月別アーカイブ: 2008年8月

水で決まるコーヒーの味



おいしい水を求めて、この風景の見えるところまで出かけました。
一昨年の5月撮影。


お茶でもコーヒーでも、水質が味に及ぼす影響は、とても大きくまたデリケートです。
コーヒーに関して、豆の品質や焙煎の良し悪しは、どちらかと言うと香りを中心に風味全体に影響しますが、水質は、口に含んだ時の味わいと、そして後味に影響します。

コーヒーの場合も、お茶と同様軟水(pHが低い、つまり酸性)が良いとされていますが、実際にはpHだけでは水質は論じられません。
他にもいろいろな成分が溶け込んでいたり、混ざり込んでいたりして、それらによってその水のキャラクターは千差万別だからです。
中には、そうした一切の不純物を除去した純水(つまりH?O)を使っているコーヒー屋さんもあります。
それが必ずしもベストかどうかは、私個人としては、疑問符を付けているところですが・・・。

ではどんな水が良いのか。
それはもう実地に当って、良い水に出合うまで探すしかないと思います。
この場合の「良い水」とは、自分の求めるコーヒーの味が得られる水、という意味です。

以前山暮らしをしていた場所の沢水は、その点では偶然とは言え、全く理想の水でした。
毎週日曜日に、街で路上カフェをやっていた時も、この水をタンクに入れて持って行きましたが、これだけでも、自分のコーヒーを売り込むのに、私はどれほど得をしたことかと改めて思います。
ほとんど例外なく、開口一番「おいしい!」という声が聞こえる度に、私は、これは水がいいんだ!と確信していました。

会津に来てからは、残念ながらそこまで納得のいく水にはまだ出合っていません。
もっとも、まだまだ十分探したわけではありませんが。
年中、日常的に汲みに行ける距離内にあることを条件にすると、選択肢はほとんど限られてしまいます。
飯豊山の登山口へ行く途中にある湧水が、かなり良いことが分かっているのですが、冬は雪のために道路が閉鎖され、汲みに行くことが出来ません。

我が家では、井戸水も利用出来るのですが、今一つです。
唯一の救いは、水道水が結構良質なことです。
煮沸して塩素を飛ばしてしまえば、市販のミネラルウォーター並みです。
コーヒーの味では、あの理想の沢水には敵いませんが、当面納得するしかありません。
というわけで、皆さんもぜひ、今一度水質にこだわってコーヒーを淹れてみてください。
きっと新しい発見があると思います。

思い出話し・その1


この写真に写っているもの、お分かりになると思います。
もうかれこれ14年位も前、四男が9歳の頃に作ったものです。
何度見ても、思わず微笑んでしまいます。
直径が5円玉くらいでしょうか。
こんなものを、次から次へといくつも作って遊んでいました。
このヤカンは、後に妹たちが作った人形たちの家の道具の一つになり、今でもちゃんとして残っています。
ミニチュア作りは、子ども達が、中でも特に好き好んでやった遊びで、いくつか面白い話があるのです。

その一つ、バタと呼ばれる製材所で出る端材の薄板を使って、実物大の包丁を作るのに熱中してしていた時のことです。
男の子たち4人は、菜っ切り、出刃、牛刀、ぺティナイフ、そば切り包丁に至るまで、本当にリアルな木の包丁を何十本もこしらえて、刃物屋ごっこをしていました。
それもやがて、やるだけやって満足したのか、惜しげもなく大方風呂焚きにしてしまいました。
一本だけ、牛刀の形をしたのを捨てないで取っておいたのがあったのですが、ある時、客人が来て歓談している最中、何となく手持ち無沙汰にその包丁をもてあそんでいて、(客人には、ランプの灯りの下で見えていなかったのです。)それから何の考えもなく私は、子ども達に用事を言いつけざま、それを振りかざして合図を送ったのです。
包丁はすぐに手元に置いたのですが、一瞬それを本物の包丁と見間違えた客人は、顔色を変えて「青木さん!今の何だった?」と恐る恐る尋ねるので、そこでハッと私も気がついて、それを見せて差し上げて大笑いになったという顛末。

本当はその包丁の写真があれば良かったのですが、
写真、
撮ってませんでした。
肝心の包丁も、どこかに仕舞い込んであるらしいので、また別な機会に・・・。
ミニチュアの話しは、まだまだ尽きないのです。

