月別アーカイブ: 2008年11月

忙中、閑。「カフェクラブの集い」

昨日張り切ったので、今朝はさすがに起きられませんでした。
8時も過ぎてからやっと起き出して、先ずはシュトレンの仕上げを終わらせて、そこから先は本日のイベント「カフェクラブの集い」の支度をするだけにして、あとは休みと決めました。

と言っても、予告なしのサプライズにピザを考えていたので、急ごしらえでチリーソースを造りました。
午前中、カフェでコーヒーのお客さまの相手をしながら、玉ねぎを刻んだり炒めたり、夏に造っておいたトマトペーストを出して来たり、そのうちいいにおいが漂って、そのお客さまも、とうとう予定を変更してイベントに参加してくださることになりました。
結局、他にも当日参加の方が2名追加となり、計6名さまをお迎えしての盛会となりました。

それで私、今日も改めて自覚しましたが、料理するのが好きなんですね。
手間をかけることは、全然苦になりませんから・・・。
楽しくてしょうがありません。

最近メニューに加わったセラードコーヒーの各銘柄をストレートで味わっていただきながら、シュトレンやケーキを、そしてお客さまにトッピングしていただいてピザを焼き、一通り飲んだり食べたりしていただいたあとは、皆さんと一緒に、とりとめなくおしゃべりして過ごしました。

その間、工房の方で、娘たちが何やらやっている気配がしていましたが、見に行ってみると、シュトレンに使って残ったバターが混ざってしまったグラニュー糖や溶かしバターから分離したバターミルクを使って、クッキーを造っているところでした。
本人たちは、「いたずらしてるんだよ。」と言っていましたが、思いっきり楽しげないろいろな形のクッキーが出来ていました。
食工房の仕事のスピリッツは、実はこんなところにあるのかも知れないと、うれしくなりました。

そしていくら忙しくても、時々こういう長閑な時間は、スパイスのように欠かせない、人生を味わい深くするのに必要な材料だと思いました。

今日は夜なべです。

個人経営の自営業は、どの道、労働時間に区切りがつけられませんが、それにしても今日はいかにも夜なべということになってしまいました。

明日、カフェクラブのイベントだというのに、コーヒー豆の在庫が心許ない状況になっているからです。
そして今日はまた、シュトレンを沢山仕込んだため、後処理で時間を食ってしまいました。
まあこんなことは、年に何回もあることではありませんし、体が動くのがありがたいと思いながら、今コーヒー焙煎をやっています。
そのちよっとの合間に、タイマーを睨みながらブログを書いているという次第。


ところで、こんなことも自宅が仕事場だから出来ることですね。
今の私は、職住接近の極めつけみたいな生活になっています。
仕事と私生活の分け目がはっきりしなくて嫌だという方もいますが、私はむしろ好みに合っています。
それに酵母の管理など、パン焼きの前日は就寝直前まで様子を見ていますから、このスタンスじゃなければ成り立たない仕事になっています。

と言うわけで、たった今やっとコーヒー焙煎が終わりました。
あとは、今日の経理をやっておしまいです。

ほんとうの空色


 


これは本当は、ハンガリーの作家 Balazs Bela の著作になるファンタジー小説のタイトルなのですが、今日のお話はそれとは直接関係ありません。
でも、このタイトルをいただいたのには、少しわけがあります。

私が、20代の終わりかあるいは30代の初めか、詳しい時間は忘れてしまいましたが、ある時、草原に寝転んでぼんやり空を眺めていました。
ふと思いついて、片方の目を掌で覆って片方の目だけで眺めた後、次にもう一方の目に替えた時、微妙に空の色が違っていることに気がつきました。

上の2枚の写真は、左右それぞれの目で見た空色を、少し差異を強調して再現したものです。

何でこんなことをやって見る気になったかと言うと、耳でも同じようなことが起こるのを、すでに体験していたからです。
ヘッドホーンで、左右の耳に個別に音が聴こえるようにしておいて、「ピンクノイズ」と呼ばれる音源を出します。<参照>
左右交互に聴くと、全く別な音を聴いているくらい違って聴こえるのです。
左右の耳の周波数感度特性は、もちろん人にもよると思いますが、かなりバラツキがあるのだなと、20代の初めの頃だったと思いますが、その時初めて知りました。

