今日は日中グングン気温が上がって、さすがに食工房の作業場も真夏ほどではありませんが、蒸し暑く感じました。
パン生地の発酵には、まことに申し分のない環境なので、今日のパンの出来は上々でした。
ところが明日は、マフィンとスコーンを焼く日です。
再三申し上げておりますように、こちらは寒い環境の方が好都合です。
そういうわけで、仕事が終わって夕方気温が下がり始めた頃から、オーブンの扉を開け、部屋の窓も扉も開け放って部屋ごと冷却です。
オーブンの余熱というのは本当にすごいもので、真冬なら暖房が要らないくらい素晴らしい利き目がありますが、こう暖かくなってくると一転して灼熱地獄の様相を帯び始めます。
真夏には、いくら換気してもどうにもなりません。
今日も、まだずい分余熱が残っていましたが、まさか夜中まで番をしながら冷却しているわけにも行きませんし、明日の朝早起きして朝の冷気を利用する方が効果が上がりますので、途中にして締め切りました。
こんな状態なので、中に置いている冷蔵庫が一台、すごい負荷で悲鳴を上げています。
明日は久しぶりに氷を使って、道具や機械も冷やさなくてはならないかも知れません。
月別アーカイブ: 2009年5月
コーヒー業界、過熱気味の様相
コーヒー豆の輸入量が増えていると、前にも申し上げたと思います。
と言うことは、コーヒー業界にとっては需要があるということですから、喜ばしいことではあります。
しかし、どんな商売でもそうですが、儲かりそうだという気配が漂うだけで、新規参入が増えます。
加えてコーヒーのニーズは、この前も申し上げていますが、昔とは様相が変わって来ているのですね。
個人消費が、目立って大きく伸びて来ているのです。
一方売る側も、小規模に個人で起業して自家焙煎を売り物にする業者が、それこそ雨後の竹の子のように増え続けています。
カフェも然り。
また仕入れという面で見ても、それこそ世界中からありとあらゆる豆が、ジャパンマーケットを目指して売り込みをかけて来ていますから、入手の可能性がグンと広がってとても刺激的な状況です。
このところ、コーヒー商売はとても熱い状況なのです。
それだけに、競争も激しくなりつつあり、いろいろな意味で鍛えられることになります。
当然のことながら、常に勉強していないとあっという間に淘汰されてしまいそうです。
そしてまた勉強すると言っても、何を勉強すればいいのか?
その方面の商売も、あの手この手で袖を引っ張ります。
こんな時にフラフラしていたのでは、悪い業者のカモにされてしまいます。
独自性、独創性にすがるだけでは当然生き残れないと思いますが、裏でしっかり勉強しながら、そもそも自分自身がおいしいコーヒーを飲みたいがために始めた商売だという初心を忘れないで、これからも細く長く続けて行きたいと思っています。
今日入荷した豆、保管する前に天日に当てて乾燥しています。
先日のネパールの豆の一件が頭にありますので、こういう手当ても臨機応変にすることになります。
農産物との付き合いを仕事にして来たキャリアは、触るものが変わってもちゃんと役に立つからありがたい。
本日のサプライズ!
裏の山から聴こえて来る、ツツドリの声です。
ツツドリ カッコウの仲間で、初夏の頃鳴き声を聴くことが出来ます。
ばあちゃん農法
きぬさやエンドウ豆の発芽です。
毎年眺める度に、可愛らしいと思います。
こちらはインゲンです。
動物でも植物でも、幼生は皆同じ
オーラを放っているのを感じます。
近頃は、「○○農法」と呼び名を付けてこだわりを誇示するのが流行りのようです。
天然農法、自然農法というのは、ずい分前に提唱した偉い先生がいらして、沢山の志願者が扉を叩いてその門をくぐった実績もあります。
私はその昔、本を読んだことがある程度ですが、確かに天然自然の営み計らいを最大限生かして、農薬や化学肥料、ビニールなどの資材、さらには耕運機、トラクターなどの農業機械も使うことなく、耕さず草も取らず、それで作物を収穫出来るなら、それはすごいことです。
そう考えていて、採取と農耕の違いは何かという問いが浮かびました。
今日、庭の草取りをしながら娘と交わした会話の中で、「要らないものを取り除く知恵を持っているのが人間なんだね。」と私。
「動物は、欲しいものだけを取るからね。」と娘。
だから、羊を放牧する時は常に移動して行かないと、その場所には食べられない毒草ばかりが増えることになるのですね。
農耕は、直ぐに欲しいものに手を出さず、不要なものを取り除いて食べられるものだけが増えやすいように計らうこと、だと言えるのではないでしょうか。
ここでもやはり、大切なのはバランスでしょうね。
自分に出来る範囲で理想を求めると、私の場合は「ばあちゃん農法」ということになりました。
そうです。
ここいらのご近所のおばあちゃんたちのやり方を真似て、分からないことはその場で手ほどきしてもらう。
人によって少しずつやり方が違っている時は、自分の考えや判断も加味して結論を出す。
こうやって、採りはぐりがないことを最優先に安全性も考慮しつつ、その場その場に臨機応変して行くことにしています。
ごぼうを蒔きました。畝は高くすると教わりました。
真っ直ぐに植えなくてはならないという決りはりませんが、
ガイドロープを張ってまでも真っ直ぐ植えたいのは、美学です。
と言いつつ、ロープからズレてしまっているのが悲しい・・・。
今日は、合間に庭の草刈りもしました。
何故、草を刈らなくてはならないか?