お盆

この数日間、自分からそうしようと思ったわけではありませんでしたが、お盆の云われの如く、私は私に縁あって先立って行った人たちの事を、思い出し思い返しながら過ごしていました。

父を始めとして、家族、親戚、知人、友人、沢山の死者たちの霊を身近に感じ、いずれは私自身もあちらの世界へ仲間入りする時が来るのだと、自分自身の死の風景についても想いを巡らせました。


一方数年ぶりに、離れて暮している子ども達が揃って帰省し、久々に家族全員が集いました。
二男は、嫁と九ヶ月になる初孫を連れて、また四男の彼女も顔を見せてくれましたので、一時我が家は総勢11名の大所帯となりました。
若い人たちに囲まれて圧倒されながら、私は親としてまだまだ頑張らなくてはならない時間が残っていると、肝に銘じる日々でありました。


さてそれはそれとして。
先の戦争、そうです、日本が当事者でもあった第二次世界大戦は、8月15日に日本の無条件降伏を最後に終結したのでした。
日本ではちょうどお盆に当る時に、あのようにして終戦を迎えたことは、何かとても意義深いものがあると、私は思います。
私たちが、いつまでも過去の過ちを忘れないようにとの、天の思召しかと・・・。

この数日間最後の二日間は、会津若松市内で開催された「’08市民平和まつり」の会場内で、カフェをやりました。
このイベントには、全部で13もの団体が関わっていながら、一つのテーマの下に集い、力を合わせられたという意味では、平和運動のイベントとしては理想的な成功を収めた、私は思っています。
主催者の方々からご要望をいただいてのことではありましたが、沢山の方々のボランティアによって準備された、全く収益を目的としないイベントの中で、私だけがカフェで商売させてもらえることに、大変ありがたくまた恐縮の思いがありましたので、売り上げの20%を寄付させていただくことにしました。




会場に入るとまず、多くの人に感銘を与え続ける「焼き場に立つ少年」の
等身大パネルが、真っ先に目に飛び込んで来ました。


盛り沢山の貴重な展示や講演、映画の上映やコンサートなどがありましたが、同行の娘たちに多くを見聞して欲しかったので、私は大方持ち場を離れられず、やっとのことでジョー・オダネルの写真展示とあと一つ新婦人の会の方々の展示を見ることが出来ました。

それで一つ驚いたことに、ジョー・オダネル氏(2007年8月9日他界)に最後に連れ添った女性(坂井貴美子さん)が会津若松のご出身で、ちょうど帰国中の彼女にお話を聞く会がイベントの中に企画されており、カフェスペースが会場になりましたので、ジョーのお人柄などについて知られざるエピソードをいろいろとうかがうことが出来ました。
それにしても、こんなこともただの偶然とは思えない、お盆の数日間でありました。

カフェには、スタッフの方々を始め多勢の方が、度々コーヒーを飲みにいらしてくださって、持って行ったパンやお菓子なども全て売り切れました。
おかげさまで二日間で、十万円近い売り上げがあり、
その中から二万円を寄付させていただくことを、ここに報告いたします。
皆さま、ありがとうございました。

ブログのお盆休みをいただきます。

今日からニ三日間、ブログの更新をお休みします。
今年は、お盆休みの間に、離れて暮している子ども達も皆帰省してくるので、何年ぶりかに全員集合です。
明日は、当地区の盆踊り大会だし、食工房は営業中だし、週末のイベント出店に向けて準備もあるし、忙しくなりそうです。

いただきもの







 


このおいしそうな麺、これも実は地元山都町産の小麦を乾麺に加工したものです。
このブログでも一度ご紹介したことのある、「ひぐらし農園」の浅見さんからいただきました。

