20代の時から振り返って見ると、私の場合、週末の土曜日、日曜日に仕事をしていたことの方が多いのですね。
そして、雇用されて働いていた期間も、ごくわずかの期間でした。
それでまず最初にやった商売は、路上のアクセサリー売りです。
70年代はずい分流行っていたので、覚えている方も多いでしょう。
仲間内では、仕事のことを売(バイ)と言ってましたね。
髪の毛を長くして、Gパンにアーミージャケットのいでたちで、街角に座り込んで真鍮線を曲げてネームブローチなどを作っていました。
まあまあ実入りが良かったので、土日だけ働けばあとは遊んでても大丈夫くらいの気楽な生活でしたが、1年少々で止めてしまいました。
それから、友人たちと共同で店(カフェ)を始めたのですが、それも1年くらいで抜け出して、その後自然食品の販売を10年近くやったでしょうか。
その後、山暮らしが14年間。
この時も、日曜日に街へ商売に出ていました。
手づくりのパンとお菓子とそれから自家焙煎のコーヒー豆を並べて、有機野菜の仲間たちと路上で「百姓の市」をやっていました。
そして、そこから先が今の商売です。
やっぱり土日が稼ぎ時になっています。
心底、天の邪鬼なんですね。
人が休んでいる時に仕事して、逆に皆さんが忙しい平日にのんびり過ごす生活が、もうすっかり当たり前の感覚になっています。
月別アーカイブ: 2007年7月
壊れたら自分で直す。
子どもの時から、すでにこの習慣が身に付いていたように思います。
いわゆる、貧乏性なんですね。
人を頼まず、何でも自分でやることの中で、一番機会が多いのは壊れたものの修理です。
大きいものは家や自動車、小さいものは鉄道模型のモーターや家電品のリレースイッチなどなど、まあ私が触らなかったものはほとんど少ないと思います。
修理不能と思われるものでも、可能な時は部品を自作してでも直します。
例えば今我が家で使っている洗濯機は、少なくとも二回は私の修理で買い替えを免れています。(もう10年以上、毎日酷使しています。)
かかった部品代は千数百円くらいのものです。
またおとといは、簡易水洗トイレの水が漏るというので、息子といっしょに修理しました。
便器などの汚れ物は、大方の人は触りたくないでしょうが、こちらはそうも言っていられない事情がありますから(分かりやすく言えば、お金がない。)、迷いはありません。
分解して外に運び出し、洗浄して各部品をチェックし、仮組みして水漏れテストをして原因を突き止めます。
今回の水漏れは、ホースの接続の緩みや排水パイプの劣化による損傷が原因だったので、応急処置で何とかなりました。
大方半日かかりましたが、ついでにトイレ周りがきれいになって、水漏れもなくなり気分は上々です。
どなたにでも出来るとは言いませんが、こういうことは機会があればやった方がいいと私は思います。
たまには失敗して痛い目に会うこともないわけではありませんが、それでもやった方がいいと思います。
それによって分かることが沢山あり、世界が広がるからです。
そして、どうしても人に頼むということになった時、代価を払うことの意味が自分の中で変わっていることにも気がつくはずです。
壊れたものを直す以外にも、自分でやったことはまだまだ他にもありますが、そのお話はまた追々聴いていただきましょう。
ナターシャ・グジーを聴きながら
昨日、今日と忙しく、さすがに参りました。
夕方配達に回っている途中、川っぷちに車を止めてふっと居眠りして気がついたら、小一時間過ぎていて驚きました。
まあそのおかげで、ずい分気を取り直すことが出来ましたが・・・。
帰って来てから、先日隣町で催されたナターシャ・グジーの歌を聴きました。
当日、音響を担当していた方が内部資料用として録音したライブ音源を、借りて来たのです。
コンサートの時の感動が蘇えって、しばし聴き入ってしまいました。
これでもう、今日一日は報われた気がします。
ナターシャ・グジー
チェルノブイリ原発の事故で、6歳の時に被爆した。
