日別アーカイブ: 2011年8月10日

「分からない」ということを、人はこれほどまでに恐れる

フクシマ事故以来、人と人の心が分断されて行く現場を、度々目の当たりにし、また耳にします。
福島県と他県、避難する人と残る人、真実を知ろうと懸命な人と無頓着な人、様々な人間関係において、全部が全部とは言いませんが、時に厳しくあるいは時に微妙な溝が出来てしまうのを、これまでにもう何度も見聞しています。


同じこの地球に生きる人類として、全員で力を合わせて立ち向かわなければならない敵を前に、このように仲間割れしているというのは、一体何が原因なのでしょうか。


私は、それは放射能というものが、目に見えず、耳に聞こえず、触ることも出来ず、何の実感も伴わない、全く得体の知れないものだからだろうと思っています。


人は誰も、それを容易に理解することが出来ないのです。
そして分からないということは、何にも増して人を不安に陥れ、恐怖させます。


科学的にさえ、未だ十分に確認されたわけではない領域があり、そういう意味では放射能の恐怖はまさに無限大です。


人はそれに対し、分かった振りをしたり、無頓着を決め込んだり、様々な反応を起こします。
皆、その恐怖から逃れたいのです。


一方、学者さんのように、毎日その分野で研究に勤しんでおられる方々は、お見かけする限り、ちっとも怖がっている様子がありません。
理解が及ぶということが、これほどまでに人の気持ちを楽にさせるのかと、改めて思い知らされます。


だから素人の私でも、少しでも勉強して、何とか理解を追いつかせようと必死です。
これからは、量子力学や放射線医学の概論程度は、社会常識になる必要があるかも知れません。
否、原子力発電をやるなら、市民の理解がその程度まで及んでからにすべきでした。


なってしまったことは仕方ありませんが、この現実をこのまま放置していると、いつか暴動や内戦が起こるかも知れないというのは、大げさに過ぎるでしょうか・・・。
「分からない」ということを、人はこれほどまでに恐れるのだと、私は思っています。




 速報です。

たった今、検査を依頼していた「同位体研究所」からFAXが送られて来ました。
件のライ麦と小麦は、いずれも放射能不検出でした。
詳細は、明日改めてご報告に及びます。