浅見さんは、米や野菜の他に大豆そして小麦も作っているのですが、ご自分で栽培した小麦の利用の仕方の一つとして、毎年やっているのがこの乾麺作りなのです。
小麦は収穫した後の始末が難しいため、個人の力で小麦原穀を製粉して最終製品にするまでの仕事を完遂することは、ほとんど不可能です。
でも幸いなことに、福島県内には小麦原穀を粉に挽いて乾麺にまで加工してくれる業者があるのです。
浅見さんは、そこに頼んでご覧のような自家栽培小麦100%の麺を作ったというわけです。
一年間に使う分に十分足りて余るほど出来たので、欲しい方に販売もするそうです。
うらやましいですね。
こういうのを本当の意味で、「豊か」と言うんでしょうね。
昨日、食べてみてくださいとサンプルをいただいていましたので、今日のお昼に早速試食してみました。
うどんと言うには少し細めで、冷麦と言うにはちょっと太目、適度に腰がありそして何より風味が良いのがうれしかったですね。
麺の味は、茹でている時に立つ香りで分かるのです。
なるほど、パンにすることばかりに気を取られることはないのだと、視野が広がりました。
元から日本には、米と麦の両方の食文化があったのだということを思い出しました。
パンは、新しくその仲間に入れてもらっただけのことなのですね。
日本の小麦で日本のパン、あるいは麺、そして一方には世界に誇れる主食米飯があるのですし、もう一度自給自足の上に立つ食文化を考えてみる価値は十分あると、この麺を食べながらそんなことを思う私でした。

この乾麺を食べてみたい方、先ずは「ひぐらし農園」のブログサイトにアクセスして、それから直接連絡してみてください。
   ※「ひぐらし農園」のブログサイトへのリンクは <こちら>
から。

今、平和の意味を考えなくてはならない。

63年前の広島と長崎における原子爆弾の投下により、人類は初めて核兵器の破壊力の凄まじさと、被害の及ぶ範囲の途方のなさを目の当たりにしたのでした。

実はあの時以来、核兵器は兵器としての存在意義を失ったことに、世界の人々は気づいていませんでした。
その後も原子爆弾の改良(!)が飛躍的に進み、さらには原子爆弾とは比べものにならないほど強大な破壊力を有する水素爆弾が実用化され、1961年には旧ソビエト連邦で、人類史上最強の爆弾となった「ツァーリ・ボンバ」(TNT換算、50メガトンの水素爆弾)の実験を見ることになります。

しかし、核兵器はあまりにも強大に過ぎる破壊力と、後に残る放射能の害の途方のなさ故に、戦争において全面的にそれを使用することは、即ち人類滅亡の道筋に立つことですから、今後核兵器が使われることはほとんどあり得ないでしょうし、核兵器の保有が他国への脅威としておどしの効果を発揮していたことも、もはやウソがばれてしまっていると思います。

それよりも今この時代、核の存在は、別のとても皮肉な形で、限定的ではあるけれども戦争の抑止に貢献しているように思えます。

私たちは、22年前のチェルノブイリにおける原発事故を経験しましたが、その時の放射能汚染は地球規模であり、8000km離れた日本でも放射能が検出されたことを覚えている方もいらっしゃるでしょう。
このことが何を意味するかと言えば、何も核爆弾の炸裂によらずとも、核の被害を受けることは起こり得るということです。

もしも、原発はもちろん大量の核物質を扱う施設がある国、地域で、戦闘行為が行われ、故意であれ偶発事故であれ核施設が破壊された時は、その規模によっては被害を受ける場所は、この地球上のどこにも限定されないということです。
だからかどうか知りませんが、原発やその他核施設がある国や地域では、戦闘は行われないし起こったこともないのです。

しかしその一方、限定された場所では、より強力になった核兵器以外のありとあらゆる兵器が使用され、全くこの時代に信じられないような破壊の雨が降っているのです。
私はそうした状況に、ここにもまた格差が見えている、しかもそれはとても深刻な出来事であると思っています。

私たちの日本、この国の当面の平和が、広く世界を見渡して、どのような巡り合わせの上に実現しているのか、それを深く理解することは、地球人類の一員でもある私たちの務めであると思っています。


   ’08 市民平和まつり のご案内です。

食工房は、16日と17日、会場にてカフェコーナーを担当します。
多くの皆さまのご来場をお待ちしています。




画像をクリックすると、拡大画像が見られます。

試作2題



右側の飯豊山食パンと目方は同じなのです。



色合いの違いがお分かりいただけると思います。
その分小麦の風味は濃厚。ただし、好みは分かれるかも。



「旅の口糧」・・・、正式な商品名を決めなくてはなりません。



レーズン、カレンズ、クルミ、松の実、オートミール入りです。



昨日焼いた試作品です。
一つは、山都産アオバ小麦の石臼挽き一番粉で焼いた食パン。
もう一つは、旅の口糧コンセプトの第3作です。
で、食パンの方は残念ながら大成功とは行きませんでした。
いかに石臼挽きでも、製粉会社の粉のように完全にフスマ(小麦粒の外内皮)と胚芽を篩い分けることは出来ませんので、色合いもご覧のとおり茶色をしています。
生地の弾力が弱く、膨らみを保てないので、同じ目方の生地を使用した飯豊山食パンとは、ずい分カサが違います。
地元産生産者限定の小麦を使うには、製粉が課題であることが改めて分かりました。