家の周りを草茫々にしておくと、第一に湿気がこもって家が傷みます。
蚊など、虫がわいて大変です。
そして、清々して気持ちがいいからです。
残して置きたいものは残すのは、人間のエゴでしょうか。
バランスも大切!?
昨日、「重箱の隅をつつくのが好き。」と申し上げましたが、例えば洗い物の水切りカゴの網目に溜まった汚れを、小さなブラシで落とすなんてことにはまり込んでしまう習性が、この私にはあるようなのです。
すっかりきれいになるまで、あるいは根気が尽きるまで、どうにも止められないことがあります。
気がつくと、本当に一円にもならない仕事に、本気で精力を傾けているのです。
今朝も、危なく本題のクッキー焼きの仕事のスタートが遅れるところでした。
限りある時間と体力気力の配分を考えないと、ご飯を食べ損なってしまいます。
これに類することは、私の日常にはしばしば発生するので、そういう時は「バランスも大切。」という言葉が金言となります。
それでもさすがに歳を食ったので、近頃はずい分バランスが良くなったはずだと、自分では思っていますが周りから見るといかがなものでしょう。
そして、こうして何かをすること同士のバランスが良かったとしても、最後にはやっぱり疲れて、何もしない時間とのバランスも大切な時があるということですね。
「縁までいっぱい注いだ酒を、こぼさずに飲むことは出来ない。」と、こんな例えでいかがでしょう。
「無駄」の大切さも重々承知しているつもりです。
重箱の隅をつつく
「重箱の隅をつつく。」と言うと、あまり良い印象を例えた言葉ではありませんね。
細かいことに煩いばかりで、全体的視野に欠けている人を揶揄する時に使います。
しかしこれも解釈のしようです。
例えば職人的な仕事は、重箱の隅をつつくことの繰り返しみたいなところがあります。
似たような例えで、枝葉末節という言い方がありますが、私の仕事なんか毎日枝葉末節に関わることで終わってしまいます。
大道というのは、たいてい見えない所にあるもので、私の場合なら、無添加、天然酵母、オーガニック原材料などなど、仕事に臨む姿勢のことを指していると思っています。
それはもう何を語る以前に承知の皆さまとのお約束ですから、日常の具体的な仕事の最中に関わるのは、極極具体的な細かい作業の一つ一つ、つまり枝葉末節であるわけです。
私は、どちらかと言うとものごとは枝葉末節の積み重なりで出来上がって行くものだと思っています。
毎日の繰り返しによって、やがてそこに道が生まれるということじゃないかと、そう思うのですね。
もちろんその前に、辿り着きたいところへの願望と言うか、イメージはあるわけですが・・・。
ところでちょっと話しがズレるかも知れませんが、部屋の掃除をする時、きれいに見えるためには、とにかく角をきれいに掃くことだと言われますね。
本当にそのとおりです。
窓枠に乗っているちょっとした埃を丁寧に拭いておくだけで、部屋全体の印象が変わって見えたりすることが、実際よくあるのですね。
ディテール / detail という英語がありますが、私の好きな言葉です。
物事の詳細という意味でよく使われます。
私は、まさに物事はディテールの集成だと思うのですね。
どんな小さな一角でも、丁寧に関わった物事というのは、絶対に見え方が違うし良い結果が出ているものだと確信しています。
そうは言いつつ、いつでも完璧を望むのは無理だということも、もちろん分かっていますが少なくとも、「重箱の隅をつつく。」あるいは「枝葉末節」という言葉を、手抜きの方便に使うことだけは絶対にしないと、肝に銘じている私です。
私、どちらかと言うと、重箱の隅をつつくのが好きです。
先日のチゴユリの detail
雄しべの先端のヤクはまだ開いていないこと。
雄しべの一つが、何らかの理由で未熟なまま死んでしまっていること。
雌しべも、まだ受粉の準備が出来ていないこと。
つまり、開花直後だということ。
一目見て初々しく、しかしどことなく弱々しく見えたのは、つまりこういうわけでした。
山都産100%
そこそこ膨らんでいますが、生地が耐え切れず所々破れてしまっています。
まあでも、やっとここまで出来たという実感です。
食べてみて、独特の風味です。
甘皮の部分が多い影響かと・・・。
★試食品を差し上げています。数に限りがあります。(先着10名様)
とにかくまあ、やってみました。
