月別アーカイブ: 2008年5月

久々のOFF



丘の上からの眺め、赤い屋根の建物が「空色カフェ」


まだ連休中ですが、今日はいつもどおりに定休日をいただきました。
それでも二組ほど遠来のお客さまがあり、せっかくなのでお茶を飲んで休んでいっていただきました。
午後は、あとを連れ合いに任せて、娘たちを連れて、日頃お世話になっている、美坂高原の「空色カフェ」さんまで出かけて、お茶の時間を楽しんで来ました。
私にとって、ここを訪ねるもう一つの魅力は、山の木や草花と出会うことです。
連休最後の日で、沢山のお客さまがいましたが、周辺の山の中まで散策する方はほとんどいないと見えて、歩道は少々荒れた感じでしたが、私たちにはかえって嬉しい状況でした。
道々、踏み荒らされることもなく、咲き乱れている草花がそこここにありました。
また小高い場所には、立派な一本立ちの木があり、遠くからその全形を眺められて、とてもいい気持ちがしました。




ナラの大木  
こんな感じの木が沢山あります。


正味歩き回ったのは2時間くらいでしたが、久しぶりに自分の中で、何かが息を吹き返したのが分かりました。


 昨日の続きを・・・
子どもの日の昨日、知人のブログのページをめくっていて、眼に留まった記事がありました。
ある映画のことが書かれているのですが、文章から伝わって来る映画の中の情景が浮かんで、胸にこみ上げて来るものを感じました。
また、記事最後の数行にもぐっと胸に迫る一言がありました。
皆さんにも知っていただきたいと思いましたので、ご紹介いたします。
<こちら>からご覧になれます

こどもの日



祭りの会場で、ダンスをするフィンランドの子どもたち

「カウスティネン・フォークミュージックフェスティバル」
公開写真より借用しました。


今日は5月5日、こどもの日です。
子どもの日にちなんで私が覚えていることと言えば、こいのぼりの中をくぐり抜けてはしゃいだこと、部落の集会所に集まりお菓子を沢山もらって、一日中うれしい気分で遊んだことなど、思い出は尽きません。
私が小さかった頃、人々の間には、まだ戦争の記憶が生々しく残っており、平和な世の中に子ども達が元気に育っていくことを、誰もが喜んでいる空気が満ちていました。

あれから優に50年、今はどうでしょう?
少子高齢化の時代と言われ、出生率の低下が社会問題にまでなっていますが、果たして、子どもを育み慈しむ空気が流れているでしょうか。
周りを見渡すと、1歳にも満たない子を保育所にあずけて、夫婦で共働きしなければ生活出来ない現実があります。
そしてそんな状況に対し、行政府が考える子育て支援は、安心して子どもを預けられる場所を確保する方向のみで、幼い子が両親と一緒に過ごす時間を保障しようという発想はありません。
また一方で、親となる若い人たちの間にも、何か大切なものが欠けているのではないかと思うこともあります。
私の6人の子ども達は大方成長して、もはや私の手の及ばない、自分自身の人生を歩んでいますが、こどもの日の今日、自分の半生と子ども達と過ごした時間を、静かにふりかえってみようかなと思っています。

  本日の食工房
連休も間もなく終わり、あと一日残っていますが食工房は明日は定休日、本日も、沢山のお客さまが見えました。
しかしながら、商品棚はいかにもさみしく、全く申し訳ない状態でした。
朝からがんばってスコーンを2種類焼きましたが、夕方までに1個を残してあとは売り切れました。
さすがに売るものがなくなっては、売り上げにはなりませんね。
スキルアップ!が重く耳に響くような気がする一日でした。