一方、旅の口糧コンセプト第3作の方は、狙いどおり上手く行きました。
あともう少しの改良で製品化出来そうです。
今回は、木の実を2種類(クルミと松の実)にし、ドライフルーツの割合を一気に2倍量にしましたので、大変食味の良い贅沢なパンになりました。
地元産小麦全粒粉を20%使用。
まさに、少量で十分なカロリーと繊維質、ミネラル、ビタミン類を補給出来る、スーパーフーズです。

ちょうどタイミング良く、毎年青森から飯豊登山にやって来る方が、今年も往き帰りに立ち寄ってくださいましたので、帰りでしたが、試食にひとかたまり差し上げることが出来ました。
この次またお会いする時に、製品として買っていただけるものにしておきたいと思っています。

一つ残念なことに、用意した試食品は昨日のうちに大方無くなってしまい、今日はほとんどの方に差し上げることが出来ませんでした。


  本日の食工房
今日は、沢山お客さまが見えました。
その中に、東京でパン屋さんをやっている方がいらして、よく勉強していらっしゃる方のようで、いろいろお話しすることが出来て、いっぱい元気をいただきました。
パンを選んでいる時から、私は直感的に、この人はパン屋さんだと分かったので、声をかけたらその通りでうれしかったです。
それから、畑で玉蜀黍が沢山成っていましたので、朝一で収穫しておいたものを、お客さまに少しずつ差し上げましたが、こんなプレゼントが出来ることが、なぜか殊更にうれしく思われました。

長崎デー

皆さまご存知のとおり、今日は、長崎に原子爆弾が投下された記念日です。
実は私は、小学校の修学旅行で、長崎を訪れています。
その時に、かの浦上天主堂や原爆資料館などを見学して回りました。
私の世代が子どもの頃は、学校でも何かに付け戦争の話を聞かされた覚えがあり、原爆の話はその中でも一際恐ろしく思えたものです。

ところで、長崎への原爆投下は、当初は小倉市(現在の北九州市小倉区)が目標だったそうですね。
それが、パイロットのミスが重なって予定通り投下出来ず、第二目標の長崎市に急遽変更になった経緯があったのですね。

☆出典 ウィキペディア・「長崎市への原爆投下」より <参照>

原爆投下は、目標の肉眼による視認が厳命されており、当時厚い雲に覆われていた長崎市に投下出来なければ、そのまま帰途に着き太平洋に投下せざるを得ないところだったのでした。
それが、束の間に雲が切れ長崎の市街地が見えたため、パイロットは大急ぎで投下のプロセスに入り、かくして二発目の原子爆弾が長崎に投下されたのでした。
偶然の重なりから、小倉に代わって長崎が過酷な運命を背負うことになると、誰が知っていたでしょう・・・。

真に以って、戦争とは不幸な出来事だと言わざるを得ません。

戦争は、一旦始まってしまえば、誰が撃った弾で誰が死ぬか、誰が落とした爆弾で誰が死ぬか、斯様に誰が下した判断で、何処で誰が死の運命を引き受けることになるか、全く制御など出来ないというのが真実でしょう。
原爆投下の事実は、それを私たちに教えていると思います。


一昨年の夏、アニメ映画「アンゼラスの鐘」を見たときの事を、今思い出しています。 <参照>
どんな特殊撮影でも多分再現出来ないであろう、原子爆弾炸裂の凄まじさが、アニメーション故にかえってリアリティーを増して再現されていました。
その光景を実際に見た者は、生きてはいられなかったはずです。
思わず息を止めている自分に気がつきました。

立秋・盛夏

昨日の立秋を過ぎて、さらに暑さが増したような一日の今日でした。
日中は、正に夏の盛りを思わせるこの頃ですが、夕方になるとコオロギが鳴いていたり、涼しい風が吹いて来たり、そして星空も少しずつ秋の星座へとシフトしています。
少し遅い時間になると、ペガスス・アンドロメダ、すばるが東の空に上って来ます。
今の時期、オーブンの余熱を冷ますために、結構遅くまで灯りを消した店の扉を開け放して外気を入れていますので、その間中ずっと交替で番をしながら、外に出てお空眺めをしているので
す。