その後音楽の道に進み、チェルノブイリ避難民の子ども達を中心に結成された民族音楽団「チェルボナカリーナ」に参加。
1996年、1998年には、「チェルノブイリ子ども基金」の招きで「チェルボナカリーナ」のメンバーとして来日し、全国で公演した。
2000年より来日して声楽を学び、本格的な音楽活動を開始。
美しく透明な水晶のような歌声と民族楽器バンドゥーラの哀愁を帯びた音色は、多くの人を魅了している。
彼女は、コンサートのチケットやCDの売り上げの中から、チェルノブイリ救援のために寄付している。
チェルノブイリ子ども基金ホームページ<こちら>
ナターシャのCDが聴きたい方は<こちら>
ナターシャ・グジーの公式ホームページは<こちら>
二度焼き
コーヒー通信、今週は焙煎現場のお話を一つ。
食工房のコーヒー焙煎は、もうご存知の方も多いので今さら隠すわけではありませんが、本式のコーヒー焙煎機を使っていません。
何故って、それは高額の投資をしなければ導入出来ないからに決まっています。
しかしそこはうまくしたもので、私は以前きっかけがあって、ポン菓子(バクダンあられとも言います。)の機械を手に入れていましたので、これが使えるのではないかとちょっと細工して、コーヒー焙煎機にしてしまいました。
生豆
一度目
二度目(仕上げ)
コーヒー焙煎のやり方はいろいろあるのですが、この専用ではない機械の特性を考慮して、二度焼きする方法を採っています。
写真でお分かりのとおり、生豆の青みが消えてベージュ色くらいになったところで一旦釜から出し、風を当てながらチャフ(表面の薄皮)を飛ばし、同時に冷却します。
バットに広げて完全に冷ましてから、二度目の焼きにかかります。
時間にすると、一度目が20分弱、二度目は17~20分(焙煎度による)くらいです。
火力の配分や最高到達温度により、同じ焙煎度でも風味が違って来ますし、豆の種類によって個性が生きる固有の焙煎度もありますので、コーヒー焙煎はやっていてとても面白い仕事です。
自分の経験から培ったノウハウと磨いた勘がものを言う世界です。
大手のコーヒー会社が、いくら最新鋭の設備を誇っても、小さい街のコーヒー屋を完全につぶすことは出来ない理屈です。
何と言っても嗜好品ですから、何でもありですね。
支持してくださる方があれば、それなりにやって行ける、面白い商売だと思っています。
続・写真
おととい写真のことを書いたら、友人のtakさんからコメントとトラックバックをいただきました。
彼も時を同じく、写真のことに触れてブログを書いていたのでした。
そのへんのやりとりは<こちら>をご覧いただくとして。
やっぱり、写真っていいですね。
その人の目が見ているものを理解出来るような気がします。
おとといご来店くださった方も、私の店の写真を沢山撮って、ご自分のブログに紹介してくださいました。<参照>
中に、えっ、こんないいアングルがあったの!と思うような一枚があったりして、とても刺激されました。
今の私はあまり時間がなくて、昔撮っていたような写真は撮れませんが、代わりにデジカメでちょっとした記録としてフィルム代・現像代を気にすることなく、失敗も恐れずどんどん撮影出来ることで、また違った写真へのアプローチが出来ることに気がつきました。
まずは身近なものから、ですね。
私なら、パンの写真でしょうね。
忙しい合い間を縫ってでも、パン屋じゃなければ撮れないような写真を撮りたいですね。
こうやって、何にでも楽しみを見つけながらやって行くのが、私流人生の極意と自覚している、と言うのは少しばかり大げさかも・・・。
さて、全く脈絡なく今日の一枚はこれです。
食工房の客引き妖精・フィンランドからやって来た「トント」です。
おととい、昨日、今日
心配された台風4号も、東北への影響は大したこともなく過ぎました。
お休みを利用して、あちこち出かけられた方も多かったと思います。
食工房にも、初めてあるいは久しぶりというお客様が次々と見えました。
また、お友達を連れて多勢でご来店くださった方も・・・。