それで、目でも同じような差異があることに気がついて、やっぱり少しショックでした。
右の目と左の目でも違って見えるのだから、ましてや他人の目と自分の目では、同じ空を眺めていても違った空色に見えているかも知れないと思うと、自分の中で何かが大きく揺らぐのを感じました。
それ以来、世界とそして人を見る目が変わったような気がします。

そしてその時、同時に思い出していたのが、「ほんとうの空色」でした。
このファンタジー小説のことは、18か19の頃、朗読をラジオで聴いた時以来、忘れることが出来ない記憶として、頭の片隅にしっかりと刻んでいました。
どうしてこの物語がそれほど印象に残ったのか、自分ではうまく説明出来ませんが、もし興味がおありの方は実際にお読みになってください。

いつでもベストを

もうずい分前、何度かお邪魔したことのある、お店(カフェ・レストラン)のお話です。
そこは、サイフォンコーヒーがおいしいお店でしたが、ランチタイムの食事について来るコーヒーは、残念なことに、コーヒーマシンで淹れた安いブレンド豆のコーヒーでした。
サービス品なので仕方ないと言えば、仕方ないのですが、せっかくおいしいコーヒーを出せる腕があるのに、こんなところでケチってはもったいないというか、あまりいいことにならないんじゃないかと思っていました。
結局そこは、まあそんなことが関係したかどうか分りませんが、何年か経ってやっぱり閉店してしまいました。

一方、食工房がお世話になっている別のお店(そこもカフェ・レストラン)では、ランチタイムのサービスコーヒーに、フェアトレード・オーガニックのオリジナルブレンド豆を、一回一回挽いて淹れて出しています。
豆を買ってもらっているウチはいいのですが、そのお店の方はこれで利益が出ているんだろうかと、ちよっと心配になるほどの大出血サービスです。
でも・・・、です。
食事の後のおまけのコーヒーでさえ、最高の味を出そうという心意気は、料理にももちろん現れていますし、そのコーヒーが美味いと別料金を払ってお代わりする人や、わざわざコーヒーだけ飲みに来る人もあり、そこのお店は大繁盛しています。
「損して得取れ。」とはよく言ったものですね。
もちろん一番効いているのは、お店を切盛りしているおかみさんのお人柄です。
ウチは、こことお付き合いさせてもらっていることで、売り上げ以上に「元気」をいただいています。
あぁ・・・、でも、今度からここに納めるコーヒー豆も値上げしなくてはならないのです。
心苦しい決断です。
さてそのお店とは、<こちら>です。




    イベント開催のおしらせ

11月30日(日)、午後2時より
「カフェクラブの集い」を開催します。
参加費1,000円 定員8名
今回は、気になる銘柄をそれぞれストレートで、味比べをします。
「シュトレン」の試食もあります。


なお、当日雪で駐車スペースが確保出来ないほど積もった場合は中止となりますので、心配な時はお出かけ前にお電話などでご確認ください。

食物環境という話

食品の偽装や毒物の混入など、食物の安全が揺らぐ昨今、一体何を食べればいいのか、食の安心はどこに求めればいいのか、どなたも頭を悩ませていらっしゃると思います。

そういった危険回避のことは、この時代の重大事になってしまいましたが、それ以前から、健康維持を考える時、毎日食べる食物は一つの重要な要素でありました。
「何喰ってたって同じだよ!」と思っている方がいるかどうか知りませんが、はっきり言ってそれは間違いです。

我々人間も含めて、動物も植物も皆、直接間接に環境の産物です。
食べるということは、肉か魚かあるいは野菜かその他何でも、それらが採れた場所の環境を体の中に取り込むことと同じです。
食生活は、その人の体にとって、ある面、気候風土以上に直接的な環境だと言えます。

「じゃあ、何を食べるのが体に良くて、何が体に悪いんだ?」ということになるわけですが、それは人それぞれに少しずつ違っているということもありますし、それから食品商売をしている私の立場上、特定の食品の悪口になることは言いたくありませんので、ここでは具体的なことは申し上げられません。