製麺を頼んだ時に、製粉のままで少し取り分けてもらった粉を使って、山型食パンを焼きました。
正真正銘の山都産の小麦100%のパンです。
それでこの際、小麦粉の製粉のことについて、ちよっとご説明申しあげて置きたいと思います。
まず小麦の粒は、表皮が強靭で中身の胚乳部分は崩れやすい性質を持っています。
皆さんがよくご存じの白い小麦粉は、この胚乳の部分のみを挽いたものです。
ただし小麦は、先に申し上げたような性質のため、米のように粒のままで精白することは出来ません。
白い小麦粉を得るためには、とても手の込んだ機械設備が必要になります。
製粉機というような小さなものではなく、工場に設置するようなプラントです。
とてもじやありませんが、農家やパン屋が自前で設備することなど不可能です。
今回加工をお願いした製麺所の製粉機は、ずい分旧式のもので、逆にこれなら自分たちでも設備することが出来そうな規模のものでした。
その分、表皮と胚乳をきれいに分離することは困難で、どうしても粉は繊維質が多く混ざった状態になり、グルテン質の割合が下がってしまいます。
パン生地をこねた時によく分かりますが、いわゆるコシのない生地になってしまいます。
麺の場合は、逆にコシが強すぎるとノド越しが悪くなりますし、風味の点でも繊維質が適度に混ざるのは、かえっていい具合なのです。
で、もしこの粉でいい調子にパンが焼けるなら、原材料・地元の小麦100%のパンが実現出来るわけです。
そう思って、試作に臨んだという次第。
結果から申し上げると、やはりまず製粉に課題があることが分かりました。
あと一つ、難しいのは小麦の品種です。
今回、アオバという品種の小麦を使っていますが、他にもっとパン向きの品種があるのではないかという気もしています。
ただし、一年に一度しか収穫のチャンスがない小麦を、幾種類も同時に収穫して製粉して試すのは、実際のところ不可能です。
今までに出ている情報を集めて判断するしかありません。
それで改めて分かったことは、食工房のパンの風味を決定付けているのは、今までずっと使い続けている粉に依るところが大きいということです。
米以上に品種による味の違いが大きいことを、知らされる結果となりました。
当面食パンは、今まで通り岩手産の粉をベースに、山都産の小麦とライ麦(今年度産から使用)を全粒粉でミックスする配合で焼きます。
プンパニッケルのみ、この夏から、地元産の小麦とライ麦だけで焼けるようになります。
風街亭
真鍮の取っ手が、人の手がかかったところだけ光っていたり、
ドアの塗装が擦れていたり、年季を感じるいい雰囲気です。
先ず目につくのがこのレジスター。
計算機能は使っていませんが、ちゃんと現金が入っていて現役使用中。
会津若松市内にあるこのお店、「風街亭」という名前を聞いただけで、お店の雰囲気やマスターの風貌までも想像してしまうのは、きっと私だけではないと思います。
風・街、と言えば、あの「はっぴいえんど」を思い出します。
このブログでも、前に一度ネタにしたことのある、「風街ろまん」というアルバムが、私たちの世代の間ではあまりにも良く知られているからです。<参照>
このお店、実は私は、会津に引っ越して来て間もなくの頃お訪ねして以来、そんなに頻繁ではありませんが、時々お邪魔して親しくお付き合いさせていただいています。
何しろマスターは、私と同じくブルースハープを演奏する方で、大のブルースファン。
お店では、ほとんど一日中ブルースが流れています。
昼間は、おいしいランチメニューもあり、界隈のお勤め人さんたちの食事処にもなっています。
夜は居酒屋風、そして週末はライヴ。
地域の音楽好きの仲間内では、知らない人がいないくらい有名です。
そんなに広いスペースではありませんが、けっこう多彩なライブイベントをやっています。
出演した人たちが足跡を残しています。
有名なミュージシャンの名前も・・・。
そんな風街亭ですが、このブログでご紹介するきっかけを、ずっと逃していました。
それがこの度、ここを会場に借りてライヴイベントをやることになり、ちょうど良いきっかけになったというわけです。
■風街亭 かぜまちてい
■住所 会津若松市中央1丁目1-40
■TEL 0242-24-9874
■営業 10:00-23:00 / ランチタイム 11:30-14:00
■休業 不定休
■駐車場 なし (近隣に有料駐車場は幾つかあります。)
で、誰のライヴかって・・・?
そうです!