ところが私たちの方では、台風の影響を心配して仕込みを控えていたため、思わぬご来店で棚から品物が無くなってしまいました。
今日あたりは、お客様が入って来るなり、もうペコペコと頭を下げて「すみません。」の連発です。
きっとがっかりして帰られた方もいらしたことでしょう。
何と言っても、食工房のメニューには今日仕込んで今日出来るものはないのです。
最低でも二日がかりですから、どうしようありません。
こちらとしては、売れ残るよりは良いのですが、お客様にすればせっかく来たのに何だこれは!ということになりますね。
本当に情けない三日間でした。
さて、今日はまた新潟の地震で大変なことになりました。
今回の震源域には、私の友人知人が何人かいますので心配です。
電話をかけたいところですが、私の心配事なんかよりずっと優先すべき情報のやりとりが沢山あるはずですから、今は控えています。
そのうち無事の知らせがあることを信じて待っています。
当該地域の皆さんには心からお見舞い申し上げます。
また余震の心配もありますので、くれぐれもご用心ください。
写真
阿武隈の山中で暮らしていた最後の数年間、私は写真を撮り続けていました。
被写体は、山の中の植物たちと山の風景。
どうしてお金のかかる写真なんか始められたかと言うと、従兄弟から写真道具を一式もらったからです。
フィルム代と現像代は、事情の許す限りボチボチと。
環境は良かったし時間だけはありましたから、今思うと、プロの写真家でも滅多に巡り会えないようなシャッターチャンスに度々巡り会いました。
ただし腕が追いついていなかったので、必ずしも素晴らしい写真が残っているわけではありません。
私が写し撮りたかったのは、生命そのものです。
大それたことを言うようですが、その時は本気でそう思っていたのです。
美しい写真はプロに任せておけば良いけれど、毎日山の霊気に触れて暮らしている自分には、もっと違った写真が撮れるはずだと。
そんな数年間もあっという間に過ぎて、私は山を下りてパン屋になりました。
決して写真を撮ることを捨ててしまったわけではありませんが、今は生命たちに向き合う時間がなくなってしまいました。
そしてその間に写真もデジタル化が進んで、先日久々にカメラ屋さんに行ったら、フィルムはもう隅の方に少し置いてあるだけという状況でした。
デジタルが悪いとは思いませんが、何と言ったら良いか、心の準備が追いついていないのですね。
それに、デジタル一眼レフは今はまだ到底手が出せないし、もうしばらくカメラは脇に置いておこうと思っています。
では、昔取った写真の中から、好きな一枚を・・・。
獏の空の下から・・・「チゴユリ」
温めたり、冷やしたり・・・
食工房の作業条件は、その日に造るものによって変わります。
パンを焼く日は、作業場の温度は25℃以上を確保します。
今の時期は、問題なくこの温度が確保出来るどころか、30℃から下がらなくなる程ですから、醗酵に時間差をつけたい時は、作業場の外の涼しいところに置くことさえあります。
一方、マフィンやスコーンを焼く時は、全く逆の条件になります。
※何故そうなのかについての関連記事、<4/6> <5/18>
部屋は冷たいほど良い条件なのですが、朝からすでに30℃を超えているのですから、何とも仕方がありません。
部屋が30℃ということは、道具も機械も作業台も、全て30℃ということになります。
前にも言ったかも知れませんが、冷房はありませんので、その日の作業は、先ず冷却作戦から始まります。
材料は、すでに前の日から準備して冷凍庫や冷蔵庫に入っていますから問題なし。
ミキシングボウルは、二まわりくらい大きいボウルに氷水を入れた中に漬けます。
ドゥフックと呼ばれる回転部品は、取り外して冷凍庫の中へ。
大物のモルダーというローラーの機械は、冷凍庫には入りませんから、苦肉の策でローラーに氷を乗せて回転させながら冷やします。
当然氷が解けて水滴が滴りますから、下に受けるものを置きます。
作業台の上にも、氷を山盛りに入れたバットを置いて冷やします。