私の限られた経験からでも、個々の食品と体への影響について、つかんでいることはいくつかありますが、それらは直接お話しする機会があれば、お伝え出来ると思っています。
一つ言えることは、どんな食べ物にも適量があって、不足しても多過ぎても、健康に何らかの害があるということです。

今、私たちの回りに氾濫している食に関する情報や飽くことなき美食への志向のことなどを考え合わせると、私たちはただ贅沢なだけに止まらず、それ以上に心身の健康に対して、とても罪深い状況であると思います。

そんな時代に、パン屋をやっている自分としては、食べてくださる皆さんの体にもそして心にも良いパンを提供したい。
そのためには、体のことも心のことも全て含めて、まず自分自身のコンディションからだと思っています。
無理に達観するんじゃなくて、自然に仕事が喜びとなるだけの力量を身に付けることが肝心と、この歳になってやっと覚悟が決まった私です。

寒くなって来ています。

先日の大雪以来、ぐんと寒くなって来たような感じがします。
曇りがちの空で日も当らなくなり、洗濯物が乾かなくなりました。
今冬は、なるべく暖房を使わないようにしようと思っていましたが、洗濯物のことが頭から抜けていました。
雪国は、何が大変かと言って、冬場の湿気が難物です。
洗濯物のこともありますが、寒さの質も、体に堪える重たい冷え込みです。
やっぱり火の気がないと、いろいろと具合が悪いのですね。

こんな時、薪を燃やすのが一番いいのですが、ここでは今それも出来ませんので、灯油ファンヒーターを焚いています。
考えてみると、ずい分贅沢なありがたいことです。
昔のことなら、冬場に燃やすものが無くなったら、それこそ生死に関わる一大事ですから、薪集めは命がかかっていたのですね。
山暮らしをしていた時、一番うれしく幸せな瞬間は、沢山の薪が山と積み上がったのを見る時でした。


さてさて、寒さの話はそのくらいにして・・・。


食工房では、ただいまシュトレン造りのために、クッキー類が品薄になっています。
年内は、全ての種類が棚に並ぶことは、多分難しいと思います。

その代わりと言っては何ですが、シュトレンの出来は、昨年に比べてまた良くなったような気がします。
一番の違いは、食感です。
生地のこね方で一つ気づきがあり、キメの細かさやしっとり感が向上したと思っています。
まあそうやって、少しずつでも進歩を心がけています。
クリスマスまであと一ヶ月。
間もなく待降節・アドベントに入ります。
シュトレン解禁(ちょっと大げさですが)です。

11月23日

今日、この日は、勤労感謝の日で仕事も学校もお休みのうれしい日というわけですが、私にとっては、一生の記憶に残る末娘の誕生日でもあります。

1991年のこの日、私たちは阿武隈の山中で山暮らしをしていました。
何もかも自然志向で暮す中で、連れ合いが妊娠したことが分っても、病院には行きませんでした。
何しろ6人目ということもあり、連れ合いは、自分の体の感覚を信じて、全てうまく行くと思っていました。
私にも全然不安はありませんでした。

ゆったりと9ヶ月余りが過ぎて、ちゃんと規則正しく前触れが来て、前日の22日には、連れ合いは「生まれておいで、みんな待ってるよ。」と呼びかけたのでした。
その夜から陣痛が始まり、次の朝、6番目2人目の女の子が生まれたのでした。

当日は明け方の4時頃から、皆で手分けして、風呂を沸かしたり、薪ストーブに火を起こしたりして、出産に備えました。
ちゃんとした朝食が取れないかも知れないと思い、薪ストーブの上に芋を乗せて焼き芋を仕掛けて置きました。
後になって、皆、この日の話しになると、まず焼き芋のことを一番先に思い出すのが、今になってもおかしくて吹き出してしまいます。

上の子たち全員が見守る中、私の介助で無事に出産を終えることが出来ました。
胎盤は、裏の山の大木の根元に埋めて、感謝の祈りを捧げました。
この時、人間の自分たちも、山の鳥や獣たちと同じ生き物の一員なんだと感じ、回りに向かって「うちもまた一人生まれたよ。」と心の中で呼びかけたら、あたりがザワザワとして「おめでとう。おめでとう。」と言う声が聞こえたような気がしました。