初夏の陽気、ご来店感謝の一日



うーん、今一つ伝え切れない写真ですが、想像していただけるでしょうか。


今日も、昨日に続いて晴天、汗ばむほどの気温となりました。
冬には雪化粧が美しい向かいの山は、今日は新緑がまるで光を放っているかのように輝いて見えていました。
心も軽くなりそうなこの陽気に誘われて、あちこちお出かけの方も多かったのでしょうね。
近くの国道を走り抜けて行く、オートバイの爆音が響いていました。
食工房にも、三々五々お客さまが見えました。
遠くは、東京から一組、福島市から一組、その他お近くの方が幾人か。
昨日のイベント参加で製造をお休みしたため、棚の品物が少なくて見た目もさみしい店頭でしたが、今日一日でさらにさみしくなってしまいました。
今日は、昨日の片付けの後ケーキを二種類焼きましたが、明日は朝から、さらに気合いを入れて造り方に精を出さなくてはなりません。
そして、同じ仕事をもっと手際良くこなせるように、最近流行の言葉で言えば「スキルアップ」ですか、それを達成しないことには、食工房の経営も本格的な軌道には乗りません。
今はやっとご飯がいただけるので精一杯、人件費や減価償却まで考える余裕がありません。
だからこそなおいっそう、みなさまのご来店に深く感謝の念が湧いてきます。
一個が200円300円の品物を売って積み上げて行く売り上げですから、どんな小さなものごとにも、かえりみる心と感謝の気持ちを忘れないように、改めて肝に銘じる今日の私です。

  「パンだより」遅れています。
月初めまでに発行したい「パンだより」、今月はまだ出来ていません。
まだあと数日かかりそうです。
そろそろかなと、ホームページを覗いてくださった方もいらしたことと思います。
あと数日してから、もう一度アクセスしていただければと思います。

会津若松・栄町教会





重要文化財にもなっている美しい礼拝堂。




野口英世が洗礼を受けた教会でもある。
※画像をクリックすると、拡大して見られます。


今日はこちらで、「ピースウォーク」というイベントに、出店参加して来ました。
イベントの趣旨は、憲法記念日の今日5月3日、憲法9条の大切さと反戦平和を訴えるというもので、戦争体験講話を聴いたり、市内デモ行進をしたり、リレートークやミニライブなど、盛り沢山な内容の半日でした。

私は個人的には、特定の思想や宗教に共鳴する感覚はありませんが、こうしたイベントには共感するものがあります。
平和が大切であることにはどなたも異論はないと思いますが、少なくとも私は、平和は力の均衡などという危なっかしい方法で実現出来るものではないと確信しています。
その点、今日の集まりに参加された方々も、多分同じ感覚でいらしたであろうことは、容易に想像出来ました。
イベントの中で、参加者一人一人にマイクを向けられ一言メッセージを求められたのですが、私は、平和運動はどのような切り口からでも出来ること、だからパンを焼くことが私の平和運動であると申し上げました。

会場では、食工房としてミニカフェと焼き菓子とパンの販売をさせていただきましたが、皆さん外歩きでお腹も空いたのでしょう、おかげさまで持って行ったものは全て売り切れました。
そして、日頃お顔なじみの方あり、初めてお目にかかる方あり、沢山の方々と交流出来て、いっぱい元気をちょうだいしたことが何よりの収穫でした。
ちなみに今日は、長女も手伝いについて来てもらいましたが、デモ行進にも参加したりして、いろいろ感じるところがあったのじゃないかなと、そんなことを考えてしまう親バカ心でした。

そうそう、みんないい内容でしたけど、会津マスクワイヤーの皆さん方による、ゴスペルソングはちょっとしたショックを感じるくらい、なかなかの聴きものでしたね。
音楽もまた、平和に貢献出来るチャネルだということを、実感させてくれました。
かくして、いい一日の終わりを迎え、満足、満足の私です。

