月別アーカイブ: 2008年11月

いきなり大雪



一夜明ければこの景色。
畑には未収穫の白菜が沢山。
ああ、どうしよう・・・。


天気予報どおりでした。
昨日から降り始めた雪。
今朝は一旦上がるかと思いきや、その後本降りになりました。
夕方までに、場所によっては30cmを超えました。
雪囲いがまだ完成していないと言うのに・・・、ちょっと焦ります。

夕方、いつものように配達に出ましたが、交通量の少ない山道は、かなり手強い道路状況でした。
タイヤ交換が間に合って、本当に良かったです。
今シーズン初の雪道走行に、どなたもおっかなびっくりなのか低速走行の車が多く、緊張感が伝わって来ました。

帰りは別な道へ回りましたが、そちらでは峠越えの区間で、立ち往生している乗用車や、道路脇に転落して横転しかけたトラックがいて驚きました。

冬の雪道、凍結路は、一にタイヤ、ニにタイヤ、それから四駆、さらに万一のためにタイヤチェーン、これでもう恐いものなしです。

思えば阿武隈の山暮らしの間に、ありとあらゆる危険な目に合って、いつの間にか百戦錬磨のドライバーになっていました。
と言っても簡単なことです。
その場の危険を的確に察知して、絶対に無理をしない、ただそれだけのことです。
結局、いつも後ろから煽られています。
そんなこと言ったって、「事故ってからでは、遅いっちゅうの!」ですね。
ただ、どこへ行くのにも時間がかかって、それが悩みの種です。

これから約4ヶ月余り、雪とのお付き合いです。


  おしらせ
雪の日ご来店、ポイント2倍サービスを開始しました。

食工房テイスト


 


最近、食工房で取り扱っている各銘柄をストレートで味わって、それぞれのキャラクターを再認識しています。
その結果、食工房テイストの本質が、改めて分ったような気がしています。

古い話しになりますが、35年前私が故郷を離れて一人暮らしを始めた頃、コーヒー道具を揃えそしてまず買い込んだコーヒー豆の銘柄は、コロンビア、モカ、ブラジルの3種類でした。
それを大体3等分にブレンドした味が、お気に入りでした。
コーヒー専門店でコーヒーを飲むこともよくありましたが、その時はたいていコロンビア・ストレートでした。
今、それを思い出して分ることは、けっこう酸味系の味が好みだったんだなということです。
その後、丸11年間もコーヒーを飲まない時期を経て、またコーヒーを飲み始めた時も、コロンビア、モカ、ブラジルの3種混合でした。


そして自家焙煎を始め、その後コーヒーを商売にするようになりましたが、オーガニック・フェアトレードに関心が強かった私は、コーヒー業界で流通している豆には手を出さず、入手可能な限られた2、3種類の銘柄のみでやっていました。
しかしこれではバリエーションが乏しいので、同じ銘柄の中炒りと深炒りをブレンドして、好みに合う味を出そうと試みました。
これが案外うまく行って、お客さまの支持も少なからずありましたので、やがてブレンド割合も決まり、今の食工房の定番「食工房おいしいブレンド」となりました。

こうして出来上がった食工房テイストは、今思うと、以前の私の好みを踏襲している部分があります。
苦みはほどほどにあり、酸味はフルーツあるいはワインのよう。
そして、甘みがあること。
コーヒーに甘みと言うと、ちよっと違和感があるかも知れませんが、そうではありません。
それから、深呼吸して胸一杯まで吸い込みたくなるような、嫌味なくすっきりとしたロースト香。

食工房のコーヒーを召し上がってくださった皆さま、如何でしょう?
食工房のコーヒーは、こんな説明に合致しているでしょうか。
これからも、ご感想やご意見をいただきながら、そして自分自身の好みも加味しながら、さらに新しい境地も見つけたいと、意欲満々の私です。
どうぞよろしく。

