月別アーカイブ: 2007年8月

停電!

今日は、開業以来初めて、オーブンにモノが入っている最中に停電しました。
その少し前から空模様が怪しくなって来ていましたが、まあ大丈夫だろうと、ケーキを10本釜に入れていました。
ちょうど膨らみが始まる手前の、一番熱の欲しいタイミングで、何の前触れもなくプツンと切れました。
停電はあり得ることとして、いつも頭の片隅に意識しているはずでしたが、いざこの状況での停電で、「ああ、これでケーキ10本ダメにした。」とあきらめが先に来ましたね。
でもまあ、余熱でどこまで焼けるか、このまま置いてみることにしました。
少し冷静になって、小型ながらガスオーブンがあったことを思い出し、すぐに点火して待機しました。
でも、移し替えはリスクが大き過ぎるので、とにかく見極めがつくまでは余熱で焼くことにしました。
いつもより少し時間が延びましたが、意外にも「うーん、この次からは途中からわざと電源を落とそうか。」と冗談が出るほどいい具合に焼き上がり、拍子抜けの気分でした。
まあ、今回はうまく行きましたが、はっきり言って停電はたとえ10分間でも、場合によってはその日一日の製品を全部ダメにする可能性があるのです。
無事に一日の作業が終わると、やっぱり「これは奇跡だ!」と、少し大げさですが手を合わせたい気持ちになります。
こんな気持ちになるのも、私たちが、電気の引けない山の中で14年間暮らしていたからに違いありません。

さて、昨日の「真夏のカレーパーティー」、皆さんに喜んでいただけましたようで、主催者としても大変ありがたく幸せな気持ちです。
ご参加くださった皆さん、ありがとうございました。
この次の日曜日には、続いて第二回目があります。
参加受け入れにまだ少し余裕がありますので、どうぞ皆さま奮ってご参加ください。
メニューは、マイケルシェフによるインドの精進料理カレー。
デザートも飲み物も凝っています。
食工房からは、レンズ豆とひよこ豆のダルスープを。
チャイのアイスクリームにも挑戦します。


  そして今日は・・・
「広島デー」でしたね。
こんな時だけ戦争のことを思い出して、あとの一年忘れていてはしょうがないと思ったりしますが、逆に一年に一度でもそのきっかけがあることは大切なことかも知れないとも思います。
「戦争を語ってくれた人たち・その2」を、いつ書こうかなと思案しています。

長い一日

今日は、まず朝は地域の「人足」と呼ばれる奉仕作業から一日が始まりました。
道路の路肩や法面の草刈りを二時間余りやった後、消火栓の使い方を放水体験まで含めてやりました。
さらにその後は、消火器の使い方の練習と救急救護法の講習と体験もやりました。
今地方では、道路整備の一部、防災や救難救助なども、自分たちで出来ることは自分たちでやらなくてはならない状況に入って来ています。
我が集落でも、具体的に市民防災組織の確立を考えているようです。
さて、午前中一杯かかってそれが終わり、今度は「真夏のカレーパーティー」です。
仕込みは昨日のうちにやっておきましたが、会場が離れていますので、車に荷物を積み込んで移動です。
予定の2時までには、だいたい準備が出来ましたが、大人数への対応に慣れているわけではありませんので、初めのうちちょっと混乱しました。
でも、皆さんのご協力で大変楽しい会になりました。
このときの様子は、CHAブログや参加された方のブログなどにいっぱい紹介されると思いますので、私は、とりあえず簡単にこのくらいで。
と言うより、スタッフに徹していましたので、写真を撮ったりする暇もありませんでした。
で、ちょっとの合間に家に戻って来て、このブログを書いた後は、もう一度カレーパーティーの会場に戻って、友人のMさんのバースデーパーティーをやります。
今、ちょっと頭の中がお祭り状態です。
多分、これで完全に風邪っ気が抜けてくれると思っています。
さて、いよいよブログカウンターが10000ヒットに到達します。
プレゼント欲しい方は、<7/26の記事>をもう一度読んで応募してくださいね。

さあ、これからです。


長女が昨日運転免許をもらって来ましたので、今日は用足しを兼ねて運転ぶりを見させてもらいました。
何と言っても、運転に習熟するのは免許を取ってからのことですから、自分の安全だけでなく、周囲の安全にも気が回るようになるまで、しっかりサポートしてやろうと思っています。
今度からは、街で初心者マークの車を見る目に、また一段と配慮が加わりそうです。
かく言う私、ある時まではものすごい飛ばし屋だったんです。
違反も事故も、何度も経験しています。
しょっちゅう遅い車を煽ったりして、さぞかし迷惑なことだったろうと反省しています。
危ない目にも遭って、よく今まで生きていたものだと思います。
その運転を全く変えたきっかけは、高速バスに乗ったことでした。
東名高速を夜行バスで高知まで旅したのですが、このバスの運転にはぞっこん参りました。
とにかくスムーズ、不安を感じさせない、それでいてそこそこ速いんです。
それからというもの、私は運転席でコップが倒れないような走り方をしてみようと思うようになりました。
そのための配慮は、いろいろな意味で交通安全に貢献すると思えるからです。
車を走らせることって、本当はすごく危険なことなんですね。
もっともっと、運転者はそのことを自覚しなくてはならないのだと思っています。

