日別アーカイブ: 2008年5月10日

世界平和について考えていて、思い当たったこと。

今、私たちのかりそめの平和は、世界のあちこちで払われた多くの犠牲の上に立っているということを忘れたくありません。
アフガニスタンで、イラクで、パレスチナで、アフリカ諸国で、今もなお続いている戦争。
60余年前、日本もまた戦争当事国であり、多くの人々が無念を残しつつ命を落としました。
そして朝鮮で、ベトナムで、中南米諸国で、東欧諸国で戦争があり、中央アジアでは今も、戦争の火種がくすぶっています。
これまでの人類の歴史の中で、一体どれほどの人々が戦の犠牲となったことでしょう。
その人々が、この世に残していった無念の想い、怒り、悲しみ、憎しみ、恨み、それらはたまりにたまって、今やまるで、時が経って固まった血のりのような赤黒い色をして、この地上を浸しているのが、私には見えるような気がします。
幸運にもこの時代に生き残って長らえている私たちは、それをどう引き受け、弔うことが出来るのか、そこが欠けたら、この世界に平和に生きられる場所は、ますます狭くなるでしょう。
否、すでにそうなりつつあるのではないか、私たちは大事なことを忘れている、気がついていないのじゃないか、そんな気がします。
それからもう一つ、戦争と犯罪は同じ脈絡の上にあるということも忘れたくありません。
違うのはただ一つ、戦争は、暴力を集団で正当化するということです。
今、この日本がとりあえず戦争当事国でないとしても、日々命に危険の及ぶ犯罪が蔓延し、幼い子ども達を安心して外で遊ばせることも出来ないような社会が、果たして平和と言えるでしょうか。

最近ますます混迷極まるかに見える世界、悩みが深くなって行く私たちの社会、そこに横たわっているのは、心の負の遺産とも言うべき、そうした無念の積み重なりであると私は思っています。
放射能にも似て、放って置けば誰かれなく害を及ぼし続けるその想いを葬るためにはどうすればいいのか。
私たちは、ただ毎日を自分の幸福と生きる楽しみを追いかけることに終始しているわけには行かないのだと、今改めて思う私です。