雪の気配に、テンション上がります。

いよいよ今週中に初雪を見ることになりそうです。
と言うお天気情報に、にわかに緊張感が高まっています。

今日は、車のタイヤを冬用のスタッドレスタイヤに交換しました。
昨年運転免許を取った上の娘も、運転にずい分慣れて、会津若松市まで一人で配達に行って来られるまでになりましたが、雪道の運転にはまだちよっと不安がありますので、今日はタイヤ交換を一緒にやって、心の準備をしてもらいました。
何しろ忙しくなって来ましたので、雪囲いもまだ全部は出来上がっていないのです。
白菜の収穫など畑の始末もして、冬への備えが整うまでは、気が緩みません。

食工房も、シュトレンが始まって年末モードに入りました。
皆さまからのご注文も、少しずつ溜まって来ています。
今月末から12月にかけて、次々とお届け出来ると思います。
ご注文は、まだこの先も受け付けていますので、どうぞよろしく。




おかげさまで、ご好評いただいております。



これからお正月のお休みまで、定休日と言えど、まったりとはしていられない日々がしばらく続きます。
健康第一で頑張ります。


  おしらせ
今週は、木曜日・カネリプッラです。
コーヒーのメニューパンフレットのpdfファイルを更新しました。
食工房のホームページをご覧ください。

時事雑感・2

世界でも屈指の産業・経済大国になった日本。
しかし国の底力は、衣食住に直結する一次産業が、いかに着実に営まれているか、そしてそれを支える国土環境が保全されているかにかかっていると言えます。
例えば食糧に関して、世界の先進各国は、大方食糧自給率が50%以上で中には100%以上で食糧の輸出国になっている国もありますが、日本では40%です。
さらに穀物自給率に限れば、50%をはるかに下回る28%に過ぎません。
今後世界の食糧が不足すると言われる状況の中で、これでは健全な国家の維持は困難です。


ところで、日本はせまい国と言われ、また資源のない国と言われて来ましたが、本当にそうなのでしょうか。
平地が少なく山地の多い日本は、利用しにくい国土とも言われますが、細かく刻まれた山襞を伸ばしたとすれば広大な延面積になるはずで、せまい国土も見ようによっては広いのです。
そして立体的な地形は、場所場所によって日照差や気候差を生じ、生態系を多様にします。
事実日本は、世界でも指折りの生物種の多い環境なのです。
しかも、豊富な雨量によって多くの河川が潤い、この水の恵みのおかげで、土地の生産力は、同緯度の世界の他の地域に比べても突出しています。
これを一つの大きな資源と見られないようでは、この国の真価を見誤ることになると思います。
ただしこれも、大陸的発想の大規模農業を展開するには、全くデメリットばかりが目立つわけで、日本には、日本に合った国土の活かし方がある思いますし、それはもうすでに形になっていたと思うのです。


そう考えると、食料の自給は決して難しい話ではないはずなのですが、日本の政策がそれを難しくしている側面が多々あることは、否定出来ないと私は思います。


工業立国で進んで来たのは良いけれど、そのおかげで、農林水産などの一次産業は衰退せざるを得ませんでした。
そしてここに来て気づくべき一つの問題は、最近厳しくなる一方の国際競争に勝つために、産業界が労働単価の切り下げを始めたことです。
その結果、労働環境全体が劣化して余裕がなくなり、それが顕著に現れた一つの例として、兼業農家が成り立たなくなりつつあることが上げられます。


残業や休日出勤が多い状況では、農業を兼業することは到底不可能です。
私は、兼業農家の中途半端さがある意味良い面を持っていたと思うのですが、それがやっていけない状況を迎えつつあることは、この日本が、一つ大きな曲がり角に来たということだと思っています。
専業農家の存続は、さらに難しい状況ですし・・・。


そもそも日本の農業が行き詰っている一番の原因は、早い話、日本の労働者たちが、自国の農産物を、農業が再生産維持出来るだけの価格で買い上げられない程度の給料しかもらっていないという、産業の構造にあると思います。
世界屈指の産業・経済大国も、実は中身はその程度と言われても仕方ありません。


世界には、小国と言われながらも見習うべき国々が沢山あるのですから、国政を与る方々は、いつまでも大陸的発想に憑りつかれてないで、地の利にあった賢明な国策を展開していただきたいと思う私です。

小麦粉値上り!

