福島が放射能に汚染された土地になってしまったことは、もはや否定し難い事実となりつつあります。
こんなことは、本当はとっくに分かっていたことだったのかも知れません。
国や東京電力が、ずっとウソを言い続けたため、事実を知らされなかった人たちが不必要な危険に曝されたことの責任を、今後一体誰がどのようにして償うのか、しっかりと見届けたいと思います。
ここ会津もまた、軽微とは言え汚染を免れているとは言い切れません。
事故前に比べれば、未だに2倍以上の環境放射線を観測しています。
土壌やそこから生産される農産物などが、どの程度汚染しているか・・・、規制値以下なら・・・という考え方は当然あるわけですが、その規制値が次々と緩められている現状では、私たちは一体何を信じれば良いのかわけが分からなくなってしまいます。
そしてまた実際にその場所で生活している私たちにとって、被ばく限度を勝手に緩和して年間20ミリシーベルトまで安全だと言われて、そんなことで安心出るわけはありません。
電離放射線障害防止規則という法律があって、一般公衆の被ばく許容限度は年間1ミリシーベルト以内(自然界から受ける放射線と医療行為のための放射線を除く)にすべきと決められています。
そして0.6マイクロシーベルト/毎時を超える場所は、管理区域に指定して一般公衆の立ち入りが制限されることになっています。
今は非常時なので、臨時にその限度を20倍緩和したと説明していますが、何のための20倍なのか?そこには疑い以外の何ものも生じませんね。
非常時だから、まさか20倍安全になったということですか??
とても安心には結びつきません。
※これらの詳しいことについては、武田邦彦氏のブログに詳しいので <こちら> 参照してください。
もう皆さまもご存じの通り、郡山市では市内の幼稚園保育所学校で表土を除去して、汚染レベルを画期的なほど下げることに成功していますが、県も文科省も不必要な措置だという見解ですね。
一体誰のための、何のための規制値なんだ!と憤慨に堪えないのは私ばかりではないと思います。
小さい子どもたちに対しては、大人とは異なる特段の配慮が求められることは、もうすでに多くの学者や関係機関の認めるところです。
会津若松市内の私の孫が通っている小学校では、例年通りこの時期の運動会を実施することになっているそうです。
諸々配慮の結果、昼食は屋外ではなく屋内でするようにしたそうですが、そんなことでどの程度の安全策になるのでしょうか。
それよりも、若干なりとも懸念があるのなら、この際きっぱりと中止または延期して、その間に表土の除去入れ替えをすべきです。
どうしてもそれが実現しないというなら、各父兄の判断で参加拒否があっても当然と考えます。
会津よりも数倍環境放射線値が高い福島市では、私の友人たちが測定器を用意して自主的に身の回りの放射線を計測しています。
<参照>
また、公立の学校でいつまでも必要な対策が講じられないならと、私立の学校で独自に表土除去を敢行する決断がなされたそうです。 <参照>
こういう一連の流れを見るにつけ、もはや自分の生命は自分で守るという覚悟をせざるを得ません。
さてそこまで申し上げて、皆さまとしては食工房の製品に懸念はないのかと、当然の疑問をお持ちになると思います。
まず原材料ですが、地元産のものとして小麦と鬼クルミはまだ昨年度産のものを使用中です。
今年度の物については、検査を受けてその結果を見ますが、規制値云々ではなくND(検出されず)であることが条件と考えています。
ライ麦は、地元産の物が在庫切れになったため、カナダ産の物を使用中。
今年度産については、小麦などと同じ考え方に立ちます。
それ以外の原材料は、他県産か海外産です。
牛乳に関しては、会津中央乳業の「会津のべこの乳」を使用しています。
国の出荷制限の決定があった後、検査データを基に解除申請を行い、認められました。
もともと、この広い福島県内の一部で汚染が確認されたことを理由に、全県一斉の出荷制限を指示したことは無理があったと思っていますし、会津の乳業会社2社が連名で国に出荷制限の解除を申請した時の資料を見ても分かる通り、安全性には問題が無いと考えています。 <参照>
次に水質ですが、当地区の水道水には4月26日付で、ヨウ素セシウムともにND(検出されず)の結果が出ています。 <参照>
なお引き続き、今後のデータを注視しています。
そして作業環境や作業者については、手洗いなどの一般的な注意に終始していますが、出来るだけ早くガイガーカウンターを入手し、汚染の無いことを確認したいと思っています。
いずれにしても最後に一言申し上げておかなくてはなりません。
福島に暮らす私たちは、国や東京電力によって、故意か過失かは別にして、長期にわたる大規模な人体実験のモルモットにされようとしているのかも知れないということです。
一体誰がそんなことを望むわけがあるのですか!
そしてこんな犠牲が、何によって報われるべきか、皆さまもご一緒にお考えいただきたいと思います。