そうやって全部冷却出来るのはいいのですが、もう一つの問題は結露です。
乾いた布でいくら拭いても、すぐに結露して来ます。
こうなると後は、作業のスピードでカバーするしかありません。
あんまり結露が激しい時は、生地の水分量を調節することもあります。
それでいて、オーブンの中には熱湯を入れたバットを置いて蒸気を立てているのです。
マフィンとスコーンを焼く時は、作業中は全く戦争です。
声をかけられても返事も出来ないくらい、テンションが上がっています。
それでも手慣れるというのは恐ろしいもので、すでにこのテンポが快感になっています。
まあ、それだけ凝ったことをやるおかげで、添加物を使わず、基本素材だけでも良い食感が出せるということですね。
ちなみに真冬の頃は、ずっと気を楽にしてやっています。
よそ者の会津考 vol.2
会津の歴史と言っては、せいぜい観光パンフレットに書かれている程度のことしか知らない私ですが、先日、ある観光パンフレットを見ていたら、蒲生氏郷という人物のことが載っていました。
この人、会津若松の町を拓いた始祖なのですね。
戦国武将織田信長の家臣で、行く行くは信長の後継者と目されていたほどの人物だったそうですが、信長が暗殺されその後豊臣秀吉の時代には、その有能さゆえに妬まれ、あるいは警戒されて、都を遠く離れた東北会津の地に左遷されたというのが、この人が会津の地を踏んだ経緯であったようです。
氏郷は、会津に理想の国づくりをしようと、そこを出身地にちなんで「若松」と名づけ城を築き、創意に満ちた街づくりに着手します。
こういう話を聞くと、私は、何と言うか血が騒ぐんですね。
あるいは、遠い前世の記憶が呼び覚まされるような、まあ、ありもしないバカバカしいと言われればそれまでですが、そんな感覚にはまってしまうのです。
新しい領主がやって来て国を拓くという話しは、そう珍しくはないのですが、会津の地の利というのは、今想っても何とも魅力的です。
笑われるかも知れませんが、私は時々、独立国「会津」を夢想することがあります。
いや、決して悪くないと思いますよ・・・「会津国」。
政治的なことはともかく、資源、エネルギー、気候風土、どれをとっても、十分に独立国としてやって行けるだけの資質に恵まれていると思います。
そんな話を、時々、店の常連さんと交わして盛り上がる私です。
でも、一方でふと思うんですね。
言わばよそ者がやって来て拓いた「会津若松」を、元からこの地にいた人々はどんな風に感じていただろうかと・・・。
今となっては、会津生まれの人だって、そんなことは思いもかけないことでしょう。
そんなことを思うのは、私がよそ者だからかも知れませんね。
通販もやっています。
食工房では、通販もやっています。
ご本人宛、依頼先宛ともに、遠方への発送を承ります。
ただし、今のところホームページ上からは注文出来ません。
カートシステムを導入して便利にしたいところですが、何しろ製造に手間暇のかかる仕事ですので、そちらの方までは手が回りません。
前にも申し上げましたが、スローフーズ・スロービジネスで行きたいと思いますので、どうぞご理解ください。
お問い合わせやご注文はEメールかFAXでお願いいたします。
郵便も、もちろん歓迎です。
どうぞよろしく。
食工房のホームページに、お問合せ先、メニュー一覧表などを掲載してあります。
★ホームページへのリンク
またこのブログ上には、個々の商品に関する記事があちこちにありますので、興味のある方は商品名で検索してください。
本日の食工房
木曜日ということで、娘も自動車教習所は休みにして、食工房の仕事をしてもらいました。
それでも今日は、遅い夕食の後に残業となってしまいました。
このブログも、夕食前の合い間に書いています。
昨日は昨日、今日は今日、とりあえずがんばるしかありません。
まあでも、そんなに嫌な気がしているわけではありません。
今日は、自ビールの二回目も仕込むことが出来ましたし・・・。
大きなしくじりがない限り、結構楽しくやっているのです。
どうぞご安心を。