食工房で使用している国産小麦の粉の価格が、この11月から値上りしています。

前にも触れましたが、国産小麦自体の価格は統制価格なので変わっていないはずですが、小麦粉にして販売するまでの諸経費は、言うまでもなく上昇していて、製粉会社の経営を圧迫して来ました。
業者によって値上げのタイミングは異なったようですが、うちの場合は結構持ち堪えてくれていた方だったと思います。
しかしそれもとうとう限界が来て、この度5%余の値上がりになりました。
もっとも、小麦粉が原材料の全てではありませんので、ただちに製品価格に反映させる考えはありません。
とりあえずご安心いただきたいと思います。

それよりも、外国産の小麦の価格は上昇が続いており、量の確保も難しくなりつつあります。
これが高じてくると、ただ単に価格が上昇するだけでは済まない、大きな影響が予想されます。

それは前にも触れたとおり、国産小麦を高く買い上げるための補助金の財源を、外国産小麦を高く売ることによって得られる、差益に依存している構造があるからです。
外国産小麦があまりにも高くなれば、この構造を維持することが困難になり、最後には、国産小麦は無防備のまま市場に放り出されることになるかも知れません。
そうなれば、いくら高くなったとしても、まだまだ外国産小麦の方がはるかに安いはずですから、そこで一つの予想ですが、小麦粉製品の二極化が生じることになると、私は思います。

例えば、1斤300円くらいの外国産小麦のパンと1斤1,000円以上もする国産小麦のパン、こんな対比になるのではないかという気がします。
そしてそれは、それぞれのパンを買う人々の経済的な格差でもある、という状況になると思います。

そんな時代になった時、果たして私は、自分の焼いたパンを買えるのは裕福な人だけという状況の中で、パン屋を続けていたいだろうか・・・?と思うのです。
本当に今のうちに、日本の農業政策、食糧政策を何とかしないと、この国は滅びてしまうと、本気で心配する私です。

飯豊山食パン、新食感をお試しください。

今日は、せっかくうまく焼き上がったパンの写真を撮ることを忘れてしまい残念無念!
飯豊山食パンの小麦粉の配合を、少し変えたのです。

この夏、地元産のアオバ小麦を入手して以来、何とかして飯豊山食パンに配合している全粒粉を、ライ麦からこのアオバ小麦に変えたいと思って来ました。
ところが、意外にもライ麦全粒粉の方が生地の延びが良く、味も食感も上という感じがあり、今一つ踏み切れませんでした。
その後、研究心を燃やしていろいろ確認していましたが、その原因の一番は、小麦を粉に挽いた後の枯らし(シーズニング)の時間が決定的に短いためだったと分りました。
あと一つは、生地の水分量でした。

今日は、試みがうまく当って、軟らかくモチモチとした食感と小麦胚芽の甘み、そしてよく醗酵した生地特有の酵母のうまみがバランス良く出ていました。
飯豊山を間近に眺める、高台の上の小麦畑で収穫されたアオバ小麦を配合した、飯豊山食パンの新食感をぜひお試しください。
ちなみにアオバ小麦以外は、岩手県産の南部小麦とゆきちからを使っています。

  シュトレン、無事に焼き上がりました。

  ※やっぱり、こちらも写真撮ってるヒマがありませんでした。

おかげさまで、今年のシュトレンづくりも順調にスタートを切りました。
バターも何とかなるんじゃないかと、信じる力でゲット出来そうな気がします。
ご注文も、今年は早めに集まっています。
200個くらいで締め切りますので(文旦ピールのストックに制限があるため、それ以上は造りたくても造れません。)、ご入用の方は、ご予約をお忘れなく。