ほどほどに不衛生が良いとか・・・。

子ども達の三人に一人はアトピー体質だと言われます。
特定の物質にアレルギー反応を起こす体質を持っている人は、最近ますます多くなっているような気がします。
昔は、牛乳が飲めないと言っても、そんなことに配慮する風潮はありませんでしたが、今は学校給食でも、食品アレルギーに対して配慮するようになりました。
また花粉症などのアレルギー疾患も社会的にすっかり認知されて、春先はマスクをした人を沢山見かけますが、誰も特別気に留めなくなりました。
さて、このアレルギー体質が何故生じるのか、このことについて研究が進んだ結果、面白いことが分かったのですね。
それによると、まず私たちの体には免疫抗体反応という仕組みがあります。
これは、細菌やウィルスに感染したり毒物を摂取した時、その害を食い止めるために働く生理なのですが、公衆衛生が普及して生活環境に雑菌が少なくなった結果、その分他のいろいろな物質、例えば花粉とか特定の蛋白質などに過剰な免疫反応が起こる、それがアレルギーと呼ばれるものの正体だというわけです。
そしてその体質が生じるかどうかは、生後1~2歳までの生活環境によって決定づけられると言われ、アレルギー体質になるのを避けるためには、ほどほどに不衛生な環境にいるのが良いという結論だそうです。
ほどほどに不衛生、つまり少々前時代的な暮らしをしていれば良いということでしょうか。
だとすると、最近の住宅環境はあまりにも人工的で完璧に衛生的だし、人の手の触れるものは何でもかんでも除菌加工してあるし、私たちも何に触れる時もやたらに除菌スプレーを使ったりしますね。
これだけ世界規模で大量に人や物が動く時代になった今、恐ろしい感染症のリスクもないわけではないので、除菌に神経質になるのは、一方では止むを得ない事情でもあるわけです。
そうやってもう一方では、アレルギー体質が増えて行くというわけです。
だとすれば、子ども時代は田舎に暮らし、古民家にでも住まって、野山を駆け回って遊ぶというのが一番良いということになりそうですね。
私には、当たり前過ぎる結論だと思えますが、案外実現が難しいのが現代社会なのかも知れません。

鳥インフルエンザ

今、世界は、鳥インフルエンザに神経質になっています。
ここ数年来、東南アジアに端を発した鳥インフルエンザが、いつ人から人へ感染する能力を獲得するか、その次第では大量の犠牲者が出ることになるかも知れないのですから、無理もありません。
つい先日は、青森の十和田湖畔で白鳥が鳥インフルエンザで死亡したことが確認されて、大騒ぎになったばかりです。
この数年間に、鳥インフルエンザに感染したか、感染の疑いがあるとして殺処分された鶏など家禽類の数は、一体どれほどになったのか、見当も付きません。
何百万羽か何千万羽か知りませんが、時間稼ぎにはなってもそれで完全に防御出来るとは思えません。
野生生物由来の感染症が、やがて人にも感染を広げて来ることは、防ぎようがないのじゃないかと思うのです。
感染症は、この地上に生きている生命である以上、避けて通れないリスクです。
野生生物であろうと、家畜であろうと、はたまた人であろうと、基本的に境はないのです。
もし、完全に防御しようとすれば、人は直接間接を問わず、自然界と接触を断つしかないでしょう。
もちろんそれでは、生きていくことは出来ませんね。
そして免疫は、どんな形であれ一旦感染しないことには獲得出来ないものなのですから、そこのところを我々はワクチンという手法を用いて、犠牲を減らそうとするわけです。
今にも、多くの犠牲者が出ることになるかも知れない状況に向かって、建設的な見解ではないかも知れませんが、どうも私は、最近になればなるほど、人類は、自然界との付き合い方を見失っているような気がしています。
こうした脅威は、一旦避けることが出来ても、その次にはもっと強力で恐ろしい脅威となって再来しそうな気がするのです。
でも一方で自然界は、必ずどこかにそうした脅威に対抗するための資源を、また対応するための生理的な仕組みを計らっているような気がします。
素人の頭で考えてもしょうがないことかも知れませんが、この数年間、このことが頭から離れません。