。
32年前というと、まだ先の大戦の戦中戦後の食糧難を体験して人たちが沢山いて、食べる物を粗末にするなという戒めは、世の中の常識として失われていなかったと思います。
そういう先人達の努力によって豊かになったと言われた時代に、早くも食糧危機を予見する意見があったにもかかわらず、今、深刻な食料問題を前にしている私達には、反省すべき点が沢山あると思います。
その記事の中では、日本の食糧自給率・カロリーベースが50%を割りそうだと指摘されているのです。
そして、国家間の食糧事情の格差のことも問題視しています。
アメリカや日本などの豊かな国の摂取カロリーと、アフリカなど貧困国の摂取カロリーに、どれほどの格差があるかということにも触れています。
さらにこの時代、遺伝子組み換え食品は全く現実のものではありませんでしたが、それでも何か、今までは食料ではなかったものを食料として実用化することも必要になって来るだろうと結論しているのです。
それから32年たった今、私たちが迎えている現状は、食料自給率・カロリーベース40%、穀物自給率27%、加えて世界的な食糧不足。
一体この間、私たちは何を目指してきたのでしょう・・・。
そして最近のニュースでは、野菜工場構想を国家が支援することが本決まりになるようです。
土の上で自然の計らいに依存して生産するのに比べて20倍の生産量があり、天候不良などのリスクもない確実な食糧生産が可能だと結論しています。
果たしてこういう発想なり道筋が正しいのか・・・?私にはとてもとても疑問です。
>私には、工場で生産された食料を食べる私たちと、巨大なゲージで管理飼育されている家畜の姿が重なります。
自然であること、自然の計らいから逸脱しないことの大切さは、時に先端的な科学技術の前に無力に見えますが、たとえ宗教と言われようと哲学と言われようと、最後には科学自身がそれを証明するに違いないと私は思っています。