味は世界の共通語

「音楽は世界の共通語」とよく言いますが、味もやはり世界の共通語かなと思います。
甘酸辛苦鹹の五つの味を感じ取るのは、人類共通の感覚でしょう。
まあ、そんな理屈っぽい話はともかく、美味しいものを前にすれば、言葉の分らない人同士でも笑顔で頷き合えるというものです。
食工房のパンや焼き菓子は、概して外人さんにウケが良いのは以前からで、外国に行ったこともなければ英語もろくに喋れない私が造ったものでも、味覚ではちゃんと通じることがあって、うれしい驚きを味わうことが少なくありません。

今日は、デンマークの方が見えて、堅焼き黒パンやクリングラ、スコーンなどを買って行かれました。
実は、昨日も私が配達に出かけている間にお出でになって、プンパニッケルと堅焼き黒パンを買って行かれたそうで、二日続けてのご来店です。
お連れ合いが日本人で、ご本人も日本語がお上手でしたからお話しも通じましたが、食工房のパンを気に入っていただけたようで、とてもうれしく思いました。

少し前、ドイツの方が、プンパニッケルを買いに来られて、あいにく売り切れで、自家用に残しておいた半端サイズのものを差し上げるということがあったのですが、実はこの方が、今日ご来店くださった方に、おいしいパン屋があると教えてくださったのだそうです。

国や文化が違っても、同じものをおいしいと感じられればそれだけで、言葉が通じる以上の共感を味わうような気がします。
やっぱり、味は世界の共通語ですね。


  おしらせ
さていよいよ明日から、シュトレンを造ります。
材料の段取りを先ほど終えました。
みのりのパンは、当分の間お休みになります。
なお、シュトレンのご予約はお早めにどうぞ。
 シュトレン 1本 2,600円 1/2カット 1,500円
 ギフトパッケージは、プラス200円にて承ります。

おすすめブログ、2題

今日は、忙しく過ぎてくたびれましたので、おすすめのブログを2つご紹介して、格好つけさせていただきます。

まず一つ目は、「駅前糸脈」というタイトルのブログ。
この方は、ちょっと前に偶然の縁でコメントのやりとりをするようになった方です。
どうやら、どこかの町の病院の先生でいらっしゃるようです。
お立場上、我々一般人には見えない視点から人や社会をご覧になる機会があるからでしょうか、卓越した視点と鋭い考察、そしてヒューマニズムに満ちた言葉を選んで展開される文章は、どんなことを述べている時でも嫌味がありません。
では、<こちら>からお入りください。


二つ目は、「Today’s Crack ・今日の一撃」。
こちらは、私の古い友人takさんのブログで、すでに一度ならずご紹介しているので、固定ファンの方もいると思います。
本宅、「知のヴァーリトゥード」というホームページの中の一室です。
時事に関すること、ご本人の仕事に関すること、まずこの世にあること何でも、上手に掘り返して話題を提供してくれます。
少なからぬ世のブロガーたちの情報源として、存在価値を認められているのでは・・・。
何しろ、毎日1000を上下する訪問者の数が、それを物語っています。
過去に何度も、内容をパクられた経験もあるとか。
つい最近、4年目にしてアクセス100万ヒットを超えました。
<こちら>からどうぞ。

コーヒーの酸味


私がコーヒー焙煎を始めた頃、七輪に炭火、金ザルにシャモジという、原始的手法で炒った私のコーヒーを支持してくれた方がよく言っていたのは、「酸味のないコーヒーが好き。」という言葉でした。

確かに、私の焙煎したコーヒーは酸味が軽く、強いロースト香を放ち、とても個性的だったと今思います。
当時はそれなりにバランスの良い味だと思っていましたから、私自身が酸味が好きじゃなかったということになります。

酸味を敬遠すると、どうしても深炒りになります。
ロースト香は強くなりますが、味わいが平板な感じになります。
でもそれが、さっぱりした味で心地良いと感じていました。