土佐の高知のブルースマン、あの cafe Missy Sippy の Fuji こと藤島晃一のライヴが実現します。
※先ずは<こちら>をご覧ください。
只今、日程のみ決定。7月20日(月)※祝日です。 詳細未定
追々、詳細決定次第ご案内いたします。
試聴も出来るように準備中です。
乞うご期待。
風街亭の場所のご案内
赤目の心配はなくなりましたが・・・
このブログを書き始めて少し経った頃のことです。
その頃使っていたPCのCRTディスプレイのせいで、目がやられて真っ赤に充血したことが何度もあって、ブログのネタにもなっているのですね。 <参照>
あれからまだしばらくはCRTでしたが、半年くらい前からノートPCをメインに使うようになり、液晶ディスプレーになりました。
CRTの時は、目の保護のために明るさとコントラストを限界まで落として使っていましたので、液晶画面の目に対する負荷の軽さに先ず感激しました。
そして、つい最近導入したデスクトップPCの大画面液晶ディスプレーで大きく表示される文字や記号が、老眼の進んだ目にあまりにも楽に見えることに、もう一度大感激しました。
もちろんそれなりの代償は支払うわけですが、目を病んでしまったら取り返しがつきませんから、そこは納得の上の出費です。
さてそこまでは良かったのですが・・・。
こうしてPC作業が快適になると、PCの前に座っている時間が、つい長くなってしまいます。
これはこれで、また別なリスクを抱えることになってしまいます。
言うまでもなく、運動不足から来る倦怠感と肩凝りなどの症状です。
最近は、経理もPCでやっていますので、PC作業は増える一方です。
事務方を雇うほどのことではないし、個人企業経営者としては、仕事を把握するためにも、PCは自分で管理出来なくては意味がありません。
知り合いの中には、ホームページの管理を他人に任せきりにしていたために、あとでトラブルを抱えることになったという話しを、二三例聞き及んでいます。
そんなことも理由になりますが、PC作業がまた増えます。
私としては、決して嫌な作業ではなく、むしろ次々と興味をそそられる楽しい作業ですが、健康管理上からははっきりマイナスと結論が出ています。
二年前は赤目がブレーキをかけてくれましたが、今度は自己コントロールしなくてはならないようです。
ところで、PC中毒ってあるんでしょうか?
あると思います・・・、私。
一杯のコーヒーから
「一杯のコーヒーから・・・」という歌の文句がありました。
ずっずっと昔、ディック・ミネという歌手が歌っていたと記憶しています。
ただし、私が知っているのは、後にも先にも「一杯のコーヒーから・・・」という部分だけです。
それだけをメロディーとともに、いやにハッキリと覚えているのは何故なのか、私自身にも分かりません。
それはともかく、一杯のコーヒーが与えてくれるもの、それは本当に沢山、またいろいろあると思います。
もう昔と違って、コーヒーは私たちの日常にすっかり定着し、物珍しさはなくなりました。
一般家庭でも、当たり前にレギュラーコーヒーが飲まれる時代。
でも、だからこそ、コーヒーの楽しみは、むしろこれからが本番だと思っています。
人類がコーヒーを発見して1000年余り、焙煎することによって卓越した嗜好性を発揮することを見出して700年余り。
多分、今後も人類の歴史が続く限り、コーヒーが飲まれなくなることはないでしょうし、嗜好品の王者としての地位も揺らぐことはないでしょう。
一杯のコーヒーから私たちが得るものは、あまりにも多いと思いますから。
イベントのご案内です。
まだ少し先ですが、ご参加要予約ですので、早めにご案内させていただきます。
今のところ、2名さまのお申込みです。
あと6名さま分、余裕があります。
参加ご希望の方は、ご連絡ください。
前日まで受け付けています。
花は、野に置け
昨日、私の心を震わせたホウの花、今日は午前中少し閉じて日差しを受けながら、じっとエネルギーを溜めているように見えました。
あとでまた来ようと決めて、用足しに出かけました。
3、4時間後にもう一度行って見ると、花の姿は消えて無くなっていました。
すぐ近くの目線より下に位置していた、大きな蕾も枝ごと無くなっていました。
ひょっとして風で落ちたかもしれないと思って下の方を見ましたが、見つかりませんでした。
疑うのは嫌だけど、人の仕業としか思えない状況・・・。
こんな霊力の強い花に手をかけてよく平気で・・・と、現場にいる間中ザワザワと心が騒ぎました。
そこで思い出したのですが、以前山暮らしをしている時にも、ツツジや山ユリなどが、根こそぎ掘り取られて無くなっている光景を、何度となく目にしたことがあります。
自分の庭に持って行って愛でるのを全て悪とは言いませんが、欲しい気持ちだけで後先考えずに採るのは、環境破壊以外の何物でもありません。
「花は、野に置け。」
私は、この言葉がとても好きです。
せいぜい写真を撮るくらいにしておこう。
それも、よくよく周りに注意を払って・・・。
年に一度、その場所にしかない何かが、確かにあると思っています。