話は昼間に戻って、畑に行くと、とうもろこしが実を付けていて食べ頃です。
そして、ザワザワと風に鳴る葉ずれの音に、夏の暑さのうちにも、もうこうして秋が兆しているのだなァと、自然の営みの厚みや深みを思います。
百姓は、それをつぶさに感じ取って、もう夏の暑さのうちから秋冬に向けて種蒔き、苗作りの段取りを考えているのです。

そういう風景をすぐ近くに眺められるこの場所で、地元の人が作った小麦でパンを焼く、そんな夢が実現出来ればいいなと、明日もまた試作にチャレンジです。
明日も、食パン一品目とドライフルーツと木の実入りの堅焼きパン(前回とは違ったレシピで)を試作します。
多くの方に試食していただいて、率直かつ辛辣なご意見、ご感想をいただきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。

おしらせ
連れ合いのブログ「ドコノモリ」に新着記事が入りました。
<こちら> からご覧いただけます。

マイブログ中間報告 vol.9

最近また一段とネットユーザーが増えたようですね。
私の周辺を見ていても、それを実感します。
そしてこれまた、ブログが大流行のようです。
少し前は「ブログ離れ」が話題になっていたような気がしますが、今度は「一億総ブロガー」だそうです。
それで思い出すのが、小泉さんが総理大臣をやっていた頃のことです。

あの方は、とにかくメディアを使うのが上手い方で、テレビ、ラジオ、新聞雑誌、そしてインターネットと、ご本人の力量か強力なブレーンがいたのか知りませんが、日本政府のホームページなんてものに大衆の関心が向いたのは、恐らくあの時が初めてでしょう。
それで小泉さんという人、私生活の一端をチラ見せして視線を集め、まるで舞台の上の俳優のように人々の興味を浚い、中年のオバサンたちの心を虜にしたり・・・、そんな様子が「小泉劇場」と呼ばれて、満更でもなくウケが良かったのでした。
今だから言いますが、私個人としては、あの時の熱狂ぶりは正直言って、少々気持ち悪く感じられたものです。

で、話を元に戻しますが、一億総ブロガーと言われる時代に、ほとんどのブロガーたち(私も含めて)がしていることは、日記風に私生活を語ること・・・。
これって、どことなく小泉さんのスタンスに似てますね。
私生活を劇場化しているようなものだと、私は思います。
しかし、有名人でも何でもない一市民の我々が、否、著名な方でも全く同じかも知れませんが、ブログという「公開の場」で不用意に私生活を語り自分を説明する行為は、場合によってはちょっとヤバいんじゃないかと、私は思い始めているのです。
ある時、告白するような記事を書いて自分を説明したとすると、その次からはもう、一旦採用した説明との整合性を意識するようになると思うからです。
そうやって、自分を説明すること、つまり私生活の劇場化が進んで行くうちに、人はその脈絡の中にしか生きられなくなってしまうかも知れないと思うからです。
そして、ブログにも書けない本音があることに改めて気がつくだけなんじゃないか。
だったらブログなんて、大げさに考えないで軽く書いておけばいいのでしょうか・・・?

そんなことを考えている矢先、知人のブログからリンクを辿っているうちに、『「一億総ブロガー」時代の功罪』という記事に巡り会いました。<参照>
記事の中身は、ご自分でお読みいただきたいと思いますが、その中のリンクからまた別の「被害者の呪い」という記事<参照>を読んで、やはり、事はそう単純ではないと思ったのです。

人は人との関係の中で生きています。
誰もが、自分のことを自分以外の人に理解されたいと願っています。
そのために言葉があり、様々な表現手段があり、人はそれらを使って表現せずにはいられないのだと思います。
ブログは、自己表現手段として、今までになかった機能を沢山備えていると思います。
それだけに、その功罪も大きくあるはずです。
それをよく理解しておきたいと、改めて自分のブログスタンスをふりかえっている私です。


余談になりますが、では、テレビに出ることはどうなんでしょう?
私は、今までにもう何度も、テレビの取材の申し入れをいただいていますが、全部お断りしています。
テレビという超強力なメディアに、「私」を説明されるということは、私には何かとても恐ろしい気がするからです。
そう・・・、まず一番は恥ずかしいからなんですけど・・・。