しかし、コーヒーと関わって何年か過ぎるうちに気がついていましたが、コーヒーの味の中で、酸味はかなり重要な役どころを担っているのですね。
ある時業界の大先輩が、「昔はコーヒーが酸っぱかった。それが今になると懐かしい・・・」と語ってくれました。

そして最近また気がついたのですが、コーヒーの味の二大成分である苦みと酸味のうち、酸味はまろやかさや味わい深さを決定する重要な要素だということです。
考えてみると、コーヒーから完全に酸味を消してしまったら、多分、麦茶をうんと苦くしたような味になってしまいます。

そして不味いコーヒーの不味い所以は、大半、酸味の質によるのではないかと、考えるようになりました。
そして最近出合ったセラードコーヒーの中の、ワイン系と呼ばれる特徴的な酸味を持つコーヒーに接して、「酸味の心地良いコーヒーは、本当においしいコーヒー。」、この考えが間違いでないことを確めました。

今、コーヒーの酸味に対する認識を新たにして、今まで取り扱って来た銘柄を一つ一つストレートで味わい直しているところですが、それぞれ個性的でありながら、いずれもこの酸味の質の良さが幸いしていたようです。

ところで、ワイン系と呼ばれるコーヒーは、いわゆるワインのような味わいが特長とされ、酸味の心地良さは別格です。
今までにも、酸味の心地良さを認める銘柄はいくつかありましたが、セラードコーヒーの「カフェ・ヴィーニョ」(ヴィーニョは、まさしく「ワイン」の意)には、ちょっと驚かされました。

こういうコーヒーに出合うと、正直なところオーガニックでフェアトレードであっても、もう一方でコーヒーの風味という点での品質について、もっともっと勉強し追求してもらいたいと、多少の不満も感じてしまいます。

食工房テイストにも、新境地が開ける可能性を感じている昨今です。



  おしらせ
カフェ・ヴィーニョも、今度からメニューに加わります。
セラード カフェ・ヴィーニョ 100g 500円
☆只今、コーヒーのメニューパンフレットを更新中です。
もうしばらくお待ちください。

企業倫理を勘違いしてはいけない

企業の目的は利潤追求だと、誰もがそう言いますが、
私はそれは違うと言いたいのです。
企業の本義は、あくまでも社会貢献であって、その結果としてそれに見合った利潤が上がる、というのが本筋だと思います。

「受け取りたければ、与えなさい。」という金言があるのですが、これは人間社会の基本ルールだと思います。
利潤追求を第一義にすると、そのための手段を考えるようになり、時に社会貢献に反する道を歩んでしまうことは、今までにも多くの例が物語っています。

ところで一口に企業と言っても、社員何万人の大企業もあれば、自分一人でやっている個人企業まで、規模も形態もいろいろですが、社会貢献が本義であることには変わりはないと思います。

この時代、一個人でも億単位のお金のことを口にする人がいて、私などは驚きます。
若いうちに働けるだけ働いて、一億円蓄えたら退職して起業するとか、年商数億円のビジネスモデルを提案して資金を集め、大成功を目論む人がいたりして、そんなことが頭に浮かんだこともない私などは、ただ呆気にとられて「ごくろうさま!」というしかありません。

こうした方々が、一体どの程度に社会貢献と利潤追求のバランスを考えているのか、全く見当がつきませんが、この競争社会で勝者となるには、それなりにエグいこともするということでしょうか。
そこには自分も含めて、働く喜びや人の心の安寧があるでしょうか。
今の社会の流れは、そこから遠く隔たっているような気がします。
そしてその中で成功したいと願うことは、例えばそれは、回り回ってどこか遠くの国で起こっている戦争を喜ぶことと同じだと、私は思います。

今、こんな諺があったのを思い出します。
「悪い種からは悪い実しか成らない。そして悪い種ほど速く育つ。」
善いことが成るには時間がかかる。

さてさて私のパン屋稼業も、最後にどんなことになるのか想像も付きませんが、一生かかってやり切れなかったことは、またもう一度生まれ変わって来て、似たようなことをするのだろうなと思っています。