毎年一度、こうしてそれを思い出すことの出来る自分は、何とありがたく幸せな人間なんだろうと、しみじみ噛みしめる今日の私です。


実はこの後、出生届が受理されるまでの顛末が大変でした。
そのお話は、またいつか別な機会に・・・。

里心

昨日、方言のことを書きましたが、実は昨日、郷里で親類縁者の一人が亡くなったと知らせが届いていました。
一番行き来の多かった家なので、葬式に駆けつけたい思いはありましたが、こんなに遠くてしかも忙しい最中ではどうにもなりません。
弔電だけ打って、今日は一日、仕事をしながら故人のことを思い浮かべたり、話したりしていました。
それがいい供養になるらしいので。
そして、こうしてブログの記事にも書きとめておけば、それもまたいい供養になるかと思います。
私は、前にも申し上げましたが、「風の人」の部類のようで、どことも知れぬ異郷の地で果てることは、とうに受け入れています。
それでも、こういうことがあると、少しだけ里心がつきます。
昨日お話したように、こうして自分には郷里があっても、私の子ども達には故郷と呼べる場所はないのですから、私の生き方はとても我儘で罪深いかも知れませんね。
ここらで、子ども達のためにも、そろそろ落ち着きたいと思いますが、その願いが叶うでしょうか。
ここでも、未だに借家住まいです。


さて明日は、末娘の誕生日です。
山暮らしの最中に、山の中の小屋で生まれた娘です。
明日は、その時のお話でも・・・。


個人的な話題ばかりで、すみません。

何故、方言は廃れないのか・・・

私が今暮しているのは、東北は会津の地。
生まれは、四国、土佐の高知です。

20代前半に郷里を離れ、東京に出てて来た私は、その後35年間に何度か住まいを移しましたが、話す言葉はだいたい標準語と言われる口調でした。
会津に暮している今、部分的には地元の会津弁に馴染みつつありますが、仕事上や日常の用を足す時は無難な標準語です。

ところが近年、家庭内で郷里の土佐弁を使うことが、少しずつですが増えつつあります。
おかしなものだなぁと思いながらも、自分にとってのお国言葉は、妙に気持ちいいのです。
というよりも、自分の心というか感情を表現したい時、一番ピタッと来る言葉がすぐに見つかります。
これって何故なんだろうと思った時、一冊の本のことを思い出しました。

「日本人の脳・脳の働きと東西の文化」角田忠信著

1978年に出たこの本を、私は数年後に人から借りて、読みふけった覚えがあります。

理論書で、興味の湧かない方にはさっぱりだと思いますので詳しい内容には触れませんが、人の脳と言語環境には密接且つのっぴきならない関係があり、それは10歳頃までの言語環境によって決まるというものでした。
ただし、本の中で取り上げられていたのは、日本語と外国語(英語に代表される西洋言語)の対比でしたし、着眼の要点は、右脳と左脳の役割分担の相異ですから、同じ日本語の中の方言についての考察には、直接の関わりはありません。
しかし私は、妙にこの本のことが気にかかっています。
やはり、子どもの頃に置かれた言語環境は、人にとって何か決定的な影響があるのではないかと。

それでちなみに、私の子ども達のことをふりかえって見ると、うちでは、連れ合いが横浜の生まれで、標準語に近い話し方を終始変えませんでしたし、私もそれに合わせていましたから、家の中ではだいたいいつも標準語でした。
そして、度々住まいを移しましたから、結局この子達にとって郷里と呼べるものは定まらず、お国言葉というものはないのですね。
私がこの歳になって、30年以上も普段用のない土佐弁の方が、妙に気持ちが良くなって来たことで、ちょっと複雑な心境です。

方言が廃れないのは、その土地で、人の暮らしと言葉が世代から世代へと、受け継がれているからだと思います。
我が家のように、出身地が遠く異なる夫婦の場合、間に生まれ育った子ども達の話す言葉は、どちらか、あるいはどちらでもないか分りませんが、いずれにしても、方言の伝承に対しては攪乱要素になることは間違いないでしょうね。
本当は方言も、少しずつでも微妙に変化しながら伝承されて行っているのではないか、そんなことを思いつつ、時々土佐弁が口を突く私です。