文学系理論家と工学系ロマンチスト

こんな例に当てはまる人が、案外いるものだと思っています。
もちろん、人間にこの二種類しかいないということではありません。
でも、私の記憶の中では、ああ、あの人は・・・、うん、この人は・・・、とほとんどどちらかに当てはまります。
ここで言う文学系とは、文科系と言ってもいいですし、工学系は理工系と言ってもいい、そんな意味合いです。
物理学的興味にのめり込んでいる人が、裏ですごいロマンチストで直感的な人だったり、人文学的興味に没頭する人が、一方ですごく堅い持論を持っていたりするものだと言っているわけです。
で、私はどちらかと言うと、間違いなく工学系ロマンチストだと自覚しています。
どちらかと言うとモノと向き合っていた方が気が楽、ものごとに精緻さを追求する傾向が強い、人付き合いが苦手で、恋愛となるともう全く気が利かない・・・、こうして並べてみると分かるでしょう。
裏返せば、すごくシャイでナイーブ、さみしがり屋なんです。
モノに興味が行くのは、肩代わりさせているんだって分かっていただけますよね。
これがロマンチストの下地だって理解出来るでしょう。
でもおかげさまで、一方で私は、何でも知っているとか、何でも出来る人だと言われて、羨まれたりするわけです。(本当は、ただ浅く広く、芸達者に見えるだけなんですが・・・。)
若い頃の私は、私とは逆のキャラクターの友人知人を、ことごとく羨ましいと思ったものです。
彼らには逆の悩みがあったか無かったか、それは知りませんが、この歳になって思うことは、どっちも一長一短、そしてお互いに無いものねだりをするものだということです。
どうしてなんでしょう?というより、それがバランスというものなんでしょうね。
「天はニ物を与えず。」と言いますが、全くその通りです。神様は、公平なんです。
あとは、それを自覚出来るかどうかだけですね。

宇宙船に乗って

昨夜は、この春住まいを移した知人の新居で、引越し祝いをすることになり、お邪魔して来ました。
そこは、「沼の平」という地名が不思議に思える、急傾斜地に開けた集落です。
集落の中の一番高い場所にある、その方の家に登って行く細道は、庭先で突然行き止まりになっていました。
そこから空に向かって広がる風景は、「人間の世界はここまで、ここは天と地の境目。」と告げているようでした。
そして眼下の谷間の遥か先には、会津若松の街がかすんで見えているのだと、その方が教えてくれました。
実は、夕方まだ明るいうちからお邪魔していたのですが、やがて暗くなり星々が現れると、私は自分が不思議な高揚感の中にいることに気づきました。
自分が立っている地面は、周りの山ごと星々の間を航海中の船なのだと思えました。
素晴らしい速度で進んで行くのが分かりました。
下の方に目をやると、こぼれた星屑のように遠くの街明かりが、無音の中に散らばっていました。
確かにあそこには、何千何万の車と人がひしめいて、明るくてにぎやかに違いないのです。
同じ地上に、こんなにも様子の違う場所が同時に存在していることに、とても不思議な感じがしました。
庭先ではずっと皆の楽しいおしゃべりが続き、私もその中に混ざっていたはずなのですが、風邪で少しぼんやりしていたせいでしょうか、意識は半分宇宙船に乗って漂っていました。

 本日の食工房
今日は、自動車教習所に通っている長女がいよいよ終了検定ということで、木曜日でしたが休まずに教習所の方に出かけましたので、作業場は大混乱となりました。
でも、おかげさまで無事合格。
明日は、早々と郡山の試験場に出かけて、合格すれば早速免許証をもらえる手はずです。
明日も忙しい一日になりそうです。

ジャズ喫茶に通った頃

十代の終わり頃だったでしょうか、私がジャズ喫茶に通うようになったのは・・・。
彼女もいない当時の私にとって、一人で行ってもつまらなくないのは、ジャズ喫茶くらいのものでした。
コーヒー一杯で2~3時間過ごすこともしょっちゅうでしたが、どのお客も似たようなものでたいていコーヒー一杯きりですら、お店はよくやっていられたものだと、当時の世相の長閑さを思います。
ジャズ喫茶は、私にとって用がなくても街に出かけて行くための口実でした。
その後郷里を離れ、数年後に現在の連れ合いと結婚することになって二人で私の実家に行った時、彼女と一緒にこのジャズ喫茶を訪ねましたが、あまり長い時間居る気がしなかったのは、当然と言えば当然でした。



ちなみに、当時の私は工業高専に通いつつも、ミュージシャンになりたくて進路に悩み、親をうろたえさせていました。
当時の郷里の街で、クラシック以外の音楽的環境で私の興味を引くものはと言えば、ジャズ喫茶以外にはありませんでしたが、その欲求不満が結局郷里を飛び出すきっかけになったことは間違いありません。
それからもう一つ思い出しましたが、タバコを吸っていましたね。当時の私・・・。
タバコの煙とコーヒーの香りはベストマッチだと思っていました。
それが結婚して、彼女が妊娠したとたん禁煙し、そのまま今まで一本も吸っていません。
こんなところでも、極端から極端に走る私です。

 おしらせ
「食工房のパンだより」スイカ号(2007年8月号)が出来ました。
ホームページ、ダウンロードのページにpdfファイルを掲載してあります。
ご覧いただければ幸いです。 <ページへのリンク>
印刷したものは、これから店頭で配布します。
あるいは直接お送りします。

 おわびと訂正
先日発売の記事を掲載しました「カリーマサラ」の品質表示ラベルの製造日と賞味期限が、昨年作成した数字のままになっています。
正しくは、2007年7月9日製造・賞味期限は5年後の2011年7月8日です。
この場を借りてお詫びし訂正させていただきます。